蛇の尻尾
ふぅ、と溜息を吐く。
クーとだいぶ話し込んでしまったようだ。まぁ、おかげでこの世界のことも、ギルドのこともそれとなく聞き出せたので有意義ではあったが。
一番の収穫は、魔眼のことだ。
<月の魔眼>
月の下でのみ使える魔眼。生物や魔物の存在を感知できる。
これは、ゲームで言うところのサーチ能力に近いらしい。珍しい能力ではあるようだが、そこまでレアというほどでもない。
まぁ、月の出ている夜にしか使えないという限定的なものらしいし、そんなものだろう。
次に有意義だったのはダンジョンの情報だ。
クーに言われてギルドカードを見ると、EXPと書かれた場所があった。今は2となっている。魔物の掃討依頼をこなすたび、もしくはダンジョンで新しい階層エリアへの到達を条件に、カードにこのポイントが自動付与されるらしい。ついでに今度の月の夜、ダンジョンに行こうと誘われた。俺は初心者なので、それまでに弓を練習しておかなければいけない。ちなみに修練所はギルドの特典で使い放題だそうだ。ただし弓なので、矢は自腹だが。
この町にダンジョンは5つ。2つはすでに踏破されており、残りは3つだそうだ。つまり踏破された2つのダンジョンには、「新しい階層」は存在しないと推測されている。
――だがいまだモンスターが湧き出ることもあり、もしかしたら隠し階層のようなものがあるかもしれないということで、ギルドから定期的に掃討依頼が出ているらしい。
EXPの数字――2、と言われて思い出すのはCPだ。おそらくこのふたつは同じものだろうと推測してみたのだが、あっさりとその推測は間違いだと気付いた。
2となっている数字はギルドカードの発行と同時に自動付与されるものだそうだ。
このポイントを貯めると、少ないポイントで様々な物と引き換えたり、ポイントは大きくかかるが、ギルドカードのレベルを上げられたりするらしい。
俺の現在のギルドカードランクはFだ。
ちなみにFは一部を除くギルド施設の使用許可と、一部の一般施設の優遇。修練所もこの恩恵だ。また、昨日泊まった金鯱亭もそのひとつで、今日泊まると20$が半額になるらしい。ちなみに予約時に値段が決定されるため、昨日の分はそのままだろうとのことだ。
ボブがくれた報酬は170$だったので、一週間以上は安泰ということになる。ちなみに本来の報酬額は150$らしいので、20$も色を付けてくれたということだ。ギルドに返す分を返し、残りは115$だ。5$は飲み食いで使った。
一度バイトが入ると数日は材料がもつようで、次回頼むのは来週以降になるだろうとのことだ。
さて、今日泊まる分をチェックインしに行くか。
ギルドから出て、深呼吸のついでに身体を伸ばす。クーと話し込んでいた時には気付かなかったが、だいぶそこかしこでパキパキと身体が音を立てた。
「おい、お前」
少し歩くと、背後から声がかかった。
「ん?」
俺のことかと振り返る。
知らない顔が目の前にあった。
「お前、三上だろ?」
俺のことをどうして知っているのか、と一瞬警戒する。
可能性はいくつか考えられるが、話を盗み聞きした可能性が一番高い。何せ俺はこの世界には来たばかりなのだ。まぁそうではない可能性が全くないわけでもないが。
「――誰だ?」
「質問に質問で返すなよ。三上なんだろ?」
こっちの警戒など知ったことか、という意味だろうか。
「……知らんヤツに個人情報を明かす趣味はないんだが」
「――チッ」
あからさまな敵意の視線と舌打ちを見て、ふと俺の記憶の誰かと被った気がした。――いたような気がする。こんなヤツが。知っている気がする。だがありえない。
――前の世界の誰かに、似ている気がするなんて。
黙る俺を見て、男はもう一度舌打ちをする。
少しだけ俺と男のやり取りに周囲が好奇の視線を向けた。
「名乗るつもりがないなら俺は行くぞ」
無視をするに限る。そう判断し、男の横を通り抜ける。意識の外ではあったが、男が動く気配がし、俺の腕に何かが触れる気配。
反射的に腕を払った。
「……何だ。用があるなら名前くらい名乗ったらどうだ」
男は俺の腕を掴もうとしていた。
引き止めようとしたのか、それとも喧嘩でも売ろうとしたのかはわからないが。
「お前の方こそ三上だって認めたらどうだ」
「――俺が三上で、それを俺が認めたら名乗るのか?」
「うっぜぇな。だから質問に質問で返すなよ」
間違いない。どこかで俺はこいつを知っている。ただ単に覚えていないだけなのか、それともこっちの世界に来たことで何か記憶の一部を失っているのかはわからないが。
はぁ、と溜息をわざとらしく吐いた。
議論するだけ無駄な人種だ。頭もそう良くないヤツのはずだ。
この程度で喧嘩でも吹っかけて来るなら、相手にしてロクなヤツではない。その場合は極力距離を取ろう。そう判断してのことだったが、男は舌打ちするだけで手を出しては来ない。
「確かに俺は三上だ」
とりあえずそれだけを伝え、そのまま踵を返す。
「おい、まだ話は終わってねぇぞ」
「名乗りもしないヤツと話す義理はない」
これだけ言っても名乗らないなら、――いや、もうすでに俺はこいつに興味などない。
「待てって」
男が俺の腕を掴む。どうせ待っても名乗りはしないんだろう。態度も言動もまるでチンピラのそれだ。――ん?チンピラ?
記憶が刺激される気配。そうだ。チンピラだ。確かそんな風に常々思っていた気がする。何だったか。そんな風に考え、腕を振り払うことをせずにいると、男はそれで俺が止まったのだと思ったんだろうか、手を離した。
「――っつか、何でお前がこんなところにいんだよ」
再び名乗りもせず、これだ。
「俺の声は聞こえてるか?」
「――あ?」
ダメだな、コイツは。そう思った。
たとえ知り合いでも、関わり合いたくない。
「……もういい。何の用だ。俺がここにいて何の文句がある」
盛大に溜息を吐きつつ言ってやる。
「いやいや」
呆れた調子で呟くと、男は手をぱたぱたと振った。
名前を聞いてようやく思い出した。
浅木 博己。高校時代の同級生だ。
「いやぁ、まさか三上がいるとは思わんかったわ」
俺も思わなかった。何せ、15年も前の話だ。
それまでは、同級生のある生徒に集中的にイジメと呼ばれる行為を繰り返していた。日常的にカツアゲし、パシリ、人前で貶し貶め、ある日唐突に高校に来なくなったのだ。
イジメの標的だった生徒の歴史の教科書の写真には漏れなく落書きされていたし、ある日を境に彼は教科書をなくしたと先生に言って怒られていた。
カツアゲは俺が止めたこともあるが、懲りずにその後も繰り返したそうだし、パシリは気弱なその生徒の弱さに付け込んで毎日やらせていた。
正義感ぶっていたわけではないが、見かねて何度か注意もしたし、何度かコイツと殴り合いの喧嘩に発展したこともある。本来なら絶対に近寄りたくないヤツの一人だ。
「そんで、お前何でここにいんだよ。死んだのか?」
「――あぁ、らしいな」
「だよな……」
聞けば、コイツの場合も似たようなものだったという。
要領を得ない説明なので聞き流しつつ、要点だけを頭の中で纏める。
要するに、不良と喧嘩をして負けたのだ。かつて自分が気弱な生徒にやっていたように――いや、ボカしているだけでもっと酷い仕打ちを受けたのだろう。その行為を受けているうちに精神が逃げ、後は俺と同じことになったんだろう。推測ではあるが大きく間違ってはいないはずだ。
「ところでよ、お前CPはいくつだった?」
あまりに気軽に聞いて来るので、俺は警戒した。
――というか、コイツはあの時、俺と殴り合いになったことを覚えていないのか。もしくは覚えていても俺は同じ境遇でこっちの世界に来た仲間だから無条件で仲間になるとでも思っているのか。
「確か、999だったな」
手の内全部を見せてやるつもりはなかったので、一桁削る。
「ははは、そうか」
そこまであからさまではなかったが、確かな嘲笑を感じた。
「俺は1500くらいだったぜ。今はちなみに総計4200になったはずだ」
4200。15年経ってその程度しか上がらないのか、もしくはどこかで金になる方法を見つけて味を占めたか。
きっと今、コイツは俺を格下認定したのだろう。そう予想を立てた。
最後の最後までクズだったな。
ヤツに対する俺の感想はその一言に尽きる。
食事中、舎弟を名乗るヤツに会ったのだが、浅木は、今日の俺との食事を――当然自分の分だけ――舎弟に払わせた。ついでに帰り際、これから風呂に行くかと舎弟を連れて去って行った。あの様子では、舎弟が風呂代も払うのだろう。完全に金蔓扱いだ。
「――まぁ、いいか」
あまりに目に余るようならともかく、舎弟と本人が名乗るくらいだ。納得してのことかもしれない。威張りたいなら威張らせておけばいい。係わり合いになるつもりはない。念のため、俺が記憶を無くしている設定になっていることも言い含めたから、問題はないだろう。ヒミに嫌そうな視線を向けていたが、ひょっとして蛇は嫌いなんだろうか。関係ないが。
「あら、ミカミ様は今日はお機嫌が優れないようですね」
不機嫌が顔に出ていただろうか。チェックインをしようとすると、エムリが俺に声をかける。
「――わかるのか」
「そりゃ、あれだけお顔に出していれば」
やはり顔に出ていたか。
「不快にさせたか。悪かった」
「いえ、こちらこそ」
くすりと笑う彼女に苦笑を向けると、彼女は思い出したように呟いた。
「あぁ、そういえば……」
そこまで言ってから一旦口を止める。
「後で部屋に伺わせていただいても?」
「え」
思わず素で声が出た。
「あぁいや、構わないが」
「では、後ほど」
用件も言わず、彼女は近くにあった階段から下へと降りて行った。
部屋に来るとは何だろう。ルームサービスの類は一切頼んでいないはずだが……まぁいい、来ると言うなら待つだけだ。
「何だろうな?」
ヒミに向かって聞いてみるが、返事はなかった。当たり前か。
コンコン。
部屋に入って小一時間ほどすると、ドアをノックする音が響いた。
「どうぞ」
「失礼します。申し訳ありません遅くなってしまって」
カチャリとドアを開くと、エムリが入って来た。
手には何かの箱。
「後は寝るだけだ。構わない」
言いつつ箱に視線を向けると、彼女は俺にその箱を差し出した。
「朝、寄って下さらなかったので渡すのを忘れてしまいまして」
あぁそういえば。ヒミに何かくれると言ってたな、とようやく思い出す。思わず箱を受け取ると、エムリはほっとしたように微笑んだ。
「すまないな。こちらが忘れていたのに」
「いえ。差し上げると言ったのはこちらです。ご遠慮なく」
言い、エムリはぺこりと頭を下げた。
「――あ。そういえばもう1つ」
そこでようやく思い出したように、慌てて頭を上げる。
「アレイ、という方が、ミカミ様が来られる少し前に見えられました」
「アレイが?」
「お知り合いですか?」
というよりここで知り合ったんだが。さすがにそれは知らないか。
「――実は今朝ここで知り合った」
「まぁ」
くすり、と笑うエムリ。口元を隠すその仕草が堂に入っているというか、中々可愛らしい。
「では、次に来た時にはどうしましょう」
「――待たせるか。俺はどうせしばらくここに泊まるんだし」
「ありがとうございます」
微笑み、ではそのように、ともう一度一礼し、彼女は扉を閉めた。
いつの間に扉の外に出ていたのか気付かなかったが、考えて見ればそもそも部屋にすら入っていなかった気もするな。
手に持つ箱を開けてみると、指輪……にしては少し大きい輪っか型のアクセサリーが入っていた。
しばらく考え、そういやヒミ用だったな、とようやく思い当たる。
肩から降りようとするヒミの頭を指で軽く抑え、手早くその尻尾にアクセサリーを装着してやると、指輪のようなそれは尻尾の太さと同じようなサイズに縮まり、ぴったりと嵌った。
「――尻尾であってたみたいだな」
ヒミは自分の尻尾に嵌ったそれを、コレは何かとしばらく尻尾を動かしたりしていたが、特に支障はないと悟ったのか、いつもの定位置……よりややベッド寄りに陣取り、丸くなった。
次の日の朝、遠慮のないノックの音で目が覚めた。
「……誰だ」
「俺だ俺。俺俺」
俺俺詐欺か。
声の感じはアレイの声だ。早速部屋を聞き付けたらしい。
「開けてくれ、手が塞がってんだ」
「――何だよ」
眠気を感じつつ、思わず悪態を付きながらドアを開けると、俺を押しのけるというほどではないが、遠慮の欠片もなくアレイは部屋に入って来た。その両手には盆があり、それぞれ同じメニューの食事が乗っている。
「一緒に食おうぜ」
「いいのか部屋に持ち込んで」
「許可は貰った」
言うと、部屋に備え付けてあるテーブルの上に盆を置く。
ヒミは警戒しているのか、部屋の隅にいつの間にか退避していたが、アレイはそれを目敏く見つけた。
「お、おお、コレが噂の蛇か。尻尾に何か付いてるな」
言うなりヒミの体を撫で、――まぁヒミは嫌がっていないからよしとするか――尻尾の輪っかを観察した。
「鼠退治の報酬だとさ。エムリからもらった」
「……オーナーから?」
オーナー?エムリはオーナーだったのか。初耳だ。
「ちっと拝見」
言い、頭を下げたヒミの尻尾の輪を触る。
「……へえ。中々いいモンもらったな」
静かに呟くアレイ。
「わかるのか?」
「コレでも一応ギルメンだぜ」
やっぱりギルドメンバーはそう略すのか。
「まぁ、アクセサリーの鑑定しかできないけどな」
「ひょっとして細工師か何かか」
聞くと、「まぁな」と呟いて、ヒミから手を離す。
「で、例の仕事どうだった?」
そういえば、とふと体を動かしてみる。
結局風呂……お湯屋には行かなかったから、マッサージ1つしていないが、どうやら特別痛むところはなさそうだ。ぐりぐりと動かしつつ、それを念入りに確かめる。
「……特に筋肉痛はないようだな」
「マジか」
「クーにアドバイスをもらったからな」
言ってしまってから、アレイは面識があるのかと一瞬思ったが、よくよく思い出せば向こうは知ってたな。
まぁクーやボブが一方的に知っているのだとしても、修理受付やウェイトレスの名前くらいは知ってるか。
「ま、痛まないならいいことだな。さ、食うか」
アレイは大して気にも留めず、どっかりと椅子に座って俺を招いた。
まぁメシは驕りのようだし、イヤなわけでもなかったので、お相伴にあずかることにした。