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あの日々の向こう  作者: 緋月 琥珀
第三章
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十七話

前回のあとがきで「もうちょっとだけ続くんじゃよ」みたいなこと言いましたが、続きませんでした。

次章に色々と持ち越します。


 書類諸々の処理をおおよそ終えた頃。

 セドの体調も順調に回復し、今はリハビリがてらヒューと徒手で組手の最中だ。

 ……そう、これは組手である。

 決して喧嘩ではない。

 そのはずだ。


「だからっ、傷口狙うなっつの!」

「弱点を狙うのは当たり前だ」


 抉らんばかりの勢いで長い脚が跳ねあがる。脇腹めがけたそれを、身をかがめつつ肘で弾き一歩前へ。


「今はただの訓練だろうが!」


 前に出た勢いを乗せたまま逆の手で、体勢を崩した相手の顎目掛けて打ち上げようとする。


「どうせしばらく痛む。慣れろ」


 が、相手は無理に体勢を立て直すのではなく、そのままバックスプリングのような曲芸じみた動きで距離をとった。空振った掌はすぐに引き戻され、追撃のためか再び体の脇に。


「どっかの誰かさんの斬り方が汚かったから、なっ!」

「っ、痕だけで済むことに、感謝してくれてもいいんだが」


 起き上がり際を狙って再び顔面目掛けて、今度はセドが蹴りを入れる。のけぞるように躱し、鼻先を掠めていった靴が髪を揺らすと同時に今度はヒューが前へ。蹴りの反動で前へ出ていた腕を取ろうとしたが、セドも何度も同じ手は食わない。咄嗟に捻るようにしてすり抜けさせ、逆に相手の腕を掴もうとしたが、既に再び距離をとられた後だった。


「二人ともー、そこまで!」


 仕切り直し、と再び始まる前に声をかけてやめさせる。

 場所は王宮奥の中庭、以前兄さんが水の龍を出したあの場所である。最初は芝生の上で足が滑るのではないかと思ったが、その程度が問題になるような技量ではないとのこと。


「訓練に私怨を混ぜるなよ」

「そっちこそ、顔ばかり狙わなければもっと巧く動けるだろう」

「一発殴れれば満足するって言ってるだろ」

「断る」


 中断しこちらに向かいつつも、二人の口論は止まない。お互いにほとんど息も乱していないのは流石と言うべきだろうか。

 一見セドが一方的に食ってかかっているようにも見えるが、ヒューの方も中々思うところがあるようで、なかなかうまくいかない。

 そうでなくとも、僕の新たな頭痛の種の一つでもある。


「お疲れ様です、殿下。いかがなさいましたか」

「そろそろお昼だから止め……呼んで来いって、兄さんが」

「左様でしたか。では、身支度を整え次第向かいます」


 流石に膝をつきはしないものの、姿勢をピシリと正し畏まった言葉遣いを崩さないヒュー。 


「ああ、うん……あの、何度も言うようだけど、その態度は……」

「ご身分を隠されてる間は止むを得ませんが、かの陛下の弟君に礼を失することなどできません」

「……その僕がやめて欲しいって言ってるんだけど」

「自身の信念に反しますので、ご寛恕ください」


 この通りである。ご寛恕って、知ってこそいたが実際に聞くのは初めてだ。請われる立場になるなんて。

 一礼して去っていくヒューの後ろ姿に、そっとため息をつく。

 これがまた、嫌々であるとか、ただの義務感からであればまだよかったのかもしれない。いや、よくはないが、まだ対処の仕様があったように思う。

 つまるところ、そうではないのがこの問題の厄介な部分である。


「ミコトー、今日のお昼何?」

「今日は親子丼だって、兄さんお手製」

「オヤコドン……? また陛下の創作料理か。あの人もよくあれだけの人数分作る時間あるな」

「義姉さんは怒ってたよ」

「……少し遅れて行くか」

「賢明」


 まあもっとも、問題はそれ一つではないのだけれど。




「そんでまあ、セグリス家とクローム家の縁組の話なんだけど」


 昼食の席、不機嫌そうな学園長の隣で兄さんが切り出す。セドが噎せるのを尻目に僕は親子丼を掻きこんでいた。細部の味に違和感はあるが、ほぼ親子丼だ。和食の類はたまに懐かしんで作るらしい。

 切り出した兄さんはと言えば、なんでもないような顔をしているが、直前にキツい拳骨を受けたことを僕らは知っている。学園長も今は本来の成人女性の姿、上品そうな貴婦人が丼物を僕と同じように掻きこんでいるいる光景は、なんというか非常にシュールだ。

 ここ数日のごたごたの関係で、セドも学園長の正体を知ることとなった。


「両者とも問題なく、このまま素直に決まりそうだ」

「そう、ですか」


 ぎこちなく返事をするセドの表情は硬い。


「よかったなカルセドニー君、可愛い奥さん貰えて」

「はあ……」


 曖昧な返事を返す彼の顔には困惑こそあれ、そこには当初僕が想定していた焦りや羞恥、あるいは不満の色さえ無い。


「ルチル嬢では不満か?」

「い、いえ! 決してそういうわけではなくて」

「ではどうした、負い目でも感じているのか?」


 機嫌こそ悪そうではあるが、それを無関係の人にぶつけないのがこの人のいいところだろう。口調こそ厳しく聞こえやすいが、声音自体は柔らかい。義姉でもあるその女性は、存外セドに対して優しかった。


「その……ここから先の人生を考えたことが無かったので、未だにうまく呑み込めないといいますか。よく考えれば十八にもなって、縁談が一つも無かったというのもおかしな話で……これもあの方たちの計らいの一つだったのでしょうね」


 途方に暮れたような苦笑いと共に溢された言葉に、自然と僕の表情は曇る。

 あっさりと承諾された時には拍子抜けしたような気分になったが、貴族子息である彼らからすれば、家同士の都合による婚姻自体は決して珍しくもない。それも、たとえ形の上だけであっても、王族直々の命令とくれば、よほどの理由が無ければ断るという選択肢はありえない。

 そうでなくとも、今の彼には何かを断るだけの熱は無かった。とりあえず生かされたので生きてみる、といった程度。早い話が燃え尽き症候群だ。


 彼のやったことを公にするわけにもいかないので、現状は城の奥に軟禁状態。僕の時よりはその存在を知る人は多いものの、特にやることもなくただただ惰性でリハビリがてら体を動かし、勉強をしている有様。

 そういった意味では、ヒューとの組手は刺激になってくれているとは思う。見ている方はいつ怪我するかとハラハラするが、とりあえず今のところはお互いに無事だし。

 セドとしては為す術もなく斬られたことが気に食わない、ヒューとしては犯罪者のくせに王族の傍に平然と置かれているのが気に食わないらしい。

 顔を突き合せると互いに無視するか喧嘩するかのどちらかの有様。両方の原因でもある僕としては申し訳ない気持ちもあるが、そればかりを気にしてもいられない。


 セドとは対照的に、僕は急に忙しくなった。正式に王族ともなれば必要な知識や教養はこれまでと段違いだ。とはいえ急に教え役が用意できるわけもないので、相変わらず学園長に教えて貰っている状態ではある。

 それでも変わったことは、細かく上げればキリがない。午後も勉強をするようになったこと、日中過ごす部屋が今までの客室より更に奥まった場所になったこと、寝室は更に奥だ。衣服はやはり前回を機に仕立てられたものだし、新たな私室には使用人……小間使いとでもいうのだろうか、そういった役割の人が常駐するようになった。女性でなくなった分多少気は楽だが、正直非常に落ち着かない。慣れるしかないのだろう。今のところは学園長に一日中勉強を教わっているので、二人きりでないと思えばまだマシだ。

 継承権に関してはまだ保留されるが、王族としての職務と無関係とはいかないらしい。現状は学生ということで他国へ赴くような長期の仕事は無いにしても、まず国内だけでも混乱することは想像に難くない。

 先のことを考えると気が重くて仕方ない。


 これらだけでもお腹いっぱい、というのが正直なところだが、問題はまだまだある。


「で、ミコトの方のもほぼ確定だな」


 兄さんが続けるように切り出したその一言に、呻きたくなった。


「……ほんとに? あのお兄さんが素直に承諾するとは思えないんだけど」 

「感情面はさておき、元王族としても現状それが最適っていうのはわかってるからな。恨み言は言われたしミコトも言われるだろうけど」


 嫌だよ、僕だって好きでそうするわけじゃないってのにさ。


「あの方からすればかなりの譲歩だと思いますよ。本当に可愛がっていらっしゃいますから」


 苦笑いでそう付け足したのは、以前も何度か見かけた近衛騎士のお姉さんである。名前はクロエさん。なんと彼女も昼食を囲むメンバーの一人だ。


「いい加減妹離れするべきかと思いますし、丁度良かったのでは? もっとも、彼女と殿下が釣り合うかどうかというのは少々疑問が残りますが」

「それを言うなら、ヒューもそろそろ陛下離れするべきね」


 別の方向から更に追撃をかけたのはヒュー、長く丁寧に喋っている様は何度見ても違和感がひどい。そしてクロエさんはもっと言ってやって欲しい。彼のあれはある種狂信的だ。

 この二人、近衛騎士ではあるが王族の護衛だからここに居るわけではない。いや、勿論それも理由の一つではあるのだが、たとえ職務中でなくとも陛下達と食卓を囲んでいる。つまりプライベートな関係である、おまけに王宮に住んでいる。

 話を聞いて驚いたが、ヒューとクロエさんは兄さんが国王になる前からずっと行動を共にしているらしい。当時ヒューがまだ八、九歳だったことを考えれば、兄さんが拾ったとでも言うべきだろうか。事情があったとはいえ、右も左もわからなかったような状況でよく子供を二人も拾うなんて無謀な事をしたものだ。

 極め付けはこの二人の関係だった。なんと姉弟である。

 確かに言われてみれば涼やかな目元は似ているものの、全く印象の異なる二人。まじまじと見比べてクロエさんに笑われてしまったのは記憶に新しい。


「まあそういうわけだから、ミコトもそろそろ覚悟決めような。気持ちはわからんではないが」

「……わかってるよ」


 兄さんのいい聞かせるような言葉で、現実に引き戻される。

 ふてくされたような返事になってしまうのも許して欲しいところだ。勢いよく啖呵を切ったはいいものの、その実態全てを理解していたわけではない。これもある意味想定外の出来事だった。


「セリア嬢は素直に応じたってのにうちの子と来たら……」


 やれやれと言わんばかりに嘆息する兄さん。まるで他人事である。

 もう一度言うが、王族からの命令である。公爵家であれば、とも思うが、バルシア家は革命の際に見逃されている負い目がある。少なくとも当代のうちは王家に大きく出るのは難しいだろう。

 権力ってこわい。

 いや違う、現実逃避はいい加減にしよう。兄さんの言う通り覚悟を決めなければならない。

 大丈夫、ちょっと思ったより早かっただけだ、いずれそうなるだろうな、というのは薄々思ってはいた。数年早まっただけ、大丈夫、多分。

 セドも言っていた。貴族にとっては十八になっても縁談が一つも無いことの方がおかしいのだと。


「……とりあえず書類上だし……」

「余程の事が無ければ変わらないけどね!」


 そう、婚約なんて余程のことがない限り履行される。

 つまり僕の将来の伴侶は、セリアさんで実質決まりである。

 色々と理由は言われたが、とにかくそれが一番丸いよね、ということになった。

 なったのだ。

 うん。

 当事者の内心は全く丸くない、というのだけは確実である。




 覚えることの多さに加えて、セドの心境、ヒューの態度、二人の不仲、更にセリアさんとの婚約。

 ここ数日で課された物の多さだけで正直潰されそうである。そうでなくても学園での勉強もあるし、忙しくて忘れがちだが姉さんもいまだ目を覚まさない。

 が、これだけにとどまらなかったのだ。

 留めて欲しかった。切実に。


「あ、そうだミコト」

「……なんですか、兄上」

「森行こうぜ!」

「……いつ」

「数日後!」

「……どこの?」

「学園の!」


 何故、僕が学園でなくここにいるのかを思い出してほしい。


「……正気?」


 斯くして、魔性溢るる未知の森へと僕らは行く破目になるのであった。

というわけで今章エピローグでした。

ここまで読んでいただきありがとうございます。

次章ですが、少し予定が立て込んでおりますので次章更新は数か月後、早くても年内は少し厳しそうです。

別の執筆予定があること、序章の書き直しを優先したいこと、また次章をきちんと書くためのプロット作成などが理由になります。別の活動の方は大したことではないのですが、公表できるようになったら活動報告の方に記載させていただくと思います。

活動報告を更新しておりますのでそちらも御覧ください。

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