八話
どこに行こうか困っていると、見かねたルチアさんが先導し始めた。既に掴んだ腕は離しているが、話をしてくれる意思はあるようで安心した。
「やっぱり僕って迫力無いのかな」
「え? な、なんで?」
「あれだけ魔力出して威嚇したのに、誰も逃げたりしなかったからさ」
結構ビビってもらえるかと思ったが、実際にはそこまでの迫力は無かったようだ。少し恥ずかしいような、残念なような。
「……出入口塞いでたんだから、当たり前だと思うけど。むしろ動けなかったんじゃないかな?」
「……あ、そっか」
そりゃそうだ。出入口が一つしかない狭い室内なら、そこを塞がれたなら動きようがあるはずもない。
慣れない事をしたものだから、そこまで気が回らなかった。これはこれで結構恥ずかしい。
連れられてたどり着いたのは、図書館の裏手あたりだろうか。やはり人気は少ないが、開けていて雰囲気は悪くない。
「さて、それじゃあ」
ルチアさんに向き直って、我慢していた一言を吐き出す。
「ふざけるなよ」
彼女の肩がびくりと揺れたのがわかった。
「いきなりあんな事して、鼻血で済んだからよかったけどさ。下手したら死ぬから」
鼻は急所だ。相当な力は要るだろうが、鼻の骨が脳にめり込んで即死ということもあるらしい。
「ご、ごめんなさい」
「まあ、それはともかくとして」
「え、あ、はい」
そう、それはまあ、いいのだ。結果的に生きてるし、加減はしていたみたいだし。めちゃくちゃ痛かったけど、本題はそんなところじゃない。
「これでいいとか、納得してるとか、思ってる人の顔じゃないんだよ」
そういう人は、もっと覚悟を決めた顔をしているものだ。
「あんな顔晒しておいて、言い訳できるとでも思ったわけ? 僕が部外者だから? 踏み込んでくることは無いだろうって?」
あんなぐしゃぐしゃな、歪な顔で。虚勢を張っているのが丸わかりの顔で。よくも騙しきれるなどと思ってくれたものだ。
「馬鹿にするなよ」
怒りの性質が違うからだろうか。魔力は動かない。ルチアさんも、黙って聞いている。
「哀れんだだとか、いい人になりたいのかとか、好き勝手言ってくれてさ。誰がそんな事言ったのさ? それとも勝手な妄想? こう言えば引き下がるとでも? バッカじゃないのはこっちの台詞だよ。部外者だからなんなんだよ。何もできなくて、何も関係ない部外者だからなんなんだよ」
僕が部外者なのは事実だ。彼女達のことはおろか、この世界のこともよく知らない。たまたま関係者が身近にいただけだ。そんな事は自分自身が嫌と言うほど知っている。
でも、それで見過ごせというのか。たったそれだけの理由で。
だとしたら随分と見くびられたものだ。
「僕がムカつくからやってるんだ」
彼女の言葉が突き刺さった場所は、僕の堪忍袋だった。
「……」
「……」
「だから……その……」
僕が言いたいことは言えたものの、ルチアさんに言うべき言葉がうまくみつからない。
「……へへっ」
言い淀んでいる僕を見て、ルチアさんが相好を崩した。
決して底抜けに明るい顔ではない。半分泣いているような、不器用な笑顔だ。
けれど今の僕にとっては、綺麗に繕った笑顔よりもよほど安心できて、思わずつられてしまうような、そんな笑顔だ。
「ちょっと、笑わないでよ」
「慣れないことするからそんなことになるんだよ」
「ちょっとくらいかっこつけたっていいでしょ」
「えー、せめてヒューくらいかっこよくなってからにして」
「それは高望みしすぎじゃないかなあ!」
ああ、まったく。本当に情けない。結局僕は、一人じゃだれかの手助けさえできないんだ。
でも、こういうのは悪くない。
「もうちょっとだけ、僕にかっこつけさせてよ」
「付きまといのくせに?」
「……いや、ええと……」
「ミコト君ってほんと素直だよね!」
「いつも思うけど、それ褒めてないよね?」
「そういうとこも素直でいてくれていいんだよ?」
くすくすと笑うルチアさん。目が合うと、隠すことなく不安そうな眼差しをこちらに向けた。
「今、どうなってるの?」
「とりあえず、今ルチルさんが、双子の証明のためにお父さんに連絡してるって。髪も、終わる時にはって言ってた」
「あたし、どうしたらいい?」
「……今日みたいなことをもうしない、とかかな」
僕だって、四六時中ついていられるわけじゃない。知らぬ間に向かっていかれてしまえば僕らに止める術はないのだ。
けれどルチアさんは、それを聞いて僅かに顔を曇らせる。
「それは――」
「ルチルさんの事なら心配いらないと思うよ」
「……根拠は?」
「うーん……そう言われると、部外者の僕にはちょっと断言しづらいんだけど」
少しの皮肉を混ぜてそう前置く。我ながら性格が悪いと思うけど、これくらいは許されてもいいと思うんだよね。鼻、かなり痛かったし。
「とりあえず確認なんだけど、ルチアさんは、来なきゃルチルさんの悪評を流すって脅されてるってことでいいんだよね? だからルチアさんは従ってる」
「あ、あんまり大きな声だとミコト君が……」
「どうせ僕も元々好かれてはいないみたいだし、今更でしょ。方向性はともかくとして、色々言われてる身ではあるし」
幸い言われるだけなら慣れているし、この世界では物理的な手段に出られたとしても魔力が多いというだけで圧倒的に有利だ。最悪怪我をしても、ルチアさんよりもずっと早く綺麗に治る。
「とにかく、そういうわけだったら……このままいくと、逆効果だと思うんだよね」
「逆、効果?」
「うん、仮にこのままルチアさんが黙ってされるがままだったとして……この事が露呈すれば、ルチルさんは双子の妹を見捨てた極悪人扱い、とか?」
飽くまでこれは、僕の想像に過ぎない。考えすぎである可能性も重々承知の上だ。というより、そうそうこんな事態にはなり得ない。
けれど、絶対に起こらないわけではない。
「向こうは人数がいる。悪評をつけるだけならそう難しい事でも、手間のかかることでもないし、大した証拠も要らない」
「で、でも、動機はないはずでしょ?」
「それを言うなら、今もそうじゃないの? ルチルさんに手出ししたいなら、変な話知り合いの多いルチアさんよりも、大人しそうな彼女に直接何かする方がずっとやりやすい。噂だけでいいなら、さっきも言ったけどもっとずっと簡単にできる」
「……最初から、あたしが標的だったって、こと?」
「あくまでも、僕の意見でしかないけど」
ルチアさんなりに、守っているつもりだったのだろう。学園では僕らのことを避けがちで、共にいることもままならなかった彼女を。
どうして一緒に食事をしないのかと尋ねたことがあった。その時ルチアさんは、色々やった結果として放置しているのだと答えた。逆に距離ができてしまうよりはいいから、と。
その時に何があったのか、何をしたのか、僕は知らない。僕がこの世界にさえいない時の話だ、知る由も無い。
でもきっと、その時もルチアさんなりに必死だったのだろう。今の彼女の姿を見れば、容易に想像がつく。
「もちろん、ルチアさんが懸念してるように、ルチルさんが標的にされる可能性は無いわけじゃないと思うけど……仮にも伯爵家の次期当主様なんでしょ? 向こうもそこまで馬鹿じゃない……と、思う」
今は違ったとしても、いずれ当主の座に就く人間に対して極端な行動に走るのは短慮が過ぎるだろう。まだ髪を切ってこそいないが、次期当主はそう変わるものではないはずだ。
「だからその、大人しくしていてもらえると助かるかな。終われば、こんなことも無くなる、はずだし」
「まさかセリアみたいなこと言われちゃうなんて……でも、うん。そこまで言うなら……ちょっとだけ、信じてみようかな」
はにかむような笑い方は、ルチルさんにそっくりだ。
「ルチルに、話してみようと思う」
「ルチルさんに?」
「うん。心配……してくれてるんでしょ? こうなったら髪切るの早い方がいいと思うし。あたしにできそうなこと、やろうと思って」
「えっと、どういうことか聞いても?」
「ルチルが髪を切ってないの、あたしのせいだと思うんだ。多分、噂の通りで……あたしが下に見られるから、気にしてるんじゃないかって。だから、そんなの気にしないでって、ちゃんと言わなくちゃって思ったの」
「……ルチアさんは、それでいいの?」
ルチアさんの言う通り、髪を切るのは早い方がいいのは確かだ。けれど、自分たちが双子かどうかを気にしていたのは、ルチアさんの方だったはずだ。そこに納得できないままルチルさんが髪を切るだけでは、ルチアさんが消化不良になってしまう気がする。
「んー……あたしね、正直今回、こんなに心配されると思ってなくて」
「は……はあ? あれだけの目に遭っておいて?」
休むだけでも大事だ。ましてや、いくら魔術のある世界とはいえ、傷を作るほどの暴行を受けて心配しない人の方が稀だろう。
「前も言ったけど、あたしずっと、自分のこと異物だと思ってる。たまたまそういう人の間にいるだけなんだって。だから、何かあっても見過ごされていくんだろうなーって、どっかで思ってた」
「セリアさんとか、今までも散々庇ってくれてたんじゃないの?」
最初の頃、いきなり乱闘騒ぎに巻き込まれたのもルチアさんを庇っての事だったはずだ。
「そうなんだけど……その場だけっていうか、目の前で起きてるからってだけなんだろうなって。こんなこと言ってるのバレたら怒られちゃいそうだね」
「僕は既に怒ってるんだけど」
「うん、だからね? 今回のことで、ミコト君が無鉄砲なことしたり、ルチルがそうやって動いてるっていうの聞いて、ちょっと、反省しました」
陽が傾いてきた。ここは寮から少しかかるし、そろそろ帰り始めないと。
「だから、もういいかなって。ルチルのこと、姉妹じゃないからって言い訳して遠慮するの、やめようと思う。逆に迷惑かけちゃってるみたいだし……ほんとは姉妹じゃなくてもいいの。十四年間一緒に育ってきたのは一緒なんだもん、今更気にするの、バカらしいよね!」
夕日を正面に浴びて、ちゃんと笑ったルチアさんを見て胸を撫でおろす。
僕の頑張りは無駄にならなかったのだと。これでようやく、僅かな平穏の時間が確保できるのだと。
そう、思ってたんだけどなあ……。