十五話
先日と同じ部屋に、静かに入り込む。渦中の人は、寝台の上で上半身を起こした状態でこちらを静かに見つめていた。
相変わらず髪は金色のまま。目からも色が抜けているのだろうか、目を合わせても、なんだか別人のようだ。
「気分はどうだ?」
座る場所もないので、ベッドの脇に並ぶようにして立つ。
といっても、表向き平民でしかない僕が国王陛下と並ぶ、というのは流石にできないので、そこそこの距離を離してだが。
「……良くはないよ。腹は痛いし魔力は無いし、おまけにこの足枷じゃあな」
「ま、因果応報ってやつだ」
かけ布の中でじゃらりと重たい音がする。よくよく見ればベッドの精緻な柄の施された脚に、似つかわしくない無骨な鉄の輪が通されていた。
逃げ出さないため……なのだろう。
魔力があるならまだしも、生身の、それも死にかけたばかりの人間相手であれば十分だ。
「……どうしてミコトが?」
「一応、被害者として顛末を見届ける権利はあるからな。本人も希望して同席してる」
黙って頷くに留めた僕を、青年は複雑な表情で一瞥して、らしくない不器用な笑みを浮かべた。
「そっか」
小さく納得した彼が何を思ったのか、僕に知る術はない。
すぐにでも余計なことを言いそうになるのを留め、まずは彼の考えをきちんと把握しなければならない。
「それで、やっぱり極刑なんだろ?」
「よくわかってるな、その通りだ」
矛先を変え、あまりにもあっさりと為される会話。
無言の苦笑で返すカルセドニーと呼ばれた青年の顔にはもう、妄執と呼ぶだろう昏さはない。
達成感とでも言うべきものが、空虚に満ちていた。
「今更だけど、俺、一応国王なんだが。その態度はどうよ?」
「どうせすぐに死ぬ人間なんだ、これくらい大目に見てくれよ」
ルチルさんの言う通り、彼のお人好しな態度が作られたものであるならば。
今も顔に張り付いている人好きのする表情は、擦り切れてしまったのかと思わせるほどに力ない。
「ま、それくらいは構わんが……何か言い残すことは?」
「ひとつだけ、頼みがある」
彼はそう前置いて、ほんの少しだけ色を取り戻した目で兄さんを見据えた。
「俺はカルセドニーじゃない、孤児のアガトだ。セグリス家の人間は俺がやったことに関与していないし、俺に利用されていただけ。だから……彼らは無罪とはいかずとも、酌量してはいただけませんか」
最後の懇願とも呼べるそれを聞き、何かを噛み締めるように瞑目する陛下。
目を開けた時には、僕には馴染みのない、国王としての彼がそこにいる。
「それはできない」
「……どうして」
透徹とした表情で、真っすぐに見返して放たれた言葉には、取り付く島もない。
それを聞いた青年は、半ばうなるようにして理由を問うた。
「子爵夫妻は、君の正体を知っている。カルセドニーという八歳の少年に関しては死亡届がきちんと出ているし、君もセグリス家に正式に迎えられた養子として届け出がとうに済んでいる……名前は、アガトのままとはいかなかったようだが」
「……は……え?」
何を言っているのかわからない、と。彼の表情が何よりも雄弁に語っている。
僕も些かばかり驚いている。
この青年は、名実ともにカルセドニーとなっていたのだ。少なくとも名は、十年前から。
「他の貴族ならいざ知らず、あれだけ愛情深かった人達だ。人の親を甘く見すぎたな。彼らは送りつけられた体を見た時点で、既に自分の息子がこの世にいないことを知っていた。……家格を落としたのはそのせいだ」
当人の元々良くはなかった顔色が更に悪くなる。倒れないのが不思議なほどだ。微かに震える手も、それに握りしめたかけ布と同化したかのように白い
「事件後、ショックでしばらく誰にも会えず記憶にも欠落ができた、という形で処理されている。勉強も一から、齟齬があってはいけないと屋敷の人員もほとんど一新した。十も近くなってから上流貴族を装うのは難しいだろうというのもあった」
国王の面をつけてもなお、隠しきれぬ苦みが滲む。兄さんとしても不服のある処分だったのだろう。
けれど、そうするしかなかった。
「君たちのすり替わりを目こぼしし、家格を落とし縁を切ること。それがあの二人から強請られた「報奨」だった。しかもそれで終わりじゃない」
青年の目に、今は感情が浮かんでいる。けれどそれは決して明るいものではなく、後悔とでも言うべきものだ。
「『自分たちは今からこの子を、息子として育てる。この子の意思は関係なく、息子の幻影を押し付けて生きていく。罪はこの子にあるのではなく、私達にある。だから……』」
記憶を辿るように、一言一句確かめていくように、国王は臣下の言葉をその息子へ伝えていく。
「『もしこの子が、これを理由に罪を犯したとしたら、その咎は私達にある』……だそうだ」
「――!」
声無き叫びと共に、僕でもわかるほどセドの魔力が乱れる。ほとんど無いはずの魔力が、それでも感情そのもののように、行き場を探して狭い体内を無軌道に駆けまわった。体の外には出さないのは、彼の意地か、それとも生存本能か。
「親子だな」
「ちが、だって、俺は」
「気付いてないのか?」
あえぐように否定する彼に対して、悼むように、一方で嘲るように笑いかける兄さん。
「アガトがカルセドニーとして生きて来て十年……もうカルセドニー本人より長く、あの人達と親子をやってる」
侯爵家のカルセドニーは享年八年。
十年は僕らにとっては、まだとてつもなく長い時間だ。十年前の記憶は朧気で、十年後のことなど想像もできない。
それだけの時間を、彼らは共に過ごしている。始まりは歪だったかもしれないが、似通うほどに近く、長く。
「だけど、俺は裁かなければならない。罪は罪、罪を知りながら庇いたてるのも罪だ。見逃せるのは法に触れない範囲だけ。これ以上の頼みは聞けない」
後悔するには遅すぎる。既に彼は罪を犯し、そこに弁明の余地もない。
彼は、決定的に手段を間違えてしまった。そこは覆せない。
けれど、その裁定を覆すことなら。
すうと息を吸う。重苦しい空気に負けぬよう、腹に力を込めて、声にする。
「茶番はもう十分でしょう――兄上」
言葉と共に、陛下と置いていた距離をゆっくりと詰め横に並んだ。
「彼は僕の協力者として、危険を冒してもらっただけ。あまり脅かしては可哀想です」
手が、声が震えてはいないだろうか。恐れや羞恥が顔に出てはいないだろうか。
――違う、たとえ出ていたとしても。
それでも僕はやり遂げなければならない。
「み、ミコト? な――」
「黙れ」
口を挟もうとしたセドに、一瞥と共にそう吐き捨てる。
彼に喋られては困るのだから。
「……王族の首謀ならば罪に問われないとでも?」
「嫌ですね、忘れたとは言わせませんよ。『僕のために命を張れるほどの臣下を一人作ること』、それが、身分を隠しておくという我儘の対価として、兄上の出した条件だったはずです」
兄さんの表情を読み取る余裕さえなかった。けれど目は逸らさない。
「でも、ひと昔前ならいざ知らず、命を張るような状況なんてそうそう起きないでしょう? 一芝居打たせて貰いました」
「な、にを」
「ねえセド」
尚も食い下がろうとする青年に向かって、今度はしっかりと視線を合わせて語りかける。けれどそれは、対等な友人としてでも、哀れな被害者としてでもない。
「僕は黙れって言ったよ。いつから王族同士の会話に口を挟めるほど偉くなったの?」
絶対的な優位性を誇示し、従わせるためのコミュニケーションだ。
わざと魔力を飛ばす。自前の魔力が無い現状の彼にとっては、真逆の属性を持つ僕の魔力は脅威だろう。
目を瞠る彼とそれ以上は視線を交わさず、再び陛下に向き直る。
これまで、兄さんからの扱いですら曖昧にされ続けた僕の立場。逃れる道は最初から無かった。いずれ、そう遠くないうちに負わされる荷物であったことに変わりはない。
けれどこれから、僕は自らの意思で「王族」の名を背負う。
「……なるほど?」
兄さんの口元が吊りあがる。
「まあ、悪くはないな。及第点だ、褒められたやり方じゃないが」
乗った。
「事が大きくならないようにはしたが、厳重に秘匿したわけでもない。どちらにせよ表向きに処分は必要だ」
「でしたら、セグリス家は今代限りまでとしましょう。家に対する処分としては、既に十年前のものと合わせて十分なはずです」
他人の物を勝手に切り売りするような発言に、我ながら胃の中を混ぜ返されるような心地がする。
けれど兄さんを納得させなければ、僕の目的は果たせない。たとえ、彼が守ろうとしたものを削いででも。
「それなら、実行した本人はどうする?」
「軽い処罰に留めるべきかと。家は継げなくなるから事実上の爵位剥奪と同義ですし、彼自身、過去に学園で起こった魔物の暴走事件の際に、数人の生徒を守りきった功績があります……兄上にとっては借りでしょうか」
ルチルさんから託された情報の一つ。
学園に入学してすぐの決闘騒ぎの直後、騙し打ちのような形でルネットさんに捕まった時にラズリアさんが言っていた事件のことだ。
春篭りが明けたばかりの時期に、不用意に学園内の森に入ってしまった生徒がきっかけで引き起こされた魔物の暴走。現在基本的に無断での立ち入りが禁じられているのは、それが起きたかららしい。
規模自体はさほど大きなものではなかったというが、いかに魔術学園と言えど咄嗟に魔物を相手取れる生徒はそう多くはない。
放課後であったこともあり、散らばっていた生徒全員の安全を確保できるまでに数時間はかかったという。
そして彼は、その中の一団をほとんど一人で守り通してみせた。ほとんど全員が魔力切れでろくに動けない状況下、剣一本と僅かな魔力をやりくりして。
とんだ英雄譚だ、そりゃラズリアさんだって惚れたくもなる。
「そこを突かれると痛いな……だが演技であれ、王族に刃を向けた人間を野放しにするわけにもいかない」
「それでしたら、兄上が今研究なさっているものがありましたよね。【契約】と言いましたか? 実験ついでに、悪くないと思いますが」
兄さんの試すような悠々とした表情が、僅かに崩れた。笑みが深まり、面白がるような気配が強くなる。
「……なかなか悪趣味だな?」
「兄上ほどではありません」
素知らぬ顔で返したが、我ながらその通りだと思う。けれど、方法を選んでいられない。兄さんが……国一つ治める人が、情だけで流されてくれる人でないのは、よくわかっている。
【契約】、それが、ルチルさんから聞いた方法。
この言葉は翻訳されない言葉だ。つまり、少なくともこの国の公用語ではない。
実際人の言葉ではないというから驚いた。
「なら、俺は少し準備をするとしようか。朝食も食べ損ねたし……そうだな、昼過ぎにまた迎えに来よう」
「……ありがとうございます、兄上」
貴族の礼をとって、部屋から出る兄さんを見送った。
扉が閉まったのを確認してから、床上のセドに向き直る。
「……なんなんだよ」
声が震えているのは、怒りを堪えているからか、それとも過ぎた怒りからだろうか。
いかに傷は塞がったとはいえ、万全には程遠い。力を込めればすぐに傷は開いてしまうだろう。
「なんで、俺なんかを助けたりした」
「友人を見殺しにするほど情もない人間に見えた?」
「そうじゃない! だって俺は、お前を……」
殺そうとしたのに。
蚊の鳴くような声で吐き出された言葉に、自分の体が一瞬強張るのがわかった。
結果的に死にかけたのは彼の方だったが、ほんの少しの差で僕が死んでいたかもしれなかった。彼があの時その結果を求めていたことも、間違いない。
改めて本人に言葉にされるというのは、思ったよりも衝撃が大きい。
それにしても、何故助けたのか、か。
「……頼まれちゃったからっていうのはある」
ルチルさんに頼まれてしまったから。
笑みを浮かべた姿は余裕ありげに見えたが、僕の立場に察しがついていたらしい彼女からすれば、直々に取引を持ちかける事自体にそれなり以上のプレッシャーはあったはずだ。
僕の実情はともかくとして、上流貴族とはいえ伯爵家からすれば王家は決して近くはない。それもその娘ともなれば、本来は完全に従の立場。
公私共に明確なメリットがあったとしても、それだけのことを為した彼女に対しての義理立てのようなものは、確かにある。
「君と……アガトと同じ轍を踏みたくなかったっていうのもある。だけど……」
友人の死に瀕して何もできない無力さを味わうのも、何もできない自分を責めるのも、後悔に蝕まれるのも。
全部御免だ。そうでなくとも、親しい人を亡くす苦しみなど何度も味わいたいものではない。
僕は僕が強くないことを知っている。だから先手を打った。
けど、そんなことよりも。
「一番の理由はムカついたからだよ」
やっぱり、これに尽きる。
「攫ってくれた時も言ったけどさ。ふざけないでくれる? 僕をあれだけの目に遭わせておいて、自分はとっとと死んでおさらばしようっていうの? 冗談じゃないよ」
唖然とした、間抜けな顔で見つめてくるセドに畳みかける。
「誘拐だけでも相当腹に据えかねてるんだけど、その上刃物まで向けてくれちゃって。おまけに自己満足や自殺の口実にされちゃたまったもんじゃないんだよね。勿論謝っても許さないし、死で償えるとか思ってるなら鼻で笑ってやるよ」
本当に、ムカつく。
死なれたところで何を許せというのか。むしろやり場のない怒りが増すだけだ。本当に、冗談じゃない。
「だから、もっと直接的に償え。死ぬつもりだったくらいなんだから、一生仕えるくらい安いもんだろう?」
啖呵を切る、と一口に言っても、こうも違うものなのだとしみじみ思う。
震えを抑え込みながら決意を表明するそれではなく、感情のままに叩きつける行為に興奮さえ覚えた。これはよくない、クセになりそうだ。
「……ミコト、すげえ悪い顔してる」
「喜んで、今日から君の主だよ」
「そりゃ、また……忙しくなりそうだな」
「うん、死んでる暇なんかないよ」
「……そうだな」
強引と言われても構うものか。
いい加減、振り回されるのにはうんざりしてるんだ。