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七夕小説  作者: まぷこ
2012年~
9/9

牽牛(4)

 一時間半ほどの光の饗宴が終わり、人の波が動き始めた。

「駅、きっと混んでますね」

「そうだね。どこかで少し時間潰した方がいいかな」

 綾も牧田も使う路線は異なるが、自宅は現在地から電車で一時間弱のところにある。今駅に向かったら、確実にラッシュに巻き込まれる。

「晩御飯は?」

「私は着替える前に軽く済ませましたけど。……牧田さんは?」

「昼が遅かったから、まだ。会場の屋台を少し当てにしてたんだけど」

 ずっと前方に屋台の明かりがちらほらと見えていたが、そこにたどり着く前に方向転換したので、屋台で売っていたのが何かは判らない。(でもきっと割高なのは予想できる)それに駅から会場までの間には、コンビニやカフェが飲み物や軽食を売るワゴンを出していたし、この商業施設の一階にあるフードコートも同様のことをしていた。

「……すみません、気がつかなくて」

「いいよ。横に逸れようって言い出したの、こっちだし」

 謝る綾の肩を軽く叩く。

「それじゃあ、下のフードコートで何か軽く食べてく? 少し経てば駅に向かう人も減るだろうし」

 ここに入るときに確認した営業時間では、フードコート(に属するファストフード店)の終了まであと一時間ほどある。外から直接出入りできる飲食店は、さらに遅くまで営業している。

「えーと、……そうですね。とりあえず、階下(した)に下りましょうか」


 同じことを考える人は多いのか、フードコートは予想したよりも賑わっていた。浴衣の女性もちらほら見えるし、浴衣の男性も二人ほどいる。

 空いた席を二つ並んで確保し、牧田が飲食物を提供する店舗の方に向かう。

 牧田が海鮮丼をトレーに載せて席に戻ると、綾が気怠い風情でお冷やのグラスを弄んでいて、牧田の心臓をどきりとさせた。が、よく見ると、彼女は履いていた下駄を脱いでつま先に引っ掛けている。

「もしかして、靴擦れ?」

 こういうイベントでは、慣れない履物で歩きつめて足を傷める者は多い。

「あ、いえ……ちょっと慣れない履物だから……軽い筋肉痛で……」

 靴擦れ(というか、鼻緒擦れ)は想定していたので、予め予防テープを貼っていたのだという。

「ふーん。そんなものがあるんだ」

「私も知らなかったんですけど、店員さんが、こういうものがあるよ、って教えてくれて……」

 でもまさか、下駄履きで筋肉痛になるとは、と、綾が苦笑する。

 その笑みにも色気を感じてしまい、牧田は運んできたばかりの海鮮丼を無理やり胃に詰め込むことになった。


「ところで、牧田さんは一人っ子ですか? 六つくらい歳の離れたお兄さんかお姉さんがいたりはしませんか?」

「……唐突だね。どうしてそう思うの?」

 トレーを返却口に食器を戻し、商業施設の出入口に向かう途中で綾が不意に口にした言葉に牧田は驚く。

 たしかに牧田には六歳上に姉がいる。だがそれを他人に言ったことはない。知っているのは小さいころからの知り合いくらいだ。そいつらはだいたい実家のある町の方にいて、綾とは面識がないはずだ。

「夏休みの宿題、といえば、絵日記・朝顔の観察・それに工作、ですよね。よく泣かされたのは」

 言いながら綾が指差す方向には、『夏休み最後(ラストスパート)!』と書かれた横断幕がある。どうやら書店と思しきエリアの、その横断幕の下には、課題図書やら工作キットやら自由研究のヒント集やらが集められているのだろう。

「読書感想文とかもあるけどね。……それで?」

「もしそうだとしたら、……あ、牧田さん、ご実家は北のほうではありませんでしたよね?」

 北、というのはどの辺りを指すのかは定かではないが、とりあえず牧田の実家はここよりもいくらか南だ。……たぶん。

 牧田が頷くと、綾はほっとした様子で言葉を続ける。

「牧田さんが生まれたのは何時(なんじ)ごろかはわかりませんが、……生まれる前か後に、小学校一年生の子供がいるおうちなら、この時期、お父様かお母様はきっと目にしたと思うんです。これを」

 彼女が浴衣の袂をひらりと掬い上げて、そこに描かれている朝顔を指さす。


「朝顔の別名をケンギュウカ、っていうんですって。で、その種はケンゴシ。ケンギュウとケンゴは同じ字を書きます。ケンギュウカの種子(たね)、だからケンゴシ、なんですね」


 牽牛花・牽牛子。


 空を掻く綾の指は、おそらくそう綴っている。やたらと横画の多い文字列。

 牧田は自分の鼓動が早くなるのを感じた。

 浴衣の袂をよく見ると葉っぱの間に蕾も種実も描かれている。着物の事はよく知らないが、花も実も描く、というのは珍しいのではないだろうか?

 さらによく見ると、朝顔の蔓が絡みついているのは、どうやら手織り(ばた)だ。

 彼女が今言ったことを踏まえると……ずいぶんと意味深な絵柄に見える。


「……ずいぶんと仮定が重なるね? で、この話の着地点はどこ?」

 ええと、と彼女が頬を染めて口籠もる。

「……牧田さんの名前、この字を書くのだったら、ちょっと、嬉しいかなぁ、って」


 七夕つながりで。


 綾が恥ずかしそうに小声で言う。

 綾の誕生日は、七月七日。七夕だ。


 牧田牽牛(ケンゴ)は、自分の名前があまり好きではなかった。

 読み方が一般的ではないし、画数に極端な差があるので手書きだとバランスがとりにくいし、七夕生まれでもないのになぜ? というこの字面が、殊に気に入らなかった。

 だが。

 綾がさっき語った光景、時期的にはありうるだろう。……姉の性格からすると、この時期まで朝顔が生き延びていたとは考え難いが。

 それより何より、彼女が名前ひとつで親しみを感じてくれるなら、それに越したことはない。


「……綾が喜ぶなら、もっと早めに教えとくべきだったかな」

 その字で合ってるよ、と、牧田が肯定すると、綾はさらにおねだりを繰り出してきた。

「それで、ですね……牧田さんのこと、名前で呼んでいいですか?」


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