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あの日々の向こう  作者: 緋月 琥珀
第三章
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十一話


「俺の話はもういいからさ、ミコトの話を聞かせてよ」


 空虚さが滲むそれからいつも通りの、快活で人懐っこそうな表情にがらりと変わる。


「……僕の?」

「陛下と親しそうってことはわかったんだけど、ミコトの素性って結局よくわからないままだからさ。いい機会だし聞かせて貰えないかな、と」


 ぐっと返事に詰まる。

 聞かれるだろうとは思った。先ほども「ハズレ説が浮上した」と言っていたし、彼も確証のない状態のままでいるのは不本意なのだろう。

 隠し事をしている事がバレていて、向こうが圧倒的に上位に立っている。

 「教えられない」の一点で通すには、リスクが高すぎた。


「……僕は、大精霊に育てられた」


 夕暮れ時も近いというのに、外はひどく静かに感じる。

 しんとした部屋の中、目の前の青年が目を瞠った。

 彼が僕を騙していたように、僕も彼を騙している。

 これ以上の説明は必要ないだろう。陛下が大精霊に連れられてきた人間――表向きは、大精霊に育てられた人間の一人であるというのは、広く知られている。

 そうなれば、おのずと僕と兄さんの関係には見当がつく。

 実際の血縁が伴うかは別として、少なくとも縁者として見ることはできるだろう。


「なるほど……そりゃ黒髪のくせに、危機感もなく育つわけだ」

「命の危険なんて、考えたこともなかったからね」


 可哀想な黒髪の孤児はいなくなった。

 それでもなお、彼の想定している状況と、僕が実際に置かれていた状況にはかなりの隔たりがあるはずだ。

 けれどそこまで説明してやる義理はないし、育てられたというのも、普通に暮らしていれば危険からほど遠かったのも事実。


「二人もいるものなんだな。もしかして、他にもまだ居たりするの?」

「さあ、どうだろうね」


 これ以上話すつもりはない、と言外に告げる。

 彼もそこまで興味がある事柄ではなかったのだろう、肩を竦めて窓の外を伺った。


「……来たか」


 小さく呟くのを聞いて体が強張る。

 一体何が、と思っている間に、扉を叩く音が聞こえた。


「……陛下からの指示でお迎えに上がりました。馬車をご用意させていただいております。お乗りください」




 人払いがされていたのか、王宮内にも関わらず案内役兼見張り役の兵士数人以外は見かけることがない。

 一体どういう要求をしたのかはわからないが、僕の身柄を請求されることはなかった。そのため僕は両手を後ろに縛られた状態で連行されている。

 馬車から降り、裏口を通されて辿り着いたのは、いつかも来た謁見室だった。


「よく来たな。歓迎はしないが……それで? 復讐にでも来たのか?」


 兄さんは、既に玉座に就いていた。

 一段高いところから睥睨するその表情に、いつもの親しみはない。


「……俺のことを、覚えているのか」


 微かに動揺したように、青年が問い返す。

 十年前の、しかも当時は十にもならなかった子供のことだ。忘れていると思っていたのだろう。


「ああ、勿論。あんな胸糞悪い事件のこと、忘れるはずがない。セグリス家には世話になったしな」

「なら、聞かせてくれ。あの時の真相を」


 声が逸るのがわかった。


「話してやってもいいが……その前に、そっちのやつを返して貰いたいんだが」 

「……それはできない。真実を話してもらえなければ、意味がない」


 すうと目を細めてこちらを見遣る陛下。

 手に繋がる縄をぐいと引かれる。それと同時に、カルセドニーと名乗り続けていた青年は短剣を取り出した。

 大ぶりなものではないが、人一人殺すには十分だろう。

 それは、僕の首元へと突きつけられる。

 兵士が二人だけ、僕らの背後に見張るように立っているが、彼らが動く様子はない。


「物騒だな。まあ、順番は前後しても構わないが。それで? どこから聞きたい?」


 玉座の主もぴくりとも反応することなく、先を促す。


「……最初からだ」

「そいつはまた曖昧な話だな……言いたいことはわかったが」


 ふむ、と顎に手を当てる様には、緊張も怒りも見られない。

 突きつけられた刃物は肌に触れるほどではなくとも、ほんの数センチ離れているだけだ。

 彼が少し腕を動かせば刺さるまで一秒も要らない。

 はたして魔力による回復は、即死にも有効なのだろうか。

 動悸が激しくなり、息が上がる。


「……俺が王都に来たのは、あの事件の一週間くらい前だ。それより前に一瞬だけ居た事はあるが、この見た目だからな、すぐに出ていくことになった」


 自らの髪を指で弄る彼の人の表情に陰りはないが、十年前は、どれほどひどかったのだろう。

 僕が経験したあれの比ではなかったはずだ。


「戻ってきたのは、王位簒奪のためだ。地方を少し回って、いろんな状況を見て来た。部外者だって言ってられる場合じゃなかったさ。なんたって、あの状況のきっかけになった、消えてしまった大精霊がずっと一緒だった……平たく言えば、責任を感じた」


 そういえば、姉さんは何故、僕らの世界にやってきたのか。

 ひどい状況になることは予測がつきそうなものなのに。


「そのための準備は、スムーズにいってた。あとは貴族との協力体制を作るだけだった」


 セドの言っていた通りだ。おのずと緊張感が高まる。



「だから、セグリス家と懇意にしていた商家を通して、普通に紹介してもらうはずだったんだ」



 杞憂、だったのか。


「普通、に?」

「当たり前だろ、伝手の伝手はあったんだ。賛同してもらえる可能性が低かったならいざ知らず、セグリス家もあの状況をどうにかしたいと思っているのは同じだった。無暗に犠牲を出す意味なんて無い」

「じゃあ、あの事件は」


 問いかける青年の声は震えている。


「本当に、ただのバカが起こしただけだ。……これで満足か?」


 対する陛下は微動だにしない。彼にとっては事実を話しているだけだ。

 ――けれど、もう一人の彼にとってはそうではなかった。


「っ、嘘をつくな!」


 予め指示されていたのか、危機感を覚えたのか。声を荒げた青年に反応して、ついに兵士が動く。

 腰に下げた剣を抜き、牽制のために……それとも、制圧するために、だろうか。

 一歩踏み込む音が聞こえる。

 思わず目を瞑った僕が次に目を開けた時に目にしたものは、地に倒れ伏す青年……ではない。

 剣を取り落とした兵士と、その兵士が持っていたはずの剣の切っ先をもう一人の兵へ向け返す青年の姿だった。

 何が起きたのかわからないが、兵士も動揺するように兜の下で視線を交わし合っている。

 僕に向けられていた刃物も、事が起きた瞬間の行方はわからないものの、今は再び僕の首を狙っていた。

 縄の先は……いつの間にか足で踏み抑えられているようだ。

 隙を見て離れることはできそうになかった。


「嘘とはまた、ご大層な言いようだな。何か根拠でも?」


 陛下の表情は変わらない。動揺も驚愕も、そこにはない。

 平坦に、冷酷に、尊大に。彼は淡々と事実を喋った。それだけだ。


「じゃあどうして、セグリス家は家格を落とされてるんだよ! 領地の経営状態が良い物じゃなかったのは聞いてる。けど当時はどこもそんな状態だったはずだし、ましてや協力までしたのに! 下げるどころか、上げたっていいくらいのはずだ!」


 相対する青年の顔は、僕からはうかがい知ることはできない。

 下手に首を動かせば首の皮が切れそうだ。

 それでも、この期に及んでまだ傷つけるに至っていない。

 そして、そのことを称賛するべきなのかと思わせるほど、彼は動揺しきっていた。


「そうだな、領地の問題は実際大きかった。でも平民にさえ徐爵したんだから、最低限そのままの爵位で居てもらうことに支障なんて無かったはずだ」

「じゃあ、なんでそんな事する必要があったんだよ!」

「夫妻からの直々の申し出だ。俺だって、できることなら疎遠になどなりたくなかった」


 半ば叫ぶような調子で喚く青年に、王は淡々と応える。

 けれどそこには決して嘘はない。

 だって、真っすぐに視線を向けている。

 兄さんは優しい人だったけど、特別に清廉な人というわけではなかった。

 多少の瑕は厭わない人だった。

 言い逃れも、誤魔化しもする。敢えて言わないことで勘違いさせることもある。

 けれど、嘘は言わない人だった。


「なあ、お前は何を求めているんだ? どう言ってやれば気が済む?」

「どう、って……」


 向こうから問いかけられるとは思っていなかったのだろう。

 青年は虚をつかれたような声音で、言葉に詰まる。

 刃物を向ける腕からも、微かに力の抜ける気配がした。


「あれは仕組まれたことだったと言ってやればいいのか? お前が思う真実・・の通りだったのだと告げてやれば満足か?」

「ちが――」

「だが俺はそんなことはしていない。お前が、ただの杞憂で、こんな馬鹿げたことをしているという事実は変わらない」

「――っ!」


 脱力から一転、短剣を持つ手に再び力が込められ、その切っ先が動く。

 後ろ手に縛られている僕に、それを避ける術はない。


 肉を、刃が貫く音がした。

 微かに呼気が漏れる。

 次いで、貫いたそれを無理矢理に動かして切り裂いてゆく、気味の悪い音。

 弛緩して倒れる体。

 徐々に赤みを失っていく頭髪と、まるでその赤が移っていくように範囲を広げる鮮血。


「遅かったな。もう少し早くてもよかったんだが」


 相変わらず、淡々とした様相の陛下。

 いや、なんなら、少しリラックスしているようにさえ見える。


「……遅くなって、申し訳ありません、陛下。それと――」


 唖然としたまま、後ろを振り返る。


「――今まで黙っていて、申し訳ありませんでした、殿下」


 そこには、銀の髪を高く結い上げ、芸術品のように整った顔をした男が傅いていた。



「近衛騎士団副隊長、ヒュアトス・セフィルでございます。改めて、ご挨拶を」



 誰も彼も、見慣れた姿をしているのに。

 聞きなれた声音の、はずなのに。

 まるで、知らない人のようだ。

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