1-3
襖の上の壁に大きく[紫陽花]の間と書かれた板が立てかけられた部屋の前で世話人は静かに正座をし、少しだけ襖を開けて小さく奥にいる人物へと話しかけた。
「大巫女様。御子様をお連れ致しました」
「ありがとう。もう下がっていいですよ」
中から聞こえてきたのは優香の電話から微かに聞こえた、あのおっとりした口調の女の声だった。優香と漣をここまで連れてきた世話役はきっちりとした動作で二人に一礼し、その場から退いた。
「お母さん」
世話役がいなくなったのを確認した優香は廊下から母親に声をかける。最低限の礼儀として、今入っていいのかということを問うためだ。
「二人とも、お入りなさい」
どこか緊張感に欠ける口調を聞きながら先に優香が入り、その後に漣が続き襖を閉めた。
広々としたフローリングの床、正面には神を祭る小さな祭壇が、その下には何本も飾られた日本刀や傍に備えられている槍などどこか殺伐とした雰囲気を醸しながらも気が締まるような部屋に一人の女が正座をして二人を笑顔で迎えていた。
「さあ、お座りになって」
女の名前は時宮香理。
優香の母親にして、時宮神社の大巫女を務めるこの神社の中でも地位の高い女性。
「…お母さん」
そんな母親を見て、優香は対峙するように座りながらもふて腐れたような声を出した。
「なあに?」
「どうして私たちは正装なのにお母さんだけ違うの?」
優香の言うとおり二人の正装とは違い、香理は艶やかな薄紫の着物を身にまとっていた。そんな娘の文句にも怒りはせず困ったように片手を頬に当てて、ため息をついた。
「いくらお母さんの見目が若いとは言っても、もうあなたたちと同じようなものを堂々と着れるほど中身は若くないのよ」
そんな香理のため息に、優香の隣に座っていた漣がしれっと言葉を発した。
「大巫女様なら、優香よりもとても綺麗に映えるほど着こなしが良いと思いますが」
「あらあら。漣君はお世辞が上手ね」
「漣!どういう意味かな!」
「そのままの意味だ。俺の言葉の意味が分かるほどまでにはお前も成長したか」
「そりゃあ漣のスパルタで…って話が違う!」
「それより大巫女様の話を聞くぞ」
「もう!後で覚えてなさいよ」
コントのような二人のいつもどおりのやり取りを、香理は嬉しそうに見つめていた。そして二人が自分の方に意識を集中させたのを確認してから今日呼び出した用件を話し始める。
「今日二人に来てもらったのは、二人の正装の件です」
「正装?」
「それならば、大巫女様も何度がお目を通していらっしゃるはずですが」
二人の疑問に、香理は軽く頷いた。
「ええ、そうね。私が言いたいのはそれぞれが所持する〈神具〉のことですよ」
香理は二人の傍らに置かれた、一般人にも普通の神社にも必要とすることのなく道具を見た。漣も香理と同じものを横目で見やり、先を促すようにまた香理を見る。
「そろそろ、屋敷外での所持を許可してもよい心構えになってきたように感じました」
すっと目を細め、口に軽い笑みを浮かべた香理に、漣は軽く瞳を揺らした。それを確認した香理は何も気づいていない優香を見て問いかける。
「優香、どう思う?」
「えっと、どうって…お母さんがそう認めてくれたんなら、巫女としても娘としてもすごく嬉しいとは思うよ。ただ…」
「ただ?」
「こんなの使う機会なんて、無いと思うけど」
先を促し言わせた優香の台詞に、香理は自分の娘を強く抱きしめたい衝動に駆られた。使う機会なんて無い…本当に、そうであればいいのに、と優香の言葉が母として香理の頭の中を反芻し大巫女としてその考えを振り払った。
優香の言葉に何も答えず、ただ静かに微笑む香理を見て漣は横目で二人に気づかれないように優香を見た。何も知らずに、その手にある〈神具〉を見つめるその姿。
「話はそれで終わりです。結論として、二人には〈神具〉の屋敷外所持を認めます。なるべく持ち歩くように」
香理がそう締めくくると、優香はまた不満そうに口を尖らせていた。
「優香?」
「…話がこれだけなら、別に正装じゃなくでも良かったんじゃないの?意外と時間かかるのに」
そんな優香の子供じみた、優香も分かっているだろう不満を漣は敢えて一刀両断する。
「馬鹿言うな、例え短時間だろうとこれは正式な言伝だ。大巫女さまが許可されたということはそれだけ大事になるんだ」
「あらあら、もしかして漣君も大げさだと思ってた?」
一刀両断するついでに見え隠れしていた漣の本心に、香理は思わず苦笑いした。そんな漣の言葉に、優香は頬を膨らせることはしたが、それ以上文句を言うことはなかった。
「もう戻っていいですよ」
二人の香理の言葉に、二人は同時に立ち上がり、漣は香理に一礼してすでに背を向けていた優香のあとに続こうとした。
漣と優香の正装疲れた…。とりあえず、次は優香抜きで話が進みます。
さてさて、予定通りに進めばいいが…。