【番外】フーリッシュパーソンズ
今回の話は番外です。言うなればただの設定です。
読まなくても支障はありませんので、いらないと思われる方は次話へどうぞ。
ヴィラルド公国フーリッシュパーソンズ。
君主である魔術師ヴィゼンダー=フィランネルが着任した当時、この国は「ヴィラルド王国」と呼ばれていた。
だが、ヴィゼンダーは着任後しばらくして、国の名を「公国」へと変えた。隣国である聖カトゥリク王国国王の養子となることで、ヴィゼンダーは公爵となり、国としてのヴィラルドの名は消えた。
そう、公国というのは厳密には国ではない。
公爵の領土、ただの領地。国ですらなくなった土地に住む領民から、ヴィゼンダーはその一件により蔑まれることとなった。
王号を捨てた腑抜けだと蔑まれ、国を捨てた臆病者だと貶められ、なぜだ阿呆かと責められ、貴様などは領主ではないと疎まれた。
それを、ただヴィゼンダーは耐えた。
何の言い訳もせず、一部の引越しをして行く者を咎めもせず、不平を申し立てる者には自ら頭を下げた。
その低姿勢に呆気に取られ、呆れられ、蔑まれ、ヴィゼンダーの名は愚王として常に貶められた。
事実、支配層である公爵として君臨する者の姿勢としては、彼の姿勢は正しいものではなかっただろう。
――齢799歳という、人間にしては長い長い、あまりに長い生涯を閉じるまで、ヴィゼンダーはただ公爵として君臨し続けた。
彼の真意を知る者は、彼に良く尽くしてくれた。
ヴィゼンダーに対する評価は蟻の触覚の先ほどにも変わらなかったが、その心は確実に救われた。
ヴィゼンダーの没後、そこは公国ですらなくなった。
隣国のカトゥリクはヴィゼンダーの功績を讃え、その広大な領土を放棄した。本来ならばカトゥリクの王となっていてもおかしくない地位にあったヴィゼンダーだが、彼はその王となることもなかったし、後継者争いに関わることすらもなかった。それが当時の王にしてみれば絶大なる恩だ。
ただのヴィラルド地方。
その名前が再び国として機能し始めたのは、ヴィゼンダーが没してから数年後のことだった。
一人の青年が、王の資格を得た。
――王の資格とは何か、などと問う気はない。少なくとも、民は青年を王と認め、青年は自らを王と名乗った。
こうして、ヴィラルド地方はヴィラルド王国へと、再び名前を変えた。
だが、彼は知らなかった。
真意があった。
それを民は何も知らなかっただけだ。
――ヴィゼンダーは決して腑抜けではなかった。
真実は、ある老人が語った。
ヴィゼンダーが王の地位を捨てたことで逃れた戦争があった。
ただ民には戦争は知らされず、ヴィゼンダー他数十人により構成された「軍」で撃退していた。
ヴィゼンダーは決して民を徴兵しようとはしなかった。
自らが常に戦場に立った。仲間を失い慟哭し、さらに失い憤然とし、さらに失い絶望し、……とうとう自分と幾人かの少人数になったところで、何も知らぬ民を戦に駆り立てなければいけないとようやく悟った。
それでも、ヴィゼンダーは戦った。
敵の手で魔力を封じられたが、最後の仲間が身を持ってその呪いを引き継いだ時、ついにヴィゼンダーは、戦える者が自分だけになったことを悟った。
常識的に考えれば無理な話だ。
国を、領土を奪おうという敵国は、きっと同じ手を使って来る。
――魔力を封じられたら、魔術師であるヴィゼンダーはただの老人だ。
それでも、ヴィゼンダーは民を犠牲にすることを躊躇った。
僥倖だったのは、そのタイミングでカトゥリクからの申し出があったことだ。
ヴィゼンダーは喜んだ。
軍力を得ることができる。
以後の争いは全てカトゥリクが請け負ってくれる。
――その代わり、ヴィゼンダーが死ぬまでは、ヴィラルドはカトゥリクの一部になる。そういう話し合いが持たれた。
何より、民を犠牲にしなくて済むのだ。
ヴィゼンダーはそれでも交渉した。
――なるべく民に真実が漏れないように。民に不幸が訪れないように。
自分は汚れ役でいい。自分は疎まれ役で構わない。
ヴィゼンダーはただただ、民の安寧だけを願い、生涯それを貫いた。
そもそもヴィラルド地方を侵略しようとする軍事的価値はと問われれば、国であること以外には何もない。山と谷に挟まれており、地理的価値すらない。
そこに自分たちの脅威になるかもしれない『国』がある。力を付ける前に滅ぼしたい。侵略国の考えることはただそれだけだったのだ。
それがカトゥリクの一部になるなら、カトゥリクを滅ぼせばいいだけだ。国ですらないならば、滅ぼしたところで名声すら入らない侵略戦争になど興味はないし、いたずらに兵を消耗させる意味もない。
だからこそ、国ですらないただの領地へと名前を変えることで、ヴィラルドに向いた矛先を変え、あるいは収めさせる。
かつての公爵は、ただ国を守りたかっただけなのだ。
そう語った男は、ただ青年を、今の王を蔑んだ。
今の世は、カトゥリクは、ヴィラルドに義理はない。
――かつての公爵が逃れた戦争は、再び国を襲うだろう。
今の王に、かつてのヴィゼンダーのような力も、仲間もいない。
――かつての戦争よりも苛烈に。残虐に、残忍に、蹂躙されるだろう。
そうして――魔力を失う呪いを一身に背負った老人は、王を嘲笑した。
「かの公爵の偉大さを知れ。愚かな、愚かな莫迦どもよ」
彼はそこまでを饒舌に、満足そうに全てを語り終える。
そうして、迷うことなくプレーリーヴァレイの谷へと身を投じた。
老人の言葉を呆然と聞いていた王は、谷から身を投げる老人を止めることすらできず、ここに来てようやく、亡き公爵……魔道師ヴィゼンダー=フィランネルの偉大さを知った。
老人の言葉は全て真実だった。
国は再び侵略されかけ、かつての恩と人道的観点から手を差し伸べたカトゥリクの助軍によって救われ、王はかつての公爵と同じ道を辿ることになった。かつての公爵がいなければ、助けはなかったかもしれない。滅びていても不思議ではない。
そうして、王国は再びその名を公国へと変えた。
戦がそれで全て静まったわけではなかったが、……それでもここ数年は、国は平穏に暮らせている。
公爵は、老人が身を投じた谷に老人の名を捧げ、手を合わせた。
そして、偉大なる公爵の真意に最後まで気付くことすらできなかったとある町に、相応しい名前を付けた。
愚かな莫迦ども、と。




