三話
「あの、ルチアさ――」
「ごめんねミコト君! また今度聞くね!」
「ルチルさん、ちょっといいかな」
「いえ、あの、すみません、ちょっと……ええと……ご、ごめんなさいぃ……」
「ルチア」
「また明日ね!」
「ル」
「すみません……」
そして誰もいなくなった。
昼時。いつぞやの校内食堂の隅の席で食事を終え、今はテーブルに突っ伏している。
「なんでさぁ……二人ともさぁ……何にも話してくれないしさぁ……避けるしさぁ……まるで僕が付きまといでもしてるみたいなさぁ……」
「あの二人の態度も疑問だけど、あなたもよくやるわね……」
まあ、確かに? 授業終わる度に声かけるのはちょっとやりすぎだったかなって、思わないでもないけど? 放課後も見かける度に声かけたし、なんなら女子に間違えられるのを利用して、女子寮まで行こうかなとも思ったけど?
「僕はこんなところで終われない……」
「何も終わらないわよ」
「貴重な平穏な生活が終わるの!」
「現時点で終わってないかしら?」
「そんなこと! ……ない、よ……ね……?」
思い返すここ二週間。身を削り心を削り良心を圧し潰し、不可思議そうな目に囲まれながら執拗に一人で女の子に声をかけ続ける僕。おまけで生暖かい目で見守る男二人。なるほど。
忘れよう。
「今やあの二人、授業が終わるなり寮に引きこもっちゃうし。私まで怯えた目で見られてるのよ、早くなんとかしなさいよ」
「やりすぎたの反省してるんで、セリアさんは協力してくれたりは……」
「訂正するわ。怯えた目で見られるどころか避けられてるから、どうにかして。居心地が悪くてたまったものじゃないのよ……」
うわあ、目が本気だ。
対して僕はと言えば、申し訳ない気持ち半分、セリアさんの話も聞こうともしない彼女達への理不尽な怒り半分といったところだろうか。とりあえず謝っておく。
「……居心地悪いって言えば、セリアさん、僕と居て大丈夫なの?」
「え? どういうことかしら?」
「未婚の貴族女性が一人で男性と一緒に居るのはどうのこうのってやつ」
きょとり、と首を傾げて聞き返してくるセリアさん。ここ数日放課後や昼食はほとんど二人なので今更ではあるけれど、気にしてはいたのだ。学園内は身分があまり関係ないとはいえ、完全に無視できる問題でもない。今回のごたごただって、セリアさんが班で女子一人は良くない、ということに起因しているわけだし。
そう思って聞いてみたのだが、基本的に何事にもはっきりと答えるセリアさんの動きがピタリと止まる。
「……ほら、あなたの見た目なら、男性と居ると思われることも無さそうだから」
目線だけすーっと逸らしつつ答えが返された。これは、もしや?
「失礼なのは無視するにしても、僕の性別なら前の決闘騒ぎでほとんどの人が知ってるよ」
幸いな事に、騒ぎを大きくしただけの事はあって、僕の性別は学年も跨いで周知されることとなった。かわりに全く知らない人からも物珍し気にじろじろと見られることはあるが、どうせ髪が黒い時点で珍獣扱いは免れないようなのでもう諦めようと思う。
「それにそう、あなた一人だと目立って可哀想だと思って」
「失礼を重ねてきたことも不問にするとして、僕、教室に戻ればセド達いるんだよね」
あと、多分セリアさんと一緒に居る方が余計に目立つ。
早々に言い訳が尽きたのか、黙って何か考えているようだ。
「……もしかして、友達いないの?」
ミシリと、何かが軋む音がした。
「ち、違うわ、いないわけじゃないわよ? ルチアとルチルは友達だもの……友達よね? 避けられてるけど、友達よね? というか、仕方ないのよ、だって私公爵令嬢よ? 仮にも元王女殿下よ? 友達とかそういうのはそう、身分の差があるからみんな遠慮してるだけなのよ。それにほら、私頭もいいわ、見た目だってそうそう無いくらいに整ってる自覚があるし魔力量だって普通負けるはずがないのよ、だからつまり、わ、私に友達がいないのは仕方ないって言うか、むしろ当然の摂理っていうか――」
「うん、ごめんなさい、僕が悪かったです。だから落ち着いてください、燃えます」
軋んだのは目の前のテーブルだったようだ。テーブルにめいいっぱい拳を圧しつけて、滔々と喋りながら猛烈な勢いで魔力を溢れさせたので思わず呆気にとられてしまった。周りの生徒も異変に気付いたらしく、後ろがざわつくのが見なくてもわかった。
いや、言っちゃまずいとは思ったんだけどついうっかり。それにしたってここまでひどいことになるとは思わなかったけど。下手に怒らせるより余程危なかった。
幸いセリアさんも声をかけたらすぐに事態に気付いたらしく、出ていた魔力はすぐに収束した。感情の制御こそ苦手らしいが、逆に魔力の制御は凄まじいとさえ言えるレベルだ。僕なんかとは比べるべくもない。
魔力が収まったことで圧迫感が消え、周囲もそれで落ち着いたようだ。何事も無くてよかった。
ちなみに、セリアさんの魔力は燃える。
普通、魔力が漏れてもそれ自体が物理現象を起こす事は稀だ。僕がズタボロになった時のような事も、量がかなり多くなければ起こらないらしい。それでも、魔力に中てられてしまうことはあるから危険な事には変わりないんだけど。
ところが、彼女のそれは違う。燃えるのだ。何も燃えるものが無くても、空中で魔力のみでぱちりぱちりと景気よく燃える。可燃物があればあっと言う間に引火してしまう、正真正銘の炎だ。
「ご、ごめんなさい。取り乱したわ」
顔をほんのり赤く染めてしおらしく謝るセリアさん。こういうところだけ見れば可憐と言えなくも無い。
「いや、こっちこそ……えっと、とりあえず、あの二人の説得だよね。セリアさんの事だけでもどうにかならないか、頑張ってみるよ。このままじゃ本末転倒だし」
「ありがとう……ところで、あの二人はどうしてるのよ。同じ班になるのよね?」
「ああ……うん、まあ、ちょっと……」
指摘されて、思わず苦笑いが零れる。あの後も誤解はとけず、なんならこうして僕達が二人で作戦会議のような事をするように仕向けている節さえある。
「何? 喧嘩でもしたのかしら、珍しいわね」
「そういうわけじゃないんだけど、ちょっと誤解が……とりあえず、しばらくは僕に丸投げされてる。本当にギリギリになったら手は出してくれるとは思うけど」
ある意味の当事者であるセリアさんに面と向かって言えるはずも無く。
「何よそれ、役に立たないわね。ヒュアトスなんてルチアと会えなきゃ使えるお金も持ってないのに」
正直似たような事は思っていたけど、目の前で他人が言ってるのを見るとちょっと擁護したいような気持ちにもなる。が、よく考えたら擁護できそうな部分は特に無かった。
仮に参加していたとしても、現状で既にあの二人も警戒対象だ。今更増えても大差ないとも言う。
「とりあえず、僕一人でもうしばらくは頑張ってみるよ。セリアさんには迷惑かけると思うけど――」
「あなたもあなたよ、なんでそんなに一人で空回ってるの? 正直その執念もちょっと怖いわ」
「セリアさん、もう少し言葉選びに気を遣う気はない?」
言っている僕も思わず口から出る言葉をもう少しどうにかしようと思う。そのうちこれのせいで死にかねない。
それにしても、どうしてときたか。そう言われるとちょっと難しい。でもまあ、強いて言うならこのあたりだろうか。
「さっきも言ったけど……出鼻を挫かれて腹が立ってるから……かな」
「ど、どういうこと?」
「いや、折角こっちがさ……色々現実受け止めて、よし頑張ろう、まずは魔術! って思った矢先に、理由もわからず振り回されてムカつくっていうか……意地?」
「……あなた、結構わがままね」
「セリアさんには言われたくないなあ」
週に一度は発火現象起こしてるんですよこの人。僕なんか全然大人しいと思う。
それから更に数日。残念ながら状況はあまり変わっていない。
しかしこのままではよろしくない。ということで、いよいよ最後の手段だ。
といっても、流石に女子寮に入りはしない。既に性別は知られているので、せめて髪の色だけでも変えなければすぐにバレてしまうし。……そういえば、兄さんはあの時どうやって色を変えたんだろう。いや、今はそれはいい。
では何をするかと言うと、だ。
ズバリ、追跡である。
……いや、僕だってこんな事しなくて済むならしたくない。もうどうやっても変質者だし。他の人に見咎められでもしたら一巻の終わりだ。ただ、今回は一応勝算がある。
というのも、セドからルチアさんの行動のタレコミがあったのだ。曰く、二、三日に一度だが、放課後に決まって向かう場所があるらしい。移動しているところを数度見かけたくらいだから行き先はわからないらしいが、今の僕にとっては貴重な情報である。役立たずとか思ってごめん。
そういうわけで、今は魔術の実践授業が終わったところである。
最初は魔力の制御が主だったが、ここ最近は魔術と呼べるものの実践になってきている。とは言っても、物理現象に変換・維持をするくらいで大したものではないけれど。そのせいか、ほとんどの生徒は少し退屈そうだ。授業が終わった後など、先生の目の届かない所で時折ふざけているのを見かけるが、先生もそれをある程度は黙認している。勿論、見つかったりやりすぎたりすれば怒られるけど。
元々魔術の学園だからか、魔力の動きに意識を向けると、特に上級生の間では日常的に魔術を使っているのがわかる。どうも視覚で捉えているわけではないせいか、壁越しや天井越しでもある程度の距離なら魔力を察知することができるようになってきた。便利な一方で、大きな動きがあるとつい気にしてしまうので少し煩わしい。
校舎に戻るために転移陣に全員が集まったタイミングで、セリアさんに声をかけておく。
「ごめんセリアさん、ちょっと僕この後用事あるから、今日は寮に戻っておいて」
「あら、そう? わかったわ。けど……私、そんなにいつも一緒に居たかしら?」
「少なくとも、ここ数日は」
「……いってらっしゃい」
少し気まずそうに送り出された。もしかして、自覚が無かったのだろうか。ほぼほぼ毎日一緒だった気がするけど。
まあ、女の子と一緒に居て悪い気はしない。
授業中でもルチアさん達は気を抜かずに距離をとっている。僕としても授業中にまで邪魔したくはないので今まであまり気にした事は無かったが、どうやらルチルさんとルチアさんも二人で固まっているわけではなく、別々で授業を受けているようだ。
ルチルさんの方も気にはなるが、今日はルチアさんが目標。極力距離をとって、気付かれないように後を追いかける。
気付かれるのではないかとヒヤヒヤしたが、ルチアさんは周囲を警戒する事は無く歩いていく。
が、人気の少ない方へ向かっていくのでなんだか緊張してきた。……もしかして、もうバレてる?
そんな風に考え事をしていたのが悪かったのだろうか、少し入り組んだところで見失ってしまった。深追いすると迷子になりそうだったので、仕方なくそこで諦めることにする。
「でも、この先って何かあったかな……」
不審に思って思わず呟く。
現在地は、校舎群を抜けて様々な倉庫類が密集しているあたりだ。本当に危険な物は先生達の管理下で、生徒は近寄ることも基本的にはできないようになっているらしいが、このあたりも用事が無い限りそうそう人は来ない。
でも、僕が気付かれて撒かれただけ、ということならば納得はできる。現時点ではわからないけれど、これはもうしばらく様子を見てみる必要があるかもしれない。
一応、このあたりがどうなっているかちゃんと調べてみようと思う。……あまり長引かないと嬉しいけど。