織女(2)
「……あのな。いつも言ってると思うんだけど、せめてもう少し、部屋の奥で倒れててくれないかな?」
「……うにゅー……?」
ドアを入ってすぐのところで倒れている、まだ少女のように見える彼女を引きずり起こす。居住区はポート施設の中で、遠心力による疑似重力を与えられている区画にある。だから小柄で華奢な女性とはいえ、引きずり起こすのは一苦労なのだ。スペース・ポートの労働者は、昔の港湾作業員ほど屈強である必要はない。
「ベッドまで持たないくらい疲れてるんだったら、自分の部屋で休めばいいのに」
何度も言うようだが、ワイヤーオペレータは、高給取りだ。部屋だって彼女の部屋の方が、この部屋の倍は広い。僻んでいる訳じゃない。純然たる事実だ。
引っ張り上げた華奢な腕が、素早く僕の首に巻きつく。
「……だって、おばあちゃんの遺言なんだもん。今日だけは一人でいたらだめだって」
「『遺言』って…………」
彼女の祖母は、初代の『ヴェガ』で、つまりは件の伝説の主だ。そして、初代の『ヴェガ』は、ちょうど今日、夫を事故で亡くしている。
だが。
「君のおばあさんは、まだ存命のはずだろ? 地上で。勝手に死んだ事にしたら、怒られるぞ?」
「だって、本人が自分で遺言って言うんだもの。もう三十回は聞いてるし。…………それとも、あたしがここに来るのが、迷惑?」
「そういう訳じゃないけど…………」
高給取りの部屋ほど、セキュリティが厳しい。それも、また事実だ。……だから、僕が彼女の部屋に忍んで行くよりも、彼女がこちらに来る方が、はるかに容易い。
彼女が肩甲骨まである長い黒髪を揺らして、にっこりと微笑む。……この長い髪も、彼女の職業を見誤らせるもとだったな。僕が子供のころに見た職業案内パンフレットでは、軌道上で仕事をしている女性は、ほとんど襟足が見えるほどのショートヘアをしていたから。自分の親の事を思い浮かべれば、その認識は間違いである事に気付くべきだったのに。
「だったら、そういう事は言わないで?」
ほっそりした指が僕の唇を抑える。
「明けまでは、あと何時間?」
壁に投影されている時計に目をやる。
「あと……ちょうど十二時間、かな」
「あら」
彼女が黒い瞳を瞬かせる。
「あなたのところの班長って、無粋なのね」
「無粋……?」
「そうでなかったら、異文化に理解がない、かな?」
「……異文化?」
この時期、この宙域に、特異的に事故が多いのは確かだ。だからこの時期、このポートでは扱う貨物量を減らしている。だが、それが文化的な背景があっての事だなんて、ちっとも知らなかった。例えば、『十三日の金曜日』のようなもの、なのだろうか?
「まあいいわ。三時間の仮眠の後また勤務だなどというんじゃなければ」
どうやら彼女にとって、今日、仕事の予定を入れているなどという事はとんでもない事であるらしい、と理解した。
「……それで、この休暇はどう過ごすつもり?」
去年は、どうしていたっけ? その前は?
「…………とりあえず、シャワーと、食事と」それから睡眠、などといったら機嫌を損ねるだろうか? 「……あと、何か柔らかいものに包まれて、ほんの少しばかりの休息をお許し願えれば」
耳元に顔を寄せて、そっと囁く。何か返事が返ってくる前に、腕の中の体を抱き上げて、ベッドに座らせる。
「先に、とりあえずの用事を済ませるから」
「ところで、ずっと不思議に思ってたんだけど」
彼女の髪を指先で梳いてやりながら、前から疑問に思っていた事を訊ねてみる。
「なんで『ヴェガ』なんだ?」
黒い瞳が呆れたように見開かれる。
「今まで知らないでそう呼んでたの?」
『ヴェガ』は確か、こと座のアルファ星の名前のはずだ。だが、どうしてそれがワイヤーオペレータに奉られるんだ?
「……正直に告白すれば、そういう事になるけど……」
由来を知らないからって、仕事に差し支える訳でもないし。でも。
「何か理由があるなら、聞かせてほしいな」
文化的な背景を知る事が、事故防止につながるなら、知っておくべきだと思うし。
……それに、彼女の声は、聞いていて耳に快い。
「んー…………どうしよっかなー。ちょっと調べれば、すぐに判る事なんだけどなー」
「お願いします」
「んー…………まいっか。秘密にするような事でもないし」
そう言って彼女がこちらの肩に腕を絡めてくる。
「簡単にいえばね、大昔の伝説に由来する事なのよ。…………その伝説、聞きたい?」
ここで肝心の『伝説』を聞かなかったら、片手落ちもいいとこだ。頷いて先を促すと、「あたしの聞いた話では、こうなんだけどね」と断ってから、その伝説を語り始めた。
昔、とある神様の娘で、仕事熱心なあまり、婚期を逃しかけたのがいた。
それに心を痛めた神様が、娘にとある男を紹介したところ、二人はたちまちのうちに恋に落ちて、仲睦まじい夫婦になった。
ところが、二人の仲があまりに睦まじ過ぎて、本来の、神としての仕事に支障をきたすようになってしまった。
その事に怒った、娘の親である神様は、二人を河の向こう側とこちら側に分けて住まわせ、年に一度だけ、河に橋を掛けて二人が会えるようにしたという。
「身勝手な親だなあ」
「でしょ? ……で、その娘が『織女』。彼女の仕事が、運命の糸を操って、歴史を織り出す事」
「そりゃ大変だ。「さぼるな」と言いたい気持ちは、判らないでもない」
「でも、そんなにお役目が大事なら、男をあてがったりしなきゃよかったのよ」
どうやら『伝説』に本気で腹を立てているらしい。
「…………つまり、『糸』を操る『女性』だから、『ヴェガ』?」
「………………そういう事、らしいわね」
「でも、伝説と違って、年に一度しか会えないってわけじゃない、だろ?」
「…………まあ、そうなんだけど。相手が遠距離航路のパイロットでもない限り」
……なるほど。初代の『ヴェガ』である彼女の祖母は、その点も当てはまる訳か。
「だから、年に一度のこんな日にも会えないような男を選ぶんじゃない、って。……これもおばあちゃんの『遺言』のひとつ」
「…………こんな日?」
「七月七日。年に一度の逢瀬の日」
※ 織女についての記述は、北欧神話の『運命の女神』とごっちゃになっています。あくまで、『彼女が聞いた話では』ということなので。