十話
翌朝、何か鈍い音で目が覚める。
何事かと思って起きると、他の二人も目を覚ましていたようだ。日も昇りきらぬ、という時間ではあるが、時期が時期だ。極端に早い時間というわけでもない。どうやら誰かが窓をたたいているらしく、一番窓に近いヒューが警戒しながらカーテンを開ける。
と、そこにいたのは、身だしなみもそこそこにといった有様のセリアさんだった。ひどく慌てた様子で、素振りだけで窓を開けろと促してくる。
三人揃って寝起きである事も忘れて窓を開けられる。早朝のつめたい空気が薄着に堪えるが、そんな事を言っている場合でもなさそうだ。
「ルチアが、ルチアがいないの!」
話を聞いたところ、朝起きてみたらルチアさんがいなかったらしい。昨夜寝るところは確認したということなので、おそらく早起きしてどこかへ行ったのだろう。ルチルさんはまだ眠ったままだという。
「……それだけ?」
「普段通りだったら私だって気にしないわよ! でも、昨日のこともあるし……そもそもあの子がこんなに朝早くに起きたとこなんて見たことないわ。いっつも姉妹揃ってギリギリまで寝てるのよ!」
なるほど、それは確かに不安になるかもしれない。僕も朝起きてヒューがいなかったらぎょっとするだろう。
なお本人は第一声を聞いた段階で寝巻のまま飛び出しかけたのをなんとか押しとどめ、今はおそらく脱衣所あたりで着替えているはずだ。流石にセリアさんの目の前で着替えさせるわけにはいかない。
「寮監さんには? こんな早い時間に出てればわかると思うけど」
脇から顔をのぞかせるセド。窓は結構大きいが、二人並びきれるほどでもないので自然と覗き込むような姿勢になる。
「報告はしたわ、でも見てないって。その……もしかしたらあの子、窓から出ていったのかも」
「窓から!?」
「と、時々あるのよ! 何度か見てるわ!」
疑ったというつもりではないが、俄かには信じがたい話なのも事実だ。決して上がれないような高さではないし僕らの学年は一階だから不可能ではないが、少なくともスカートを履いてすることではない。ましてやルチアさんは他の生徒よりもスカートを短く着ている。人の有無程度は確認しているだろうが、それにしたって大胆な話である。
いや、今の問題はそこではなく。
「えっと……心当たりとかある?」
「あったら先に行ってるわよ!」
朝から元気だなぁ、とまだどこか寝ぼけている頭で思いつつ、僕なりに考えてはみる。
どちらにせよ、遅くても午前中には学園長に話を聞きにいかなければならないみたいだし、探すこと自体に異論はない。問題はそこまで緊急性が感じられない、ということだが――
「……うっわぁ……」
「ミコト? どうした?」
覚えのある感覚。跳ねあがった緊急性に思わず頭を抱える。いや、こんな事をしている場合ではない。規模は昨日とは比べ物にならないが、それでも危険なことは確かだ。時間が時間だし、誰も巻き込まれてないと信じたい。
なんで起き抜けにまたこんな緊急事態になるんだ。
「ルチアさんの居場所、わかったかもしれない」
それだけ言って、最低限の着替えを掴んで部屋を出る。後ろから二人が呼び止めるが、行くなら早い方がいいだろう。行って何かできるかは……とりあえず、また学園長頼みだろうか。でも、寮からだと学園長室は少し遠い。
悩みながら脱衣所へ向かっていると、対面からヒューが駆けて来るのが見えた。
「ごめんヒュー、学園長呼んできて!」
「学園長を?」
「多分、昨日と同じことになってる」
「場所は」
「あ、えーっと」
混乱しかけている頭を鎮めて、目を閉じて魔力の感覚に集中する。
「多分、講堂の方……だと、思う」
「俺は先に行く、ヒイラギが呼んで来い」
「え、でも……」
「そんな状態で放っておけるか」
言うなり、また走り出すヒュー。ストロークが長いせいであっという間に見えなくなる。
「あー、もう……」
非難するつもりは無い。放っておける状態ではないし、ましてやルチアさんの事なら彼は尚更だろう。無事に見つけられるといいけど。
仕方が無い、僕も走ろう。
息を切らせながら学園長室へ駆け込む。しかし、学園長の姿は見当たらない。普段は入ってすぐ正面の机で何やら書類仕事をしていたりするが、よく考えれば時間が時間だ、仕方が無いだろう。
けれど、困った。他の職員もまだ来ていないだろう。職員用の宿舎は別にあるが、ここよりも更に遠い。
おそらく、奥の部屋に入れば王宮への転移陣があるはずだ。鍵がかかっているかもしれないが、最悪それは壊せばいい。陣の起動自体はそう難しいものではないらしいし。
けれど、流石に不法侵入になる。王宮でもまだ僕の存在は公になっていない、誰かに見つかれば大事だ。
こうやって悩んでいる間にも他の職員を探した方がいいのではないかと思った矢先、奥の部屋から魔力が動いた感覚がした。大きいが、整然とした動きで恐ろしさは感じない。
丁度来たのかと思って扉が開くのを待つ。驚かれるだろうしいきなりで申し訳ないとは思うが、僕にはどうしようもない事態だ。昨日の事も把握している学園長が来てくれるなら、それが一番面倒が無い。
が、扉が開いて驚いたのは僕の方だった。
「え、ミコト? おはよう?」
「へ……兄さん?」
幸い二日続けてのお姫様抱っこは免れた。大分息は苦しいが、一応最近は体を動かすようにしていたおかげか、普通の高校生をやっていた時よりは多少マシだと思う。
走りながらの状況説明だったが、兄さんも昨日学園長から話を聞いていたらしく理解は早かった。むしろ今日はそのためにこちらへ来たのだという。
「なーるほど? まあ、こっから感じる範囲じゃ昨日の規模ほどじゃあなさそうだなぁ」
「に、兄さんは、わかるの?」
「ミコトほどじゃないけど、ぼんやりとな。他の人に聞かれる前にその呼び方直しておけよー?」
慌てて気を引き締める。つい気が緩んでしまうが、今のところ表の上では国王陛下と平民の孤児である。親し気に言葉を交わしていい間柄ではない。
場所はやはり、講堂の裏手側だった。やはり昨日より規模は小さいようで、僕の視界に映るほどの魔力量ではない。それでも、ルチアさんの魔力量からすれば驚異的な量ではあるのだけれど。
魔力の暴走。セリアさんが魔力を漏らすのこそ何度か見たことはあるが、本格的な暴走はその比ではない。なにしろ、相性次第ではその一帯に近付くことさえ困難になる。校内で対処のできる人間が複数人いるからこそ起きても何事も無く済んでいるが、本来であれば魔力が自然に散るまでに数日はかかるものらしい。僕が王宮で起こしたような物理現象まで現れる規模ともなれば、通常半月は他の生物は近寄れなくなるとのこと。もっとも、そんな規模で起こせる人間もそうはいないが。
またしても横たわるルチアさんと、それを支えているヒュー。人があまり来ない場所なのか、地面が柔らかくて足をとられかけつつ駆け寄る。
「っ、はぁっ、ヒュー、大丈夫?」
「ああ。ルチアも、そうひどくは消耗していない」
息を切らせてしゃがみこみそうな僕とは対照的に、ヒューは涼しい顔だ。さっきはあんなに血相変えて出ていったくせに。
「ふむふむ、これくらいなら、すぐに目を覚ますだろうな」
「は……陛下!?」
充満した魔力を雑に掻き散らしながら、兄さん、もとい陛下が歩いてくる。
それを見て驚いたヒューが、姿勢を正そうかルチアさんを優先しようか逡巡しているうちに、魔力は散らし終わったようだ。動かし方自体は雑極まりないが、規模を鑑みても学園長よりも早い。
「あー、いいっていいって。ちゃんとお姫様抱えてろ。ちなみに、他のメンバーは?」
「他の? ……ですか?」
「バルシア嬢と、この子のお姉さん」
「ルチルはまだ眠っているそうです。セリアは……」
そういえば、といった様子でこちらに視線をやるヒュー。しかし僕も、彼女があの後どうしたのかは知らない。
「……男子寮の前?」
「流石にそれは無い……と思いたいんだが」
「でも、どこに行くかとか伝えてないし」
「よーし、そうとなれば迎えに行くか!」
そうして僕らは、窓の前で髪もぼさぼさのままセドと対峙しているセリアさんを回収して学園長室へ向かった。
「さて、そんじゃ今回の状況説明だが……」
「何普通に始めようとしてるのよ」
学園長室にすし詰め状態のまま、陛下が説明を始めようとする。が、それを留めたのは不機嫌この上ないといった有様のセリアさんだ。
僕達が見た時にこそほとんど二人の口喧嘩は終わっていたものの、拭えない重たい空気はしっかり残っていた。空気を読む気のない若干一名のおかげでさっさと連れ出せたはいいが、彼女の機嫌は最悪と言っていい。
「どうして陛下がこちらにいらっしゃるのかしら? まずはそこから説明していただけません?」
ちなみに、一応本人も相手が相手なせいか抑えているようではあるが、魔力はちらちらと漏れてはいる。だが、そのすべてを陛下が都度散らしているようだ。それが逆に彼女の怒りを煽っているような気がしないでもないが、放置しておいて火事にするわけにもいかない。
「オーケーわかった。といってもそう難しいことじゃないぞ?」
セリアさんに睨まれようとどこ吹く風といった様で、すぐに切り替える陛下。
「ピナスがするといった、規模のおかしい魔力暴走の説明。あれの研究をしてるのが俺だからだよ。判断するのも説明するのも、俺の方が適任だったってことだ。症例の一つとして取り上げられるかもしれないしな」
ピナスって誰だっけ、と一瞬思ったが、思い返せば学園長がそう名乗っていたような気もする。というか兄さん、そんなことにまで手を出していたのか。
「それだけで国王がほいほい出て来られるわけがないわ」
「まーそりゃそうなんだけど……全部説明する必要は俺には無いなぁ」
意地の悪い笑みを浮かべて椅子の上でふんぞり返る陛下。学園長が座るとアンバランスなそれも、陛下が座れば違和感を覚えるほどのものでもない。別の違和感はあるが。
「そうは言ってもこのまま始めても張本人が寝たまんまじゃしょうがないし、話してもいいんだが……丁度起きたかな?」
陛下のその言葉に、全員の視線がソファに寝かせたルチアさんに集まる。
目を覚ました彼女は目を開けてゆっくりと起き上がると、周りを見ることもなく、そのままぽろぽろと目から涙を溢し始めた。
「ルチア? どうした?」
ヒューが心配げに声をかけるが、反応は無い。
あっけにとられる僕らに気付いているのかいないのか、彼女が口から溢したのは、「ごめんなさい」というか細い言葉だった。