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あの日々の向こう  作者: 緋月 琥珀
第三章
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一話

第三章、始まります。


 冬学期の授業が終わり、今は春篭りのために荷物をまとめる期間だ。

 春籠りのための休校という特性を鑑みてか、終業式や成績の開示は行われない。まだ新しい学年になって間もないというのも大きいだろう。

 一般的に春篭りを始める時期よりも二週間ほど早く授業は終わるが、中途半端に家の遠い生徒は大忙しとなる。学園から出る乗合馬車も本数がいつもよりも増え、あちこちがうわつき、ざわついていた。

 かく言う僕も、学園長やセドとヒューに口うるさく言われながらの支度中だ。と言っても、僕の荷物はそう多くない。服も古着が夏服と冬服それぞれ数着ずつといつもの制服があるだけだし、それ以外の物と言えば学園で使う文房具や魔術の練習用の学園から支給された道具、あとは学園長経由で兄さんから貰った僅かばかりの武具だろうか。

 所謂趣味のための物がびっくりするほど無いことに驚くやら悲しくなるやらだが、そもそもそれだけの精神的な余裕や金銭的な余裕自体そう無かったのだから仕方ない。

 それを思うと、今でこそ出立後で少なくなっているとはいえヒューのあの大量の本やら服やら雑貨やらはどこから出てきているのだろうと思えて来た。まさかルチアさんの家から貰った小遣いだけであれだけの品を積んでいるのだろうか。ちょっとぞっとする。

 それだけの荷物で何をそううるさく言われているのかと言えば、春篭りのための荷物だからだ。普通の旅行とはわけが違うということらしい。

 僕は今回大事をとって学園長と一緒に王都へ戻る、という体で話しているが、実際は例の陣を使って王宮に直帰することになっている。この季節に表立って迎えに行くのは目立ちすぎるし、かといって普通の旅路でとなると、黒い髪というだけで全く関係のない恨みを買うことも珍しくなく、その上この容姿だ。途中一つ二つ小さな町や村を経由する際にはそこで宿を取ることにもなるが、何か変なことに巻き込まれないとも限らない。というより、最早巻き込まれるのは確定事項だと考えた方がいいだろうとさえ言われた。

 本来の身分のことを考えれば旅の途中で何かあった際には立場を公表せざるを得なくなる。そうでなくとも大騒ぎだ。外を見て回れる貴重な機会かとも思ったが、危険であると言われれば護身もできない僕が我儘を言える立場ではない。

 先ほども言ったように、ヒューは二日ほど前に大量の荷物と共に帰って行った。セドも明日には出発する。二人が出たら僕も学園長に連れられてまたしても王宮で軟禁生活の再開となる。……学園にいる時も、そう頻繁に外には出ないけど。




 そうして訪れた翌日の朝。


「寝泊まり用の荷物」

「持った!」

「路銀」

「分けた!」

「野営道具その他」

「多分大丈夫!」

「えーと……護身用の装備?」

「した!」

「うん、大丈夫じゃないかな」

「ミコト元気無いな」

「いや、こんな朝っぱらからそんなに気分盛り上げられないって……」


 まだ夜も明けきらぬ……とは言わないが、ようやく空が白み始めて来た頃。部屋で大きな声で出発確認をする。隣にも上にも入居者がいないからこそできるはしゃぎ方だろう。ちなみに、事故で使えなくなったという本来割り当てられていた部屋だが、修繕は既に済んでいるものの、当分は新しく生徒を入れることはしないらしい。もしかすると卒業するまでこの部屋は離れ小島だ。

 ……余談だけれど、どうもその部屋が使えなくなったのは、セリアさんのせいらしい。詳細は知らない。

 先日もセドに合わせて早く寝たとは言え、起こされて荷物確認の手伝いをしている。本当は見送りだけのつもりだったんだけど……。

 セドの分の部屋の鍵を寮監さんに預けて寮を出る。彼の荷物を試しに持たせてもらったが、僕如きでは片手ではとても持ち上がらなかった。といってもほとんどは馬車の中や宿に置いて過ごすものだから身に着ける荷物は最小限ということらしい。それでも僕にとっては重たいと思うほどだったけど。一体何をそんなに詰め込んでいるのだろう。


「今更なんだけどさ、セリアさんたちは家の馬車で帰ってったけどセドは? 一応貴族の家……だったよね?」

「一応って言うなよ一応って。貴族っていっても、子爵家なんて下手な商人の家より金無いぞ? 伯爵家以上は上流貴族だから規模が違うんだよ。土地はもらえるし永代貴族ではあるから、騎士爵よりは貴族らしいけどな」

「……え、騎士って爵位なの?」

「……なんだと思ってたの?」

「しょ、職業の一種……」

「……まあ、実際ほとんどそんな感じではあるけどな。正式には貴族の一員だぞ、一代限りだけど」


 軽くカルチャーショックを受けている間に遠目に馬車の乗り場が見えてくる。

 まだ待合には誰もいないようだ。少し出るのが早かっただろうか。

 馬車用の門は空いているが、まだ続く道にも馬車は見えない。そういえば僕、馬を近くで見るの初めてかもしれない。


「……あれ、ミコト。俺土産って持ったっけ?」

「え、いや僕は知らないけど」


 土産、持っていくのか。貴族でも。学園から一体何を持っていくというのだろう。


「だよな……どうしよ、母さんに頼まれてるんだけど」

「何を……いやそれはいいや。まだ時間もありそうだし、取ってくれば? 最悪馬車が来ても御者さんに伝えておくよ。そんなに厳密な時間で動いてるわけじゃないんでしょ?」

「ごめん、助かる。ちょっとそのへんで待ってて。すぐ取って来る!」

「いってらっしゃーい」


 大荷物ごと引き返していくセドを見送ってあくびを一つ。

 個人の送迎用ならともかくとして、乗合馬車用の門は正門からは離れている。図書館の裏手側で普段はそう人気は多くないものの、馬車の待合のためにベンチがいくつか置いてある。裏手側とは言え外部の人間が出入りする場所だからか、花壇も整備され日中は日当たりもよく、心地の良い場所だ。もっとも、この時期の朝方なのでひどく冷えるしまだ暗いのだけど。

 そのうちの一つに腰かけてセドを待つことにする。ちゃんと上着を着こんできてよかった。

 魔力があっても寒いものは寒い。霜焼けにこそそうそうならないらしいが、息は白いし指先はかじかむ、立地の関係なのか風も強くて早く部屋に帰りたい気持ちでいっぱいだが、どちらにせよ見送るまではここに居なければならない。

 まだこれだけ寒いのにもう春の準備をするのか、と不思議な気持ちになりかけたが、そりゃあ暖かくなってから準備をしたのでは遅いのだから寒いうちに支度をするのは当たり前だ。

 春というのは、どうにも姉さんと兄さんを一度失ったあの日を思い起こさせて苦手だ。

 ふわふわと頼りなさげに見えて肝が据わった人だった姉さんも、振り回されてばかりいるけど根っこのところはいつも冷静だった兄さんも、そのくらいで死んでしまうなんて思えなかった。まだ若かったし、住んでいたのは二階だった。多少の怪我覚悟で飛び降りれば焼け死んでしまうことなんてなかったはずなのに。

 何かの間違いなのではないかと思って、けれど二人の遺体として見せられた煤と灰に塗れ炭化さえしていた何かは、確かに二人の面影があったのを認識してしまった時。全焼してしまって危ないからと早々に片づけられた僕も暮らしたアパートの跡地を見に行った時。僕が拠り所にできるものが無くなってしまったのではないかと絶望した、あの時。

 卒業式は終わっていたし、もしかしたら桜が咲いていたのかもしれない。全く覚えていないけど、覚えていなくてよかった。桜を嫌いにならなくてすむ。

 そういえば、この世界に桜はあるのだろうか。春の訪れを概ね予測できるということは、何かしら指標になるものはあるのだろうけど。植物のことはよくわからないからあの世界と見比べて判断することはできないし、仮に詳しかったとしても日本とは気候どころか生態系から似て非なるものだ。きっと大して参考にはならなかっただろう。

 それにしても、誰も来ない。寮を出るのが早すぎただろうか、それともセドが時間を間違えたのだろうか。

 急に視界が暗くなる。無防備にのけ反って開いた口元を、何か冷たいものが覆った。

 驚いて逃れようとするが、頭をしっかりと抑えられていて座った姿勢からでは動くこともままならず、呼吸が満足にできないせいで大声を出すこともできない。

 抑える手をなんとか外そうとするが、力の入らなくなってきた手では小指の一本を引きはがすことさえ叶わなくて――。




 ガタガタと騒々しい音が聞こえる。かけ布の隙間から入る空気が冷たくてそれを塞ごうとするが、どうも大きさが足りないようだ。寝ている間に回ってしまったのだろうか。

 回してみると余計に隙間ができる羽目になった。何かがおかしい。

 不思議に思って目を覚ますと、そこは知らない部屋だった。いや、部屋ですらないかもしれない。少し埃っぽい匂いと、外気がそのまま吹き込んでいるかのような気温……いや、これは。


「っ、けふっ」


 声を出そうとして、違和感のあまり軽く咳き込む。いや、軽くしか咳き込めないというか。

 麻酔をした後のように、舌や喉の感覚が曖昧だ。下手に喋ると気付かないうちに舌がずたずたになっていそうな気がする。

 何か薬品でも嗅がされたのだろうか。あんな短時間で気絶するような薬は無いみたいなことを聞いたことがあったような……いや、ここは異世界だった。入手難度はともかく、存在くらいはしてもおかしくないのかも。

 耳を澄ませると相変わらずガタガタと不規則な音がする。感覚が鈍っていてわかりにくかったが、どうやら少し揺れているようだ。頭の下には何か布の塊が置いてあって頭がひどく跳ねることはない。

 慎重に体を起こすと、どうも馬車か何かの中のようだ。御者の方は仕切りがあって見えない。

 ……気絶する前の状況からして、誘拐、だろうか。でも、それにしては自由すぎる。どこにも拘束してあるような様子はないし、声も出そうと思えば出ないわけじゃない。

 馬車の速度も決して早くはなく、容易に外に出ることができそうだ。馬車の中には物が積んであるようだが、埃避けか白い布がかけられていて他の人の姿は無い。馬車の後部から見える外には人の姿も無く、ただ道が続いているのがわかるだけ。石畳こそないが、綺麗に均された広い道のようだ。霞むほど遠くに学園らしきものが見えた。もう日はかなり高いようだ。昼を過ぎているかもしれない。喉が渇いたが、手の届くところに飲み水はなさそうだ。

 状況を確認するにつれて焦りが募る。何が、僕は、どこへ。

 急に馬車が斜めに進み、少しだけ進んでゆっくりと止まった。すぐに馬車の前方から人の気配がしてくる。どうしよう、僕はここにいて、大丈夫なのだろうか。寝たフリをしてやりすごすべきなのだろうか。どうしたらいいかわからず混乱している間にも、足音が一つ近付いてくるのがわかる。

 おろおろしている間にその人は馬車の後部の開放部から中を覗き込んだ。逆光で顔はよく見えない。が、すぐに誰なのかわかった。


「あ、ミコト。起きた? 水飲むか?」

「せ、ど……?」

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