四話
「ただいまぁ……」
「おかえりミコトー、どしたの?」
「いや、初めて尽くしで疲れた……」
自分のベッドに倒れこむように突っ伏す。
まだ昼過ぎだけど、疲労感でいっぱいだ。慣れないことをするのは疲れる。
結局、あの子の名前も聞きそびれた。席も隣なんだし、すぐにわかるだろうけど。
「ちょっとー、ヒュー!?」
ぐったりと横たわっていると、不意に窓から甲高い声が飛び込んできた。
「いつになったら迎えにくるの!? もうお昼の時間終わっちゃうじゃん!」
はためくカーテンをかき分けるようにして姿を見せたのは、輝くような金の髪を高い位置で二つに結わえた少女。
とはいえ、生憎セフィル君はまだ部屋に戻ってきていない。
「……あれ、いないの?」
「姫さん、男子寮に突撃するのはやめようって言ったよな?」
きょとりとした顔で小首を傾げる少女を、セドが疲れた様子で諫めていた。
部屋の中をくるりと見渡した彼女の目が、僕に留まる。途端、目を大きく見開き、慄いたように口元に手をあて――
「……セドが女の子連れ込んでる!」
「うわー、俺と同じ反応だー」
「……男です」
疲れも相まってひどく気の無い返事になってしまったが、許して欲しい。慣れもあって別段不快ではないがうんざりしてきた。
「えへ、ごめーん、冗談です! ヒューからちゃーんと話は聞いたから知ってるよ! ミコト・ヒイラギ君、だよね?」
「そう、ですけど……あなたは?」
「あ、申し遅れました! あたしはルチア、ヒューの学費提供者やってます!」
敬礼のような動作と共に名乗り、快活に笑う様は太陽を思わせる。少し動くだけでもきらきらと煌く長い髪は、結わえていてもなお腰ほどまではありそうだ。
「えーっとね、今日はお昼のお誘いに来たんだけど……もしかして、もう食べちゃった?」
「いえ、まだですけど……僕、ちょっと今持ち合わせがないので……」
「そーいうのはいーの! ミコト君の歓迎会なんだから、ヒューにでも支払わせておけばよし!」
校内での食事であっても、食堂以外は有料だ。
まさかの荷物に現金が入っていないという事態に陥っているため無一文である今、辞退しようかと思ってそう言ったのだけど……気持ちはありがたいけど、君が払うわけじゃないのか。
「じゃあ、あたし先に行ってる! 他の二人ももう待ってるから、早めに来てよね!」
来た時と同じく唐突に、長いツインテールと制服をひるがえし去っていくルチアさん。これでもかと短くされたスカートの裾に視線を奪われかけて、セドの生暖かい視線に気づき慌てて目を逸らす。
「……短いよな」
「……うん」
「でも、まだ一度も見えたことないんだ」
「あの短さで!?」
「そう、あの短さで」
「ただいま……なんの話だ?」
アホな話をしている間に戻ってきたセフィル君を連れて、普段利用しているという中庭の食事処へ向かった。
「……」
「あ、どうも……?」
屋外に置かれた白いテーブルに、質素な日よけ用のパラソルがかかっている。ピークは過ぎたのか、他の生徒の姿はまばらだった。
「……今日って、ヒュアトス達と同じ部屋に来た人の歓迎会よね?」
不思議そうな顔をしてルチアさんにそう問うのは、何を隠そう僕の隣の席に座っていたあの美少女だった。
「そうだよ?」
「……同室ってことは、その人は男性よね?」
……まさか、ずっと勘違いされていたのだろうか。
「当たり前じゃん、男子寮には男子しか入れないもん」
また恒例のあれをやるのか。さっきやったばっかりなんだけど。
もういっそ髪を切ればいいのだろうか、多少は男らしく見えるかもしれない。
彼女は数秒無言で考え込んだ後、何かに思い至ったようにこちらにバッと振り向いて、予想通りの一言を述べた。
「……男!?」
「……はい、男です」
「嘘よ!」
「いや、そんな嘘ついてどうするんですか……」
いつまでやればいいんだろう、このやりとり。
あとセド、君は人の事笑えないから。
「だって、そんな、わ、私より可愛い男なんて居てたまるものですか……!」
「……は?」
ひどく動転した様子で吐き出された色々な意味で予想外の言葉に、思わず間の抜けた声が出る。
今この子、なんて言った? すごくツッコミどころのありそうなセリフが聞こえた気がするんだけど。
「お嬢はどっちかって言ったら綺麗系だしなぁ」
「あ、わかるー! 可愛いとこもあるけど、美人って感じ!」
「大事なとこそこじゃないですよね!?」
「私にとっては大事なのよ!」
「いや、ええ……?」
「そもそも、さっきだって女の子だと思ったから声をかけられたのに、それが、お、男だったなんて……」
段々と最初の勢いがなくなって顔が紅潮してゆき、行き場のなくなった手で顔を隠し、終いには語尾が震え始める。
「あー、ミコトくん泣かせた。いけないんだー」
「僕のせいなの!?」
「泣いてないわよ!」
僕と彼女が声を張り上げる間もセドとルチアさんは楽しそうに笑っているし、ヒューは我関せずといった有様でいつの間に人を呼んだのか何かを注文している。
残る一人はと言えば……
「……それで、えーっと……そちらは?」
控え目に笑いながらもどこか居心地が悪そうに肩を縮めて座っている、鈍い銀の髪の少女を示して問いかける。
「え、あ……えっと……同じ組の、ルチルと申します。えと……」
いきなり水を向けられて驚いたのだろうか。肩を軽く跳ねさせ、おずおずといった様子で名前だけ告げて口ごもってしまう。
「あたしの双子の姉なの。あたしとセリアと三人で寮の同室!」
双子……二卵性双生児というやつだろうか。
髪の色も顔つきも……ついでに体つきも、まるで対照的だ。似ているところを探す方が難しいかもしれない。
「えーっと……すみません、金髪の方がルチアさんで、銀髪の方がルチルさん、で合ってますか?」
「うん、合ってる!」
ルチアさんが答えるのと同時に、ルチルさんも無言でこくこくと小さくうなずく。
「そんで、さっきも言ったけどあたしはヒューの学費を出してて、その繋がりでセドも含めて、なんとなく五人で一纏まりー、みたいな?」
「ああ、なるほど……それで、えーと、彼女がセリアさん……でいいのかな?」
いまだに不服そうな顔をしたままの美少女、もといセリアさん(仮)に視線を向けて確認する。
全員が目を丸くして僕と彼女をそれぞれに見つめる。
……いや、当事者まで驚かないで欲しい。
「セリア、自己紹介してなかったの? 席となりだって聞いたけど」
純粋に疑問、といった様子で尋ねるルチアさんに彼女はまた顔を少し赤らめた。
「……言われてみれば、していなかった気もするわね。失礼したわ」
一つ咳払いをして姿勢を正し、対面に座る僕に真っすぐに視線を向ける。整った顔によるものだけではない、静かな迫力のようなものを感じて、こちらも自然と背筋が伸びた。
「バルシア公爵家長女、セリア・バルシア、歳は十六よ。……なんだか長い付き合いになりそうだし、よろしく頼むわ」
そう言って彼女が軽く頭を下げると、神秘的な白の髪がさらりと揺れた。
「いえ、こちらこそ……公爵家?」
「ええ、そうよ。家の名前くらい、聞いたことはあるでしょう?」
いや、無いです。
とはいえそう言えそうな雰囲気でもない。公爵家って、つまり貴族制があるってこと? 爵位とか全くわからないんだけど、公爵家ってどれくらい偉いんだ? というか、普通に学校通うものなの? 僕、不敬罪で処罰されたりしない?
「すみません、ちょっと情報過多で混乱してきて……」
「まあ、無理もないわね。別にいいわよ、学園にいる間は身分なんて有って無いようなものだもの。気にしなくていいわ」
「ちなみに俺は子爵家長男」
「あたしたちは伯爵家の長女と次女でーす。気にしないでね!」
「うそぉ!?」
セド、ルチアさんと立て続けに明かされる身分に慄く。残る一人、セフィル君はどうなのだろう。まるで彫刻のように整った顔、疑い始めたらすごく高貴な感じに見えてきた。
「……安心しろ、俺は平民だ」
「今、ものすごく親近感が湧きました」
一人じゃないというのがこんなにも心強いなんて。
「それよりあなた、ちょっと――」
「お待たせしましたー! 特大チョコレートケーキ三段重ねでーす!」
セリアさんが何か言いかけた時、それを遮るようにして店員さんが巨大なケーキをテーブルのど真ん中に置いた。
……いやいやいや待って欲しい。ナニコレ。なんでウェディングケーキみたいな大きさしてるの?
「絶対に残さないでくださいね!」
にこやかに去っていく店員さん。あなたよくこれ一人で運べましたね?
いやそうじゃない、そうじゃなくて。なんだこれ。絶対六人で食べる量じゃない。
「……あの、これは?」
「歓迎会なんだろう? 菓子が要ると思ったんだが」
「いえ、そういう問題ではなく」
「甘いものは苦手だったか?」
「いやだからそういう問題でもなく」
「代金なら心配するな、俺が出す」
「だからそうじゃなくってさぁ!」
「他に何か問題が――」
「なんでこんなもの頼んじゃうのよこの馬鹿ぁ!」
セドとルチアさんが腹を抱えて大笑いする中、セリアさんの今日一番の叫び声が中庭にこだました。
「な、なんとかなった……」
数十分はかかっただろうか。ようやくケーキの最後の一口が、セフィル君ことヒューの口に消えたのを見届けてぐったりとテーブルにもたれかかった。
死屍累々といった有様だ。特に女の子にとっては恐ろしかっただろう。カロリー的な意味で。
一応、食べながら色々な話ができたのは有益だった。学園の内部のこととか、授業内容とか。その過程で敬語もはずれ、僅かながらぬぐえなかった緊張も消えた。それだけの余裕を奪われたと言っても正しいかもしれないけど。
「それにしても、一つ気になってたんだけど聞いていい?」
「今のうちに聞いておけ、大体のことは誰かが知っている」
そう言うヒューも、他のメンバーの補足が主ではあるものの知識の幅が広い。成績はこの中だとセリアさんに続いて二番目にいい、らしい。
「じゃあ聞きたいんだけど……ヒューの学費をルチアさんが出してる? って、どういうこと?」
「どうって……そのままの意味だよ?」
腕ごと上半身をテーブルに投げ出したような状態で、顔だけ上げて首を傾げるルチアさん。その表情には覇気がない。僕も同じようなものだと思うけど。
「いや、えっと……平民だと払えないくらいの金額、なの?」
「成績次第だけど……一番ひどいと、確か年間の学費が金貨三百枚くらい?」
「一般的な平民の年収の、十数倍だな」
……年収の、十数倍?
「あ、ヒューは成績いいから、あたしはほとんど経費しか出してないけどね。ミコト君は誰の支援で通うことになったの?」
「……いや、それが全然知らなくて……というか、支援もらってるのかな……?」
「ど、どういうことよ?」
「いや、ほんとに突然来ることになって、昨日まで学園の存在も知らなかったくらいで……」
「そうなんですか? とても落ち着いているように見えたので、てっきり早いうちから決まっていたのかと……」
小首を傾げるルチルさんに、痛いところを突かれたような気分になる。
……そういう話にしとけって言われた気もしないことはないけど、嘘は言ってない。
確かにルチルさんの言う通り、言われてみればこちらに来た当初こそ混乱したものの、今はかなり落ち着いているとは思う。あまり雰囲気が日本の学校と変わらないからなのか、逆に思ったよりも混乱していて頭がおいついていないのか、自分でも判断がつかない。
「……だと、ミコトの学費ってどうなってるんだ?」
にわかに緊張感が走り、沈黙に包まれるテーブル。先ほどの店員さんが迷惑そうにこちらを見ていた、早く片づけたいのだろう。
「……あたしのところはあたしたちとヒューだけで精一杯だよ」
「俺も、俺だけで限界」
「私はそもそも家に対してそんな権限なんかないわよ」
と、なると。
「……ミコト」
「……なんでしょうか」
隣のセドがすっくと上体を起こして真面目な顔で語り掛ける。
「頑張って、自力で探そう」
「もう終学期で、人間関係出来上がっちゃってるし……」
「難しいかも、しれませんけど……」
「……協力はする」
「……マジか」
「……まあ、頑張りなさい」
入学二日目にして、退学の危機である。