表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
DLTEEE  作者: 宇理
STAGE1
1/10

stage1-01

 目に映る白い天井。それと睨めっこをするようになってからどれくらいの時間が経ったのだろう。

首を捻り視点を変えても見えるのはひたすらに白い世界。四方をカーテンに囲まれ外の状況は分からない。ただ、カーテンの隙間から漏れてくる光で今が日中であると知れた。

 純白のベッドに横たわる自身の体はまるで鉛の詰まった袋だ。腕はかろうじて動かせるが、足の方は全く自由がきかない。

寝返りを打つことすらままならず、身じろぎをするだけで体のあちこちが悲鳴をあげた。

閉ざされた空間、動かない身体。息の詰まる閉塞感と今この瞬間にでも訪れるかもしれない死への恐怖に彼の精神は蝕まれていく。


 07/04 14:15


 少年、葉月俊也はうだるような蒸し暑さと外から聞こえてくる少年達の喧しい騒ぎ声にうっすらと目を開く。

全身のだるさと頭の痛みに寝すぎたのだと直感で悟った。未だ意識は覚醒しきらず、霞がかっている。

長時間昼寝をしてしまった時によくある何ともいえない現実感のなさ。

今がいつで、自分がどこにいるのかさえ分からない、そんな感覚。時間の経過と共に、意識が浮上し輪郭を持った現実感を取り戻していく。

 むくりとベッドから上半身を起こすと、視界に慣れ親しんだ自室が映し出される。

住み始めて一年と半年が経った学生寮の一室。床には衣類や雑誌類が散乱し足の踏み場もない。

 喉の渇きと汗で湿ったシャツの不快感に眉を顰める。着ていたTシャツを脱ぐと、床に堆積した衣服の山へと放り投げた。

 ブラインドのかかった窓は全て閉め切られており、どうりで暑いわけだと納得する。

焼け付くような日差しがブラインドの隙間から漏れてきていた。その白い光に目を細める。


 何時だろうかと枕元に置いてある時計に手を伸ばす。時計は午後の2時17分を示していた。

デジタル時計に刻まれたその数字を見て、おかしなことに気付く。時計が狂っている、というわけではなくもっと重大なことにだ。

眠りにつく前までの記憶と今の状況が一致しないのである。そもそも、自分は外出していたはずであり自室に戻って就寝した覚えなどなかった。

 白昼夢でも見ているのだろうかと頬をつねるが、目に映るものに変化はない。

ただ、じんわりと頬が痛むだけだ。ならば、出かけていたという記憶の方が夢だったのか。

 部活の先輩に誘われ街に繰り出し、夕刻まで遊び歩いていたはずだった。

昼食に食べたものの味から先輩とどんなやり取りをしたかまで明確に思い出すことができる。

 だが実際はそんな夢を見ていただけなのかもしれない。そうでなければ今の状況に説明がつかないのだ。

きっと日曜日だからと二度寝をしてこんな時間まで眠りこけてしまったのだろうと俊也は思い込むことにした。


 そういえばと、この部屋のもう一人の住人の存在を思い出す。

俊也が住居としているこの学生寮は一室につき二人の割り当てで、小学時代からの友人であり、現クラスメイトの浅井亮介と同室している。

朝昼晩問わず俊也が寝ていたら飯時前には必ず彼が叩き起こしに来るのだ。今日はそれがなかったようで些か奇妙に感じられた。

 出かけているのだろうかと、カーテンで仕切られた向こう側に声を投げる。


 「亮介?」


返事はなく、僅かな物音も聞こえない。壁にかけられたアナログ時計がカチカチと鳴る音だけが響いていた。

部屋の中央に下げられている仕切りのカーテンを開け、向こう側を覗くもそこに亮介の姿はなかった。

 こういう日もあるだろうと頭を切り替え、貴重な休日の残り時間をどう過ごすか考え始めた時、部屋のどこからかヴーヴーとバイブレーションの音が聞こえてきた。

音の出所はどこだろうかと、部屋の中を見回す。音は自分の机の方からだった。

菓子の空き箱や漫画、授業プリントが乱雑に置かれた机の上から音を頼りに携帯を発掘する。

 黒のメタリックカラーのそれをパチンと開く。待ち受け画面に映った数字を見て、俊也は仰天する。

何度も瞬きをしてその画面を穴が空くほど凝視した。


 「7月4日って、嘘だろ……?」


そこに表示されている数字、即ち日付が思いもしない事実を突きつけていた。

 7月4日。それは俊也が今日と思い込んでいた日から五日も経った日付だったのだ。

到底そんなことは信じられない。携帯が壊れたのかとすぐ傍にあったパソコンを起動させるがそこに表示される日付もまた同じだった。

 俊也は裸足で部屋から飛び出すと、乱暴に隣の部屋のドアをノックする。だが反応はない。

いつもは騒がしい談話スペースも空だ。それどころか寮全体が静まり返り、まるで無人のようだった。

全身から血の気が引いていくのを感じる。悪い夢でも見ているのだろうか。

 部屋に戻り再び携帯を見ると、待ち受け画面には二通の新着メールありと表示されていた。

今しがた届いたものはただの広告メールだったが、三時間ほど前に来ていた一つ下のメールの送信元アドレスはよく見覚えのあるものだった。

件名はなし、送信者は、


 「俺?」


確かにそのメールアドレスは自身のものであった。

寝ていたはずの三時間前の自分からのメール。ぐちゃぐちゃになっていた頭の中は更に混沌としていく。

手汗の滲む手でメールを開封し、箇条書きされた文面を目で追った。


――俺はとある事件に巻き込まれた。記憶が度々途切れてしまう。だから記録しろ。

定期的に自分の写真を撮れ。このことは他言無用。でなければ俺の命も危うい。

浅井亮介は何者かによって殺された。


 「なんだよ、これ」


前半部に書かれていることも突拍子がなくふざけた内容であったが、何より最後の一文は冗談にしても悪質過ぎる。


 一体、誰がこんなことを。


 まだ、エンジンのかかりきっていない頭で必死に考える。可能性が最も高いのはルームメイトである亮介だ。

彼ならば俊也が寝ている間に携帯を拝借し、メールを送ることなど造作もないだろう。

これは亮介の悪戯だと無理矢理自分に言い聞かせ、メールを閉じ携帯を再び机の上に置いた。

俊也の胸は秋風が木々を揺らすようにざわつく。

 

 このままこうしていても埒が明かないと俊也は学校に行くことを決めた。

今日が本当に7月4日であるならば、金曜日。つまり平日、登校日なのだ。

顔を洗い制服に着替えると鞄を肩にかけ、すぐさま部屋を飛び出した。

学校の敷地内にある学生寮から校舎までは歩いて五分もかからない。HRまでには辿り着くことができるはずだ。

閑散とした寮を後にし、俊也は駆け足で校舎へと向かう。


 六時間目の授業終わりの二十分前、厳粛な雰囲気の中行われている現国の授業。

ドアに嵌められた長方形のガラス窓から教室の様子を窺う。その中に広がる光景はいつも通りの金曜六限そのままだった。

本当に今日は金曜なのだと思いながらも、それが現実とは感じられない宙に浮いたような妙な感覚に陥る。

 俊也はそろりとドアを開け、低い姿勢を保ちつつ教室の中に素早く潜り込む。

無論、気付かれないわけがない。教師の怒鳴り声がすかさず飛んでくる。


 「コラァ、葉月! 今何時間目だと思ってるんだ!」

 「すっ、すいませーん。今日休みだと思ってました」


俊也は頭を掻き半笑いで謝罪する。が、そのいい加減な態度が火に油を注ぐ結果となり、教師の怒りを更に燃え上がらせた。

教壇の真横に立たされ、クラス中の視線を一身に受ける。

こっちはそれどころではないのにと胸中で悪態をつきながら、真っ赤になった教師の顔を眺めた。


 「いいか、お前は授業というものを……」


 国語の教師らしい無駄に富んだ表現のありがたいお説教タイムが開始される。

だが元より真面目に聞く気のない俊也には、坊さんの唱えるお経と変わりなく、なに一つ頭に入ってきはしなかった。

右の耳から入った音はそのまま左へと抜けていく。ぐちぐちと煩い教師の説法は完全にただのBGMと化していた。

機械的に相槌を打ちながら、こんなことならば授業が終わってから来るのだったと後悔する。

寝起きの頭にわんわんと響く教師の声はなかなかに堪えるものだ。

 ようやく気が済んだのか教師から発せられる単調なリズムの音が鳴り止む。

俊也は上辺だけの謝罪をすると、頭を下げ自分の席へと足を向けた。

周りのクラスメイトから、今更何しに来たんだ、重役出勤か?と小声で野次を浴びせられる。

それらを適当にあしらいながら、視線だけで亮介の席の方を窺う。

もちろん、あのメールの内容を信じたわけではなかったが、日にち違いの件もあり気がかりだった。

 亮介がいつも通りに着席していることを願ったが、その思いはあっさりと裏切られる。

彼の席が空であるのは遠目に見ても分かってしまった。どうしてそこにいないのか。

俊也の中に霧のような不安がたち込める。バカらしいと思いつつも、先ほど部屋で見たあのメールの一文が頭をちらつく。

 自分の席に着いてからもう一度亮介の席に視線を向けたが当然空のままだ。

すぐにでもその理由を問い質したかったが遅刻してきた手前、誰かに尋ねるというわけにもいかない。

流石に二度目の説教を食らうのは俊也としても避けたいところであった。

黒板の上にかけられた時計を何度も見ながら、永遠のように思える残り十五分弱をひたすらに耐えるしかなかった。

時の進みが普段の何倍にも感じられ、早く終われと心の中で舌打ちする。



 ようやく授業の終わりを告げるチャイムが鳴り、それと同時に隣の席の男子生徒に声をかける。


 「今日って何で亮介が来てないか聞いてる?」


男子生徒は伸びをしながら軽い調子で答える。


 「さぁ? お前ら寮で同室だろ、二人揃って寝坊してるのかと思ってたぜ」


期待する答えが返ってこなかったことに俊也は落胆の表情を見せた。事情を知らない男子生徒は不思議そうに首を傾げる。

 HRが終わった後にも数人に話を聞いてみたが、返ってきた答えは皆同じだった。

誰一人として亮介の欠席理由を知っている者はいなかった。教師を含めて。

学校側すら把握していないなど、果たしてそんなことがあるのだろうか。

 薄暗い考えが頭の中を蛇のように這いずり回る。俊也はそんなはずはないと頭を振ってその考えを否定しようとした。

 亮介も寮生であるため、本人と連絡が取れなければ、学校とて欠席理由を知ることはできない。

ただの気まぐれで学校をサボったことだって考えられる。この学校では遅刻や無断欠席をする生徒は残念ながらそう珍しいものではない。

一人の生徒が一日姿を見せていないからと言って、そう騒ぎ立てることはない。

学校側はそう考えているのだろう。だが、俊也にはどうしてもそう思い込むことはできなかった。

亮介のことをよく知っているからこそ、彼が無断欠席をするなど大事に違いないと危機感を募らせる。

亮介は大雑把な性格ではあるが、規則は必ず遵守し、他人に心配をかけるようなことはしない。そういう男だ。

 知らず知らずのうちに俊也は汗ばんだ手でシャツの胸元を握りしめていた。


 「それにしても、厳しいので有名な薪寺の授業に途中参加とはお前も勇気あるよなぁ」


 友人のその声で意識が現実へと引き戻される。俊也の異変にも気付かず、友人はさもおかしげにククっと喉を鳴らして笑っていた。

 シャツで拭った手を胸元から下ろすと、恨めしげに友人を睨む。


 「うっせーな。こっちも事情があるんだよ。……それより、一つ聞きたいことがあんだけどさ」


神妙な顔つきで尋ねる俊也に友人は身を固くする。


 「なんだよ、改まって」


俊也は軽い調子で訊くつもりだったのだが予想外に相手が身構えてしまい、尋ねづらいに雰囲気になる。

訊くかやめるか。その一瞬の躊躇が友人の緊張を煽る。これ以上の沈黙はまずいと察し、意を決して口を開いた。


 「あのさ、今日って7月4日の金曜日だよな?」


俊也の質問に友人は盛大な肩透かしを食らい素っ頓狂な声をあげた。それもそのはずだ。たかが日付を聞くだけでここまで溜める人間などそういないだろう。


 「マジな顔して言うから何かと思ったらそんなことかよ。そうだよ、今日は4日、金曜日だよ。なんか特番でも入るのか?」

 「いや、そういうわけじゃねぇけど。じゃあさ、月曜から昨日までの俺って何してた?」


変な顔をされるのを承知で俊也はそう問いかけた。案の定友人は、驚きと失望を一緒くたにしたような奇妙な表情で俊也をちらちらと窺い見る。


 「なに? お前なんなの? まさか記憶喪失とか言い出す気?」


図星を突かれ、俊也はどきりとする。確かに今の自分の状態を表すにはぴったりの表現かもしれない。

ともかく、この様子では「はい、そうです」と答えたところで相手にされないだろうと、その言葉を飲み込んだ。

空笑いをしながら反対の言葉を捻り出す。


 「そんなわけねーじゃん。わりぃ。なんか俺まだ寝ぼけてたみたいだわ。じゃあな」


 俊也は逃げるように友人の元から離れ教室を後にする。人波を掻き分け自教室ある三階から昇降口のある一階まで駆け下りた。

玄関で靴を履き替えながら物思いに耽る。

 亮介の無断欠席に、抜けた自分の5日間の記憶。急にあのメールが真実味を帯びだし、空恐ろしくなる。

 背筋に嫌な汗が伝うのを感じた。ひとまず、落ち着かねばと大きく深呼吸をする。

少しだけクリアになった頭で、再び思い出せる範囲内の記憶を呼び起こす。


06/29 13:06


 ――五日前、日曜日。


 澄み切った青い空、真っ白な太陽。燃えるような日差しがビル街に降り注ぐ。

昼を過ぎ、気温が高くなるこの時間帯。駅の外壁に取り付けられた温度計には33℃と表示されている。

それを見ただけで気が滅入ってくるというものだ。額からは止め処なく汗が流れ落ちる。

俊也は手の平を空へと向ける。自分の顔の斜め上へと運び、太陽が視界に入らないように空を仰ぎ見た。

雲ひとつない、憎らしいほどの快晴だ。


 「畜生何でこんなに暑いんだよ」


口から自然にこぼれ出た呟きは、雑踏の中へと吸い込まれるように消えていった。

 日曜の昼過ぎということもあり、街の中心部である駅前は様々な年齢層の人々で賑わいを見せている。

よくもこんな暑い日に出かける気になるものだと、行き交う人々を眺めながら思った。そして、隣を歩くこの青年も。


 「これで買う物は揃ったね。ちょっと遅いけどどっかでお昼食べてく?」


俊也はその声の方へと顔を向け、力なく返す。


 「ハハ……、松本先輩の奢りならいいっすよ。なんて」


冗談交じりに俊也が言うと、隣の青年――松本留架は暑さを感じさせない涼しげな表情で頷いた。

色素の薄い杏色の髪は日光に照らされ、透けるように輝いている。


 「そうだね、今日は付き合ってもらったお礼に奢るよ。あまり高いものは無理だけどね」


松本は猫を連想させるようなくりっとした目を細め、人当たりの良い笑みを浮かべる。

どこの店が良いだろうかと、きょろきょろと辺りを見回した。

 

 俊也はこの日、自分の所属する剣道部の部長である松本に付き合い、部活動で使う備品の買出しに来ていた。

松本も同じ学生寮に入っており、丁度出かける時に俊也を見かけ、暇なら一緒にどうかと誘った。

特に予定もなく寝て休日を過ごすのは勿体無いと俊也はすぐにその誘いに乗った。

部屋でスポーツ観戦をしている亮介に一声かけ寮を出たことを覚えている。



 駅周辺には高層ビルが威圧するように立ち並んでいる。

その殆どが企業の事務所であるが、駅前に面した通りはファッションショップ、雑貨屋、ミュージックショップ、ファストフード店などの若者向けの店が多い。二人はその中の最寄りのファストフード店に入ることを決めた。

 入り口の上に取り付けられたロゴマークは点滅を繰り返しながらその存在を必死に主張している。

自動ドアが無音で開き、中へと足を踏み入れる。ひんやりとした風が火照った頬を撫でつけた。

店内は冷房が効いており外と比べると天国のようだ。店員がお馴染みのスマイルと台詞で出迎える。

 昼時を少し外したためか、店内は思ったより混雑しておらずスムーズにカウンターまで辿り着くことができた。

二人は適当に注文を済ませると品物を受け取り窓側の席に腰を下ろす。


 「なんかこうやって俊也と二人で出かけるのって意外に初めてかもね」

 「そうっすね。まぁ、いつも寮で顔合わせてますから」


俊也はもぐもぐと海老カツバーガーを頬張りながら答える。

 松本とは部活が同じであることに加え、寮の部屋も近く、よく部屋を行き来し遊んだり勉強を教えてもらったりしていた。

松本が上下関係にうるさくないこともあって先輩後輩というよりは同輩の友人という感覚に近い。

お喋り好きな俊也にとって、快く聞き手に回ってくれる松本のようなタイプの人間は重宝すべき存在だ。

マイペースで常に冷静―というよりは、人より鈍いだけかもしれないが―な人柄は俊也とは正反対だったが、それ故の心地よさもあった。

 正直なところ後輩の中では自分が一番松本と近しい存在だと自惚れなしに俊也は思っていた。

だが、思い起こしてみると彼の言った通り二人で出かけるというのは始めてだったかもしれない。

どこかに行くといえば部活単位の団体行動が常であった。それだけ親しくなったのだろうかと時の流れを感じながら、かの先輩を見やる。

 当の松本は自分の注文したものには手をつけずに、ぼんやりとガラス窓の向こう側を眺めていた。

松本の視線を追ってみるが、その先には特段変わったものもなく通行人が忙しなく行き来しているだけだ。


 「食べないんすか、先輩?」

 「え? あぁ、食べるよ。ごめん、ごめん」


 松本はハッとしたように返事をすると、包みを開きタマゴサンドにかじりつく。

自分から誘ってきたわりに松本は上の空であることが多かった。気がかりなことでもあるのだろうかと俊也は単刀直入に尋ねる。

 力になれるかは別として人に話すだけでも楽になるということもあるだろう。


 「浮かない顔してますけど、何か悩み事でもあるんすか? 俺でよければ相談に乗りますよ」


松本は少し驚いたような顔を見せた後、視線を落として表情を曇らせた。


 「ごめん、余計な気を使わせちゃったみたいだね。ほら、もうすぐインターハイだろ? やっぱり部長としては色々と思うところがあってね」


八月に行われるインターハイまでおよそ一ヶ月。

大会が終われば引退となる三年にとっては、それは格別な思いがあるだろう。部長となれば尚更だ。


 「あー、そうっすよね。でも今年はいいとこいけるんじゃないですか? 怪我もないし。みんな先輩なら優勝狙えるんじゃないかって言ってますよ」


お世辞でも気休めでもなく俊也は本心からそう言ったつもりだったが、松本は困ったように笑い、ありがとうと小さく呟いた。



 昼食を終えた後、俊也は気晴らしにと複合レジャー施設に行くことを提案した。

先月オープンしたばかりの大型施設で、スポーツ、カラオケ、ゲームセンターなど一通り揃っている。

高校生が遊ぶには十分過ぎるぐらいだろう。実際、以前大会打ち上げで訪れた際には二種類ほどのゲームだけで時間切れになってしまった。

 いつか全制覇しようという話が部内で持ち上がっていたことを思い出す。流石に今日一日で全制覇は無理だがまだ時間には余裕がある。

人数も少ないので以前よりもたっぷりと楽しむことができそうだと俊也は破顔した。

 ボウリングのピンが目印のレジャー施設に俊也は意気揚々としながら松本を引っ張っていった。

最初はあまり乗り気ではなかった松本もスポーツでの勝負となると目の色を変え、火花を散らし合うことになった。

 爽やかそうな外見をしているが根は負けず嫌いな体育会系タイプなのである。

 あともう一試合と互いに言い続けた結果、施設を出る頃には時刻は17時を回っていた。

ラケットの振りすぎて明日には筋肉痛が襲い掛かってくるかもしれないと、俊也は己が右腕をさする。

一方の松本は疲れとは無縁というようにケロっとした様子で我らが部長はやはり化け物だと再認した。


 外に出ると町並みは夕日に照らされ茜色に染まっている。高層ビルに反射して映る太陽は今もなお眩しい存在だ。


 「今日はありがとう。体動かしたらなんか悩みも飛んで行ったよ」


吹っ切ったように言い放った松本の表情は昼の頃と比べ、幾分か明るくなっているように見えた。

その姿を見て、俊也は今日ついて来て正解だったと口元を綻ばせる。


 「そうそう、俺たち運動バカはとりあえず体動かしとけばいいんすよ」


俊也は豪快に笑いながら松本の背中を思い切り叩いた。その衝撃に松本はつんのめる。

何とかその場に踏みとどまると、体勢を直し俊也を振り返った。


 「う、運動バカってそれ僕も入るの? 心外だなぁ」


口ではそう言っているものの、内心そうでないことは顔を見ればすぐに分かる。二人は顔を見合すとぷっと噴き出した。


 「まーまー細かいことは気にせず。あ、そうだ。松本先輩、記念に一枚撮ってもいいっすか?」


俊也はズボンのポケットから愛用の黒い携帯を取り出す。日頃から俊也は身近なものを撮影しては限定コミュニティネットワークに上げる習慣があった。


 「いいけど、記念って何の記念?」

 「何でもいいじゃないっすか。俺、写真撮るの好きなんすよ。ほら」


俊也は自分と松本をフレームに収めると、撮影ボタンを押す。カシャリとシャッター音が鳴った。



07/04 15:55


 思い出せたのはそこまでだった。

初めは目覚めたのが日曜日の午後だと勘違いをしていた。

そのためこの出来事が夢だったと思っていたが、実は五日も経過していたのだとすると話は変わってくる。

あれはやはり現実だったに違いない。俊也はそう考えた。


 「そう、あの日は松本先輩と出かけてたんだ。先輩なら何か知ってるかもしれねぇ」


そのまま靴を履き替え、部室である剣道場へと向かう。校舎の裏手すぐにある剣道場には歩いて五分もかからない。

 真新しい校舎とは対照的に年季の入ったその建物は貫禄に満ち溢れている。

木製のドアを開けるとギギと軋む音がした。中を覗くと既に何人かの部員が来ていたが、その中に松本の姿はなかった。

入り口近くにいた部員を捕まえて尋ねてみると、


 「松本? 松本なら今日は委員会があるから遅くなるって言ってたぞ。まだ始まってないだろうし、急ぎの用なら第二会議室に行ってみたら会えるかもよ」


と、告げられ俊也は肩を落とし校舎へとUターンした。三階にある第二会議室まで駆け足で向かう。

勢いよく会議室のドアを開けると、視線が全て俊也の方へと注がれた。その中には松本のものも混じっている。


 「あれ? 俊也、どうかしたの?」


俊也はぜいぜいと息を切らせ、手招きのジェスチャーだけを送った。

松本は腰をかけていたパイプ椅子を引き、立ち上がると会議室を出て俊也と向き合った。


 「あの、俺、先輩と日曜に一緒に出かけましたよね?」


俊也が犬ように荒い呼吸で尋ねる。何事かと松本は目を見張ったが、俊也の必死な様子にひとまず頷く。


 「それで、その後どうしたか覚えてますか?」

 「どうしたかって?」

 「だから、そのまんまの意味ですよ! 先輩と遊んだ後の記憶が抜けてて」


そこまで言ったところで俊也はハッとする。記憶がないなどと突拍子もないことを誰が信じるだろうか。

先ほどのクラスメイトの時のように正気を疑われるのがオチではないか。俊也は慌てて取り繕おうとする。


 「あ、ほら、五日も前のことだから覚えてなくて。えーと、その、そう!やけに財布が寂しいからあの日他になんか使ったっけなーって思って」


あからさまに狼狽する俊也を見て、松本はふっと息を漏らした。


 「落ち着きなよ。大丈夫、僕には隠さなくても。君が今何を考えているか大体察しはつくよ」

 「それってどういうことですか?」


俊也はまじまじと松本の顔を見つめる。やはり、記憶の最後に残っている松本は自分の空白について何らかの事情を知っているのか。

 松本は遠い目をしながら淡々と話し始めた。


 「あの後の帰り道、そして昨日までと色んなことがあったよ。でもね、君がそれを知る必要はないんだ。と、いうか知らない方がいいと思う」


昨日まで、という言葉に俊也は反応する。松本は自分の抜けた落ちた五日間の記憶について知っているのだ。

そして、それを知らない方がいいとはどういうことなのか。

 心臓がうるさいほど波打ち、手の平にはじんわりと汗が滲む。ここに来るまでに全力疾走をしてきたせいだろうか。

じっと松本を見つめたまま何も喋らない俊也に代わり、松本が言葉を紡ぐ。


 「君にとって辛いことがあったってことだよ。もし、それでも真実が知りたいなら、そうだね、21時頃に僕の部屋に来るといい。それから、今日は委員会の他に用事ができちゃったから悪いけど部活休むね。重先生には連絡してあるから。副部長のサポートよろしく」


 松本はそう言うと俊也の返事も聞かずに会議室の中へと戻っていった。その場に残された俊也は言いようのないじれったさに拳を握り締めた。


 「なんだってんだよ、畜生……」




 部活で体を限界まで動かしてみたものの、気分は晴れず、真っ暗な自室を見て更に気が滅入っていく。

亮介の所属する野球部の練習時間が過ぎても彼は部屋に戻ってはこなかった。

電話も何度もかけてみたが一向に繋がる気配はない。気付けば、時刻は21時を回っており松本の指定した時間になっていた。

 聞かない方がいい、とは言われたものの大した説明もなくそれで納得できるわけがない。

俊也は迷うことなく松本の部屋へと向かい、大きくノックした。


 「やっぱり来たんだね」


部屋から出てきた松本は眉尻をさげ、ため息をついた。服装は制服のままで今しがた帰ってきたことがうかがえた。

部屋には松本一人で彼のルームメイトは席を外しているようだ。


 「入って」


松本に促され、俊也は部屋の中へと足を踏み入れる。

俊也の部屋とは異なり、隅々まで整理整頓されたその部屋は持ち主の几帳面さを表していた。

松本は俊也を椅子に座らせると自分はベッドに腰掛けた。


 「それじゃあ、君が聞きたいことを言ってみてくれるかな? こっちの都合もあるから聞かれたこと全てに答えてあげることはできないけど」


優しく諭すような口調で松本は語りかけた。


 「じゃあ、昼間も訊いたけど、日曜に先輩と出かけた後、俺たちがどうしたか教えてください」


あの日写真を撮ったその後からの記憶が俊也の中からはすっぽりと抜け落ちている。記憶がないというのはひどく気分の悪いものだ。

ずっと寝ていたというならまだしも、クラスメイトの話では記憶のない間も普段通りに学校に来て授業を受けていたという。

自分の知らない自分がいるというのは、もはや気持ち悪さを通り越して恐ろしさすら感じる。

俊也は早くその空白を埋めたくて仕方がなかった。


 「ごめん。それは言わないように、って口止めされてるんだ。昼に話した時はそれくらいならいいかなって思ってたんだけどね」


俊也の期待とは裏腹に松本の返答はその欲求を満たすものとはならなかった。胸に巣食う不快感の塊が膨張を始める。


 「……口止めされてるって誰が、何のために?」

 「そのことの方が言えないな」


真実を話すと言っておきながら、何も答えようとしない松本に俊也は声を荒げた。


 「なら、先輩が俺に話せること全部話してくださいよ!」

 「ごめん。君を怒らせるつもりはなかったんだ。そうだね、どこから話そうか」


松本は一呼吸置いてからぽつりぽつりと話し始めた。


 「僕は今、学内で行われているあるゲームに参加している。まぁ、ある種の人探しゲームって感じかな。君はそのゲームに巻き込まれて記憶を消されたんだ。でも、君はこのゲームの参加者じゃない、部外者だ。だからこれ以上のことを知る必要はない」

 「記憶を消されただって? そんな馬鹿な」


普段であれば鼻で笑い飛ばしてやるところだが今回はそういうわけにもいかない。

記憶の有無については他ならぬ俊也自身が一番実感しているのだから。


 「普通はそう思うよね。でも事実なんだ」


申し訳なさそうに声のトーンを落として松本が言う。

 そこでふと俊也の頭の中に再びあのメールの文面が過ぎった。

自分は事件に巻き込まれた、記憶が途切れる、浅井亮介は殺された。

欠けた自分の記憶、行方不明の亮介。バラバラになっていた点と点が繋がっていく。


 「そうだ、亮介! もしかして、亮介もそのゲームってやつに巻き込まれて……?」

 「浅井亮介。君の親友、だよね。そう、彼はゲームの参加者だったよ」


参加者だった。過去形で語るその口ぶりに胃の腑のあたりがぞわりとした。


 「だったってどういうことですか? 亮介は本当に殺されたっていうのかよ、まさかそんな、冗談だろ」


俊也は半笑いで松本に尋ねるが、彼はくすりともしなかった。


 「……だから、知らない方がいいって言っただろ」


その言葉は亮介の死を肯定するものだった。俊也は愕然とし、椅子からずり落ちそうになる。


 「念を押すけど、君はこの件に関わるべきじゃない。下手に詮索すると次に狙われるのは君になる。そうなったら今度は記憶を消されるだけじゃ済まされないかもしれない」

 「そ、そんなこと言われたって、納得なんかできませんよ。亮介が死んだってのだって信じられないし」


実際に死体を見たわけでもない、ただの気まぐれで実家に帰っているということも考えられる。

漫画じゃあるまいし、そんなわけの分からないゲームとやらに巻き込まれて人が死ぬなんてありえっこない。


 「なら信じない方がいい。おかしな先輩の戯言だと思っておいてくれ」

 「そんな言い方ずりぃよ……」


松本とは一年半ほどの付き合いになるが、今までこういった性質の悪い冗談を口にしたことは一切なかった。

今この時も人のことをからかうために言っているようには見えない。かと言って彼の言ったことを信じられるかといえばノーだ。


 「なんでこんな中途半端に話すような真似したんですか。全部話す気がないなら知らないフリして黙っててくれりゃあよかったのに」


そうすればこんなに心をかき乱されることもなかった。

放課後に会った時点で、何を言っているんだと白を切ってくれれば、自分の頭の方がどうかしていたのだとそれ以上松本に追及することもなかったはずだ。

断片的にだけ情報を与えこんな生殺しのような状態にして松本は一体自分をどうしたいのか、俊也はそう思わずにはいられなかった。


 「僕が話さなくても、君はいずれ真相を知ろうとこの件に首を突っ込むだろうと思ったからね。それでは君を危険に晒す事になる。だから、こうして話すことでそれをやめさせたかったんだよ。まぁ、逆効果のようだったけど」


あくまでも松本は俊也のためだと言う。そうは言われてもこんな不可解なことが起きているのに簡単に引き下がれるわけがない。


 「先輩は、どうあってもこれ以上話してくれるつもりはないんですか?」


だが、それは松本も同じようだった。彼は俯き俊也と目を合わせようとしない。

鉛色の重苦しい沈黙が流れる。痺れを切らしもういい、というように俊也は立ち上がり部屋を出ようとした。


 「俊也! これだけは言わせてくれ」


松本の声に俊也はドアノブにかけた手を止める。そのまま振り返らずに背中越しに言葉を待った。


 「僕は、君の味方だ。そのことだけは信じて欲しい」


俊也は返事をせずに退室した。バタンとわざと大きな音をたてて扉を閉める。

いきなり突拍子もないことを言われ頭の中はぐちゃぐちゃだった。

 明かりの灯らない自分の部屋に戻るとそのままベッドへ倒れ込む。

警察に亮介の捜索願を出そうかとも考えたが、松本の言っていることを認めてしまうようで気が進まなかった。

きっと、明日にでも亮介は何食わぬ顔をして帰ってくる、そう信じたかった。だが、その意思に反して頭は勝手にあらぬ憶測を始める。

先ほど松本から聞かされた言葉が悪質な黒いかびのようにこびりついて離れてくれない。

ありえないと思う自分ともしかしたらと思う自分が頭の中でせめぎ合う。

 そうこう考えている内に部活で疲弊していた体は休息を欲し、俊也の意識は次第に薄暗い沼の中へと引き込まれていく。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ