神 Presents
気が付けば、視界は情報で埋め尽くされていた。
――目の前のそれは、すでにパソコンのディスプレイではない。
見えているのは確かに情報だが、俺にはそれを理解できなかった。意味のない、しかし確かに何かの情報の羅列とでも言うのか。
内容を理解できないのにわかる。ここにはきっと、世界の情報が全て集まっているはずだ。
「……何だ、ここ。どこだ」
記憶を整理するまでもない。
さっきまで、俺はネトゲをやろうとして、キャラクターの作成に悩んでいたはずだ。大体覚えてる。
変な薬でも飲んでしまったのか。いやそれはないな。
今の状況を整理したい。
――そう思った瞬間。
何故か唐突に理解した。
ここは神の玉座だ。王の座が玉座なら、神座とでも言うべき場所だ。
それにしても。
「……理解できたのはいいが、何故理解できたのかわからん」
そう思った瞬間、またしても唐突に理解する。
「なるほどな。『いる』ってことか」
神座なのだから、当然神はここにいる。その姿が、存在が人間である俺には理解できないというだけで、確かに神はここにいる。この唐突の理解は、俺が理解したいと願ったから、俺の中に情報を『創造』したのだ。
「……それにしても、この『会話方式』は疲れる」
できれば、人間の形をした何かと話したい。無理ならそれに近い何かでもいい。とにかく、一般的な人間の会話方式がいい。
「――無理か」
願いは叶えられないと理解させられた。神はこの会話方式でしか話せない……いや、話したくないが近いのか。厳密には自分の姿を何かの形にすることができない。神は創造しかできない存在だが、すでに存在するものに手を加えることはできない。言葉にすると少し違う気がするが、要するに神の答えは「できない」だ。
じゃあ天使を一体、今ここで俺との会話のためだけに創造するのはどうだろうか。終わったら破棄……は無理か。作った天使に手を加えるのは無理のようだし。ってあれ?
「……作るんかい」
終わったら消滅するように作ることで解決したようだ。神との対話を人間の会話方式にするためだけの存在は、あっさりと目の前で創造された。プロセス?そんなものわかるわけもない。と思ったら教えてくれたが、神ではないので人間には不可能なプロセスだ。
「そんなわけで、こんにちは人間」
「……はい。こんにちは天使さん」
天使は俺のイメージする天使そのものだった。
「では早速。何を聞きたいですか」
ホント早速だな……と心で思うと、心から謝罪する旨の情報が創造され、流れ込んできた。
「状況の説明を。天使の口からお願いします」
とりあえず聞きたいのは、何故俺がここにいるのか、だ。
「あなたが死んだからです」
え、と思った。
「ちなみに、あなたが『キャラクター』を作成して数時間後です」
キャラクター。あのゲームを開始して、数時間後には俺が死んだ。
「恋人の捜索願を警察に届け、彼女の両親に連絡し、あなたはそのまま首を吊りました」
ちょっと待て。覚えてないぞそんなの。
「――覚えていないのは、あなたがあなたではない時に行った行動だからです」
「は?」
ちょっと整理したい。そう考えて会話を中断する。
――ダメだ。理解がどうしても及ばない。その部分だけ理解させてくれ……と頭で願った瞬間、神は天使を介さずに俺にそれを語った。
解離性同一性障害、という言葉を知っているだろうか。多重人格と言い換えてもいい。
俺はあのゲームでキャラクターを作った時、無意識に自分の中にもう一人の人格を作り、そのまま肉体の中で深い眠りについた。
彼女が俺を捨てたことから、心が逃げたからだ。
もう一人の人格は、そのまま彼女を探すための一連の行動を行った。義務のように淡々と。俺の意思とは無関係であるかのように。そして、その人格は、俺自身の存在をこう断じた。
彼女に捨てられた存在である俺は、不要なのだ、と。
そうして、それまで行っていた一連の行動の続きとして、もう一人の俺はあっさりと命を絶った。
だが。
深い眠りについていた「俺」は死ななかった。
肉体は死んだが、精神は死ぬことなく生き延びた。
「――じゃあ、俺は何故こんなところに?」
聞かずにはいられなかった。
「あなたが最後にやったゲームですが、覚えてますか?」
天使は淡々と言った。
「あぁうん、覚えてる」
「――作ったキャラクターのことは?」
もちろん覚えているが、ゲームがどうしたというのか。
というか、俺は死ぬ直前までゲームしてたということになるのか。
両親に会うことは二度とはないだろうが、……最後の最後まで悲しませることになってしまった。
「あぁ、心配には及びませんよ。『彼』はパソコンや私物やアパート、それに借金にいたるまで、全てを清算しましたから」
「――は?え、どうやって」
8桁近い金だったはずだ。それを一晩で返したってのか。マジでどうやった。
「正確には、借金はこれから清算されます。あなた自身の生命保険で」
――あ。
思い出した。
そういえばそんなものをかけていた気がする。それも1口どころか10口くらいの勢いで。
「でも自殺では生命保険出ないんじゃないのか」
「結論だけを言うのであれば、あなたの生命保険を取り巻く環境下であれば、生命保険が出ます。神が保障しますよ」
何という説得力だ。
「良かっ、」
「――良くはありません」
天使が淡々と、俺の声に反論した。
「神はお怒りです。人間は自分の命を軽んじすぎると」
返す言葉もない。
「――死んだのは『俺』じゃない」
「あれもあなたです」
淡々と言う天使が、少しだけ表情を歪めた。
別の人格とはいえ、死んだのも「俺」ということだろうか。
「まぁ今何を言っても、もう過ぎてしまったことです」
ひょっとして怒っているのか。神も怒っているらしいが、目の前の天使も、同様に俺に怒りを覚えているのだろうか。
おこなの?ねぇおこなの?
「おこです」
完全におこだわ。
「じゃあ、俺はこのまま消滅するだけか」
冗談はさておいても、肉体がない以上俺には生き返るべき場所などない。
もう一人の「俺」が、未練も綺麗さっぱり消してくれた。
――ならば、消滅するのだろう。俺にはもう、生き返ることはできないだろうし、まさか神が奇跡を起こしてくれるわけでもないだろう。
「……同じ世界にではないですが」
ん、と思わず声が出る。天使はそれに構わず言葉を続けた。
「あなたは消滅はしません」
ふむ、と、もう一度思わず声を上げる。
「――というと?」
天使は、淡々と俺のこの後を告げた。
俺は、どうやら異世界に創造されるらしい。
正確には、俺の肉体が、前に生きていた世界のものと全く同じ形で、全く同じ遺伝子で、寸分違わず完璧に同じものとして創造されるようだ。
理由は、俺という異分子の存在を「処理」するためだ。
消滅させることはできないが、肉体を新たに創造し、その肉体の機能の1つとして、俺を処理させるのだ。
そして、天使の言う「異世界」とは、俺が最後にやったゲームだった。
そうだ。最後にゲームやってたのが何だと言うんだ、と思っていたのだが。
あれは、神が創ったものだった。
言われて思い返せば、確かに「神 Presents」と書いてあった。
会社名だと思っていたそれは、本当に神が創ったものだったらしい。
ゲームをやると、異世界に人物が創造されるシステムになっているようだ。
――世界を創った理由は、理解と納得はしたがよくわからない。仕方ないので神の意思ということにしておくことにする。
例によって創っただけで手を出せないので、完全に誰にも見つからない場所に肉体を創造し、その肉体の機能の一つとして俺の意識を入れるということのようだ。
意識を入れたら、後は神も手出しはできない。
奇跡はない。今までの世界と同じように、人間が奇跡と思うものは全て、偶然が積もり積もった結果だということだ。
神はサイコロなど振らないし、創った存在を振り返ることもしない。
こうして、俺のような存在に出会うことすら、宇宙創造のような、人間が「奇跡」と呼ぶような瞬間が100回起こるだけの、長いと言う言葉すらもおこがましいほどの時間のうち、俺を含めて、数えるほどでしかない「失敗」もあったとのことだ。
俺は神の用意したレールを踏み外した「失敗作」だった。
と思った瞬間、そうではないと理解させられた。納得もしたが、やっぱりよくわからなかったので、「神の意思」という言葉でごまかすことにした。
異世界に辿り着いたら、俺はもう神の手を離れることになる。
その前に、俺が作ったキャラクターの設定を肉体に組み込んで創造してくれると言う。
ついでに、俺だけでいいのでゲームをしているかのように操作をできるようにして欲しいとダメ元で思ってみたところ、あっさりと「ではそのように」と天使が呟いた。
神が俺を作っている間に――設定を組み込むのに時間がかかるようだ――色々と質問してみる。
何故世界を、人間が住みやすいように創ったのか、と聞いてみた。
人間が住みやすいのはただの偶然らしい。
何故人間を創ったのかと聞いてみた。
創ったのは世界であり、人間はその世界の変化の過程で勝手に誕生した。つまり人間が誕生したのは偶然らしい。
俺のような人間を送るために異世界を創ったのか、と聞いてみた。
そうではないらしい。その世界に同じように送ったこともある――今世紀は2回目らしい――が、そのためだけではないとのことだ。俺のいた世界と似ているのもただの偶然。俺のいた世界で、似たような世界の創作物があったのもただの偶然らしい。
そこで悟った。
神が創るのは多分、世界だけなのだ。
言葉は悪いが創るだけ創って放置。これが基本なのだろう。
そのほかの全てはただの偶然。だから、俺が異世界に行くことになったのも偶然だということになる。
神はサイコロを振らない、と言う言葉に当てはめるのであれば、神はサイコロを創るだけだ。そして放置。誰かが振るか、あるいは自然にサイコロが転がるかして、偶然その結果としてのサイコロが生まれる。結果として生まれたサイコロは、さらに誰かが振るか、あるいは自然に転がる。この連続があるだけなのだろう。
――などと考えている間に、俺が完成した。
その俺は、あっという間に異世界へと送られた。
「他に質問はありませんか」
天使が淡々と言った。
要するに、俺は2つの精神に分かれ、片方が前の世界で死んだ。だから異世界に同じ肉体を作ってもらい、残った俺がその肉体を使って異世界へ転生。
「そういうことでいいんだよな?」
「――転生とは違いますが、まぁあなたの理解からしたら似たようなもんでしょう」
それでいいなら理解した。
……ん?いや、ちょっと待て。
「あっちの世界の俺は、どうやって生まれたことになっているんだ?」
「……あなたの判断に任せます。本当のことを言っても、何か別のことを考えても。それが人生というものです」
1つ聞いたからか、質問がもう1つ浮かぶ。
「常識のようなものは、元の世界とは違うのか?向こうでは、死とは歓迎するものだったりはしないか?」
死ぬことこそ生きる意味、とかいうのが基本だったら困る。
「基本的には変わりません。生き物は死を恐れます」
基本的には。つまり前の世界と違うところがあれば、それは新しい世界にとってそれが普通だということか。
「最後にもう1つ。これはただの個人的な興味だが」
「構いませんよ、どうぞ」
天使は淡々と言うだけだ。
神の代弁者。そんな言葉を天使に冠した小説もあったな、と思い出すがそれはどうでもいい。
「神が創った世界は、いくつあるんだ?」
天使は答えなかった。
変わりに神が答えた。
――俺が想像していた数を、桁が違うというレベルではなく、その桁すらさらに超えて、……あぁもう俺が悪かった。要するに表現できないほど多かった。
「注意点はありません。あなたが思うように生きなさい」
天使は俺にそう呟いた。
そういえば、俺の勝手で創られた存在である天使は、俺がここからいなくなると同時に消える。そういう風に作られたのだから仕方ないのだろう。少しだけ寂しいと感じるのは、人間の形に似ているからだろうか。
天使も神も、それには何も答えなかった。
意識は勝手に薄くなり、何かがどこかへ飛ばされるような感覚が思考を支配する。
最後に、神から理解が送られて来た。
――今の邂逅は、記憶の中では夢のような扱いになるようだった。