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あの日々の向こう  作者: 緋月 琥珀
第一章
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七話


 大声で呼び込みをする人々、いろとりどりの売り物、屋台で焼ける肉のおいしそうな匂い。

 異国に来たような、どこぞの商店街にも似たような風景に目を奪われつつ、陛下に手を引かれながら歩く。……そう、手を引かれながら。


「……ミーシャ、そんなに不満そうな顔するなよ」


 この状況で不満な顔をするなというのは、僕には不可能だ。


「いいじゃん、似合ってるぞ? だから機嫌直せ?」

「……喜ぶとでも?」

「仕方ないだろ、男二人は世間体がよろしくない」

「既婚者のくせに」

「だから余計になんだよ。ほら、好きな物買ってやるから」


 子供じゃないんだけど、とも思ったが、二十も離れているのだから向こうからしたら子供なのだろう。不本意であることに変わりはないが。

 あまり言っても仕方が無いのはわかっているので、大人しく黙ってついていくことにする。脚にまとわりつくくせにスースーと心もとないスカートを見て、ため息を通り越して自嘲の笑みが浮かんだ。

 そう、スカートである。

 といっても、あちらでよく見たようなものやこちらの制服のような短いスカートではなく、くるぶしほどまである丈の長いものだ。より厳密にいうなら、スカートというより町娘のおしゃれ着というか、ワンピースというか。

 僕は着替えなくていいと聞いていたのに、陛下の着替えを待っている間にふらりと現れたマナーの先生に、「陛下からのご指示です」と言って近くの部屋に連れていかれ、数日前のようにあれよあれよと着せられたのがこれだ。長い袖や高い襟で身体の線をカバーされたおかげで成程、元々女顔なのだから男とはわからないだろう。意味があるのかは知らない。

 結果としては陛下の指示でもなんでもなかったのだが、面白がられたり屁理屈をこねられたりして結局この格好のまま街に出ることになった。まあ確かに、誰か知り合いに会った時に僕に女装癖があると思われるよりも、全く別の少女ということにした方がまだ傷は浅いのかもしれない。知り合いに会う可能性自体がそもそも無いと思うけど。

 最後の仕上げにと、どうやったのか陛下と二人して明るい青い髪と目になった僕達は、兄妹という設定で今こうしている。実年齢の差は親子でも問題無さそうだが、見た目は少し歳の離れた兄弟の方が違和感が無いのだから仕方ない。ミーシャは偽名だ。


「こんな歳でお兄ちゃんと手つなぐ子なんていないでしょ、離して」

「今のいいな、もう一回」

「黙れ変態」


 言っても聞いてもらえ無さそうなのでこちらから手を振り払う。最初は人が多かったから甘んじて受け入れていたものの、今はそこまでしなくてもはぐれる気はしない。

 ほとんど一対一だったから気付かなかったが、陛下は人ごみの中だとひどく目立つ。いや、陛下の魔力は、というべきだろうか。

 ここしばらく意識していた賜物か、人の持つ魔力も気を向ければわかるようになってきた。なんとなくの域を出るものではないが、それでもわかる。陛下の魔力は別格だ。密度が尋常じゃない。


「それで、どこに行くの?」

「途中は特にどことは決めてないけど……まっしぐらにあんなとこ行くのもな」

「……ねえ、変なとこ連れてくつもりじゃないよね?」

「変なとこがどういうのを指すかによる」 

「い、いかがわしいお店とか」

「きゃー! ミーシャちゃんのえっちー!」

「ねえ、今なら殴っても許されるよね? ね?」


 思わず拳を握りしめたが、陛下が真面目な顔に戻ったのでしぶしぶそれを引っ込めた。いつか纏めて返そう。


「まあ、ミーシャからしたら変なとこではあるかもな。少なくとも俺達の故郷には無かった。だからこそ連れて行こうとしてる」

「ふうん……別に、そこに行くだけでも僕は構わないけど」

「そう? 折角なら街を見たいかと」


 それは否定しないけど。折角の大きな街だし、見慣れないものも沢山ある。でもそれよりも大きな問題があるのだから仕方ない。


「こんな格好であちこち出歩けるほど僕の神経図太くないから。むしろ早く帰りたい」

「慣れれば楽しいんじゃない? まあそういうことなら、さっさと行って帰ってくるか」

「慣れたくない……」


 ただでさえ女顔なのに女装までするようになったら大変なことになる気がする。人間関係とかが。

 しばらく歩くと不意に脇道に入った。馬車で街まで降りて来たが、ずっと大通りしか歩いてこなかったのだ。


「この先ちょっと危ないから、人とぶつかったりしないように」

「わかった、気を付ける」


 道幅はそれ以上極端に狭くなることはなかったが、どんどん奥まった方へ進んでいく。僕一人では帰れないな、と思うほどになった時に、ようやく陛下の足が止まった。

 見ると何かの店のようだ。小さいが看板がかかっていた。窓は小さく、中に何があるかはよく見えない。買い物でもしに来たのだろうか。

 陛下の後を追って店内に入ると、中は普通の雑貨屋のようだった。


「雑貨屋さん?」

「それはあっちにもあるだろ、目的は別。な、ここって特別な物があるって聞いたんだが」


 そう言って店主らしき男の人へ近寄って行く。

 随分曖昧な聞き方をする、と呆れ顔を最早隠す気も無く晒していたが、店主は何か思い当たるものがあったらしい。


「ああ、あれか。あるが……あんたらに買えるのか? 値段に幅があるのは確かだが、安かねえぞ?」

「だいじょーぶだいじょーぶ、当てはちゃんとあるさ。気になるならこれでいいかな?」


 胸元から何かペンダントのようなものを取り出して見せたようだ。途端、訝しんでいた店主の顔色と態度が変わる。


「そういうことでしたら……後ろの嬢ちゃんも連れてくんですかい?」

「それが目的みたいなもんだからね。彼女の玩具でもと思って」

「いいご趣味をしてらっしゃる。そんじゃついてきてくだせえ」


 そう言うと店の奥の扉の向こうへ消えていく。どうやら地下に続く階段があるようだ。慣れないスカートでうまく降りられるか不安だが、ゆっくりとなんとか降りきると、そこにあったのは――


「うちみたいな商売ももう残り少なくなっちまって……近々ここも畳んじまおうかと思ってたもんで、ちょこっと便宜をはかっていただけりゃあ少しはお安くできますぜ。丁度在庫処分しようと思ってたんでさあ」

「……在庫処分って……」


 箱がある。小さな、檻のように鉄格子でできた箱が。

 変な臭いがする。すっぱいような、脂ぎっているような臭いが。


「……人?」

「そう、いわゆる奴隷だ。居るっていうのは聞いてただろ?」


 そういえば、本で見た気は、するけど。


「まあ最も、ここにいるのは違法奴隷だけどな」


 険しい顔をして小声でそう言った陛下を、僕は視界の端で確認した。

 襤褸布をまとったような、痩せこけた人がいる。かと思えば綺麗な服を着て健康そうな女性がいる。

 老いも若いも、男女も、箱に、檻に一人一人閉じ込められている。そして、全員がどこか怯えるような様子でこちらを伺っていた。よくよく見れば、痣のある人も多い。檻は小さく、大人は立ち上がることも大の字になって寝ることもできない。


「……すごい眺めだね」


 倣って小声でそう言う僕に、陛下は苦笑いを返した。


「……だろ? まあ、もうここも潰すさ」

「潰す?」

「言っただろ、違法だって」


 そう言うと、目立たないように魔力が漏れ出し始める。ゆっくりと広がるそれは、均一ではなく目的を持って動いていた。後ろにある階段を、一階の床を、そして扉の外へと這い上がり、そこでようやく魔術として発現する。


「今のは?」

「お、わかったのか、すごいな」


 言われてみれば、何気なく辿ってみたが見えない所でも魔力の動きが解ったというのは結構すごいことかもしれない。普通目で見ているというのなら、見えないところの魔力は見えない物なんだろうし。これ、結構便利ってことだろうか。


「合図だよ。外で待機させてるから」

「あの、旦那たち、選ばないんですかい?」


 何を、と聞く間も無く、大量の足音がここに向かってきた。

 陛下に腕をひっぱられ階段の前から退くと、すぐに人が部屋の中に飛び込んでくる。

 顔が真っ青になった店主に先頭の人が近づき、一枚の書状を突きつけた。


「違法奴隷、ですね? 調べはついていますので、あなたの身柄も、ここにある物も全て差し押さえさせていただきます」

「な、ま、待ってくれ、違法なんかじゃ、それにあの兄妹は客だぞ、あいつらはいいのか!」

「あの方達は捜査の協力者です。既に調べはついていると言っているでしょう。抵抗するのでしたら実力行使させていただくまでです」


 相変わらず、周りで起きていることなのに僕を置いて事態は進んでいく。今回はまだわかりやすい方だけど、それにしたって唐突だ。


「連れて来たかったって言った割に、あっさり終わったね」

「あんまりこういう場に子供を長く置いておくのもどうかと思うから」


 あまりに飄々とした様子で答えるものだから、少し苛立ちを覚えた。


「じゃあそもそも連れて来なくてもいいのに。結局何がしたかったのさ?」

「ま、それは帰ってから話す。とりあえずここはあいつらの邪魔になるし、城に戻るぞ」


 そう言って陛下は、少ない荷物の中からどこかで見たような白い石を取り出して魔力を込めた。なんでもかんでも魔力使う人だな、と思った瞬間、強い光に目を閉じる。


「……転移?」

「そう、転移。戻れる場所はここだけだけど」


 そうか、見覚えがあると思ったら、学園にある転移陣に使ってある石と同じなのか。

 眩しくて閉じた目を開けると、いつもの中庭にいた。せっかく街に出て来たのにほんの数十分で帰ってきてしまったことが残念ではあるが、この格好だから仕方が無い。

 いつの間にか元の色に戻った髪を見て、服を汚していないか確認する。臭いとスカートに足をとられないかばかり気にしていたが、案の定階段を下りる時に後ろ側を引きずっていたらしい。土足で出入りする場所というのも相まって黒くなってしまっていた。


「それで、どういうことなの? わざわざこんな格好までさせられたんだから、ちゃんと説明して」

「俺がさせたわけじゃないんだけど! まあ落ち着けって。立ち話もなんだし、着替えてからミコトの部屋に行く。そしたら話すよ」

「……まあ、僕も着替えたいのは確かだけどさ」

 

 落ち着かないし着替えたいのは事実だが、なんだかはぐらかされるような気がして気に入らない。


「よしわかった、ミコトがそんなに不安なら指切りげんまんな!」

「そこまで子供じゃないってば……わかったよ、また後で」


 なんだってこんなに子供扱いしてくるのだろう。そりゃまだ十五歳は子供だとは思うけど、陛下の態度は時折どちらかというともっと小さい子に対するものだ。歳相応の扱いなら許容できるが、ここまでされると呆れしか出て来ない。


「そういえば、セリアさんってもう着いてるの?」

「うん? ああ、まだ連絡は受けてないけどそろそろだと思う。着いたら教えてもいいけど、落ち着いて明日になれば挨拶くらいは来ると思うぞ?」

「そうなの? じゃあいいや」


 別に用事があるわけでもないし、挨拶に来るというのなら忙しい時にわざわざこちらからコンタクトをとる必要も無いだろう。





「それで、どういうこと?」


 部屋に戻り持ってきていた服に着替えてしばらくすると、陛下はきちんと僕の部屋に訪ねてきた。夕食までにはまだ時間があるから時間の心配はしなくてもいい。ちなみにさっきまで来ていた服は部屋の隅に畳んで置いてある。


「そうだなぁ、ミコトは、あそこ行ってみてどう思った?」

「どうって……」

「奴隷、なんてあっちじゃ見ること無かっただろ?」


 そりゃそうだ。人身売買それ自体、お目にかかる機会なんて滅多な事じゃ無いだろう。ましてやあんなに不衛生に、暴力さえ伴っていそうな場所で人が檻に入れられている光景だなんて、見たことがあるはずもない。


「どう思った?」


 どう、と言われて。


「えっと――」


 僕は



「――特に、どうとも」



 言っていて、自分でも「何かおかしい」と思う。

 あの光景を見て、何も思わないのかと。

 厳密に言うならば、「大変そうだな」「可哀想だな」「ひどいことするな」くらいの感想はある。

 逆に言ってしまえば、それだけだった。

 そこには共感も、憤りも、悲哀も無い。まるでテレビの画面でも見ているかのような、薄布を一枚隔てたかのような、現実味を伴わない薄い感情だった。実際に、この目で確かに見たはずなのに。

 彼らを憐れまないのかと言われれば、無論憐れむ。でもそれは、いつか幸せになってくれればいいなというものでしかない。

 ひどい違和感と冷淡さに、口元が歪むのがわかった。


「……そっか」


 苦い顔で笑う陛下に、申し訳ないような気持になる。


「俺は、ああいうのが嫌でさ。こっち来たばっかの時はまだああいう酷い状態の奴隷が結構いたんだ。もちろん表で大っぴらに売ってたわけじゃないけど、貴族の間じゃ当たり前だったし、ちょっと田舎の方に行けば口減らしで子供を売る家だって沢山あった。街中だって汚くてさ、静かで暗くて、ちょっと裏道に入れば人攫いに遭いかねないって感じで」


 少し、想像がつかない。街に居た時間は短いけれど、ほんの十年前までそんな状態だったとはとても思えないほどに活気に溢れていた。


「だから俺は、この国を変えようって思ったんだ。成り行きとかも勿論ある。でも結局、やりたいと思って、できるだけの力があったから。今思うと考え無しもいいとこで、決して褒められた行動じゃなかったけど」

「でも、それで今この国は立ち直ってる」

「結果的にはな。まあそれはいい。とにかく、俺は、あの光景を見てそう決心するくらいに衝撃的だった」


 姿勢を正して、真っすぐにこちらを見据えて来る。その視線を正面から受け止める気にはなれなかった。


「別に、ミコトがそう思ったこと自体をどうこう言いたいわけじゃない。感じ方は人それぞれだし、俺は今のミコトの事はよく知らない。……本来なら、それで済ますべきなんだが、それを除いたとしてもおかしなことがある」


 除いたとしても?

 それは、僕のこの感情の持ちようとは別で、ということなのだろうか。それ自体が他人から「おかしい」と断じられるというのも変な話だと思うのに、それ以外で何か決定的な「おかしい」ところがある?


「それを踏まえると、近い領域だから原因は同一と見るべきだと、俺は思った。どっちが主でどっちが副作用かまではわからないけど――」


 そこで区切ると、躊躇うような素振りを見せた陛下。しかしため息一つでそれを振り払うと、改めて僕を真正面から見つめる。


「ミコト……いや、樋通ひどおり 優希ゆうき

「っ! な、んで」


 どうして、僕の本名・・を知っている。

 誰にも言っていないはずだ。そして、この世界で唯一知っているはずの姉さんは、僕をその名前では決して呼ばない。


「俺の名前は、――――――」


 なんだ、それは。

 そんな、はずは。僕は知らない。しらない。姉さんの母親は、いっしょになって、あそんで、くれ、あれ? あそんで、ねえさんと、さんにん、で。



「俺とお前は――で……――――――だ」



 真面目な顔で何かを告げた陛下に、しかし僕は、わけもわからぬまま、魔力を弾けさせた。

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