十三話
ドレス姿だったこともあり人違いかとも思ったが、そうではなかったようだ。
驚いて扉を閉めようとした僕を留め、そのまま近くにいた衛兵さんに中庭までの案内を頼むと、そのまま僕を連れ出す。
道中話しかけようとするとジェスチャーで留められる。事情のわからない僕は黙って彼女の後を付いていくしかなかった。
というわけで、今は案内先の中庭でお茶を一服頂いているところである。
中庭といっても、前回魔術の練習をした殺風景な場所ではない。どうやら客用に用意されているようで、僅かに芽吹き始めた草花が見える。
もう少し経てば花と新緑に覆われた美しい庭園になるのだろう。
案内してくれた兵は庭の入り口で見張りを続けるようだ。
円卓の対面に座るルチルさんはと言えば、お茶と菓子を持ってきた使用人を下がらせると、何も言わずにお茶を一口。
学園にいる時に見ていると伯爵令嬢を言われても実感がわかなかったが、こうして相対していると「なるほど」と思わせる品がある。
他に人は見当たらないが、一応周りの目を気にしているのもあるのだろう。
僕も続くようにティーカップに口をつけた。元々お茶の味なんてよくわからないが、渋みが少なくて飲みやすい気がする。
ふう、と息をついた彼女が、それを合図のように少し姿勢を崩した。
「驚きました、まさか王宮内で鉢合わせるなんて」
「……僕も驚いたよ。こんなとこにいるなんて、思ってもみなかったから」
僕は学園長の元に行くことになっていたはずなのだが、もしかしてこの遭遇ってやってはいけなかったことなのでは。
うまいこと誤魔化さなければ……と思っていたのだが、どういうわけか彼女の様子を見るとそこまでの驚きはみられなかった。
「先日の件で陛下に呼ばれていて。ルチアも来ていますよ。……ヒイラギさんはあんまりお会いしない方がいいのかもしれませんけど」
「……特に何も言われてはいないよ」
だから大丈夫、とは言い切れないのだけど。
持ち込まれた焼き菓子に手を伸ばす。うん、おいしい。
「……ヒイラギさんが来たのは、昨日の騒ぎの時ですか?」
「っ、ぐっ、げほっ」
飲み込みかけたタイミングで問いかけられ、思わず噎せた。
幸い、口から何も出さずに済んだけど。
「もう少し腹芸を身に着けた方がよさそうですね、ちょっとかまをかけただけのつもりだったんですけど」
「けほっ……そ、そんなにできないってわけじゃ……」
「ダメですよ、ここだって一応公の場なんですから」
くすくすと上品に笑う少女。
年端もいかぬとさえ呼べそうな彼女。けれどその肩では、肩章と小さなマントが次期当主であることを示していた。
ということは、別段隠すような用事でここに来ているわけではないのだろう。
「……ルチルさんは? どうして王宮の……それもあんな場所に?」
あそこは王族の居住区に近い場所のはずだ。許可を得た人しか立ち入ることはできない。
「時間ができたのでセリアさんに会いに行こうかなーと思ったんですけど、特に予定は決めていなかったので」
「そうじゃなくて……あのあたり、そう簡単に入れないでしょ?」
「じゃあ、どうしてだと思います?」
「……お父さんの仕事の関係?」
「うーん、悪くはないですけど、違いますね。商談に同行なんて、流石にまださせてもらえません。もっと沢山勉強してからでないと」
にこにこと機嫌よさげな彼女とは対照的に、僕の機嫌は降下していく。
一方的に事情を知られるというのは、不公平な気がしていまいち気分がよくない。
まあ、僕に色々と足りないせいではあるんだけど。
「ふふっ、あんまりいじわるしたらいけませんね? ……ほら、この間の時、陛下が研究を手伝って欲しいって仰ってたでしょう?」
「研究って……ええと、体質がどうのこうのだっけ」
「はい、家も王都ですし、ご存じの通り父もよくここには来ますから、基本的には通いのつもりだったんですけど……部屋も空いてるし、観察するに都合がいいからと言われてしまいまして。愉快な方ですよね」
ルチルさんは面白くてたまらないといった様子で笑っているが、女の子に対して「観察するに都合がいいから泊まってって」って……それは流石にどうなんだろうと思わざるをえない、二重三重に。
「愉快……で済ませていいのかな、あれは……」
「時々、何を言っているのかわからないこともありますけど。雰囲気がすこしカルセドニーさんに似ていますよね。気さくで、おどけた感じで」
その名を聞いて、嫌でも現状に意識を引き戻される。
もし、その彼が、このまま死んでしまえば。
少なくとも彼女たちと会うことは、もうないだろう。
「ルチルさんもそう思うんだ」
「ええ、おかげであまり緊張せずに済んでいます」
顔に出なかっただろうか。
あまり自信はなかった。
「本当によく似ていて――」
ああ、また油断してしまっていた。
笑みに細められていた彼女の表情が、変わる。
「――まるで、わざと似せていたみたい、なんて……思いませんか?」
は、と息が漏れた。
それは、どういう。
「そんなに珍しい感じでもないし……わざわざ似せる意味なんて」
「まあ、そうですね。例えば……相手の親しい人に近付きたかったら、似た性格にみせかけるって、有効なんじゃないかと思いますけど」
「いや、でも、陛下に憧れてるって言ってたから……」
「英雄に憧れたとして、その業績や武勇よりも人格を寄せるって、不思議だと思いませんか? それも、公的な人格でなく私的な人格に」
彼女は、何が言いたいんだ。
「陛下の私的な人格を知る機会なんて普通ないと思うから、考えすぎだと――」
「ねえ、ヒイラギさん。そもそも私、どちらがどちらに似せてるかなんて、言っていませんよ」
表情はにこやかに、けれどその目は捕食者のそれに近い。
完全にしくじった――逃げられない。
「思い当たること、あるんじゃないですか?」
「……どこまで知ってるの」
席を立つことはしない。けれど、警戒は最大限しておく。
相手の意図は相変わらず読めないが、万が一に備えておく必要はあるだろう。
幸い今は拘束もされていない。
油断のせいでまた痛い目を見る気にはなれなかった。
「ここではなんですから……少し、場所を移しましょうか」
笑顔のまま席を立つルチルさん。
それを無視できるだけの材料もないまま、僕は彼女の後に続いた。
連れて来られた先は、僕が泊まっている部屋からもそう離れていない部屋だった。
客室ではなく、学園の学園長室を思い出すような内装だ。といっても、広さはあの小屋より断然こちらの方が大きいのだが。
机周りは少々散らかっているが、部屋全体としては比較的整頓されている。
壁際にはいくつかの本棚が並び、本と紙の束が不規則に詰められていた。
「ここは?」
「陛下が使ってらっしゃる研究室ですよ。簡単な実験をしたり、記録とか資料とかが置いてあるみたいです。いつも陛下が観察できるわけじゃありませんから、私とルチアは何か気付いたことがあればここに記録していくようにと言われています。陛下の私的な場所の一つのようですから、他人の心配もないと思いますよ」
言いながら、ルチルさんが机の上から紙を一枚取りひらひらと動かす。
ほとんど白紙に近いそれには、走り書きのようにいくつかの単語だけが書かれていた。
「それで、私がどこまで知っているか、でしたよね」
紙をそっと置きながらこちらに向き合う彼女に、黙って頷く。
「と、言われましても、私もそう多くは知りませんよ」
「じゃあ、なんでわざわざこんなところに」
「お願いがあるんです」
「お願い?」
相変わらずにこやかな顔のまま、僕の警戒を解くわけでもなくそう告げる少女。
「お願い」という言葉に昨日のことを思い出して、緊張が高まった。
「ええ、ちょっとしたお願い……いえ、取引でしょうか」
「……申し訳ないんだけど、今、あんまりそういう余裕はなくて」
「私から出すものが、今ヒイラギさんの抱えている問題を解消できるかもしれないものだとしても、ですか?」
動揺は今度こそ見せない。魔力も揺らさない。
けれど内心はひどく荒れた。
そんなものがあるなら、欲しいに決まっている。
けれど、それに迂闊を手を出すほどの余裕さえ今の僕にはない。
「……何を知っているのか、それと、君の要求が何なのか。まずはそれを話して。それを聞いてから決める」
彼女に利点はないが、これ以上は譲れなかった。
兄さんは彼の意識が戻るのは数日後とは言っていたが、そう長くかからないことは経験済みだ。
僕にはあまり時間がない。
「勿論、お話しますよ。信頼してもらえないことには取引になりませんから」
一層笑みを深める彼女には、少し前までの気弱さも、いつか見せた張り詰めた迫力も見当たらない。
「といっても、本当に知っていることは少ないんですよ? 今のところは」
「どういう意味?」
「私が知っているのは、昨日、王宮で何か騒ぎがあったこと、陛下は未だに敵の多い方であること。それと、さきほどの会話で騒ぎにはヒイラギさんが関わっていることがわかりました」
「……それで、どうしてセドの話が」
「ヒイラギさんが見張りもつけられずに動いているということは、少なくとも加害者、騒ぎを起こした側ではありません。巻き込まれた……というにはヒイラギさんの立場が特殊すぎて、おそらく渦中にあったのではないか、と。それでいて無傷となれば、人質にとられたりでもしましたよね? 王都まで馬車で来ることになったこと、それでいてヒイラギさんの存在を知っていて、私も陛下も動向を知らない人、となると……」
あの情報から、それだけわかるのだろうか?
思わず訝し気な顔をすると、ルチルさんはまたくすくすと声を上げて笑う。
「なんて、全部推測したわけではありませんけど。元々彼には、陛下に何かする、動機足りうるものがあるのではと思っていましたから」
「え? な、なんで?」
「十年前にセグリス家に起きた事……ヒイラギさんはご存じですか?」
なんでもないように言ってきた彼女だが、彼曰くそれは「公にされなかった事件」だったはずだ。
「その様子だと、聞いてはいるみたいですね」
「……僕ってそんなに顔に出やすい?」
「……ええと、まあ、それなりに」
彼女の笑みを崩すことができたのは成果として誇ってもいいだろうか。そうでもなければ自分の情けなさに涙が出そうだ。
「それでは、元々陛下がセグリス家と繋がりと持とうとしていたという話は?」
「聞いたよ、確か商人を通してどうのって……もしかして」
「ええ、その商人が、私の家だったんです。私は当時まだ四つだったので、家の記録を勝手に見て知ったことなんですけど」
再び微笑みを浮かべて仕切り直し、「内緒ですよ?」と口元に指を立てる彼女。
小柄さと相まって非常に愛らしい仕草ではあるが、ひょっとしなくてもそれ、見ちゃいけない類の物だったのでは。
「セグリス家に話を通しに行っていた正にその時に、事件が起きてしまったらしいです。顛末も、一応は記されていました。ですから、私の知っている事、もとい推測は、カルセドニーさんがヒイラギさんを人質にして、陛下に何かしらの報復をしようとして、未遂で終わったのではないか……ということになりますね」
過去、実際に何が起きたのかはわからないのだろう。そのせいで細部は違うが、まさにその通りだった。
「そして、もしそうであるならば、カルセドニーさんは今、処罰を……最悪、極刑を言い渡される間際。違いますか?」
「……そこまでわかるの?」
「陛下に人質として通用するのであれば、ヒイラギさんの立場もそれ相応のものだと思いますから。可能性は低くはないと思います。……そもそもの前提が間違っていたらわかりませんけど」
「いや、合ってるよ。今、まさにその通りだ」
「だから、お願いがあるんです」
種類は違えど笑みを浮かべ続けた彼女が、ふいに真剣な顔でこちらを見つめた。
「カルセドニーさんを、助けていただけませんか」