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みつけた

作者: 伊舟はるひ

 定期試験の最後の二教科を済ませてから普段乗らない路線を乗り継いで、ハナは隣県の港町に辿り着く。初めての駅ではない。正月には毎年、一族郎党で集まる為に両親と兄のヒロシとで幼い頃から訪れている場所だ。けれど今日は一人きり。見上げれば、プラットフォームの屋根の先には先週から急に勢いを増した陽射しが輝き、ハナは去年買ったつばの広い帽子を持ってくればよかったと少し後悔した。

 祖母の待つ家はターミナル駅から路線バスに乗って三十分程行った所から、更に十分ばかり坂を登ったその先にある。改札をくぐって時計を見つけ、約束の時間には間に合いそうだと撫で下ろす。ハナの祖母は時間に厳しい。時間に限らず、決めた事や決められた事をその通りに守る事こそが彼女の思考や行動の背骨なのだと、その長男であるハナの父親に聞かされ、その血はどうやら自分には継がれていないようだと思った。だからこそ一年に一度しか会う機会の無い祖母の家へは、特別の用件が無ければ足を向ける事など今まで殆ど無かったのだ。

 (それなら、自分で直接行って来なさい)

 相談した父親にそう言われても、ハナは一寸躊躇をしてしまった。独り暮らしは寂しかろうと、月に一度は顔を見せに行っているのなら、代わりに父が取ってきてくれるだろうと軽い気持ちで考えていたのに、あの祖母宅へ自分で行くのは中々勇気が要る。

 けれど、一眼レフ・カメラがお金をかけずに手に入る機会などきっと他に無い。そう思って一旦父親に話だけ通して貰ってから腹にグッと力を込めて電話を架け、今日の訪問となったのだ。

 停留所に降り、三叉路になった交差点の一番細い道を進む。そこから伸びる坂は、始めは緩やかな傾斜がカーブを過ぎた辺りから急になる。太陽はとうに天頂に達し、梅雨明けを待ってましたと目指す坂の上には陽炎がぼんやりと揺らめいている。水筒か、せめて途中でペットボトルでも用意すればよかったと思いながらもしばらく歩いて坂を上り切ると、そこにはベンチが何脚か置かれただけで遊具の一つも置いていない公園があった。流石に平日の昼過ぎだと子どもはおろか誰も居らず、長い一本足の先についた時計が音も立てずに時を刻んでいるだけだった。

 (約束の時間迄は未だ三十分もある)

 思ったよりも随分早く着いてしまう。早い分には祖母も眉を潜めこそすれ叱りはしないだろうが、ならばとも思えずに青々と茂る傍の木陰のベンチで息を落ち着ける事にした。

 公園に入って見回すと、一番奥のベンチが妙に目に付いた。あ、逆だ。ベンチが公園の中央に背を向けて置かれている。変なの、と駆け寄ってそれに腰掛けるとすぐに、その向きの理由がわかった。あぁ、海が、港がよく見える。枝葉の間からキラキラ輝く海と、それに突き出した港湾施設、遠くに浮かぶ何隻もの船舶が一望できる。中々いい場所を見つけた。シバタ先輩だったらどんな写真を撮るだろう、自分だったらどんな写真が撮れるだろう。幼馴染の先輩に写真部に誘われてから、まだ写真機も手にしていないのに自分の視界が広がったような、あれ、自分の周りがこんなにも色や光に溢れていたのか、というような腹の奥がうずくような驚きをここのところハナは感じていた。

 よし、行こう。緊張するとは言え、自分の祖母ではないか。きちんとご挨拶をして、粗相の無いようにしていれば、叱られる事も無い筈だ。よし、と息を吐き、通学カバンを肩から提げ直してハナは小走りで祖母の家へ向かった。



 児玉医院

内科 小児科 耳鼻咽喉科 皮膚科

平日 9時—12時 14時—17時

土曜 14時—18時

水曜・日曜・祝日 休診 


 門の脇に掲げられた白地に黒で大きく書かれた看板には蔦が絡まり、所々が風雨に晒され甚く汚れていた。そしてその下には赤い文字で本日休診と書かれたプレートが架かっている。建物全体も大袈裟なものではないにせよ、赤黒いレンガの古い洋館の造りで、小さい頃から幾度と見てきた筈なのに矢張り不気味だと思った。

 ハナは恐る恐るチャイムを鳴らすと、ピンポーン、という電子音がまだセミの声も聞こえない夏の玄関に響いた。

 (いよいよだー。)

 はーい、庭にいますよー、と祖母の張りのある声がしたので鉄門をキイ、と押して玄関脇から裏の庭に回った。

 庭は特段石畳やらオブジェやらが配された訳でもなく、草木が整然と植えられている訳でもないが、手入れが行き届いているという事は人目で分かった。花壇には白やオレンジの花々が揺れ、奥にも年の役割を終えた紫陽花がひっそりと咲いている。

 見渡すと、声の主は麦わら帽子を被って首に真っ白の手ぬぐいを巻いて庭の奥で屈んで何かを摘んでいるようだった。

「あ、あの、おばぁちゃん、ハナです。こんにちは。少し早く着いて仕舞って、ごめんなさい。」

 正月のシャンとした着物のイメージしか無いので野良作業姿に意表を突かれた思いだった。兎に角もペコリ、と頭を下げる。

 「あらハナちゃん。よく来たわ。疲れたでしょう。本当は冷たいお紅茶を用意して待っていようと思ったのだけど、こんな格好でごめんなさいね。」

 「あ、いえ、あの。お、お構いなく。」

 自分の祖母に対して少し他人行儀過ぎただろうかと思った。

 「お茶菓子は何がいいかしら。この間ルブランさんで買ってきたチョコクッキーが美味しいと思うのだけど、それでいいかな。」

 祖母の思わぬ気さくな歓待に目を丸くしていると、祖母はハナの手を引いてさぁ、さぁと中へ招き入れてくれた。

 建物の一階部分は大半が病院施設で、祖父母の住居は二階に配置されていた。ハナの祖父が他界し、病院を畳むことになった際、出入りにもずっと便利だろうからと病院部分をそのまま居住スペースに改築しようという話もあったのだそうだが、祖母が頑なにそれを嫌がったのだと父親がボヤくのを聞いた事がある。だから正月の会も方方から集まる親戚一同は二階の物を脇に避けたり三階へ移したりしてから炬燵や長机を並べて食事をしていた。

 そういう正月仕様でごちゃついた人の溢れた室内しか見たことが無かったので、祖母が独りで暮らすその空間は大層広いものだと感じた。

 「ハナちゃん、今日は来てくれて本当にありがとう。お正月しか会えないから、とっても嬉しいわ。」

 椅子に掛ける、祖母の淹れた香り付きのアイスティがカラン、と音を立てる。

 「あら、制服、高校はセーラー服なのね。中学の頃のは卒業式のお写真を見せて貰ったのだけど、おリボンの色もとっても素敵ね。」

 「あ、ありがとうございます。私もなんだか気に入っているんです。」

 「学校はどう。高校生活は慣れたかしら。あぁ、そうだったわね。写真部に入って。」

 祖母の目元が一瞬細くなったのを感じた。

 「あっ、はい、そうなんです。先輩に誘われて、始めてみたいなぁって思ったんです。あの、本当に頂いて仕舞っていいんですか。」

 「いいのよ、勿論。ハナちゃんに使って貰えたら、ユキもきっと喜ぶと思うの。家にあってもあんな難しいカメラは私は使えないし。」

 「え、ユキね、あ、ユキさんの・・・使ってたものなんですかっ。そんな大切な物を・・・。いけません、使い方もまだよく分からない私なんかに!」

 思わず早口になってしまい、ごく、とアイスティを口に含んだ。祖母はにっこり笑って何を言っているの、と笑って言うと、一寸待っててね、と奥の部屋へ入っていった。

 ハナがユキねぇと慕う児玉ユキはハナの叔母に当たる。彼女は父の十二、三離れた妹で、ハナがこの家を訪れるといつもニコニコと構って遊んでくれ、またアルバイトと称して共働きのハナの両親に代わってハナやヒロシを見に来たりと父方の親戚の中では珍しく接点も多く、幼心に実は姉だったりしたらいいのに、等とすら思ったものだった。

 一番思い出に残っているのはハナが小学校へ上がる前年の夏、両親が例によって忙しくして連れていけないからと街の納涼祭にユキねぇが連れて行ってくれた事。チューリップ柄の紺色の浴衣に袖を通し、兄と一緒にフリフリの兵児帯を締めてもらった。金魚の絵の付いた団扇を背中に差して、立ち並ぶキラキラの露店に目移りしながら大好きなユキねぇの手を引き走りまわった。お面や水風船、金魚に綿菓子とお祭りの定番を兄と楽しみ尽くして、興奮しながら就いた帰路で転んで泣いてしまった。そして慰めながらユキねぇが言った、

 (来年からはもう小学生なのだから、転んだ位で泣いちゃダメよ。)

 屈んでハナと目線を合わせて言ったユキねぇの顔は言葉は、今でもはっきりと覚えている。

 (来年からは、私も今までみたいにハナちゃんやヒロシ君と遊べなくなっちゃうんだから。)

 今思えば、それはユキねぇが翌年に予定していた大学卒業と就職を想定していたのだと思えるが、当時のハナは突然そんな事を言われてまるで、ユキねぇがどこか遠くへ行って二度と会えなくなってしまうのかと思い込み、余計に悲しくなって大泣きしてしまったのだ。けれど、今になってこうも思う。当時泣いた自分は、悲しくも鋭い勘を持っていたのかも知れないな、と。ユキねぇが急に他界したのはその年の暮れだった。



 そんな事を思い出しながら涼しげに透き通るアイスティの色を眺めている内に、祖母がカメラと一緒に何か大きな本を持っていそいそと戻ってきた。

 「ほら、お目当てのカメラ。古いままでお手入れもよくしていないの。使い始める前にその先輩にでもよく聞いてね。」

 祖母から渡された一眼レフをずっしりとした重みと一緒に両手に収める。

 (ユキねぇの・・・、カメラ・・・。)

 黒いストラップを首に掛け、両手で包むように構えてみる。ユキねぇも、こうして同じファインダから・・・何を見つけたんだろうな―。そう思ってハナも片目を閉じて、恐る恐る目を近づける。

 それとね、と祖母が続けるので慌ててファインダから目を離して椅子に掛け直した。

 「それとね、ハナちゃん。よかったらこれも、見ていかないかしら。もしこの後何かあるなら持って行ってもいいのだけれど。」

 そう言って祖母は、カメラと一緒に持ってきた大きな正方形の本を机の上に置き表紙をめくってハナに手渡した。それは、アルバムだった。

 「これって、」

 「そう、ユキがそのカメラで撮った写真を貼ったのよ。折角だから、ね。」

 厚紙のページを捲っていくとそこに並んだ写真は庭の花壇や見上げた木漏れ陽、鋭い目をした猫など、何ていう事のない日常のスナップ写真ばかりだった。ピントが狂ったものや明る過ぎたり暗過ぎたりしたり、被写体がブレて最早何を撮っているのか判然としないものも多い。

 「これって、」

 「ね、面白いでしょう。殆ど綺麗に撮れていないの。けれどね、これみんな」

 ハナは胸の詰まる思いを抑えて被せるように続けた、

 「はい。みんなユキねぇが、居ますね。シャッターを切った人なのに、写っているんですね。」

 「あの子、こういうカメラを覚えよう、って始めてすぐに逝ってしまったから、下手っぴぃな写真しか残って無いのよね。でも、どれも分かるでしょう。あの子が何に心を動かしてシャッターを切ったかは、とてもよく分かるの。」

 (ユキねぇ、ユキねぇ。あの夜の後、ずっとどこかへ行ってしまったユキねぇは、ここにいたんだね。これ位で泣いてちゃいけないかなぁ。もう私、高校生になったのにね。)

 ページをどんどん捲っていくと、ある一枚に見覚えがあるような気がして目を止めた。この写真の景色は、どこかで見たような気がする。海、船、港、そう思った瞬間、ついここに着く前に寄った公園のベンチから眺めたあの景色だと思い至った。

 「やっぱり、そうだよね。」

 泣き笑いで変になった顔で思わず口に出した言葉に祖母がにっこりと笑った。

 「おばぁちゃん、今日はあの、カメラを頂いてありがとうございます。それと、久し振りにユキねぇにも会えたような気がします。本当にありがとうございます。私、何て言うかこれから、こういう写真を撮っていきたいって思います。」

 アイスティがまた、カランといい音を立てた。

 「あと・・・、あの、またカメラを提げておばぁちゃんちに遊びに来ても、いいですか。」

 そう言ってハナは祖母に向かってにっこり笑った。


こんにちは、藤井ハルです。

久し振りに小説を最後まで書き上げました。

本作は実は前に書いた「児玉夫妻の場合」と同じ世界線のつもりです。

あとこれでもう一作書いてみたいと思っています。

感想やご批評等、頂戴出来たらこの上ない喜びです。

どうぞ、よろしくお願い致します。

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