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「あ、漣君は少し残ってね。優香はちゃんと宿題やっておきなさい」
「え゛…漣に教えてもらおうと思ってたのに」
「後で教えてやるから、少しは自分で進めてろ」
「絶対だよ?部屋で待ってるね!」
漣の提案に満面の笑顔で手を振りながら部屋をあとにする優香を、漣は一瞬だけ、本当に一瞬だけ包み込むような優しい微笑みを見せた。
それを香理は、見て見ぬ振りをする為に顔を伏せ、片手をそっと自分の目の前の床についた。
「…失礼致します」
この合図は、内密にしたい話をするときの合図であり、近しい間柄のみに使われる合図でもある。
その合図を受け、漣は香理の前に座り姿勢を正した。
「…私達は、やはりあの子に甘いものね」
少し間を空けて、その沈黙を噛み締めるように香理はしんみりと苦笑いしながら言葉を発した。その言葉を、漣は聞いててなお、それには何も言わず軽く下を向き、俯く動作で返事をした。
そんな漣を、香理は困ったように笑った。
「しかたがないわよね…これが私達の宿命なんだもの」
「…そうですね。もう、そんな時期だということは覚悟していました。優香のことも、あいつの婚約者としてこの先も守り抜く所存であります」
「とても心強い言葉ですが…いくら犬塚との口約束とは言え、重荷を押し付けてしまっているわね」
「とんでもございません。どの道あいつも俺と同じ道を歩む者、時がくればそれなりの覚悟を持てる人間であるということを大巫女様もご存知のはず」
「それでもやはり、わが子は可愛いものです。犬塚の時だって、どれだけ渋り我が家に入り浸っていたものか…」
「…そのようはお話は初耳でございますが、身内の者がご迷惑をかけ申し訳ありません」
「いえ、漣君が知るべき話でも謝る話でもありません。むしろ、漣君にはあの子のことを任せてしまっているのを心苦しいくらいですから」
香理は一旦言葉をそこで切り、深く溜息をついて軽く頭を左右に振った。
「…心中お察しします。近々、あいつに話さなければならなくなる時がくるとは…」
漣も困ったように眉を曲げて香理を労わるようにその言葉を継いだ。漣の言葉に、香理は目の前の出来た少年に優しい笑みを浮かべて大人としての余裕なのか、気遣う言葉をかける。
「本当に、しかたがないことですね。そして、これが今回の本題でもあります」
「なんでしょうか」
「…本当に近々なのです。漣君も、あなたのお父君から話は聞いていると思うので手短に言います。あの子の、護衛を…いえ、あの子を守ってあげてください。あの子はまだ何も知らない。もちろん漣君はそれを知っているはずだし、だからというわけではありませんが、やはりあの子を任せられるのはあなたしかいないという結論に、我が時宮家宮司との話しで至りました」
「もったいなきお言葉です。優香のことは、この命に代えても守り通すと誓いましょう」
「…命を賭けてはなりませんよ。あなたも、犬塚家の跡取りであり【八柱】の一人でもあるのですから。それに…」
「それに?」
そこまで言って言葉を切った香理に、漣はその先を促した。
「あなたは優香の婚約者です。私達も孫の顔を見たいのですよ」
促された香理はこの上なく嬉しそうな笑顔で言い切り、聞いた漣は思わず一瞬居心地悪そうに身じろぎしたが苦笑いして香理に返事をした。
「…そちらについても、善処致しましょう」
香理の偽らざる大巫女としてと母としての二つの本心に、漣は苦笑いする他なかった。
香理との話が一通り終わり、一礼して[紫陽花の間]を後にした漣は優香の部屋までに、少し長めの廊下を歩きながら考えに耽っていた。
「【八柱】、か…そんなものに興味がないというのに」
苦々しげにそう呟いた言葉は、誰にも聞こえることなくこの広い屋敷の中に消えていった。
由緒ある社家には色々を背負うものもあれば、定められた道というものもある。優香と漣はそれぞれの家の本家の跡取りであるが為に逃れられない宿命がある。〈神具〉を使う【八柱】…それがどれほどの意味を持つのか、何も知らない優香も漣もまだ真に分かっていなかった。
今回は話の都合上少し短めに切りました。
しかし、伏線というのは張るのが難しいですね…。
なんだか作者にとってもきな臭くなりそうです。