五話
「はぁーい、今日からは復習を徹底的にやりますよぅ!」
一夜明け、授業が始まる。席を知り合いに囲まれているからだろう、今までよりも肩の力を抜いて授業に集中できる気がする。
相変わらず他の生徒からの好奇の視線は感じるが、初日に感じた浮ついた感じよりは、観察されているような若干居心地の悪いものに変わりつつある。……何もないといいんだけど。
授業自体は特に問題なく進んだ。計算問題の小テストがあったりもしたが、内容自体はそう難しいものではなく、あとは簡単な文法問題や読み書きといったものだった。……読み書きはともかく、文法には少し手間取ったけど。
けれどそれ以上に、地理や歴史の分野になると全くわからない。近いうちに時間を見て勉強した方がいいかもしれない。
授業が終わり、今日も例のメンバーで食事をするのかと思い廊下でなんとはなしに待っていた……のだが、その目の前をルチルさんが一目散に駆けて行ってしまった。
……一瞬目があった気はしたし、気付かれなかったってことはないと思うんだけど。
昨日の間に多少は打ち解けたと思っていたのだけれど、何か嫌われるようなことをしてしまっただろうか。穏やかな言動といい、濃いはちみつ色の虹彩といい、なんとなく話していると落ち着く雰囲気があったこともあって、もしそうならそこそこショックだ。
ヒューも用事があるということで結局一人になってしまい、どうしたものかと思っている間に、隣の教室からルチアさんが出て来るのが見えた。
「ミーコート君! あっそびーましょ!」
「……えっと、お昼のお誘いってことでいい?」
こちらを見つけるや否や、駆けて来つつ幼い子供のような勢いで声をかけてくるルチアさん。
こうして見るとルチルさんに対して彼女の目は……金色と言うべきなのだろうか。実際は薄い茶なのだとは思うのだけど、時折何かを反射したようにきらりと煌いて見える時があるのだ。
「ぶっぶー! まだちょっと早いし、あたしたち人数多いでしょ? いつもちょっとだけ時間外して行くの。……まぁ、今日は全員集まれるかはわかんないけど」
なるほど、実際昨日の中庭でも、六人もの人数がかけられそうな席はほとんど無かった。人の多い時間帯に行っても、空いていることは多くはなさそうだ。
「だからよさげな時間まで、校内の案内でもしてあげようかなーって! 昨日は話だけだったし、実際に行ってみたいよね?」
「それは……助かるかも。ありがとう」
「だったら私、先生に話して特別教室の鍵とか貰ってきましょうか?」
おもむろに、少し離れたところに立っていたセリアさんが合流してきた。よそよそしかったので他の人を待っているのかと思っていたのだけど……ひょっとして、様子を伺っていたのだろうか。
「それは今セドがやってきてくれてるはず! それに、陣使うようなところはどうせ行けないし……そんなにいくつも行かないよ。図書館とか講堂とか、特別教室棟とか……それくらい? あと購買とか?」
「……だと、鍵借りて来る必要あんまりないんじゃない?」
大体常時開いているか、鍵を借りて来ることもできそうにない場所みたいだし。
「あ」
そんな「今気づいた」みたいな。セドも気付かなかったんだろうか。
「お、いたいた。借りてきたぞー」
歩くだけでじゃらじゃらと音がするほど大量の鍵は、とりあえず大部分を職員室に戻すこととなった。よく借りてこられたものだと感心する。
ちなみに、授業は午前中で終わりである。午後の授業があるのは選択授業のある高学年だけらしい。
……ところで、陣ってなんだろう。
巨大な図書館、始業式で使った講堂、様々な行事の中心になる広場に、主に選択授業で使われる特別教室棟、その裏手の倉庫群。果ては何故か敷地内にある森をちらりと覗いて、最後に昨日もお世話になった中庭へと辿り着いた。
この学園、なんと王立らしい。
いや、そう言われてもあまりパッとしないのだけど、ともかく国王陛下が自身で設立された学園だということだ。そのせいか、薄々察してはいたが各種設備が充実している。
寮内に設置された照明や水道も、魔術を応用した当時の最新のもので、未だに貴族でもここまでふんだんに設置できる階級の人は多くないほどの高級品らしい。水道の方は最近市井にも普及してきてはいるらしいが、地方はもちろん、王都内でもはずれの方に行けばまだまだ井戸を使うのが主流だと聞いた。
そもそも魔術という技術自体、まだ歴史が浅く習得するのも一般的ではないらしい。そういう意味でも、この学園は非常に稀だという。
その影響は図書館の蔵書の数にも表れていた。見上げるほどの書架がずらりと並ぶ様は、壮観というよりいっそ恐ろしいほどに感じたのは、誰にも言えない。
ちなみに森が何故あるかに関しては「突貫工事だったみたいで、整地しきってないんだって。調査も不十分なところがあるから、絶対に無断で入らないように!」とのことだ。
よくそんなものがあるところに貴族の子供なんて通わせたものである。まあ、国王が建てたっていうなら「上司の顔を潰すわけにいかない」、みたいな感じで、仕方ない部分もあるのかもしれないけど。
セドが使い走りよろしく鍵を戻しに行く間、席をとり注文を済ませておくことになった。流石にお腹がすいたし、歩き通しだったこともあり自然と足が逸る。
「どう? 大体わかったかな?」
「うん、多分大丈夫だと思う。ほんとにありがとう……ヒューたち、待たせてないかな?」
結局あれやこれやと回ってしまい、お昼を大幅に過ぎて最早おやつの時間と言った方がいいほどの時間になってしまった。
ヒューは昼食の時に合流する手筈になっていたらしいので、ルチルさんもそうなのかと思ってそう聞いたんだけど……。
「たち?」
小首を傾げてこちらを見るルチアさんに、僕も首を傾げ返した。
「……あれ、ルチルさんも一緒なんじゃないの?」
「え、あー……」
……どうも様子がおかしい。
「えっと……ルチルさん、どうかしたの?」
「ど、どうもしないわよ? 疲れたし、早く入りましょう?」
あからさまに慌てるセリアさんに、ますます疑問が募る。
「いやあの、来ないなら来ないでどうしたのかなって――」
「まぁ、ルチアちゃん。こんな時間に来るなんて珍しい」
「お会いできて嬉しいですわ」
テラスに上がるためのステップを上がりながら追及しようとしたところで、先頭を行くルチアさんにすれ違いざまに声をかけられ足を止める。
向こうも三人組のようだが、友好的な言葉とは裏腹にその声音には聞き馴染んだ嫌な響きがあった。
「今日はご一緒ではないのね。殊勝な心掛けだと思うわよ」
すぅ、と目を細めるようにしてこちらを流し見る鮮やかな緑の髪の女性。背はあまり変わらないはずなのに、見降ろされているかのような錯覚を覚えるほど、その視線は冷たい。
「たまたま用事があるって別行動してるだけですよ。もうすぐこっちに来るはずです」
返すルチアさんはにこやかな表情こそいつも通りだが、その声音には色がない。
「まあ、心を入れ替えたのだと思ったら……いつまで付き纏っていらっしゃるの? はしたないわよ?」
「普段からそのような薄汚い出自で、よくそうも堂々としていられるものだと感心するほどなのに……いえ、だからこそなのかしら?」
嘲るような口元を隠しもせず、なんの躊躇いもなく口々に投げつけられた言葉に唖然とする。
その間に、一人の視線が明確に僕を睨めつけた。無遠慮な視線でじろりと上から下まで見て、これでもかと眉を顰める。
「――それに、そのようなけがらわしい色の方まで引き連れて……」
一瞬、何を言われているのかわからなかった。
「仮にも貴族の末席に名を連ねるのでしたら、もう少し身の程を弁えられてはいかがかしら?」
「……」
何も言い返さない僕らに優越感でも覚えたのだろうか。最後に口元を上げて勝ち誇ったような笑みを浮かべて、踵を返そうとする。
「では、わたくしたちはこれで――」
「あら、あなた方、私を無視するおつもり?」
去ろうとした女生徒に対し、不意に静かだったセリアさんがそう言って一歩前へ出た。
凛とした口ぶりと気負いなく胸を張った姿に、何故かこちらまで気圧されたような気持になる。
「……まあ、バルシア様。いらっしゃったんですの? すみません、決してそのようなつもりでは――」
ゆったりと優雅に微笑んで見せる女性も、よく見れば頬が引きつるように緊張していた。
「そう? 私、たった二人の影に隠れてしまうほど存在感が薄いつもりはなかったのだけれど」
「……失礼いたしましたわ」
「いいえ、そんなことはいいのよ」
対するセリアさんはそんなことは意にも介さない。優雅に、けれど迫力は緩めぬまま女生徒たちにゆっくりと詰め寄る。
「それよりあなたたち、私が連れている者に文句をつけるなんていいご身分ね」
「ちょっとセリア、いいから――」
「黙りなさいルチア。あなたがよくても私はよくないわ」
制止しようとしたルチアさんをぴしゃりと遮る。
「……決して、そのようなつもりは……」
「あら、だったらどういうおつもりだったのかしら? お聞かせくださる?」
「それは、その……」
それぞれに曖昧な笑みを浮かべながら口ごもる彼女らに、なおも畳みかけるように言葉を重ねる。
「不確定な噂に踊らされて、おまけに陛下と同じ色を持つ方に対してよりによってけがらわしいだなんて……あなた、マレー伯爵家の方だったわよね? そちらのお二人はペティ家とシルデア家の方で合っているかしら」
「お、覚えていただけているなんて、光栄です」
「私を誰だと思っていて? 当たり前じゃない、だからこそ、残念だわ」
これみよがしに頬に手を当て、ため息まで吐いて見せるセリアさん。悠然とした彼女に対して、相対する女性らの表情は焦りが色濃くなってゆく。
「お、お待ちください! ですから、そのようなつもりは!」
「つもりがなかったで許されるとでも思っていて?」
「ちが――」
「あら、今度は私に文句をつけるつもり?」
いっそバカにしているようにも見えるその様に、相手方の女性がついに声を荒げた。
「が、学園では貴族間の事情は持ち出さない決まりのはずでしょう!?」
その一言を皮切りに、セリアさんの雰囲気が激変した。
「あら、先に持ち出してきたのはそちらじゃない。貴族の末席に名を連ねるならどうとか、おかしいったらないわ」
彼女の真っ白なはずの制服が、滲むように赤く染まり始める。
それを見た女生徒の顔は、対照的にみるみる青くなっていく。
「ヒイラギ、下がれ」
徐に、肩を後ろに引かれた。
「え? あ、ヒュー、来てたの?」
「今来たところだ、それより下がれ」
「中てらちゃったら危ないよ」
「あてられる……?」
ルチアさんまでそう言うので、意味はわからなかったものの大人しく距離をとる。
「あなた、本当に頭が悪いのね。どうせ魔術でも家柄でも敵わないんだから、途中で大人しく引き下がっていればよかったのよ」
「そもそもあなたに関係ないじゃない! 黙っていてくれればそれで済んだの!」
半狂乱状態で叫ぶ女性に対して、セリアさんの周りはどんどん赤く染まっていく。
制服だけではない、真っ白な髪も、真っ青な目も、周りの景色ごと赤く染まっていく。
「関係ない? ふざけないで、友人にあれだけのことを言われて黙っていられるほど、私は寛容でも鈍感でもないわ!」
「だからって、魔術の行使は――」
「うるさい!」
セリアさんは上から叩き伏せるような勢いでそう遮りながら、手元で宙に何かを描くような動きをした。指先の軌跡が光って宙に留まり、一瞬赤く光ると弾けるように消えて……
「うわーちょっと何事!? お嬢何やってんの!?」
ひょっこりと戻ってきたセドによって、張り詰めた空気が霧散した。