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あの日々の向こう  作者: 緋月 琥珀
第三章
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十話


 まずは俺の話をしようか。

 十年前、国は荒れていた。

 当時はそれが日常だったけど、今の王都を見れば比べるべくもない。

 王都にもかかわらず街中をならず者が我が物顔で徘徊して、先週はあそこが、その前はあそこがやられた、今日はここかもしれないと囁き合って、怯えながら日々を凌いでいた。

 地方の方がまだ平和だったんだろうな。王都は人が多すぎて、食べ物さえ交易に頼らなければ十分じゃなかった。

 商売の国でもあるこの国で、道の整備がされなくなるっていうのは致命的だったんだ。その上治安もまともじゃないとなれば、商人が避けて通るのは当然のこと。

 飢えるものが出れば略奪を試みるものが出る。どうしようもない悪循環に陥っていた。

 救いも終わりも見えない明日に、市井の人は既に国の誇りでもあった大精霊の存在を疑い始めるまで追い込まれていた。


 けれど、全てがそうだったわけでもない。

 子供は無邪気だった。

 食べるものも遊べる場所も少なくて、日々は苦しくて、ままならないことばかりだったけど、絶望するほどじゃなかった。

 ミコトくらいの歳の頃の子なんて、食べ物が少ないってことさえわかってなかった。

 空腹が当たり前で、お腹いっぱいになったことなんて無かったから。

 絶望できるほど、ものを知らなかったんだ。


 そんな中で、ある時二人の少年が出会った。

 方やお忍びの貴族子息。

 方や街の孤児院の子供。

 何かの拍子にすれ違うことこそあったかもしれないけど、関わることの無かったはずの二人。

 けれど二人は、あまりにも似ていた。

 夕日色の髪と目、肌の色、目元、口元、鼻筋、体格まで。

 まさに瓜二つ、双子といっても十分通るほどに。

 二人は驚き、喜び、自然と仲良くなった。

 身分の違いはわかっていた。けれど、やんちゃ盛りの男の子二人だ。大人の目を抜け出しては、孤児院の子供も交えてよく遊んだ。

 今思えば、護衛もついてはいたのだろう。貴族ではあったものの、優しかったその両親の気遣いからか過度に咎められることなく、緩やかに制限された範囲内ではあったが、それで十分だった。

 だが、彼の両親は優しすぎた。優しすぎて、清廉すぎて、他の貴族に恨みを買った。

 当時の国の上層部では、いつ誰が国を盗るか、どのようにして利益を貪るかを考える貴族が大半を占めていた。

 その中で、侯爵家だったセグリス家は彼らのできる範囲で民を救い、他の貴族を糾弾し続けた。

 小煩かったのだろう。手こそ出してこないものの、いつまでも潔白であり続けようとするその在り方そのものが。

 謂れのない怒りに、無法者は目をつけた。

 少し嫌がらせをしてやろう。何、少し脅してやるだけのこと。傷もつけなければ文句も言えまい。


 そうして、俺と「カルセドニー」は連れ去られた。

 何も知らず、護衛が数に薙ぎ倒されるのに怯えながら。

 今のミコトそっくりに、なんの抵抗もできずに。




 二人纏めて押し込められた小さな部屋の中。

 明かりはほとんど無く、互いの髪と目が朱く灯るのがよく見えた。


「アガトは巻きこまれただけだ。ぼくが、かならず逃がしてあげるから」


 震えも隠しきれないままに、少年は嘯いた。


「ぼくは、貴族だから。平民を守るのが役目なんだよ」


 怯えて何も言えない片割れに、愚かな自分に、かたり続ける。


「でも、よかった」

「にしても、ほんとによく似てんなぁ。お前どっちがどっちだかわかるか?」


 薄い扉の向こう側から、大人の話す声だけが聞こえる。

 見た目のそっくりな少年たちは、今日は服もよく似ていた。

 孤児に紛れるために仕込まれていた粗末な服を、貴族の少年も着ていた。


「そのかっこなら、きっと、あいつらも勘違いしてくれる」


 孤児の少年は、それを聞いて愕然とした。


「おめえよく見ろよ。生地が全然違ったじゃねえか」

「生地ぃ? 確かに片方はあて布がちぐはぐだったけどよぉ」

「それだよそれ、もうかたっぽのガキは、見た目は似てるしきたねぇが全部目の詰まった上等な綿だぜありゃ」

「ひゃあ、お前よく見てんなぁ」

「間違えたら俺らがやべぇからな」


 互いによく似た少年たちは、その見た目でもよく遊んだ。鏡写しのように仕草を真似したり、入れ替わって孤児院の大人をからかってみたり。


 服を、取り替えてみたり。


「騒ぎはじめられたら面倒だから、とっとと始めっか」

「あんまり気分のいい仕事じゃねえよなぁ」

「孤児一人殺すくらい、今更だろうが」


 そうして「孤児の少年」は髪を、指を、手足を、そして最後はその躯を貴族宅に送られ。

 「貴族の少年」は無事に家に帰す為に生かされた。




「馬鹿だよな。貴族には、確かに平民を守る義務がある。けどそれは、与えられた知識と権力を使って、民が不安にならないよう、不要に苦しまないように、使えるものは全て使えって、そういう話だ。実際に体を張るのはむしろ、その投資を無駄にするようなもので……悪い、話が逸れた」


 そう語る目の前の青年は、紛れも無く貴族子息だ。

 正しく学び、正しく理解した貴族子息に、見えた。 


「結局俺は、助けだされたんだ。その後は、もう貴族の屋敷の自室・・。しばらくは普通の日常を送ることもままならなくて、周りに目を向けられるようになった頃には、とっくに国は変わってセグリス家は家格を落とされていた、らしい。きっと何事もなければ、学園に通うようになるのも数年早かっただろうな。頭の出来は良かったみたいだから」


 最後にいつも通りの茶目っ気を少しだけ覗かせて、語り終えた。

 魔力はとうに薄まっている。彼の視界ではどうだかわからないが、僕の視界にはもう残滓もない。


「……セドは……いや、え、と、君、は……カルセドニー・セグリスでは、なくて」

「そうだな、ただのアガトだ」


 絞り出したような疑問に、変わらぬ表情であっさりと返される。

 目の前の人物が、今ここですり替わったわけではない。

 彼は十年前からずっとセグリス家の一粒種として、カルセドニー・セグリスだと名乗ってきていた。

 僕が知る「セド」と呼ぶその人であることに変わりはないというのに、まるで知らない誰かのように見えてくる。


「さて、ここからが本題だな」


 重たい身の上話を一つ終え、彼はまだ話し続ける。


「俺を助けてくれたのは、黒い髪の男だった」


 まさか。


「言葉は少し不自由そうだった。けど、頭が鈍いわけじゃなさそうだったし、教養もありそうだった」


 兄さん、なのだろうか。

 兄さんがこちらに来てすぐの頃は、言葉がまるでわからない状態だったらしい。僕らが使っている言葉は大陸共通語、話せない人など滅多にいない。

 姉さんも一緒だったし、あれで頭のいい人だから今ではすっかりスムーズに話せるようにはなっているが、僕と違って変換されているわけではない。そのためか、所謂カタカナ言葉を使うこともままある。

 こちらに来たのも、国を立て直したのも、同じ十年前なのだ。僕も平穏な日常とは言い難いが、兄さんが経験してきたのはその比ではないのだろう。


「顔をぐしゃぐしゃにしてセドの事を悔いて、大声で泣きわめいて。国を救ってくれたのも間違いなくあの人だ。王都に入った時のにぎわいは、ミコトも聞いてただろ?」


 問いかけられ、素直に頷く。

 僕の浅慮故にあんなことになってしまったが、その前の活気にあふれた様は耳に新しい。

 いま彼から聞いたばかりの十年前など、想像もできないほどだった。


「でも、正直恨んだよ。どうしてあと少し早く助けてくれなかったんだって。あとほんの少し早ければ、セドは死ななくて済んだかも知れなかったのにって」

「だから、復讐したいの?」

「ああいや、ちょっと違う。考えたことが無かったわけじゃないけど……一つだけ、どうしても疑念が拭えないことがあるんだ」

「疑念?」

「俺もあの頃の記憶は曖昧だけど……ミコトは、革命の時、どれだけ時間がかかったか覚えてる?」


 不要なことは言えないので、黙って首を横に振った。

 十年前に革命があったとは聞いているが、具体的な話を聞いたことはなかった。教師役をしてくれていたセリアさん自身が、あまり詳しいことを知らなかったというのもある。


「たった一週間だったんだ。動き始めてから七日ぽっちで、あの人は城を制圧した」

「それは……大精霊様がいたからじゃないの。たしかに早いとは思うけど、それ自体はおかしなことじゃない、と思うんだけど……」

「正当性の主張と、民衆の先導ならそれでいい。武力も……犠牲になった人がいて、ミコトみたいに孤児になった子供も多かったけど、まだ納得できる。問題はその後だ」


 一瞬向けられた哀れみの視線を受けて、自分は違うのだという思いでかすかに顔が歪む。

 かつての自分と同じような状況に僕を置いていることへの、負い目もあるのだろう。けれど、それらは見当違いだ。僕と彼は違いすぎる。

 それを言う事ができず、結果として同情を買おうとしているようにさえなってしまう自分の立場が恨めしい。


「政治の形態ごと変えたわけじゃなくて国主が変わるだけなんて、普通なら貴族が黙ってない。勿論、あの人も短い期間だったけど根回しはしていた。でもそのきっかけが、あの事件なんだ」

「セドを……君を助けたことでセグリス家と、既存の貴族との繋がりを得たってこと?」

「当時セグリス家は侯爵家だった。まともな貴族はほとんど、セグリス家の派閥にいたんだ。……おかしいだろ?」


 絞り出された声音は、ひどく不安定だった。


「時代が時代で、まだ八歳だったとはいえ、セドは侯爵家の長男だったんだぞ。あんな大それた事を考えるやつが出るなんてこと自体信じがたいくらいなのに、それをたまたま助けて、そこから一週間で国を盗って。誘拐事件自体が公にならなかったうえに、協力したはずのセグリス家は子爵家まで家格を落とされたし、当時主犯とされた家の人間ももういない」


 見当違いの事を言われたのなら、反論するつもりでいた。

 再会した兄さんはあの頃から十も歳を重ねていたけれど、それでも確かに僕の知っている兄さんだったから。

 兄さんのことなら、少しはわかっているつもりだった。


「本当に、あの事件は偶然起きただけだったのか? ……貴族への伝手が欲しかったあいつが、仕組んだ事だったんじゃないのか? セグリス家は、あの優しい人達は、騙されて利用されたんじゃないのか?」


 でも、だからこそ、彼の疑問を否定できない。

 兄さんは優しい人だったけど、特別に清廉な人というわけではなかった。

 むしろ僕に施されていた術が程度を弁えていたのであれば目こぼしするつもりだったように、目的のためであれば多少のきずは厭わない人だった。


「俺は、それを聞きたい。言い逃れや嘘や誤魔化しじゃなくて、本当のことが知りたいんだ」


 もし、彼の疑念が、ただの考えすぎで無かったとしたら。


「知って、どうするの」

「……どうするんだろうな」


 この「カルセドニー・セグリス」の亡霊は、何をするのだろう。

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