ノック
こんこん、とドアがノックされた。
「……どうぞ」
声をかけると、扉を開けて入って来たのはミランシャだった。一緒に食事をしていたアレイとクーがそれぞれ別の理由で苦笑を浮かべる。
「――諦めないねー」
「姉さんに似たんですよー」
クーが言うと、ミランシャがふふ、と笑って軽口を叩きつつ、空いている椅子へと腰かけた。
「……帰らないよ?」
「そうかもしれません」
クーの意固地な口調に、ミランシャが涼しげに言い返す。もはや話も聞く耳はないようだ。
「第一、帰ったって何すればいいの」
「顔を見せるだけでいいんですよ。愚痴をぶつけてくれてもいいですし、それで喧嘩になったっていいんです」
折角帰ってもそれではどうかと思うが。まぁだが親子なんてそんなものなのかもしれない。
俺も、実家を出たときは似たようなものだった。10年近く帰らず迷惑をかけ、最終的に家に帰れば母や父と喧嘩をしたものだ。まぁ父は黙ったまま不機嫌そうな顔をするだけだったが、たぶんあれも喧嘩のひとつの形なのだと思う。
だがそれでも、俺が死ぬまで顔を合わせないまま、というよりは良かっただろうと思う。
クーの件については、パーティのメンバー全員が悩むところだ。アレイはクーの好きにすればいいと言い、ボブは行った方がとやんわり諭し、俺とカルアはひとまず沈黙に徹している。リーシャは意見を避けているのだろう。思うところはありそうな顔を何度か見ているが、今のところは何も言わない。
クーは苦笑しながらも、パーティを組んでいる俺たちへの義理立てなのか、ミランシャから逃げることに疲れたのか、ミランシャがそこまで強く言って来ないことに気付いたからか、前にやったように逃げたりはしなかった。
「それより、ミランシャは路銀的なものは大丈夫なの?」
「……大丈夫と言いたいですけど、そろそろ稼がないと厳しいですね」
ミランシャはギルドには入っていない。
なので稼ぐ手段は限られるだろうが、クーを頼ったりしなければいけないほどでもないようだ。
ギルドに入れば依頼はあるが、と勧めてみたが、入るつもりはないとのことだ。
「あら、キャラット」
カルアが不思議そうな声を上げた。
つられてそっちを見ると、ミランシャの膝の上に、いつの間にやら白い毛の塊があった。
いつの間にかキャラットが懐いていたのか、という疑問はさておき完全に懐いているな。警戒の「け」どころか「k」の字すら見当たらないほど無防備に、丸くなって眠っているようだ。
「……私がここに座ったら何だか自然に居座られちゃいました」
ミランシャがいうように、あまりに自然すぎて気付かなかった。
「いい加減、ちょっとは説得しないといかんな」
夜、一緒に飯を食うアレイが呟くように言った。
皆まで言わなくてもわかる。クーとミランシャのことだろう。
「――何かきっかけがあればいいのですが」
「まぁ、そうだなぁ」
カルアの言葉に賛同しつつ、アレイはうーむ、と唸った。
アレイがこの手の話題を自分から出すのは正直意外だが、ミランシャに対してあれだけ頑固なクーを見ていると何とかしてやりたいと思う気持ちはわからなくもない。
「一計を案じますか」
カルアが呟くように言うが、アレイは首を振った。
「勘がいいからな。バレたらそれこそ嫌がる」
「……バレないように、は無理ですか」
「できると思うか?」
アレイの問いに、カルアは「無理ですね」と即答した。
「ですが、バレたところで、彼女は自分のためだとわかれば理解してくれるとは思います」
確かにそれはそうだが、だからと言って気分のいいものではないし、今回もクーがちゃんとそれを理解しれくれるのかどうかも確定ではない。
だからと言って、両親……いや、父親が違うそうだからクーにとっては片親になるのか。その母親が自分を愛していないと感じ続けるのもいいとは思えないが。
「俺としては、もし説得するなら真正面から話す方がいいと思うぞ」
「……ふむ」
自分より付き合いの長いアレイの言葉だからか、カルアはそれで言葉を止めた。
こんこんと、部屋にノックの音が響く。
「……誰だ?」
携帯をいじっていたので起きてはいたが、さすがに深夜1時は常識の範囲ではない。この時間に部屋のドアをノックするヤツは限られているが、まぁ念のため声をかける。
「……わたし」
声は聞き覚えのあるものだった。ちょっと予想外ではある。
「一人称じゃわからん」
苦笑しつつドアを開けると、少しだけ部屋の明かりを眩しそうに顔を顰めたルフェリアが立っていた。
「――こんば、んは?」
なぜ半疑問系。まぁいいか。
「どうした、というかよくここがわかったな」
「……エムリんに、……その」
「聞いたのか」
「そう」
なるほど。金鯱亭に泊まっていること自体はボブやクーから聞いたんだろうな。もしくは他のギルドメンバーからか。
「入っていいぞ。何か用があるんだろ?」
「……お、おじゃ――まし、ひぅっ!?」
唐突に、ルフェリアが悲鳴を上げて足元を見た。つられて俺も見てみると、足元にキャラットが擦り付いていたので、突然擦り寄られて驚いたのだろうと解釈する。
そんな心中を知ってか知らずか、キャラットは「にゃん」と尻尾を立ててルフェリアの足元に纏わり付くと、ルフェリアの顔を見上げてもう一度「にゃあ」と鳴いた。
「――わかった」
何がわかったのか、ルフェリアはキャラットの腰と背中を持って丁寧に抱き上げると、部屋へと足を踏み入れた。
「ミカミん」
「何だ」
「……お願いが、ある」
「おう」
とりあえず話を聞いてやることにし、扉を閉めるが、次のルフェリアの言葉で結局もう一度、扉を開けることになった。
「……おいしい」
クーが絶賛していたので食べたい。ルフェリアの望みはコレだった。寝ていると思っていたエムリさんを訪ねると、エムリさんはまだ起きて厨房にいた。わけを話すと快く厨房を貸してくれたので、片栗粉以外の材料を教えつつ、エムリさんに作り方や焼き方を教えておいた。片栗粉は作るのが面倒だとだけ言い、今回の厨房使用料として1・2回分の材料を譲渡した。
「――今回はいいが、次は昼に来い」
「了解」
言いつつ、内心誤魔化すのが大変だったぞこの野郎、とルフェリアを罵倒する。
片栗粉は、見た目で小麦粉でないのはすぐわかってしまう。なのでエムリさんはそれを即座に看破し、何の粉なのか中毒性はないのか、もしかして美味しいのは麻薬的なアレではないのかと詰問してきた。片栗粉という名前は一応伏せ、作り方は企業秘密だが全部植物で、薬的なものではないとだけ教えておいたのだが、そうすると今度はこの粉で商売ができるのではないかと持ちかけてきた。まだ今のところはそこまで考えていないことを伝え、とりあえずルフェリアが待っているからと、作った分3枚のうち1枚をエムリさんに口止め料として渡し、残りを持って退散して来たわけだ。
「……あんまりキャラットにはやるなよ、太ると健康に良くない」
「――そうなの?」
「あぁ。少なくとも太っていいことはあまりない」
言うと、ルフェリアは「ふぅん」と関心なさそうに呟いて、ひょい、とキャラットの口元から食べかけを取り上げ、ギリギリで手が届かないところにそれをキープする。
案の定、取り上げられたエサを取り返そうと狙いを定めて飛びかかるが、ギリギリのところでひょい、とそれをかわし、もう一度届きそうな高さへとエサをぶら下げる。もう一度飛びかかるが結果は同じだ。
「……こんな感じで、いい?」
なるほど。太らせると良くないなら運動させればいいということか。
遊んでいるだけだと思ったら。無口なので何を考えているかわかりにくい。
それを何度か繰り返すと、ルフェリアは飽きたかのようにキャラットにわざと敗北し、かわさずにそれを渡した。
「ごちそう、様」
「お粗末様」
よほど美味かったのか、それとも礼儀がいいのか。手こそ合わせなかったものの、ルフェリアはぺこりとお辞儀でそれに変えた。
「……粗末、なの?」
「謙遜表現だ」
前の世界の癖でつい言ってしまったのでルフェリアに突っ込まれた。
「ケンソン?」
あぁしまった。これも通じないのか。
「……自分の所業を遜る、つまり自分を下に思わせて相手を立てるという高度な手法だ」
「なるほど。理解」
本当に理解しているのかはわからないが、少なくとも言葉で「理解」と表現する程度にはわかったということだろう。




