七話
「よし、今日から特訓だな!」
「わぁー……」
「それで、どうしてわたしが呼ばれるのよ」
隣で意気込むセドとは対照的に、僕はいまいち気分を盛り上げられずにいる。セリアさんはセリアさんで機嫌が悪そうだ。
昨日あったことを正直に報告するとセドには大笑いされたものの、その甲斐あって決闘についてはよくわかった。
曰く、決闘での取り決めは絶対順守。
曰く、魔術を主に使う。武器の持ち込みは禁止。
曰く、一応審判を立てられる。ただし一般生徒から。
曰く、上記に違反するような事が起きても自己責任。
まあ、概ね納得できる。最後の一文を除けば。
「これ、最悪死んでも文句言うなってこと?」と聞いた僕に「いやほら、死んだら文句言えないし……」と返したセドの視線は泳ぎまくっていた。
実際は衆目の面前で行われるということで死人が出ることはまずないらしいが、それはそれ、これはこれである。
退学の危機どころか、命の危機が迫っていた。
……とはいえ、僕に全く利点が無いかと言われると、そうでもない。
もし決闘に勝利できれば、学費の支払いという目下の問題も解決することができる。なんでもあの人、伯爵家の長女にして次期伯爵様らしい。そこそこ元気な家だから一人分の学費なら工面できると思う、とはセドの弁だ。
もっとも、負けた場合どうなるかはあんまり考えたくないんだけど。
もう一つの利点としては、今後僕に対して似たような騒動が起こる可能性がぐっと下がること。目立つ場所で騒動があったせいで、学園中の噂になり始めているようなのだ。
決闘を避けたくてなんなら上裸になることまで提案したが、いくら校内とはいえ貴族の前で肌を晒すのは相当な無礼にあたるらしく、最悪死罪と言われては引き下がらざるをえない。
「なんでってそりゃ、魔術教えるのはお嬢が適任じゃない?」
「この人、魔術以前の段階よ。あんたなら魔力取り放題状態なのくらいわかるでしょう?」
「……まあ、薄々察してはいたけど」
「あの、僕は何をすれば……?」
今日はもう授業は終わり、引きずられるような有様で訓練場と呼ばれるスペースに連れて来られた。授業でも使うがそれ以外の時間も生徒に開放されている、言わば運動場のような場所らしい。
「……ちょっと、あんた」
仏頂面のままセドに声をかけるセリアさん。
「俺? 何?」
「試しに、魔力貰ってみなさいよ」
「え、今?」
「どうせ溢れてるんだから問題ないわよ」
「いやまあ、確かにそうだけど……なんで?」
「ちょっと気になることがあるのよ」
「えぇ……ミコト、大丈夫?」
「えっと……よくわかんないけど、どうぞ?」
話に全くついていけないが、何かされるらしい。
釈然としない表情のセドが正面に立ち、こちらに指先を向ける。胸先のあたりの宙で小さな円を描いたと思うと、白く輝く球体が突如出現した。
「そこで止まって」
「え、待ってしんどい」
「堪えなさい」
「そんなあっさり言わないで!?」
セリアさんの制止を受けてか、セドの動きが止まる。それを尻目に彼女は僕の前に浮いている球体を指さして、僕をひたと見つめて問いかけた。
「ヒイラギ君、これ見えてる?」
「え? えっと……うん、見えてるけど……これ、何?」
「あなたから取り出した魔力よ。あなたの魔力、蓋ができていない状態なのよね。当面は問題無さそうだけれど」
「ねえお嬢、まだ留めてないとだめ?」
「もういいわよ」
その一言と共に、白い球体はスッとどこへともなく消えていった。
「じゃあ、これは見えるかしら?」
次に示されたのは、彼女の掌の上の空間。今度は何も見えずに首を横に振る。
「え、ミコト本気?」
ぎょっとした様子でセドが言うのを見て不安になったが、セリアさんは意に介さず続ける。
「なら、こうしたら?」
「あ、うっすら……これも魔力?」
「そうよ、こっちは私の魔力。濃度が濃くなると見えやすくなるはずなんだけど……あんた、おどろくほど見えないのね」
どこか呆れたような表情でそう言いながら、考え込むような素振りを見せる。
「……カルセドニーの管轄かと思っていたのだけれど……私がやった方が早そうね」
「こういう方向でそうなるのは想定外だけど、俺も同意」
「そういうわけだから、もう帰っていいわよ」
「お嬢? もう少し優しくして?」
「お断りね。あんたにはこれで十分だわ」
……ひょっとしてこの二人、仲が悪い?
いや、セリアさんが一方的に嫌っているのだろうか。その割には呼ばれたら素直についてきたし、よくわからない。
セドはそれ以上は諦めたようで、肩を竦めて去っていく。
「普通は魔術を扱うのは魔力を視認できるようになってからなのだけれど、それだと間に合わないでしょうから。先にそのバカみたいな量の魔力を振り回す方法を教えるわ」
「えっと……大丈夫なの?」
「それだけあるなら、使いすぎて倒れることはないもの。問題無いはずよ」
言葉遣いこそいつもと同じだが、目も合わせずに淡々と告げていく。
「……あの、セリアさん。違ってたら申し訳ないんだけど……怒ってます?」
思わずそう聞くと、そこでようやく彼女がこちらを見た。
「……怒ってる? 私が?」
目を丸くして、思ってもみなかったといった様子で聞き返す彼女に、今度はこちらが驚く。
「えっと、勝手にそう思っただけなんだけど……ごめん、違った?」
「いえ、違うというよりも……驚いてしまって。……そう、そういうふうに、見えるのね……」
呆然、と言えるほどの気の抜けた表情で、たどたどしく言葉を返すセリアさん。何かまずいことを言ってしまったのだろうかと焦りかけたが、どうもそういった雰囲気でもなさそうだ。
「ごめんなさい、そういうつもりは無かったのよ。でも少し、気が立ってはいたのかもしれないわ」
まだどこか呆けた様子で、口元だけでゆるく微笑む彼女。儚げにも見えるその表情に、一瞬思考を奪われる。
「さて、気を取り直して、魔術の練習を始めましょうか」
そう仕切り直したセリアさんは、もういつも通りの調子に見える。あまりの変わり身の早さにこちらが目を白黒させているうちに、彼女は授業の段取りを始めた。
「まずは基本的な理論と手順から――」
あ、これ思ったよりしっかり勉強させられるやつだ。
決闘当日。
特訓の甲斐あってなんとか魔術を最低限使えるようにこそなったものの、自力でできるのは水を出すこと、それを凍らせること、おまけで風を吹かせることの三つくらいだ。
水の魔術は自由度が高く変形させたりできるのが強みらしいが、どうも魔力の感覚がうまく掴めず、そこまではとてもできなかった。
……というより、魔力を留めておくことさえまともにできなかった。
授業でセリアさんに面倒を見てもらった時のように、両手でしっかりと構えていればできているらしいが、それ以上動かすこともできない。
あまりの不器用さに絶句されるほどだった。もしかしなくても、魔術は向いていないのかもしれない。
場所は噴水広場、対面には例の赤毛の女性……名前はルネットさんというらしい。学年は二つほど上だそうだが、歳は知らない。
加えて、周りには大量の観衆。中心人物である以上仕方がないとはいえ、注視されているという状況だけでも緊張やら何やらで喉元から何かせりあがってくるような気さえする。
こんな状況できちんと体が動くだろうか。単なる魔術の競い合いでなく決闘という形式のため、攻勢に出るにしても防御するにしても足が動かなければ話にならない。
……特訓の様子は、あまり思い出したくない。よりによって相手をしてくれるセドもセリアさんも、火の魔術を扱うのが得意らしい。水で優位をとれるとはいえ、本能のレベルで火は恐ろしいものだ。ルネットさんも火の魔術を得意としているらしいので、ちょうどよかったと言えばそうなのだろうけど。
「両者とも、準備はいーい?」
「ええ、構いませんわよ」
審判を務めるルチアさんからの問いかけに余裕綽々といった風に答えたルネットさんとは対照的に、僕は黙って頷くだけ。
この期に及んで逃げられるはずもない、たとえ心の準備がまだであっても。
「それじゃあ改めて、この決闘の審判を務めるルチアです。二人は指示があった場合速やかに従うこと! あとは、大丈夫だとは思うけど武器の持ち込みは禁止だよ。勝敗の決定は意識の喪失、降参の宣言、もしくは審判である私が続行不能と判断したときの主に三つです」
僕が目指すのは降参の宣言による勝利。他の二つは……能力的に不可能だろう。
「それじゃあ、ミコト君から勝利時の条件提示をどーぞ!」
「……僕が勝利した場合、学費の提供を。不履行時の罰則は精霊に委ねます」
この「精霊に委ねる」というのは、実際に精霊にどうこうしてもらうという意味ではない。「特に決めないけど、あなたの良心を信じます」ということになるそうだ。昨日のうちに決闘の詳しいことに関しては教えて貰っている。
「わたくしが勝利した場合、ヒイラギさんは今後ヒュアトス・セフィル様への過度な接触を禁止いたしますわ。罰則は学園からの退学、と言いたいところですが、伺ったところよると孤児であるとのことですので、我が家で下働きとして雇用させていただきます」
わざわざ人の身分に触れたことに少しむっとする。実際、学園から追い出されれば行き場所がないのは事実だけど……そもそも僕の立場って、今どうなってるんだろう。入学してから一週間ほど経ったが、初日以降学園長からの接触は特にない。
「それじゃあ、両者ともに異存が無ければ左手を胸に――うん、では……始め!」
ルチアさんのその宣言と共に、小さな火の玉が飛んでくる。虚を突かれて一瞬固まってしまったが、なんとか避けることに成功した。足がやや縺れたのはご愛敬だろう。
追撃が来ないことを確認してから、思わず抗議の声をあげる。
「今の、開始前から詠唱してなかった!?」
「その程度、避けて頂かなくては張り合いがありませんわ!」
「僕そういうの求めてないです!」
開いている距離の都合上、自然とやりとりは声を張ることになる。
「仮にも上級生、昨日今日魔術を習ったばかりの方に負けてはいられませんのよ!」
「思いっきりあなたの都合じゃないですか!」
はっきりと通る声で詠唱を始める彼女。僕は合間を縫って打てるほど魔術の扱いに慣れていないせいで、ただ見送るしかない。
先ほどと同じような小さな火の玉が、いくつもこちらへ向かってきた。速度は大したものではなく軌道も一直線だが、数が多くて何もさせてもらえない。
そうこうしている間にも、彼女は次の詠唱を始める。
本来は詠唱を聞けばどういった術が来るのか、余程独特でなければ見当がつくものらしい。が、ここからだと距離があるせいで内容は聞き取れない上、どうせ聞こえたところで対処の術などない。
火の玉の射出は途切れない。何かおかしいと思って次の火の玉を避けつつ視線だけでちらりと振り返れば、いくつもの火の玉が全て空中に留まっているのが見えた。
かと思うと、進行方向に猛烈な熱気を感じる。慌てて急停止すると、目の前にゴゥと思い音を立てて炎の柱が吹き上がった。熱さと眩しさに思わず目を覆うが、幸いそれ以上の追撃は無かったようだ。火球も止まっている。
……冗談じゃない、こんなの、もし突っ込んでいたら全身大火傷は免れない。
額に伝う汗は、未だ消えていない火球の熱気によるものか、それとも冷や汗か。
火球はよく見れば既に広場の大半のスペースを埋め尽くしていた。なんの対策も無しに不用意に動き回ることはできないだろう。かといってこのままでは
「どうしたのです? そろそろ反撃の一つくらいなさっては如何かしら!」
勝ち誇ったような顔でそう言い放ち動きを止めたルネットさんに、無言のまま陣を描いて返答とする。