表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
DLTEEE  作者: 宇理
STAGE1
4/10

stage1-04

07/07 20:05


 すっかり日が落ち空は黒い絵の具をぶちまけたような闇に覆われている。

 閑静な住宅街の中にひっそりと佇む夜の公園。緑に囲まれたその場所には、ブランコや滑り台、シーソーなど一通りの遊具が揃っている。

 昼間、子ども達によって生み出されていた喧騒が嘘のように今は静まり返っていた。


 「こんな時間にこんな場所に呼び出すなんて、どういった風の吹き回しだい?」


やって来た男は半袖のTシャツとジャージにサンダルと、寮の部屋からそのまま抜け出てきたような格好だった。街灯の下、その男の髪はまるで雪のような白にも見える。


 「ご足労ありがとうございます。松本先輩」


そう言ってベンチから自分を見上げる俊也に、男――松本はふっと息を漏らした。


 「そんなことを言う間柄でもないだろ? 隣いいかな」


松本は返事を待たずに砂場の傍にある木製のベンチに腰をかける。隣に座る俊也の顔を覗き込み、いつもの柔らかい笑みを浮かべた。


 「さて、緊急の話って何かな? 相談ごとなら君の部屋に行ってもよかったのに」


俊也は松本の方を見ず、地面に視線を固定したまま返した。


 「……先輩も、例のゲームの参加者なんですよね」


松本は俊也から目線を外すとベンチの背もたれに体重を預け、星ひとつない空を仰ぎ見た。


 「君には関係のない話だと言ったはずだけど。誰に何を聞いたかは知らないけど、安い正義感で首を突っ込んで後悔するのは君だよ」


感情の篭らないその声は、俊也を苛立たせるのに十分であった。俊也の置かれた立ち位置を最も理解しているであろうに関係ないと言い切り、おまけに安い正義感だと松本は言ったのだ。俊也は膝に乗せた拳を震わせる。


 「大方、浅井君を殺した犯人を見つけ出す、とでも考えているんだろう?」


それが、まるで愚かしいことだと非難するような口ぶりに俊也の感情が昂ぶる。


 「そうだよ、それの何が悪いってんだ!」


俊也は松本を振り返り、激情に任せがなり立てる。松本は全く怯む様子も見せず、むしろ相手が凍てつくような視線で見つめた。


 「それで? 犯人を見つけて君はどうするの?」


俊也は息を呑む。噴き出す汗は氷のように冷たい。


 「それ、は……」

 「僕が浅井君を殺したと言ったら君はどうするの? 敵討ちだと言って僕に同じことでもするのかい?」


 目を細めて笑う松本はいつもと同じ顔をしているはずなのに、まるで能面のように見えた。彼が何を考えているのかが分からない。

 気温は未だ二十数度を超えているはずなのに肌にひやりとした冷気を感じた。体の震えが止まらない。それが恐怖からなのか怒りからなのかは俊也にはもう判断がつかなかった。


 「そんな顔しないでよ。僕はね、君のためになら死んでやってもいいと思ってるんだ。僕は君に対してそれだけのことをした。いや、してしまったというべきか」


 俊也の口からは空気が漏れ出すばかりで一向に言葉になる気配がない。

 三日前のあの日から薄々は疑っていた。だが、そうであるはずがないと、否定する気持ちの方が強かった。それだけ松本のことを信頼していた。尊敬できる先輩だと思っていた。憧れだった。

 まるでフルマラソンを走ったあとのように呼吸が乱れる。息を吸って吐く、ただそれだけの行為はこんなにも難しいものだっただろうか。懸命に空気を取り入れ、絞り出すように声を発する。


 「……本当に、先輩が、亮介のこと殺したのか?」


頼むから否定してくれよと心の中で何十回と唱える。

 松本は困ったような、泣きそうな笑みを作った。


 「うん、ごめんね」


テノールの心地よい声色は、人々の憩いの場である公園からは最も程遠い音によって掻き消された。


 「え?」


俊也の目の前が真っ赤に染まる。頬を生ぬるい液体が伝った。拭ったその手は赤黒く染まり、近づけてみると鉄錆のような何か嫌な臭いがした。

 松本はがっくりとうな垂れ、無言のまま動かない。

 がさりと草木を掻き分ける物音がしたのでそちらを振り向くと、顔を青白くさせたヒロ子があの時、部屋で見せた銀色の凶器を両手に握り締めて立っていた。


 「ヒロ子……? 何やってんだよ、お前」


俊也は唇を小刻みに震わせながら呟いた。状況を見れば彼女が何をしたのかなど幼い子どもでも分かる。

 茹で過ぎたトマトのようにぐちゃぐちゃになった松本の頭。拳銃を握り締めるヒロ子。俊也とて何が起きたか分からないわけではない。だが、今の状況と自分の中の常識がかみ合わず、理解することを頭が拒んでいた。

 ヒロ子は答えずに、ピクリともしなくなった松本を一瞥する。握っていた拳銃を消すと、早足で俊也に近づきそのまま手を取って走り出した。

 俊也の制止は悉く無視される。肩が抜けるほどの力で手を引かれ、そのまま夜の住宅街を駆ける。

 公園から数百メートルほど離れたところでヒロ子はやっと足を止めた。彼女の手を振りほどくと、膝に手を置きぜいぜいと息を切らせながら俊也は問い詰める。


 「何で、あんなことしたんだよ」

 「何故? あいつスケさんを殺したって自分で認めてたじゃない」


ヒロ子は冷え切った目で俊也を見下ろした。


 「だからって先輩にあんなことしていいってことにはならないだろ」


信じられないというように叱責する。


 「そうかしら。あいつが13番なら早く始末するに越したことはないし、他のナンバーだったとしても、他のメンバーに手をかけるような奴は危険過ぎるわ」

 「……お前だってそうだろ」


認めたくはないが、ヒロ子は松本の頭を拳銃で打ち抜き殺害した。それは間違いない。たった今ヒロ子もまた彼女の言う他のメンバーに手をかけた一人となったのだ。


 「松本先輩にだって何か事情があったかもしれないってのに。そりゃ事情があったからって先輩がやったことは許されるもんじゃねぇ。でも、いきなりあんな真似するなんて」


 松本といいヒロ子といい、人の命をなんだと思っているのかと頭を抱えたくなった。拉げた松本の頭部とあの独特の臭いが今になって蘇り胃液が込み上げてくる。親しい人間の無残な姿を見て平気でいられるわけがない。女子の手前気丈ぶっているが、本当は今にも崩れ落ちてしまいそうだった。


 「俊ヤラーは分かってないのよ。とりあえず一旦うちに戻りましょう。その格好でうろうろするのはマズイからね」


松本の返り血で汚れた俊也を見て言った。顔についたものは拭けばいいが、Yシャツやインナーに飛び散ったものはそうはいかない。日が沈み彩度の失われた(ここ)ではさほど目立つことはないが、その姿で寮に戻れば周囲から追及されることは間違いないだろう。

 なるべく公園に近づかないように、来た道とは別のルートを通ってマンションまで引き返す。

 

 道中会話はなく街灯が細々と照らす下、黙々と歩き続けた。

 マンションに着くと注意深く内部を覗き込み誰もいないことを確認して足を踏み入れる。エレベーターや廊下で他の住人とすれ違うこともなく部屋に辿り着くことができた。

 室内に入ると後ろ手でつまみを捻り、鍵をかける。それと同時にヒロ子は大きなため息をついた。彼女もまた俊也と同じくらい緊張していたのだろう。奥の部屋に入ると二人は力なく床に座り込んだ。

 特に俊也は顔を蒼ざめさせ目に見えるほどに憔悴していた。立て続けに親しい人間を他殺という形で亡くしたのだから無理もない。


 「これからどうすんだ。死体、あのまま置いてきちまったけど大丈夫なのかよ」


すぐにあの場所を離れたため近隣の住人と鉢合わせることはなかったが、

銃声を聞きつけた誰かが駆けつけるまでにそう時間はかからないだろう。

もしかすると、二人の姿も誰かに目撃されていたかもしれない。


 「それなら問題ないわ。警察は介入できないって言ったでしょ。ゲームの監視係が死体の処理から情報の隠蔽まで全部やってくれるのよ。それより」


ヒロ子はズボンのポケットから黒いプレートを取り出すと慣れた手つきで操作する。何度も確認するようにして画面を凝視し、それから怪訝な顔をした。


 「どうしたんだ?」

 「死亡確認のアナウンスが流れないのよ。スケさんの時はこのぐらいの時間差で知らせが来てたはずなのに」


爪を噛みもどかしそうに言った。


 「まだ生きてるとか?」


わずかな希望を胸に俊也はそう口にしたがすぐに否定される。


 「それはないわよ。後頭部に連続で三発。あれで生きてられる人間なんていないわ。考えたくはないけど、本当はゲームのメンバーじゃなかったとか」


松本が俊也に語ったことの全てが真であるかなど分かるはずがないのだ。

彼が実際に参加証のプレートを見せるなりしてゲームの参加者である証明をしたわけでもない。全ては何の裏づけもない口先だけの言葉。

 自分のしたことを後悔しているかと聞かれればヒロ子はノーと答えるだろう。参加者であろうがなかろうが、ゲームに関与し他の人間に危害を加える者に容赦する気は更々なかった。だが、俊也はそう思っていない。


 「だからもっと話し合えばよかっただろ。もしかしたら先輩はゲームの参加者に脅されてああいう風に言わされてただけかもしれない。もし、そうだとしたらお前は本当に関係のない人間を殺したことになるんだぞ? 分かってんのか」


俊也の言う通り、ただ操られていただけということも考えられなくはない。亮介の殺害も虚言であった。そうであるならば取り返しのつかない失態を演じてしまったことになる。


 「わかってるわよ。確かに今回のことは軽率だったわ。でも、あいつは」


ヒロ子にもあれだけの行動を起こすに至った理由はあった。だが、俊也を納得させるには不十分であり、自分でも乏しい根拠だと自覚していた。それを告げても余計話をややこしくするだけと判断し口に出すことはなかった。


 「俊ヤラーはこの先どうするつもりなの。あたしのことどっかに突き出す?」


俊也は複雑そうな面持ちで答えた。


 「んなことしたって意味なんかないんだろ。正直、お前がやったことに対してはすっげぇ頭に来てる。でも、それでお前だけ責めるってのは理不尽だと思うし」


ヒロ子の亮介への想い、俊也の身を案じる心に嘘偽りがないのは、普段は気丈な彼女が浮かべた涙が物語っていた。彼女とて相当に追い詰められていたのだろう。

 真に憎むべきは情に深く思いやりのある彼女をこんな凶行に走らせた元凶である。


 「おかしいのはこのゲームだ。だからそっちを何とかできるよう協力したい、と思ってる」

 「協力? あたしと?」


ヒロ子は驚いたように目を瞬かせる。


 「そうだよ。お前、放っておいたら何しでかすかわかんねーからな」


やや呆れ口調で、だが突き放すようでもなく言った。


 「そっか、うん。そうね」


どこか嬉しげな顔をしながら、噛み締めるようにしてヒロ子は何度も呟いた。


 「本当に俊ヤラーはそれでいいの? ゲームに関わるってことはたぶん今思っている以上に危険なことなのよ」

 「ここまできて見てみぬフリはできねぇよ。だいたい学校にいりゃ危険なのはみんな一緒だろ?」


ゲームのメンバーが学園の者に限られているというのなら、狙われるのは当然そこの生徒になる。ゲームとは無関係だったとしても濡れ衣で危害を被る可能性は十分にあり得る。松本がそうであったかもしれないように。


 「本当はそうならないようにしたいんだけどね。でも、俊ヤラーが協力してくれるっていうのなら心強いわ。あたしバカだからさ」

 「ほんっとだよ! お前はもっと後先考えろ」


深いため息を吐きながらこめかみの辺りを押さえる。この先も頭痛が絶えないのだろうと俊也はひしひしと感じていた。


 「……今日は色々あったしこの辺にしておきましょうか。今後のことについてはまた明日話しましょう」


そう言ってヒロ子は立ち上がるとクローゼットを漁り一枚のTシャツを引っ張り出して俊也に投げて寄越した。


 「そのまんまじゃまずいでしょ。貸してあげるわ。肩の部分はちょっときついかもしれないけど」


受け取ったシャツを目の前で広げてみると、オレンジ地に黒字のロゴが入ったシンプルなデザインのものだった。男が着ても問題はないだろう。ヒロ子とはそう身長が変わらないため、サイズも何とかなりそうであった。

 ちなみに、俊也が小さいというわけでは決してなく、ただヒロ子が規格外なだけである。

 ヒロ子が手洗いへと引っ込んでいる間に赤黒い染みが点々とできた衣服を脱ぎ、そそくさと着替えた。


 「それ、こっちで洗っといてあげるから置いていきなさい」


戻って来たヒロ子はそう言って俊也の手から衣類を奪い取る。それから反対の手に握った湯気の立つ濡れタオルで俊也の顔をごしごしと擦った。


 「わ、悪いな。何だったらそれ捨てておいてもいいぜ」


妙な気恥ずかしさを感じ、急に思い出した風を装い携帯を取り出して時刻を確認する。寮の門限が迫っていたが、最悪時間が過ぎても友人に頼んで裏口や窓から入れてもらえるのでそれほどの危機感はなかった。

 かといって、刻限を大きく過ぎれば悪目立ちするのは間違いない。何とか時間内に帰ることを考えた方がいいだろう。


 「んじゃ、そろそろ俺帰るわ」


夕方に一度来た時に置きっ放しにしていた荷物を肩にかけると玄関に足を向けた。ヒロ子がその後を追う。


 「送っていかなくて大丈夫?」

 「おいおい、俺は男だぞ? 普通逆だろ」

 「だって俊ヤラーの方が非力じゃない」


おいとツッコミを入れると、「冗談よ」とヒロ子が笑った。とは言うものの、特殊な力を持つ彼女と比べるとあながち冗談とも言えないところが痛かった。


 「でもマジな話気をつけてね。特に公園の近くは通らないように」


念を押すヒロ子に心配するなと返事をすると、彼女の部屋を後にした。

 外に出ると生ぬるい風が脇をすり抜ける。ヒロ子にはああ言ったものの人気の少ない薄暗い道を一人帰るのは気が重かった。

 自分の足音と肩にかけたスポーツバッグの揺れる音だけが辺りに反響する。普段は幽霊など非科学的だと一蹴していた俊也だったが、あのようなことがあった後では流石に臆病風に吹かれるというものだ。

 電柱の陰から顔面を真っ赤に染めた松本が今にも飛び出てくるのではないかとありもしない妄想に駆られる。我ながら情けないと思いつつも頭に焼きついた負のイメージを払拭することができない。

 遠回りになるが人の多い大通へと小走りで向かった。中規模の店が立ち並ぶその通りは色とりどりの人工の光で輝いていた。会社帰りのサラリーマンや派手な格好をした若者など多くの人々が行き来している。

 ほっと胸を撫で下ろすと人ごみの中にまぎれる。

 耳をそばだて周りから聞こえてくる会話に意識を向けるが、特段変わった様子もなく近くで発砲騒ぎがあったことなど微塵も感じさせない。ヒロ子の言った通りなのだろうかと思いながら学校の方へと歩みを続ける。


 学校付近まで来るとまた人気が少なくなり、閑散と空気が漂っていた。

夜の学校といえば怪談の代名詞のようなものでどんなに新しい校舎でも不気味なものだ。なるべく視界に入れないようにしながら塀に沿って歩く。携帯で時刻を確認すると門限にはまだ少しばかり余裕があった。

 学校の裏手側にある門を抜けるとやっとの思いで学生寮に辿り着く。当然、明かりが灯っており窓からは人影が見えた。

 玄関に近づくと自動でドアが開き急いで中へ入る。家に帰って来たという安堵感に全身の力が抜けた。

 靴を履き替え、ロビーに出るとそこでたむろしていた数名の学生から夜まで補習かと揶揄される。そんなところだと気のない返事をすると真っ先に自分の部屋へと向かった。

 とにかく今は気の休まるところで一息つきたかった。

 エレベーターを使い三階まで上がり、自室に目を向けるとおかしなことに気付いた。

 部屋のドアが少しだけ開いておりそこから光が漏れているのである。俊也が最後に部屋を出たのは学校に行く前。つまり朝だ。電気を点けっぱなしにするということはありえない。それに出かける前にはしっかりと鍵をかけたはずだ。亮介亡き今、部屋の鍵を持つのは俊也一人。

 背筋に悪寒が走る。息を潜め、そっと室内を覗く。

 人の姿は見当たらないが、死角になる部分が多いため完全に無人である保証はない。しかし、いつまでも立ち尽くしているわけにはいかず、意を決してドアノブに手をかけた。

 その瞬間わずかに開いた隙間からぬっと白い手が伸び足首を掴まれる。

 ホラー映画のような展開に口から心臓が飛び出そうになる。這い出た腕の正体を確かめる間もなく更なる衝撃が俊也を襲う。掴んでいた手が離れたかと思うと、眼前に赤色に染まった男の顔が飛び込んできた。

 そう、先刻ヒロ子に頭を吹き飛ばされたはずの彼だ。いないはずのものがいる恐怖にほとんど絶叫に近い悲鳴を上げながら尻餅をついた。


 「うるせぇぞ! 葉月!」


俊也の気も知らず隣の部屋の住人は半身だけ乗り出して罵声を浴びせた。だが今はそんなことはどうでもいい。隣人に向かって、口をパクパクと開閉させながら必死に訴える。

 隣人は嫌な顔をしながらも部屋を抜け出して、俊也が必死に指差す方へと足を向ける。そうして、呆れたようにため息を溢しながら言った。


 「ったく、何やってんだよ、松本。あんまり後輩をからかって遊ぶなよ」

 「ごめん、ごめん。こんなに驚くとは思ってなくてさ」


恐怖の対象であった彼――松本は、真っ赤にした顔を手で拭うと普段と変わらぬおどけた調子で答えた。彼の頭には小さな傷一つ見受けられない。


 「ふざけるのは構わねぇけど周りに迷惑はかけんなよ」


ぶっきらぼうに隣人は言うとさっさと自分の部屋に撤収していった。

 未だにぽかんと間の抜けた顔をしている俊也を見て松本はけらけらと笑い声をあげた。


 「悪ふざけが過ぎたね。大丈夫? ほら」


腰を抜かしたままの俊也に手を差し伸べる。その手からはよく嗅ぎ慣れた甘酸っぱい香りがした。

 ケチャップだ。俊也はその手は取らずに自力で立ち上がるとまじまじと松本を見つめた。

 拭き取りきれていないどろりとした赤い液状のものがまだ顔に付着しているが、ぱっと見てもそれが血液ではないことが分かる。


 「ドッキリ……?」


いつからだ、と俊也は頭の中で呟く。ヒロ子と松本が組んで自分をはめたのかと一瞬思ったがすぐにその考えを打ち消した。

 ヒロ子にそんな演技はできないであろうし、公園で最後に見た松本の凄惨な姿は悪戯で片付けられるようなものではなかった。あの一瞬で特殊メイクなどできるわけもない。松本が何故こうもぴんぴんとしているのか俊也には全く理解できなかった。自分は立ったまま居眠りでもしていたのだろうかと思った。


 「そ、ちょっと意地悪してやろうかと思ってね。自分で呼び出しておいて、僕のこと置いて行っちゃうなんてひどいんじゃない?」


松本は悪戯っぽい笑みを作って言った。その言葉で公園での出来事は夢ではなかったのだと実感させられた。だとすればどういうことなのか。

 松本は沈黙を保ったままの俊也を不思議そうに覗き込む。その距離の近さに俊也はびくりと肩を揺らし一歩後ずさった。


 「と、とにかく中で話しましょう」


パンクしそうになる頭を何とか抑えつつ、部屋の中へ入った。バタンとドアを閉めると、その場に立ち竦む。

 扉から離れるのはどうにも気が引けた。松本はというと、勝手に椅子に腰をかけその座り心地を確認していた。

 何から尋ねるべきか頭を悩ませていると、松本の方から話を振ってきた。

 

 「ねぇ、僕の頭吹っ飛ばしてくれたの誰?」


好きな芸能人だれ?というぐらいの軽いノリで松本は尋ねたが、反対に俊也は凍りつく。やはりあれは現実だったのだと。


 「答えられない? 位置的に考えて君の仕業じゃないよね」


松本は手近にあったボールペンを手に取ると指先でくるくると回して遊ぶ。


 「いや、あの……。それより何で先輩は」


言いよどむ俊也に代わって松本がその先を言う。


 「生きてるかって?」


松本は右手に握ったペンで左手の甲を突いた。ぐりぐりと肉を抉りステンレス製の先端部分を押し込んでいく。

 俊也が制止しようとした時にはもう遅く、凶器と化した文具が松本の手を貫通していた。

 松本はぐっと小さく呻く。また勢いよくそれを引き抜くと、床にぽつぽつと赤い斑点ができた。


 「何やってんだよ!」


慌てて俊也が駆け寄ると、松本は目尻に涙を浮かべながら苦笑した。


 「いっつぅ。やっぱりこの程度でも痛いもんだよね」


当たり前だ。手にこんな風穴を開けて痛くないわけがない。


「とりあえずこれ見て」


そう言って穴の空いた手の平を俊也に向ける。鮮血が滴りピンク色の肉を覗かせるその部分はまるで別の生き物のように蠢きながら再生していく。数秒足らずでボールペンによって穿たれた穴は塞がった。手のひらには乾いた血の跡だけが残っている。


 「つまりこういうこと」

 「そんな、馬鹿な……」


そう思うものの、松本がこうして無傷でここにいることがそれを証明していた。

 瞠目する俊也をよそに松本は律儀にティッシュで床に垂れたものを拭き取る。赤く色づいたちり紙をくしゃくしゃに丸めるとひょいと投げた。ちり紙は綺麗な放物線を描いて屑篭の中に落ちる。


 「ゲームの説明をしてくれた人から聞いてないかい? 参加者には特殊な力が与えられるって。僕の場合はこれなのさ。生半可なことじゃ死なないんだよ」


 俊也はごくりと唾を飲む。ヒロ子が超能力だとか言って説明していたことを思い出す。

 彼女の時も目を疑ったが今回はそれの比ではない。人が成せることの範疇を大きく超えている。

 もうこの話は終わり、というように松本は話題を戻した。


 「それで、さっきの質問には答えてくれるのかな?」


松本は極めて穏やかに言ったが、それで俊也の警戒が解けることはなかった。

 こうして松本が能力が見せた以上、彼がゲームの参加者であること間違いない。


 「知ってどうするんですか。亮介の時のように殺すつもりですか?」


じっとねめつける俊也に対して、松本は凪いだ海のように落ち着いた様子で答えた。


 「そうする必要があるのならそうするだろうね」


軽々しくそんなことを口にするなと怒鳴りたいところだったが、今論点にすべきことはそこではない。


 「じゃあ、亮介には殺されるだけの理由があったってことですか」


松本は淀みなく答える。


 「あったよ。少なくとも僕にとってはね」

 「……松本先輩が13番なんですか」


他のメンバーを倒す必要が最もあるのはそのナンバーの人物である。


 「想像に任せる、と言いたいところだけど変に隠し立てして疑われるのも嫌だからね。僕は9番だよ」


そう言って松本はポケットから黒いプレートを取り出すと俊也に向かって見せた。

 彼の言うとおり赤い画面の中央には9の文字が浮かんでいる。だがそれならば尚更納得がいかなかった。


 「何でだ? 13番じゃないなら他のメンバーに手をかける理由なんてないだろ。亮介を13番と勘違いしたとか? まさか先輩に限ってご褒美なんてものに踊らされてるってわけじゃないでしょう」


捲くし立てるように俊也は言った。


 「向こうが先に仕掛けてきたとは考えない?」

 「亮介に限ってそんなこと……」

 「僕ならありえた?」


松本は悲しげに顔を曇らせた。それもそのはずだ。俊也は松本が亮介に対して何かしらの理由で殺意を持って故意に殺害したという前提で話しているのだから。

 だが、どうしても俊也は亮介が人に危害を加えるような真似をするとは思えなかった。

 沈黙を肯定と取った松本は眉尻を下げて力なく笑った。


 「まぁ、普通はそう考えるだろうね。僕の言い方も悪かったし、信じてもらえなくても当然だよ」


俊也は首を左右に振る。


 「そういうわけじゃない。先輩だってそんな人じゃないって思ってるんだ。いや、そう思いたい。でも、俺もうわけがわかんねぇんだよ」


どんな理由があったにせよ松本は亮介のことを殺した。そしてヒロ子はその事実から松本を躊躇いなく撃った。結果的には生きていたが、普通ならば死んでいるところだった。彼女もそのつもりでトリガーを引いていたのだ。

 どちらも正気ではない、と思った。


 「みんな死にたくない。それだけさ。至ってシンプルだよ」


自分が死にたくないから他人を殺める。そういうことなのか。それを間違っていると言うことは俊也にはできなかった。彼らとて望んでやっているわけではないのだ。大人しく他のメンバーに殺されるのを待てなどと誰が言えるだろうか。


 「先輩、俺の記憶がない四日弱のこと今ならちゃんと話してくれますか?」


松本が隠したがっていたことの大半はもう明かされたはずだ。俊也は気持ちの篭った眼差しを松本に向ける。

 松本は目を泳がせて躊躇している様子だったが、まっすぐに自分を見つめる俊也に折れたのかゆっくりと口を開いた。


 「……大雑把に言うと七月二日までは目立ったことはないよ。事件が起きたのは七月三日。それは聞いている、よね。どういう経緯かは知らないけど、浅井くんは僕がゲームの参加者であると知り、またどういう理由かは分からないけど僕を襲った。もみ合いの末、打ち所の悪かった浅井くんは亡くなってしまった。君は偶然か故意かその現場を目撃した。君が僕ら、ゲームのことについていつから勘付いていたのか分からなかったから、大事をとってゲームが始まる前日、六月末日以降の記憶を消させてもらったんだ。そんなところかな」


重々しい声色で松本は語った。


 「先輩が俺の記憶を?」

 「厳密に言うと違うけどね。でも、そうして欲しいと言ったのは僕だ。危険に巻き込みたくなかったなんて言い訳がましいよね。結局、僕は君にこのことを知られたくなかったんだと思う。だって、もうこれからは今まで通りってわけにはいかないだろ?」


彼の言う通り、俊也自身これからどのような顔をして松本と付き合っていけばいいのか分からなかった。

 親友を手にかけた憎き相手だ。どんな事情があれ簡単に割り切ることなどできない。


 「そう、ですよね」


だが、松本のことを本気で憎めるかといったらそれも違うだろうと思った。

死んだと思っていた彼が生きていたことには少なからず安堵していた。松本も俊也にとっては親しい友人の一人と呼べる相手だった。

 それ以上の言葉が浮かばず、話題を変えるように俊也は質問を口にする。


 「結局、俺の記憶を消したのは誰なんですか」


松本の言葉から察するに誰かに頼んでそうしてもらったことがうかがえる。


 「ごめん、それは……。僕にもどうしても話せないことはあるんだ」

 「それは、何で?」

 「話すことでその人を危険に晒すからだよ。君が僕を殺そうとした人を教えてくれないようにね。別に俊也のことを信用してないってわけじゃない。ただ、情報というのはどんな形で漏れるか分からないからね」


痛いところを突かれ俊也はうっと喉を引き攣らせる。もちろん松本は俊也を責めているわけではない。俊也に予め釘を刺すようなことをしなかったのは彼自身の判断だ。それでも、俊也からしてみれば第三者に情報を流し意図していなかったとはいえ、結果的に松本を陥れた形になる。負い目を感じる部分は少なからずあった。


 「俊也はこれからどうするつもり?」


松本もまたヒロ子と同様の質問を投げかけた。

 返答次第ではまた記憶を消されてしまうのではないだろうかと考えたが下手に嘘をついてもただ信用を失うだけだろうと、正直な胸の内を明かす。


 「俺は、やっぱりこのゲームを何とかしたい。こんなの絶対に間違ってる」

 「それはゲーム自体をやめさせたいってこと?」


俊也は頷く。


 「懸命な判断とは言えないな。でも、止める権利もないからね。好きにするといい。もう何も言わないよ」

 「先輩は?」

 「状況に応じてってところかな」


ずるい答えだと俊也は思った。


 「このゲームに乗るってことですか?」

 「それ以外の選択肢がないことをよく知っているからね。もちろん、最小限の犠牲に抑えられればとは思っているよ。説得力はないかもしれないけどね」


その言葉を否定することもできず俊也は黙り込む。


 「そうだ、三年B組の紫藤百合子もゲームの参加者らしい。一応、注意しておいた方がいいかもね」

 「知り合い、なんですか?」

 「いいや。浅井くんの分の情報だから」

 「……そっか、倒した人数分だけってアレか。じゃあやっぱり本当に」


亮介が松本に殺されたという事実は覆らないのだと嘆息した。


 「こんなこと言っておいてなんだけど、今後はなるべく僕のこと他言しないでくれると助かる。もちろん強制はしないけど」


ヒロ子と同様に松本も己のナンバーと能力を明かしたのだ。その理由もきっと彼女と同じで俊也を信じてのことなのだろう。そう思うとその頼みを無下にする気は起きなかった。


 「それじゃあ、勝手に押しかけて悪かったね」


松本はそう言って椅子から腰を上げ、俊也の横を通り過ぎて行った。ふと、思い出したように扉の前で立ち止まる。


 「そうだ、公園で言ったこと。あれ本気だから」

 「あれって?」

 「いや、覚えてないならいいんだ。それじゃあ、おやすみ」

 「あ、あぁ。おやすみなさい」


松本の背中に向かって間の抜けた調子で返す。かちゃりと扉が閉まる音を確認すると、部屋の鍵をかけベッドにごろりと横たわった。

 今まで起こったことの真相がほぼわかったものの、胸のわだかまりは消えなかった。

 それに松本が言ったことの全てが事実であるかも定かではない。仮にそうであったとしても、亮介が何故そのような行動を取ったのかを知る機会は永遠に失われてしまっている。

 自分の記憶を消した相手も未だ不明。ゲームを止める術も実際のところ何も思いつかない。問題は山済みだ。

 どっと疲れを感じこのまま寝てしまいたいぐらいだったが、流石に不衛生だろうと部屋に備え付けられたシャワールームに入る。カラスの行水の如く、十分ほどで身体を洗い流すと寝巻きに着替えベッドの端に腰を下ろした。

 机の上に置いた携帯がチカチカと青い光を放っているのに気付く。

 手に取って開いてみると一件の不在着信が入っていた。ヒロ子からだ。何かあったのだろうかと慌てて発信ボタンを押す。2コールが鳴る前に相手と繋がった。


 「もしもし、ヒロ子か。何かあったのか?」

 「それはこっちのセリフよ。繋がらないから心配したじゃない」


受話器の向こうからは切羽詰ったヒロ子の声が聞こえてきた。


 「いや、丁度風呂入っててさ」


なんてタイミングの悪さだと思ったが、松本と話している時にかかってくるよりはマシだったかと心中で呟いた。


 「そう? ならいいけど。無事おうちについた?」

 「俺は幼稚園児かよ。あぁ、大丈夫だって。けどさ」


そこで言葉が途切れる。松本には自分のことを黙っていて欲しいと頼まれている。どこまで話していいものかと俊也は頭を悩ませた。


 「けど?」

 「あぁ、先輩のことなんだけどさ。生きてたよ」


どの道学校に行けばいずれ知られることであり、下手な混乱を招くよりは今説明しておいた方がいいだろうと俊也は判断した。加えてヒロ子は既に松本がゲームの参加者だと知っている。

 受話器からはヒロ子が息を呑む音がこぼれた。

 

 「どういうことなの?」

 「……いや、それは俺にも。とにかく先輩にはお前のことはバレてないみたいだから、学校で会うのはしばらく控えようぜ」


小声で俊也は言う。松本がヒロ子のことを知った際にどのような行動に出るかは予測できない。松本を疑うつもりはないが、用心するに越したことはないだろう。


 「あいつと話したの?」


ヒロ子が尋ねる。


 「まぁな。とにかく先輩は正当防衛だったって言ってるし、しばらく手を出すのはやめてくれねぇか」

 「スケさんのことが? それで、俊ヤラーはその言葉を信じるっていうの?」


ヒロ子は咎めるような冷たい口調で言った。


 「いや、そういうわけじゃねぇけど。軽率な行動は控えてくれってことだよ」

 「……わかった。俊ヤラーがそういうのならそうするわ。でも、あいつのことを信用するのはやめておきなさい」

 「なんかお前やけに先輩に突っかかるよな。理由でもあんのか?」


当然、亮介と親しかったヒロ子が松本を責めるのは分かる。だが、それ以上の何かを彼女の言葉の端々から感じていた。


 「知ってるのよ、昔のあいつ。はっきり言って最低の奴だったわ」

 「そう、なのか……? わかった、とにかく先輩のことは俺に任せておいてくれ」


ヒロ子が過去に松本と面識があったのも驚きだったが、彼女がここまで人に対し嫌悪感を示すのは珍しいと思った。いずれにせよ過去の松本がどのような人物であれ、個人的な感情に囚われて行動するのはいただけない。歪んだ眼は真実を曇らせる。逆に俊也自身はどうなのだと問われれば返す言葉もないが。


 「そう。とにかく、何かあったら連絡してよね。すぐ駆けつけるから!」


でかでかと耳に響く声が鼓膜を刺激した。思わず耳から携帯を遠ざける。


 「分かってるって。そっちも無茶すんなよ」


そう言って通話をオフにした。

 携帯を握ったままベッドの上にごろりと寝転がる。何気なしに携帯をいじっていると、新着メールが届いた。何だろうかとすぐに封を開く。

 送信者は級友で今度遊ぼうぜ、貸した漫画返せ、など他愛のない内容ばかりだった。それを閉じるとぼんやりとしながら受信フォルダを下へ下へとスクロールしていく。

 その内にことの発端となったメールに行き当たった。自分から届いた例のメール。開封し再び文面に目を通す。

 恐らくは記憶を失う前の自分が打ったものなのだろうが今にして思うと不可解な点が多かった。松本の言う通り現場を目撃していたのなら、何者かではなくはっきりと松本によって浅井は殺されたと書くはずだ。

記憶が消される、のではなく途切れる。松本の言葉とは一致しない箇所がいくつかある。

 彼が嘘をついているのか、それともこのメールの内容が間違っているのか。

 松本にこのメールを見せて真偽を確かめるという方法もあるが、相手がメールの内容の方が嘘だと言ってしまえばそれで終わりだ。加えてメールには、この内容は他言無用と書かれている。誰にも知られてはいけない何かがあるのかもしれない。


 「記録しろ、か」


すっかり忘れていたが、メールには自分の写真を撮れという指示が書かれていた。日記のように文字に起こすならともかく写真などで記録して何か意味があるのだろうか。

 写真が記憶を失ったときの思い出すきっかけにでもなるというのか。そもそも松本がもう好きにしていいと言ったのだから記憶を消される心配もない。

 だが、その言葉が真実であるかはまだ疑う余地がある。信じるなら過去の自分の言葉だろうと、携帯のカメラモードを起動させて寝転がったまま写真を撮った。携帯の画面には少しくたびれた男の顔が写し出されていた。

 馬鹿らしいと思いつつ、携帯を机の上に戻すと布団に潜り込んだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ