五話
「いいかミコト、この世界の人間にとって魔力っていうのは、ある程度の濃さになればどんな人間でも必ず視認できるっていうものだ」
そういって陛下はいつかのセリアさんのように、掌を上にして顔の高さまで持ってくる。徐々に魔力が集まっていき、ぼんやりと白い光が見えた。
「陣を使う時とか、魔術を使った時なんかの精霊を介在している時は、魔力は物理的にも発光してるから誰にでも見える。けどそうじゃない、放出されるだけの魔力なんかは個人の素質の差が大きい。俺みたいに見えすぎて生活に支障が出たり、逆にミコトみたいに全く見えないって奴もいる。俺らの振れ幅はかなり極端ではあるけど」
「一応、今はぼんやり見えてるよ」
「そうか、俺は眩しくて目が焼けないか心配だ」
そう言うと、掌の上の魔力を消した。消したと言っても、跡形もなく消えるというよりはまた体内に取り込んだといった方が近いだろうか。全部ではないみたいだけど。
「実際はどうも目で認識してるわけじゃないらしいから、どんなに強くても目が潰れたり焼けたりすることは無いんだけどな。まあそれはとにかく、ミコトの場合は地道に訓練するしかないか」
「僕の場合はってことは、他に何か方法あったりするの?」
「ちょこっと肉体改造すればすぐ見えるようになるぞ、俺みたいに」
さらりととんでもない事を言われた気がする。この場合の肉体改造って、筋肉をつけたり体質改善したりっていう類じゃないよね、多分。
「いや、それは流石にいいや……肉体改造したの?」
「俺? どっちだと思う?」
「どっちだとしても怖い……とりあえず、訓練って何をすればいいの? 見当もつかないんだけど」
「さっきも出したこれを、延々と見つめ続けるだけの簡単なお仕事です」
そう言って陛下は、また手の上にぼんやりと光る玉を浮かべた。
「それだけ?」
「厳密に言うと、徐々に徐々に濃度を薄くしていって、見えるギリギリのところで視覚を慣らしていくって感じ。問題は、ミコトの適応力によって進行具合がえらく変わるってことだな。もしかしたら全然変わらんかも知れないし、うまくいけば一日で終わるかも知れない」
「そんな極端な……」
「まあ昨日のあの状況でわからなかったっていうなら、すぐに終わるって方にはならないだろうなぁ。イチかバチか頭を強く打ってみるか?」
「そういうのは無しで」
「俺もユーカに殺されそうだからやりたくない」
だったら提案もしないで欲しい。それと、確かに姉さんは過保護なところはあったが流石に殺したりはしない、はずだ。……多分。
十年も経っているというのなら、変わってしまっているのだろうか。昨日見た感じだけではわからない。何せただの日本人が一国を乗っ取って、それが受け入れられるほどの世界で、年月なのだから。
「おーい、始めるぞー」
声をかけられて我に帰った。「ごめん」と一言謝り、改めて向き合う。
「これから徐々に薄くするから、ミコトは全く見えなくなった時点で教えて」
「わかった、見えなくなってからでいいんだよね」
「そう、そしたら俺が調節するから。それじゃいくぞ」
陛下がそう宣言すると、球状で安定していた魔力が微かに動き始めるのがわかった。玉から離れ、陛下の体内に僅かずつ戻されていく――と思った瞬間に、もう光る玉は見えなくなっていた。
「あ、見えません」
声を出した瞬間、魔力の動きが止まった。
「って、いやいやちょっと待て、ほんと? マジで?」
そう聞かれても、嘘をつく理由も無い。黙って首を縦に振った。
「……よし、じゃ今よりもゆっくり濃さ戻すから、見えた時点で手挙げて」
もう一度頷いて、さっきよりもしっかりと手元を見る。
宣言通り、ゆっくりゆっくりと魔力が動いていく。そして、出て行った量の半量ほどが戻ってきた時に、微かに手の上に光る丸い輪郭が現れたので黙って手を挙げた。
「ねえみーくん」
「だからそれはやめてってば」
「俺早々に心折れそうなんだけど」
「僕より先に折れないでよ」
「だってこれめっちゃ眩しい」
「もう少し感度下げたら?」
「これでも結構下げてるんだけどなぁ」
もしかしたら、あの時のセリアさんもこんな風に眩しく感じていたのだろうか。だとしたら申し訳ない事をした。
「しかもこれ、暇だ」
「僕も見てるだけで暇なのは同じだよ」
「もう少し真剣に取り組んで、俺が飽きる前に物にして」
「そんな事言われても……僕が自分でやるっていうのは?」
「視認しなくてこれだけの制御ができたら大したもんだなぁ」
確かに、それもそうだった。そもそも制御のために視認訓練してるんだった。
とはいえ、この短時間で目の前のうっすらとした球体は特に変わった様子は見せない。相変わらず意識しなければ輪郭を見つけることさえ難しい。
正直僕は、比較的短気な方であると自覚している。せっかちと言い換えてもいいかもしれない。
つまるところ、早々に飽きそうだ。
大体、制御ができるかできないかが問題なのであれば一足飛びにそっちの訓練でもしてみたらどうだろう。陣の形式で魔術が使えるなら、少なくとも魔力の放出は意識してできているはずなんだし。
なんとなく、体の内側を掻きまわすイメージをしてみる。すると、他の人が魔力を使う時に感じる違和感とでも言うべきものを確かに感じた。
「おい、ミコト?」
「今、動いた?」
「多分。魔術使おうとでもしたのか?」
「いや、見えるようになるの当分先みたいだし、制御の方が楽そうだと思って」
「結論が早すぎるだろ。大体、楽そうって言ったって普通は視認できなきゃ動かすことも……今できてるのか」
「っぽい……あ、なんか気持ち悪いかも」
調子に乗ってぐるぐると掻きまわしていたら、気分が悪くなってきた気がする。
「そりゃそんだけ動かせばな。それにしてもどういうことだ? 魔力があるのはわからないんだろ?」
「もう少し早く言ってよ……あるのはわからないけど、大量の魔力が動いた時とかは言われてみればわかったかも。それ以外は、あんまり意識したことないけど」
僕がそう言うと、陛下は手の上にぼんやり浮かべていた魔力を一旦全部自分に戻すと、手を使わずに新しく作った魔力の玉を体外で動かし始める。意識を向ければなんとか、という程度だが、何がしたいのかなんとなく察した僕は、見えないそれを黙って目で追った。
「……これはわかるのか。だとすると、境界が曖昧だと駄目なのか?」
言いながら、今度は玉を消して全身からじわりと魔力をにじませ始めた。大気と混ざり境界が無い魔力の動きはなるほど確かに、言われなければ気付けないかもしれない。
「多分、そうかも。今のはわかりにくい。でも体内で動いてるのとかはわかるから、一概にそうなのかはちょっと」
「そんなもんまでわかるのか。だと指向性が問題? それ以前に何でわかるのかっていうのも不思議だけど……ミコトって実はもう肉体改造済みだったりする?」
「僕の知る限りでは無いかな」
「本人も知らぬ間にか……」
「そういう怖い話やめてってば……」
「あれもやめてこれもやめてって、イヤイヤ期だったりするの?」
「思春期ではあると思うけど、大体陛下のせいだと思うよ」
「なるほど、これが反抗期か」
「親じゃないんだから」
「歳は親と子ほど離れてるけどね」
「せめて歳相応の対応をしてから言ってほしいかな」
「親の心子知らずって言うよね」
「子の心親知らずとも言うよ」
「つまり俺達は親子だった……?」
「どうしてそうなるわけ?」
この人と話すの、疲れる。
あれから気を取り直していくつか実験を繰り返したところ、どうも僕の現段階での感知能力とでも呼ぶべきそれは、意識さえすれば大部分の魔力を捉えることが可能らしい。どういう経緯でこうなったのかはわからないが、そもそも大精霊に連れて来られる人間自体が珍しく、それに加えて僕が来た経緯は更にイレギュラーだ。普通と違うところがいくつかあってもおかしくない、という妙なお墨付きを貰ったところで、次の段階に進むことになった。すなわち、制御の訓練である。
……と言いたいところなのだけれど、生憎今日はもう時間が無いとのことだった。そもそも、陛下が昼食後から夕食前までずっと掛かり切りであったというだけで十分に無理をしているらしい。王様ってそんなに忙しいというイメージは持っていなかったのだけれど、実際はほぼ一日中書類仕事をしていると言っていた。今は王妃である学園長が帰ってきているから多少融通が利くということだった。あの学園長にそんな仕事をさせて大丈夫なのかと思ってしまったが、陛下と違って元から貴族だったこともあり余程スムーズに終えるのだという。
昨夜と同じように部屋で夕食を食べ、予定表代わりのメモを貰って目を通すと、今日とあまり変わらないようだ。連日そんなに時間をとっていいのかとも思うが、わざわざ僕から言う必要も無いだろう。仮にも十年もやっている仕事なのだから、そのあたりの加減はしっかりできてるんだろうし。
朝食を終えて部屋ですることもないので、自分の魔力を動かす練習をしてみることにする。感知できるようになったとはいえ、とても不安定で曖昧なものには変わりない。意識するだけでは自分の魔力はわからない。少し動かしてみてようやくわかる程度だ。
動かすといっても、魔術を使う時のように外に出したり留めたりするのはうまくできない。正確に言えば指先などからちょこっと出すだけならできるが、すぐに外気に霧散してしまう。指以外の場所から出そうとしても、僅かににじみ出すような感覚はあるが「出る」という感じではない。陛下に言わせてみれば、今の僕は自分の魔力が全身から漏れ出ているような状態らしい。別にそれ自体は制御を覚えていない人間ならよくある事だそうだが、僕の場合その量が多すぎることが問題なのだと言われた。
「部屋の魔力が濃いですね。何をなさっていたのですか?」
不意に声をかけられたことに驚いて声の方を見ると、そこには昨日と同じく顔も髪もヴェールで隠した女性が居た。マナーの講師だというこの人はどういうわけだか、素顔も名前も明かさない。見るからに怪しいのだが、陛下に確認をとっても問題無いということなので大丈夫なのだろう。
「今日から早速魔力の制御を教えて頂くことになったので、少し練習をしていました」
「勉強熱心なのですね。一応外から声はかけたのですが、気付いていらっしゃらないようでしたし」
薄布の下から覗く真っ赤な唇が優しげに笑む。嫌味なところがあるわけではないのだが、背筋がぞくりとするような光景だ。こういうのを艶めかしいというのだろうか。
「それはすみませんでした。今日は何を?」
「いえ、わたくしの方こそ無断で入ってしまって申し訳ございません。今日も昨日とあまり変わりませんよ。一通りの作法の確認をして……もしも時間があるようでしたら、夜会のためのものも身につけましょうか」
「夜会、ですか? でも、僕は平民ですし……」
「一人称には気を付けてくださいね。確かに今はそうですが、大精霊様とご縁があるとなればそうも言っていられなくなりますから。表だって揶揄されるような事が無かったとしても、知らなかったが為に騙されたり罠に嵌められることもあるのです。努々、ご自身のお立場を忘れられぬよう」
物腰は柔らかいが、言う事は結構厳しい。
謝ってから承諾の意を伝えると、そのまま一対一での授業が始まった。