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あの日々の向こう  作者: 緋月 琥珀
第三章
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十四話


 丸一日経った。彼はまだ目を覚ましていない。

 ルチルさんに話を聞いてから、僕はずっと悩んでいる。

 彼女と僕の目的は、終着点に大きな違いこそあったが一致していた。

 しかし、その手段が問題だった。

 果たして通用するのかという点以上に、僕にとっては避けたい手段の一つ。

 ルチルさんはできたらで構わないとまで言ってくれた。自分にはできないこと、けれど無理強いすることはできないからと。

 その言葉が、逆に僕を蝕む。

 自分で決めてきたことなんて、大きいもので精々進学先の高校くらいだ。人の生き死にを左右する選択なんて考えたこともない。

 こちらに来てからなんて、思えばずっと誰かに言われた通りだ。拒否することこそあれ、僕が主体で動いたことなんてあっただろうか。

 ルチルさんが、もっと懇願してくれればよかったのに。

 そうすれば、勢いで動くことができた。

 責任を、転嫁できたのに。

 けれど彼女は、お願いという言葉こそ使えど、飽くまで手段があるということを伝えてくれただけだ。一度たりとも僕に強制するようなことは言わなかったし、実行できなかった時の代替の対価まで提示してきた。

 僕に委ねてしまった。

 時間が無いのは理解している。ともすれば、こうして考え込んでいる間にも彼が目を覚ますかもしれない。

 人の命と天秤にかけうるほど大層な問題ではない。僕が意気地無しなせいで人が一人死ぬなんて、そんなに間抜けなことは絶対に嫌だ。

 だけどあと少し、僕が覚悟を決めるだけの時間が欲しい。

 それが無理なら、せめて――

 そう思った矢先、部屋の扉が叩かれる。

 日中なので万が一来客があった時のために応接用の部屋にいた。広く静かな部屋に、その音はよく響く。

 兄さんかと思って一瞬肝が冷えたが、ノックの音がかなり細かったことから考えるに別の人だろうか。あの人は、日中なら返事を待たずに入ってきそうだし。

 といっても、学園長であれば午前のレッスン中に用事は済ませるはず、昨日の今日でルチルさんが来るとも思えない。ルチアさんも来ているらしいが、僕がいることも昨日起きたことも彼女は知らないと聞いている。

 となれば、心当たりとしては一人だけである。彼女がどうして来たのかまでは知る由もないが、断る理由も特にない。

 ……いや、気分転換がしたかった。

 縋るような気持ちを自覚しながら戸を開けると、そこにいたのは案の定、白銀の髪を背に流した少女。

 突然開いた扉に驚いたのか、慌てて身を離すように後ずさった。


「どうしたの? セリアさん」

「あ、あなたね、いきなりそんなに開け放たないでよ。っていうか、誰何くらいしなさいよ、驚くじゃない」

「ごめん、他に来そうな人もいなかったから」

「……寂しいこと言うわね」


 訪ねて来る人が限られているのは君も同じだと思うけど。

 流石に口に出すのはやめた。

 金糸雀色のドレスに身を包んだ少女は、相変わらず付き人も連れずに廊下に一人佇んでいる。

 王宮の室内は暖炉で暖められているが廊下はそうではなく、むしろ寒い。勿論防寒対策はしてあるのだろうが、そう厚着をしているようには見えないため慌てて室内に招いた。

 ちなみに僕の今日の服装はというと、またしても王宮からの借り物である。というか、前回よりもしっくりくるのでもしかしたら仕立てられたものなのかもしれないという予感がある。怖くて聞けていない。


「先触れも出さなくて悪かったわね。取り次ぐ人もいないと思っていたのだけれど、表に兵が居たなら頼んでおいた方が良かったかしら」


 お茶出しを頼める女中さんもいないため、ソファの対面に腰かけてそのまま話し始める。


「別にそれは構わないけど……今日はどうしたの? 用事があるなら、今回は出歩けるみたいだし僕の方から行ったのに」

「あなたの部屋は客室だけど、私の部屋は完全な私室よ? いくらなんでも招く気にはなれないわ」


 よかれと思って言ったのだが、なるほど、確かに。軽率だった。


「用事というほどのものではないのだけれど……学園長から少し聞いたわ。大変だったみたいだから、様子を見に来たのよ。昨日ようやくこっちに来られたんでしょう?」

「野次馬?」

「違うわよ! また体調崩したりしていないか気になっただけ!」


 思ったよりもムキになって反論したものだから、思わず笑ってしまった。セリアさんがそういう人物でないのは、付き合いこそそう長くないがわかっているつもりだ。

 彼女も冗談だったと気付いたのだろう、ばつが悪そうな顔をするとわざとらしくソファに座りなおした。


「あなた、性格悪いわよね」

「セリアさんこそ、素直じゃないよね」

「余計なお世話よ」


 少し唇を尖らせてつんとそっぽを向くセリアさん。

 状況が特殊だったとはいえ、ずっと笑みの仮面を被っていたルチルさんのことを考えると、こうやって表情のくるくる変わる彼女は見ていて楽しい。


「……思ったより元気そうで安心したわ。そういえば今、ルチルとルチアもこっちに来てるのよ。下手に遭遇しないように気を付けなさいね」

「……あは」


 もう会っちゃいましたね。

 笑って誤魔化してみたものの、セリアさんからの視線は冷たい。


「……」

「……えーと、お茶要る? 淹れたことないけど」

「結構よ」


 一応、茶器と茶葉は部屋にあるのだ。触ったことないけど。


「まあ、あの二人なら早々大事にはならないでしょうけれど。あなたも元々浮いていたみたいだし」

「これでも頑張ってたんですよ」

「努力は認めるわ、少なくとも陛下よりは馴染んでいるし」

「……なんか、兄さんと比べられるのは釈然としない」

「あの人は浮いてるというより喜々として飛んでいるものね」

「それって比べる対象として不適切なんじゃ?」

「同じ境遇の人間は他に居ないわよ」

「そうだけどさあ……」


 兄さんのことも、ルチルさんのことも、今の僕にとっては避けられない選択を思い出すキーワードだ。

 自然と気分が落ち込んでいく、それを留める会話もない。

 薄々察してはいたが、僕も彼女もあまりお喋りというわけではない。投げかけられれば投げ返すが、そこから膨らませることはほとんどない。ないというか、苦手……なのだろうか。

 だから、彼女と二人になると不自然な沈黙が度々訪れることになる。

 用事が終わったならすぐ帰るのかとも思ったが、彼女にその素振りは無い。むしろ、僕が彼女から目を逸らしているのをいいことにまじまじとこちらを観察している。

 とてもやりづらい。

 とはいえ何かされたわけでもないので、追い出すようなことをするわけにもいかず。


「……何かあったのかしら?」


 不意に彼女が、ぽつりと投げかけて来た。


「……えっと、何かって?」


 素知らぬ顔で聞き返す。

 学園長から聞いていないということは、彼女にあれを知らせる必要はないということだ。

 僕がうまくやりさえすれば、彼女にとっては何も変わらないままの日常に過ぎない。

 だというのに。


「何なのかはわからないけれど……あなた、微妙に魔力が乱れてるわよ」


 指摘されて、思わずドキリとした。


「やっぱり、図星ね。私、カルセドニーほど操作がうまいわけじゃないけれど、目は負けないくらいいいのよ」


 ああ、またその名前だ。


「……なんだってそんなとこまで見るかな」


 もう、繕うことさえできていないだろう。

 自分の顔が情けないものに歪んでいく自覚があった。


「前の事を忘れたとは言わせないわよ。魔力欠乏で目の前でいきなり倒れたんだもの、警戒くらいするわ」

「前のは色々と事情があって……」

「別に詳しいことは聞かないわよ。あなたたちにも事情があるだろうから、部外者の私が聞いても仕方ないもの」


 そう言って嘆息したセリアさんの顔には、諦観とでも呼ぶべきものが浮かんでいる。


「ただ……」


 視線を逸らして小さく続けようとして、再び口を噤む。

 迷うように幾度か口元を震わせた末に彼女が発した言葉は、不器用ながら優しかった。


「そんな顔するくらいなら、少しくらい話してもバチは当たらないと思うわ」


 僅かに頬を染めて、ちらりとこちらを伺う。落ち着かないのか、口を尖らせてみたり引き結んでみたりと忙しそうだ。


「……僕ってそんなに顔に出やすい?」

「社交界に出たら骨の髄まで美味しく頂かれそうよね」


 同じ問いをしても、ルチルさんのように濁したりせずに真っすぐ返してくる。

 彼女はいつもそうだ。こちらの都合や心境なんかお構いなしに、問えば正直に答えてくれる。迂遠な言い方もひねくれた言い方もするけれど、顔や態度に本心が透けて見えてしまっていて、結局清々しいまでに正直だ。

 誤魔化そうとしても誤魔化しきれず、隠そうとしても隠しきれず。適当にあしらうこともしない。

 素直でもないけれど曲がらないその在り方が、少し眩しい。


「……怒らない?」

「保証はしないわ」


 うん、正直だ。


「ちょっと、悩んでる」


 だから僕も、少しだけ正直になろう。


「他に選択肢もなくて、時間もあんまりなくて……でも、覚悟が決まらなくて」


 他人に直接弱音を吐くなんて、いつぶりだろう。

 それも、よりによって歳も近い女の子に、こんな情けない話。

 怒られるだろうか。


「自分でも、情けないとは思うんだ。悩んでる余地なんかない、納得だってしてるのに、今すぐに決断を迫られるかもしれないのに」


 声が震えてはいないだろうか。

 彼女の顔が見られない。僕がどんな顔をしているのかわからないから。

 見られたくなかった。


「……怖くて」


 怖かった。

 怖くて、どうしようもないのだ。

 他人の人生を左右してしまうことが。育ての親に逆らうことが。かけられた期待に応えられるかどうかが。それだけの責任を負えるかどうかが。これからの人生にどれだけの影響があるのかが。彼にどう思われるかが。彼女にどう見られるかが。僕がどう変わるのかが。

 全部、全部怖い。吐きそうだ。

 頭の中でぐるぐる回るもの全て、引きずり出してしまいたいような気持ちになる。


「……異世界の人間って言っても、私達と変わらないのね」


 想定していたよりも遥かに平静な彼女の声に、視線を引き寄せられた。


「少し……わかるわ」


 綺麗な姿勢でソファに腰かけたまま、祈るように組んで膝に置かれた手を見つめたまま溢す少女。

 影になってもなお煌く鮮やかなシアンの目を、ゆっくりと瞬かせた。


「でも、だからこそ言ってあげるわ」


 目を伏せたままの彼女の表情が、柔らかくほどけた。


「怖いなら、私が肯定してあげる。私が見届けてあげる。だから……頑張って」


 そこまで言ってくれるのか。

 単純な激励の言葉だけでも、十分だったのに。

 僕が望むものを、僕が望むように、彼女は与えてくれた。


「……うん。ありがとう」


 ここまで言われてまだ怖じ気付いていられるほど、僕は恥知らずじゃない。




 翌朝、まだ夜も明けきらぬ時間。またしても、ひっそりと扉が叩かれた。

 後は、やるだけだ。

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