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光の鍵  作者: 米田実穂
1/1

出題

僕はたぶん、知っていることより知らないことのほうが多い。何を知らないのすらわからない。

しかし、温度とぬくもりというのは別のものなんだな、ということはわかる。

この少年の手には温度がない。しかし彼の小さな手が触れているか触れていないかではとても大きな違いがあった。

彼は今日も僕の手の甲を包みながら、少年にしては高い綺麗な声で話しかけてきた。


「それじゃ、目が見えるようにさえなれば元気になってくれるかい?」

「…見えるようになる?」


質問に質問で返すのはあまりよくないということも知っているが聞かずにはいられなかった。


「方法はある。ただ、なにかしら副作用はある」

「副作用?」

「目が見えるようになる代わりに、今キミが持っている何かが失われるということ」


彼――久耶によると、僕は「神隠し」にあってしまったらしい。神隠しというのは、人が集団の中から消えてしまうことを指し、僕の場合それが本当に神様の仕業だというのだ。

そして、僕は生還することはできたものの、記憶と視力を失ってしまっていた。

僕は今の時点でも、何も持っていない。それなのにこれ以上何かが欠けてしまったら、いったいどうなってしまうのだろう。

迷っている僕の心情を察したのか、久耶の空気が柔らかくなる。…多分、笑った。


「目が見えてすぐ失われるものではないかもしれないし、ひょっとしたら目が見えればキミには必要じゃなくなるものかもしれない。まぁそんなに気にすることではないさ」

「…そっか」

「それに簡単に見えるようになるわけじゃない。目が見えるようになるためにはあるものが必要なんだけど、それはキミが探さなくっちゃいけない」


その言葉に、気持ちが大きく落ち込んだ。久耶は意地悪だ、目が見えない僕にどうやって探せというのか。

しかし、僕ががっかりすることは想像に難くなかったらしく、続く久耶の言葉は淡々としていた。


「もちろん、キミに床に這いつくばって手探りで探せとは言わないよ。ちょっと見てみたいが。キミには『目』をつける」

「『目』?」

「――随分な用件だな」


その声のあまりに突然すぎる出現に、背筋がぞっとした。遅れて腕に鳥肌が立つ。

さっきまではただの空間だった場所に、「何か」が現れた。

その声の主を、久耶は柔らかく迎える。


「彼女は夢浮橋ゆめのうきはし。彼女は今暇だから存分に使っちゃっていい」

「おい久耶」

「なんだい、ほんとのことじゃないか」

「…私はこいつと初対面なんだが。名前も知らないんだぞ」


その言葉に、久耶は少し拍子抜けしたようだ。

思っていもいなかったことを指摘されたようで、久耶の小さい指先が僕の手から頬へと移った。


「名前…名前ね。そうだな、まだなかったな」

「…そんなことも忘れてしまったのか」


夢浮橋の声には憐みはなかった。しかし、冷酷さも見えない。

どんな顔をしているのだろう、と少し気になった。


けい

「え?」


唐突に、久耶から聞きなれない単語が出た。それは、僕に与えられた名前だった。

頬に当てられた手のひら、指先が可愛がるように表面をなぞる。


「キミの名前」

「…悪趣味だな」


夢浮橋の吐く毒を、久耶は笑って受ける。


「…悪趣味なのか?」


なぜかはわからないが、少し驚いた。その言葉から嫌な感じはしない。ただの直感だが。


「そんなことはないさ、とても美しいものの名だよ。目が見えるようになったら見せてあげよう」


なめらかな指先が頬を滑り、瞼に親指が当てられる。

うつくしいもの。


「そうだ、ちょっと待って…探すって、何を?必要なあるものって、いったいなんなんだ?」


その問いの答えには、間があった。

これは返事を考えているわけでも、言えないわけでもない。

この空気は――試している。

おそらく今久耶は笑っているだろう。…この空気は、少し、嫌いだ。


「蛍、見えないものを探すことを、調べるっていうんだ」


温度のないぬくもりが、頬から離れる。


「いっておいで」






空気が揺れた。これは多分、夢浮橋が体を動かしたのだ。

久耶はどこかへ行ってしまった。愛想がいいとは言えない彼女とふたりきりは、少し気まずい。


「手を出せ」


正面から少し右にずれた方向から声がした。どうやら彼女は手を差し出していたらしい。

しかし、音だけを頼りに人の手という面積が小さいものに手を置くのはちょっと難しい。

おずおずと出した手を見て彼女もそれに気づいたらしく、手のひらに少しかかる風で、彼女が手を近づけたことがわかった。


「どこへ行く」

「…その前に、ここはどこなんだ」

「久耶の部屋だ」


いくら目が見えなくても、自分が屋内にいるか屋外にいるかくらいはわかる。

ため息をつきたい気分だった。


「…じゃあ、久耶の部屋を出るとどこへ出るんだ」

「学校がある。」

「…がっこう」

「わからないか」


こくりとうなずく。

夢浮橋は考えるように少し黙った後、短く答えた。


「若い人間がいる場所だ」

「…じゃあそこへ」


冷たい手が包んで、軽く引いた。立ち上がりゆっくりと歩きだす。

長い距離を歩くのは初めてだな、と思った。



***



夢浮橋の先導に慣れて、ようやく歩きながら話す余裕が生まれた。


「夢浮橋、学校には若い人間以外にはなにがある?」


そう、僕は若い人間に会いに行くわけじゃない。

見たことのないものを探すためだ。


「場所によるな。ふつう、探し物といえば図書室だが」


図書室なら久耶の部屋にもあった。もちろん読めるわけじゃないが、久耶はそこにいることが多いので、自然と僕もそこに一緒にいた。

それにしても、と思う。

こんな冷たくて不安定な手をしておいて、この少女は意外と俗っぽい。普通なのだ。

何を知っているのだろう、どこまで知っているのだろう、と思ってはっとした。

彼女は、「僕の探し物」を知ってるのではとようやく思い当たる。少なくとも久耶は知っている雰囲気だった。


「…なあ、君は知らないか?僕の目を見えるようにするために必要なもの」

「…さあ」


その瞬間、つないだ手から何かが伝わる。

あまりの気持ち悪さに手を弾き落としたくなるのをぐっと堪えた。


これは…なんだ


雰囲気とか、空気とか、そういうものじゃない。

これはなんだ。


――これが、あれを手にするのか――

――そんなの、そんなこと――

――渡さない――


「嘘だろう」


夢浮橋の足が、止まった。

繋いだ手が外され、空気が動く。

…なんとなく、顔に圧力を感じる。おそらく視線を受けている。


「…そうか、神隠しにあったんだったな。ある種の神通力でも持っているのか」

「夢浮橋、君は知っている…いや、持っているんだろう。僕の探しているものを。どうして嘘をつく。理由があるのか?」


しばらく、夢浮橋は何も答えなかった。じっと僕の顔あたりを見つめているらしい。

どんな顔をしているのか、また気になった。

そして空気が変わった。ふっと表面だけ柔らかくなるような感覚。

この感じ、前にもあった。これは久耶の――


「『お前が探しているものを手に入れるために、必要なものはなんでしょう』?」

「は?」


夢浮橋が言い出したことはあまりに唐突で、無意識に説明を求める声が漏れたが夢浮橋は構わなかった。


「質問数は10回、一覧を作っての質問はうち1回のみ、の制限あり」

「『はい』か『いいえ』で答えられる質問を使ってこの答えを求めよ」


おそらく今、夢浮橋は笑っている。

今言われたことはこれっぽっちもわからなかったが、ひとつだけ理解できた。

――試されるのって、すごい腹立つ。

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