1-7
漣はふと怖くなって優香の肩に顔を埋めた。そんな漣を、さっきから本当にらしくない彼の言動に驚きながらも問いかける。
「どうしたの?」
「…何があっても、お前だけは守ってみせる」
小さく、本当に小さく呟かれた漣の声は辛うじて優香の耳に届いた。しかしその漣の言葉は自分が問いかけしたことへの返事ではなく、優香に関係なく自身に誓いを立てる言葉だということを、優香は瞬時に気づき、やはり心寂しく感じた。
「…漣」
最近少し落ち着きをなくしけれど決して言ってはくれない幼馴染の婚約者の姿に、いつか自分の前から姿を消してしまいそうなそんな不安と少しの恐怖を感じて、昔ながら知っている彼を思い出そうとして今目の前にいる漣に呼びかける。
「漣」
けれど当の本人は呼ばれていることにもまったく気づいておらず、優香の肩に顔を埋めたまま身じろぎ一つしなかった。
「漣っ」
優香はふと怖くなって少し声を荒げて名前を呼ぶ。三度目の呼びかけで漣はようやく顔を上げ、首を傾げた。
「どうした」
「…何回も呼んでたのに」
返事をして自分を見てくれたことへの安堵、けれど拭いきれない不安の中で優香は拗ねた振りをして漣の首に手を回した。
「悪い、気づかなかった」
連はそんな優香を見て、彼女がそう演じたように拗ねたと思い込み優香の頭をそっと撫でた。優香は漣の、自分より大きな温もりに満足して首に回していた手を離して立ち上がった。
その時、優香の部屋をノックする音が聞こえた。
「何?」
優香がその場から部屋越しに声をかけると、優香達を香理のところへ案内した世話役と同じ声が、ドア越しから返事をする。
「犬塚家の者が参りました」
「誰だ」
世話役の言葉に優香よりも漣が先に反応し、言葉を投げて問う。
「大戸様です」
「勇さん!すぐにここに通して」
「分かりました」
ドア越しに人が立ち去った音が聞こえ、程なくしてそれは二つの足音となって優香の部屋に近づいてきた。二つの足音は優香の部屋の前で止まり、ノックをする。
「優香、俺だ」
少し低めの、けれど渋いわけではない男の声が聞こえた。
「今開けるね」
そう言ってドアを開けた先には、時宮家の世話役を後ろに従えた男が立っていた。
男にしては焦げ茶色で後ろ髪より少し前髪を長く伸ばし、同じ焦げ茶色の一重の瞳を持ち、縁無しの長方形の眼鏡を掛けて濃紺一色の浴衣を着ている男。
名は大戸勇。犬塚家の分家にして、小さい頃から漣の世話係で優香のもう一人の幼馴染とも言える。
「漣がここにいると思ってな」
そう言って優香に手を引かれ部屋に入ると、勇の目に、机に乱雑に置かれているノートや教科書が写った。
「…まだ勉強してたか」
机の前で立ち止まり、そう言って優香と漣を見る勇に、優香は顔の前で手を横に振って机に置いたクッキーの皿を持って勇に近づいた。
「ううん、さっき今日の分は終わったとこ。勇さん、クッキー食べない?」
「ああ、お前の作ったのか」
そう言ってクッキーに手を伸ばし食す勇に、漣が声をかけた。
「それで?何でわざわざ勇さんがここに来たんすか?」
そう聞く漣に、勇は少し苦笑いした。
この場合のわざわざという言葉は、漣は嫌味として使っているのではなく、分家とはいえ社家の跡取りがお供もつけずに一人でここに来たことに懸念を抱いての言葉だった。
「そうだ、どうしたの?大学はもう終わったの?」
「ああ、大学は今日はもう終わりだ。まあ、一年はオリエンテーションのみだから少なくともお前達よりは早く終わった」
「そっか。勇さんももう大学生か…楽しい?」
「まだ授業は始まってすらいないんだぞ。答えは期待するな」
「…おい」
何やら違う話題で盛り上がっている二人に、漣は呆れた声で話を元に戻すように促した。その漣の声に、勇も思い直し、ベットの近いほうから漣、優香と座っており、その優香の隣に腰を下ろして腕組みをして
「いや、大したことじゃない。高校生になったお前達を見に来ただけだ」
笑顔でそう言い切った。
「…………」
「…悪かった。冗談はこのくらいにしておくからそう睨むな」
香理から話を聞いたばかりで少し神経質になっている漣はじとっとした目で勇を見つめ、その瞳に耐えられなくなった勇は小さく手を上げて降参した。
新キャラ登場です。実はここだけの話、主人公以外はあんまり定まってません…。ただこれだけは言えます。眼鏡っ子最高!…すいません。