第三章 二人
翌日、目を覚ました真冬だが、何かがいつもと違うことに気がつく。何か、そう寝足りないのだ。ここ3日は清々しい朝を迎えていた。だが、久々に覚めきらない朝と言った感じだった。いつも以上にあくびが出るし、目は半開きしか開かない。
「ん~・・・なんだろ・・・・あれ・・・?」
ぼやけた視界がとらえた時刻は8時23分。一限の講義には間に合わない、遅刻確定の時間。あ、これは夢に違いない。しかしやけに現実味を帯びている気がするのは気のせいだ、気のせいに違いない。・・・。
「ちょ!?!舞ねぇぇー!何で起こしてくれなかったの??」
下の階からの返事はない。普段通りなら、遅刻する前に起こしてくれるはずなのに・・・!それに、今日はあの時間に起きていない!―――明日もきっとおんなじ時間に起きるでしょ?だったら今日はちょっと夜更かしでも―――たかをくくっていた自分をひっぱたきたかった。すばやく着替え、急いで下に降りる。案の定、舞ねえはいない。代わりにテーブルの上にはラップにくるまれたトーストとサラダとスクランブルエッグ。ごはんを食べる暇なんて―――ん?見ればテーブルの上には一枚のメモがある。
『今日は出掛けるから鍵はしっかりかけて出て あと遅刻したら許さないよ!』
きれいな筆跡、これは舞ねえの字だ。
「ぇ・・・っと・・・・・要は急がなきゃってこと!!?」
急いで玄関から飛び出した真冬だった。
自分はなぜ環境論などという教科を取ったのだろう・・・?波は受けるたびにそう思っていた。特にこの教授は長々と話を続けるタイプだし、論点がなんなのか、はたまた要点は何処なのか・・・。
「いいかー?ここが難しいところなんだよな、昔のオレもこれには参ったもんだよハッハッハ―――」
さらに言えば、この幾度と無く話を脱線する講師にもいい加減飽き飽きしていた。今回の授業はハズレのハズレ、大ハズレだ。いつも以上に話は長いし、はっきり言って聞いていて面白くない。なのにしっかり聞いてメモまでしているのだから自分は偉いものだ。どっちにしろしっかり写しておかなければならない理由があった。いつまでたっても取っておいた席に誰かさんがこないのだ。もし、真冬が言っていたことが本当なら、今日は時間通りどころか、15分前には私を待っているはずだったのに。一昨日真冬から聞いた、起床の件、そして時間。舞には真冬の言動や行動に注意して、と言われていた。昨日は見た限りでは何もなかったみたいだし、ともかく本人が来なければ何もできないのだ。
「―――でな?これがまたおもしろいことになったんだなー。」
・・・一刻も早く来てほしい。少なくとももう5分以上は関係のない話に付き合わなければならなそうだ。
『ガチャッ!バターーン!!!』
扉を開けると周りの目線が一斉にこちらを向きまた戻る。顔が熱い・・・。恥ずかしいから?寒いとこから来たから?ともかく波を探す、と左中間の方でニヤニヤとこちらをみる者が一人。
時刻は9時15分。この講義は、開始早々出席をとる科目だ。つまりは・・・そう、遅刻したのだ。
「はぁ・・・はぁ・・・」
「なに~?つい最近まで早起きだったあの真冬はいつの間に過ぎてったわけ?」
と小声で茶化してくる波を無視。急いで隣に座りノートを取り出し、そしてテキストは―――あれ?いくら探してもカバンの中にはあの分厚い深緑色の冊子はない。その時真冬の中で家の光景が浮かぶ。ぁ、机の上に置いてあったっけ・・・。明日の準備って、確か置いたんだっけ・・・。
「おやぁ?・・・遅刻の上に教科書忘れでございますか~?」
これは波の甘ったるい声だ。見なくても波のニヤニヤ顔が頭に浮かんでくる。さらに言えば、講義は序盤ながら進んでいる。この講義は講師が黒板をあまり使わないためにしっかりとノートを取らなければテストが危ないと評判なのだ。最悪、教科書は何とかなってもノートはどうにもならない。そして結局は波にノートを写させてもらわなければならない・・・。チラッと波のほうを見れば真冬の心情を察したのか、いつも以上に満面の笑みだ。大きく息が漏れた真冬だった。
隣で必死に書き写しを始める真冬をみて、波はクスリと笑う。こうやってみればいつもどおりの真冬だ。というより、どうみてもいつもどおりだった。とりあえずは心配することはないだろうと、ホッとした矢先、少し不安がよぎる。何も起きない、そう起きることなんて無いんだ。そう自分に言い聞かせる。
「・・・なによさっきからジロジロ見て」
小声で睨む真冬を見て、またクスリ。
「べっつにー・・・?」
フン、と鼻を鳴らして再び作業に戻る。そう、起きることなんて無い。この日常変わらない。同じ事を心のなかで繰り返す。何度も何度も繰り返す。だが、小さな不安は考えれば考えるほどに大きくなった。
「さっきからなんなのよ人をジロジロと!」
「・・・出席やっといたよん」
「ぇ!・・・・さすが波様仏様!いやぁ・・・もう超愛してるっ」
にっこりする真冬を見つめながら、考える。私が不安になってはいけないんだ。
「っく~~~・・・終わった~・・・」
と伸びをする波。いつもの倍の体感時間だ。これだけやってテスト落第なんてことになったらあの講師を訴えてやろう。そんなことを考えながら隣を見てみると
「すー・・・すー・・・・・」
と静かな寝息を立てて寝ている真冬がいた。その寝顔を見ていると、何か安心した。と、同時にいたずらもしたくなるわけで
「・・・・まったく・・・遅刻した理由は寝坊じゃないの?」
と、あきれつつ脇腹を弱めに小突く。
「・・・っいた!ちょ・・・なにすんの!?」
「さぁ?なんででしょうね」
まだ目がまどろんでいる真冬は
「ぁ・ぇ?・・・・・講義終わったの?」
とまるで他人ごとだ。この日の真冬は、確か1限で終わりの日。私は3限まで続くから真冬とは一旦お別れだ。
「そ~だよだからさ―――」
「そっか!じゃぁ春樹のとこ行ってくる!!じゃぁね」
そう言うが早く、脱兎のごとく教室を飛び出していく真冬。喋りかける暇さえなく、講義室には唖然としている波が残されていた。
「――――春樹―行ってく――じゃぁ」
途切れ途切れだが彼女の声が聞こえる。尋はその光景を奥の席から見ていた。やはり気になるのはある人物の名前、春樹。どんな人物だったろうか?高校の頃、身長は・・・高かったような・・・?細身でー、黒髪のショート。それ以上は思い出せなかった。ぼーっと頭に浮かぶ彼の姿。いろいろな高校の頃の思い出が膨みかけて、消える。なにより、その「彼」との思い出と呼べるものは一つもなかった。話すらまともにした記憶はない。どうせ、ずっと見ていただけだ。ただ、明るい、優しい人だった気がする。そして、自分にため息をつく。その間、彼女がを出て行くのが見えた。自分には全く関係のない話。そう自分に言い聞かせて講義室を出る。次は3限に講義がある。2限の間は図書館で勉強でもしよう。そんなことは思いつつも、気づけば走っていく彼女の背中を目で追っていた。
走って、ついたのは八子駅の前だ。時間はまだ10時前。八子駅はある意味有名な駅である。大きなショッピングモールを吸収した形の巨大な駅には常に人がごった返している。様々な電車の起点の駅となっているからだ。朝は通勤ラッシュ、夜は終電ラッシュ、眠らない駅と言っても過言ではないだろう。駅周辺には様々な洋服店に飲食店、ゲームセンター等が隙間なくうめつくされている。ここで待ち合わせ、と彼に聞いていた真冬は息を整えつつ時計を見た。少し早いようだ。まぁ、昨日のような遅刻は無いはず、とそう思った。なぜなら昨日は髪のセットだとか、寝起きのいろいろだとか・・・。ともかく散々な言い訳を延々と聞いたが、この時間は彼の髪型は完璧に整っているはずだし、講義終わりならすぐに来るはず。とりあえず待っている時間が暇だったので、柱の宣伝紙を見て時間を潰すことにした。
『クリスマス・ライブ今年最後の―――』
『恐怖!合同肝試し―――』
『今こそ白黒つけるとき!!帝国大雪合戦―――』
どれもこれも、冬真っ盛りのものばかりだ。周りを見れば、クリスマスイルミネーションにクリスマスカラー。おかげでもともとが明るい八子駅は、まだ午前中だというのに眩しいくらいだ。クリスマス、そう冬といえば、色々な思い出がある。去年は帝白大学に推薦合格をした後にみんなでたくさん遊んだんだっけ。いろいろな経験をー・・・あれ?ふと疑問。去年は彼とどんな冬を過ごしたんだったっけ・・・?
時間はすでに10時を過ぎたが、『いつもどおり』彼の姿はない。
「・・・もう!・・・・すぐ来るって言ったくせに」
着込んではいたがやはり外は凍えるように寒い。遅刻は当たり前、だなんて考えの昔の私が甘かった!これは彼になにかしてもらわなければ・・・。と、真冬はこの寒さに固く誓う。すると遠くから見慣れたシルエットが見える。
「おっそい!」
「おいおい・・・五分くらい見逃してくれよ」
と彼の情けない声が返ってくる。この『5分位』は彼の十八番だった。
「外は寒いんだから、その上待たせるって・・・・・ぁ」
軽く身震いする自分の目の前に現れたのは甘い匂いのする何かだ。
「たい焼き?」
「ん~、まぁプラマイゼロってことで?」
まだ買ってきて間もないであろうたい焼きはこの寒さで白い湯気が立っている。
「う~ん・・・【かっぷす】のカフェラテでゼロかな?」
「そりゃー・・・むしろプラスじゃねーのか」
「そんぐらい気にしないの・・・ほらいこ!」
やはり外は寒かったが、繋いだ手はいつも以上に暖かかった。
目の前の光景を尋はまじまじと見つめていた。何度も目をこすり、瞬きを繰り返したが目の前の光景は変わらない。一人は彼女だ。寒そうに体が震えているのが見える。もう一人が雨宮・・・ではない?そこにいたのは夏目裕也だ、間違いない。ちょうど紙に包んだたい焼きを彼女に渡しているのがが見える。ぽっと顔を赤らめる彼女になにか・・・切なくなる。同じ高校、だが夏目とも仲良くはなかった。なにより、自分はあの『5人組』との付き合いは毛ほどしか無いのだ。夏目裕也、秋川舞、それに日野波もだ。あと雨宮にそして彼女だ。じゃあ、高校で付き合っていたのは雨宮では・・・なかった?
「そんぐらい気にしないの・・・ほらいこ!」
こっちにくるのが見え、逃げるように柱の陰に隠れる隠れる。自分の勘違いだったのだろうか・・・、そうかもしれない。そこまで親しくなかったんだ、間違えるのも無理は無い。だが何かが違う気がする。再度自分の目に焼き付けるように「それ」を見る。だんだん遠ざかって行く二人を尋はただ見つめていた。
「ぁ・・・今度はあそこ!!」
「ちょ・・・そろそろいいだろ?・・・」
二人は駅周辺を歩いていた。『エセ都会』と呼ばれるだけあって八子市はいろいろなものがある。【かっぷす】を出た後は服屋、靴屋、アクセサリーショップなどさまざまな店に出かけた。特に記念日でもないこの日、こんななんでもないデートコースが私達のいつもだ。
「はぁ・・・・今日の俺の金遣い荒いって」
「まぁ、これぐらいならプラマイゼロかな~」
そして今はソフトクリームを片手にベンチで休憩。
「あぁ・・今月はすっからかんだなー」
と財布の中身を見ている彼。とはっても見ているふりだけ、落ち込んだふりである。
「ぇー?だって結局買ってもらったのはカフェラテ一杯プラスショートケーキプラス今のこれだけじゃない!」
と自分のソフトクリームを指差す。
「だけって・・・まぁ別にいいさ?真冬の財布としての役目は果たしたからなー」
と苦笑いしながら言う彼に自然と声が出ていた。
「なんでそんなこと言うの?」
自分でもおどろくほど冷たい声だった。その声に反応してか、彼はきょとんとしている。
「冗談だって、ごめん」
頭を下げる彼を見て、何故かわからないが、急に顔がカーっと熱くなる。お互いに言葉を失い、黙ってしまったそんな時、あることを思い出した。
「いつか言わなかった?私にとってー、あなたは・・・パズルのの1ピースなの」
二人での帰り道。ピースの話。
「ぇっ?」
「どんなにたくさんのピースをそろえたって・・・パズルは最後の1ピースがそろわなきゃ完成しない。それが春樹なんだよっ、てさー」
あの時はなんか恥ずかしくって、お互いににやけてたっけ。がそのとき、雷でも落ちたかのように驚いた顔が真冬を見た。
「ど、どうかした…?」
彼は答えない。すぐに硬直した無表情な顔なり唇がグッと結ばれるのが見える。
「・・・っま、まぁ俺は1ピース分なちっさい存在ってことだよな」
と苦笑いする彼を見たらなんかホッとする。でも・・・、今のはなんだったんだろう
「そーいうんじゃないんだってば!まったく・・・」
それでもやっぱり私はあなた無くしてはは完成しないんだと思う。
もう真冬とこの通を歩いたのは何回目だろうか・・・。このベンチに座ったことも数えきれないくらいある。周りを見れば、冬、冬、冬だ。今年はまだ雪は降っていない。去年は大雪だったっけな。・・・去年、か。
「―――プラスショートケーキプラス今のこれだけじゃない!」
真冬がアイスクリームを振りかざしながら言った。その光景は以前見たことがある気がする。真冬は何度アイツとここに座ったんだろう。何度この通りを通ったんだろう。
「だけって・・・まぁ別にいいさ?真冬の財布としての役目は果たしたからなー」
意図せずに皮肉がでていた。言ってからハッとして真冬を見ると、その目が一瞬だが、暗く沈む。
「なんでそんなこというの?」
「冗談だって、ごめん」
いつのまに自分はこんなにも卑屈な人間になったんだろうか。急に情けなくて、腹立たしくなった。
―――なあ、真冬―――
―――なにー?―――
このやりとり
―――お前ってさ俺の一部なんだと思う―――
―――え・・・急に何・・・?―――
全く一緒だった。
―――パズルってさ全部揃って一つの絵に完成するだろ?―――
―――んー・・・それで?―――
もう疑いようがない。笑ってごまかすのも難しいくらいに。
―――だからさ・・・なんて言えばいいかなー、んー―――
―――・・・?―――
自分は知っている。後ろで見ていただけだった。
―――俺は、さ・・・お前がいなきゃ完成しない、んだ―――
―――・・・それ言ってて恥ずかしくない?―――
見ていることしかできなかった。
―――そ~言う真冬も顔真っ赤だぞ?―――
―――っ!?・・・―――
こ の や り と り を 。