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あの日々の向こう  作者: 緋月 琥珀
第三章
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八話

 それからまた森の中を一日かけて静かに進み、日も落ちかけてようやく森を抜けかけた頃に泊まる予定だった町に着き、何事も無く一晩明かし、また次の日出発して、今度は普通の野宿をして。


 そして今日、ようやく王都へたどり着いた。


 まだ城下町へ入るための手続き待ちで外壁の外ではあるが、事前に申告が必要なものでもなく、また僕自身も身分を証明できるものこそ持ってはいなかったが、貴族であるセドとシスカさん両名からの証言、それからおそらく学園長が手を回してくれたのだろう。

 少し時間はかかったが、問題なく町に入ることはできた。

 そう、入ることは。

 僕は今、狭い路地裏をわき目もふらず一人駆けていた。




 王都に入ってすぐに、シスカさんと別れることとなった。がやがやと活気に溢れた様子が幌の中からでもよくわかる。

 彼女は国外からの留学生だが、基本的にはこの国の縁故の貴族の家に滞在しているらしい。迎えの馬車もその家からのようだった。

 見送りをしようと馬車から出たセドに続いて出ようとすると、何故か御者さんも含めて三人ともが困惑したような、押しとどめるような態度を見せた。その時に、僕の髪に注視していたこともわかっていた。

 今思えば、この段階で何かしらに気が付くべきだった。

 けれど僕は、彼女たちの態度を「大袈裟だ」と断じて、なんでもないようにひょっこりと馬車から降りた。

 多少の事なら、動じないつもりでいたのだ。奇異の目で見られるくらい、学園でも十分すぎるほどだと思っていた。

 けれど、僕が姿を現した途端、周囲のざわめきが変質する。

 一瞬静まり返り、楽し気だったそれが不穏なものに変わるまではほんの数秒。

 思った以上の反応に固まってしまった僕を、セドとシスカさんがさりげなく人目から庇ってくれようとしたのがわかった。

 けれど、完全に遮ることはできない。ましてや囁き声など筒抜けだった。


「黒……?」

「やだ、初めて見た」

「うそ……」


 視線がそのまま糸になって絡みついたかのように、微動だにすることもできず。


「あ、あ……いや……」

「学生か?」

「ひぃっ」


 小さな悲鳴や嗚咽が混ざり始めたそれは、少しずつ広がっていく。


「不吉な」

「気持ち悪い」


 そして野次が、罵声が、耳に入ったその時。

 僕は逃げ出していた。


 前に兄さんと歩いた時のことで油断していたのだろうか。

 髪の色を変えたのは、身分を隠すためなどではなかった。

 そうでもしなければ、とても街中など歩けないからだったのだ。

 学園で既に十分すぎるほどの視線に晒されたと思っていた。

 学園より余程、ここは視線が突き刺さった。

 ……それは、そうだろう。

 黒い髪への偏見、もとい過度な迫害が薄れ始めたのは、今の陛下、もとい僕の兄さんが国王となってからのことだ。

 それから十年。わずか十年でしかない。

 学園の生徒は、入学してくる歳にこそバラつきはあれおおよそが十代の若者だ。高学年にだって、三十に届く人はおそらく数えるほどだろう。

 つまり彼らはそのほとんどが、黒髪に対するイメージとして「英雄」が刷り込まれている。

 学園で感じる視線は、ほとんどが物珍しさによるものだった。他の感情が無かったとは言わない、中にはあからさまに憐憫とも呼べるものを向けて来た人もいた。忌避感も、確かにあったのだろう。ヒューも言っていたように、人の髪の色が変わるその場を見たことがある人もいたはずだ。

 でもここは、そんなに温いものではなかった。

 一番多い割合を占めたのは学園と同じ、物珍しさからだろう。けれどそれは細分化された中の一つでしかなく、多くても五割、少なくて二割、その程度。

 それだけ、この髪に向けられる感情は多様で、雑多で、そして何より、あまりにも強いものだった。

 昔から根付いてきたであろう忌避、嫌悪。

 英雄と同じものを有する相手に向ける、僅かな羨望。

 触れられたくない記憶を否が応でも思い出される悲哀。

 疑問、嫉妬、恐怖、驚愕、怒り。

 わかっていたはずだった。いや、つもりだった。この反省をこの一週間で何度繰り返せばよいのだろう。

 あの「学園」という場所は、なんと優しかったのだろう。


 息は上がり切って、胸が痛い。けれどまだ脚が動くから、走った。

 口の中が渇いて貼りつく。喉までそうなって噎せたけど、唾を飲んで走った。

 道が狭くなる。石畳が無くなって、むき出しの地面になる。ぬかるみの泥で足を滑らせて、転んだ。

 手はついたが、借り物のままの服の膝に泥が滲みて来る。急に止まったせいか、心臓が痛くて、喉の乾きも限界で、動けないまま何度も咳き込む。

 どうにかなりそうだった。

 他人からあれだけの感情を向けられた事も、自分の浅ましさも、苛立ちも、何一つ消化できやしない。

 奥歯が軋むほどに噛み締めて醜く唸り声を上げる。握りしめた拳で地面を叩きつけても、踏み固められた地面の固さと表層のぬかるみのせいで滑って、粘着質な泥が跳ねて。苛立ちを助長する。

 魔力がひどく暴れているのがわかる。それでもまだ、何かを傷付けるには至らない。

 背筋が寒くなるほどの激情なのに、声を上げることもできない。旅の間に少し伸びた爪が掌にきつく食い込むが、丈夫になった掌の皮を貫くこともない。


「……ごめん」


 背後からかけられた声を耳にして、意識が逸れて、消えた。




「少し、話がある」


 火の番を代わり、もう寝ようと思った矢先に引き留められた。


「えっと……明日じゃダメ?」

「ダメ、今」


 僕、眠いんだけど。

 と思ったが、どうやら彼女の方にもそれなりの理由がありそうだ。

 仕方なく、もう一度火の傍に寄ってシスカさんの話を聞く。


「できるだけ、手短に話す。それと、大声を出さないように」

「まあ、夜中だしそりゃあ……どうしたの?」


 渋々であったのは認めるが、彼女の様子を見て少し考えを改めた。

 格好こそいつも通り気が抜けているが、その表情は真剣そのものだ。


「あなたは、学園の警備がどうなってるか、知ってる?」

「学園の、警備?」

「あれだけ貴族子息が集まる場所で、なんの警備も警護もないはずない」

「……言われてみれば」


 この世界の貴族事情というのは知らないが、魔術が使えるからといって安全なわけではないらしい。僕がこの場にいるのが何よりの証拠でもある。

 少なくとも、なんらかの防衛手段があって然るべきなのだろう。

 けれど、僕の知る限り学園内にそれらしいものはない。

 衛星都市との境のゲートには門番さんはいるものの、学園を囲う柵自体は通り抜けようと思えば容易に抜けられる。

 教員たちや生徒自身がそれなりの自衛手段を持っているとはいえ、ルチルさんの魔力が暴走した時のことを思い出せば監視システムのようなものがあるわけでもなさそうだ。

 けれど、何故今そんな話を?


「これは、留学生と高位の貴族子息にしか知らされていない。けど、あなたは知る権利がある……と思う」


 微かに迷ったように語尾を揺らがせるシスカさん。彼女のこういった様子は少し珍しい。


「えっと、無理に話さなくても……」


 僕としては厄介なことになりそうなのであれば遠慮したい、というのもあり止めたが、彼女は首を小さく横に振ると再び口を開いた。


「あの学園には、いくつか私達の教えられている魔術とは違う法則で動いているものがある」

「ああ、うん。学生証作る時とか、転移陣とか……」

「そう、多分、大精霊様が関与してる」

「そ、そうなの?」


 確かに、王宮にいた時に兄さんがそんなことを言っていたような気がする。


「そして学園の敷地自体にも、一つ大きなものが仕掛けられている」

「それが、警備に関係ある?」


 黙って頷くシスカさん。


「あの学園は、学園関係者以外立ち入ることができない」

「……立ち入ることができない?」


 また一つ、彼女が頷く。


「学生証や教員証を持っているか、一部の業者、管理人。例外として、門で許可証を貰うことでその所持者は出入りができる。けどそれ以外は決して入れない。そういうふうにできている、と」


 思い返せば、この世界に来た時に、学園長は「どうやって入ってきたのか」と気にしていた。

 「そういうふうにできている」のであればなるほど、あの時の僕の現れ方は、学園長が最大限警戒するに値したはずだ。


「……まだわからない?」

「……ごめん、眠くて頭回ってないかも」


 何かしらの反応を期待していたのだろうか。そのまま続きを促そうとした僕に対して、微かに顔を強張らせてこちらに尋ねてくるシスカさん。

 そのまま一つ息をつくとまた問いかけて来る。


「あなたが襲われたのは、どこ?」


 その問いで、僕も目が覚めた。


「……馬車の、待合、の」

「裏門の外には?」

「……出てない」


 学園の馬車の待合。そこにあるのは、道に面した柵と、出入りのための門。その外側・・に、ロータリーのように広く転回できる道。

 なるほど、学園内に部外者が入らないようになっているのだろう。

 そして、僕が襲われたのは、待合のベンチに座っている時、門の内側。つまり――




「あ、ミコト。起きた? 水飲むか?」

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