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あの日々の向こう  作者: 緋月 琥珀
第一章
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二話


 荷物の整理が終わり、来てくれた女中さんたちには物の場所や使い方を聞いてから下がってもらった。

 は、いいものの。


「……暇だ」


 どうしようもなく暇だった。

 そもそも学園に居る時から、娯楽らしい娯楽に心当たりが無い。日が暮れれば寝てしまうし、そうでなければ自習のために自室にこもっていた。最悪、図書館に行けば本を読むこともできたし……まあ、行ったことはあまりなかったんだけど。

 自習道具の類も、慌てて連れて来られたせいでろくに持ってきていない。

 そういえば、急だったから誰にも挨拶できてない。変に心配されてないといいけど……そういえば、みんなはこの休暇はどうやって過ごすんだろう。寮は使えるけど食堂は最初と最後の三日を除いてやらないらしいし、実家にでも帰るんだろうか。

 物思いに耽っていると、部屋の扉をノックされた。ソファでだらけきっていた体を慌てて起こし、返事をしながら扉を開ける。


「不用心だなぁ、ミコト!」


 なるほど、確かに不用心だったかも知れない。

 誰だろう、と思う間もなく、脇に手を入れられ、そのまま持ち上げられてぐるぐると小さな子供のように振り回される。

 いやちょっと、待って? どういうこと? この歳になって持ち上げられるってどういう状況?


「だ、誰……」

「つれないこと言わないで! 俺泣いちゃう!」


 口ではそう言いつつ満面の笑みを隠そうともしない犯人は、持ち上げた時と同じ無造作さで僕を床におろした。


「喜べ! 昼メシの用意ができたから俺直々に呼びに来たぞ!」

「はあ……ありがとうございます……?」


 顔を見ても誰だかわからない。言動だけならセドに似てるかもしれないけど。でも、この顔はもしかして……


「――いか! 陛下!!」

「お、もう来たか。早いな」

「陛下! こういったことはおやめくださいと何度言えば!」

「はっはっは、俺を止められるものなら止めてみろ!」


 先ほどの女騎士さんを尻目に、両手を腰にあててふんぞりかえるその人は、黄色味がかった肌に掘りの浅い顔立ち、そして――


「うん? どうしたミコト、反応が薄いな」


 ――黒い髪の持ち主だった。


「……そういえば、陛下はあちら出身の方なんでしたね」

「そう、驚いた?」

「日本人だったのか、と」

「そこ? もっと他にあるだろ」

「思ったよりも若いですね」

「俺ってば若作りだからそう思われがちなんだよね。これでも今年三十五歳、ってそうじゃない!」


 見事なノリツッコミだ。でもそう言われても特に思い当たることも無い。


「こう、ほら、懐かしいなあとか、ずっと会いたかった! みたいな、ね? あるでしょ?」

「いえ、まあ日本人の顔は懐かしいですけど……まだこっちに来て一月くらいしか経ってないですし……」

「あっれれぇー?」


 そんな不思議そうな顔をされても、実際その程度なのだから他に言いようも無い。……いや、ちょっと待て、国王陛下にこの態度ってまずいんじゃ?

 思い当たると顔から血の気が引いて、慌ててその場に膝をついた。


「お、遅ればせながら大変失礼致しました。ええと――」

「あー、そういうのいいぞ。俺も同じ日本人と会えて嬉しいし。大精霊も日本で親しかったとはいえ、こっちにいるとあんまり日本人の感性とか残ってないみたいだから、ちょっと寂しかったんだ。良ければ、ミコトの話を色々聞かせてくれ。ほれ、丁度これから食事だし」


 顔を伺うと、少し気まずそうに笑いかけてくれていた。くだけた言葉遣いと、日本人だという共通項ゆえだろうか。なるほど、懐かしい、という感覚がじわじわと湧いてきて、自然とこちらの表情も緩んでしまった。


「そういうことでしたら、私の話でよければ。面白いことは何もないと思いますけどね」

「敬語もいいぞ、どうせしばらくは俺達だけでしか会わん。俺も話したいことがいっぱいあるんだ、長い話をするには邪魔だろ?」

「年上相手に敬語を使わないっていうのは、ちょっと慣れないですよ」

「そんなのすぐに気にならなくなるさ。俺達日本人、今のところ世界に二人ぼっちだし!」

「そう聞くと寂しいんでやめてくれません⁉」

「すみませんがお二方、先に昼食の席に案内させていただいてもよろしいですか?」

「……よろしくお願いします」


 お姉さん、居たんでした。日本人とか話して大丈夫だったんだろうか。


「喜べミコト、米があるぞ」

「本当? それは嬉しいかも」

「と言っても、出るのは夕食だけど」

「無意味にぬか喜びさせないでください」

「素直に喜んじゃうミコトってば可愛いなあ」

「お姉さん、この人殴っても許されますか」

「私の一存ではなんとも……」


 苦笑いされてしまった。まあ、僕も本当に殴ろうとは思ってないけど。初対面からいやに馴れ馴れしい人だとは思ったが、不思議とそこまで不快でも無かった。




 食事を終えると、部屋とはまた違う方の奥まった場所へ案内された。こちらも人がほとんど見当たらないから何かと思えば、こちらは大精霊のための場所らしい。否応無しに緊張が高まる。


「私はここから先へは入れませんので、後は陛下がご案内します」


 途中までついてきていた女騎士さんがそう言って別れてしまったので、今は陛下と二人で歩いている。


「ミコトは、大精霊が誰なのか検討ついてるのか?」

「いや、それが心当たりが無いんだよね。人として死んでしまった時に道連れにされるって聞いたけど、身近に死にそうな人もいなかったし」

「ああ……まあ、実は今回はそれに当てはまらないんだよなぁ」

「そういえば、レンカさんがそんな事言ってたような……」

「そう、ミコトがこっちに呼ばれたのは完全にイレギュラー……というか、力技というか。本来なら自分がこっちの世界に引き戻される時の流れに乗せて呼ぶところを、魔力に物を言わせて無理に呼んだらしい」


 腕を組みながらそう話す陛下の顔は、ひどく渋い。


「ただ、そのせいで大精霊自体が弱ってる。しばらく会わせてやれなかったのは、あいつの状態が不安定すぎて危なかったからだ。ようやく安定してきたが、姿を留めてるってだけでまだ眠っている時間の方が遥かに長い。」

「そ、それ大丈夫なの? 死ぬかもしれなかったってことなんでしょ?」

「大精霊に死があるのかどうかはわかってないけど、まあその段階は脱した。会っても大丈夫なのかってことなら、とりあえず意識がある間は危なくないぞ? 体調悪い時には近寄れたモンじゃないけど。魔力濃度が高すぎて中てられて死にかねない」

「危ないってそっち⁉」


 てっきり大精霊の方に悪影響があるからかと思った。

 魔力に中てられるというのは、濃すぎる他人の魔力に対して起こす拒絶反応の一種らしい。相性が悪いか相当の量でも無ければ起きないが、ひどすぎるとアナフィラキシーショックよろしく死ぬことも稀にあるとは聞いていた。


「そっちそっち、あの状況は恐ろしかった。幸い周りに人がいなかったお陰で死人は出なかったけどな。ただ、今も小康状態って程度で、またいつ不安定になるか正直わからない」

「じゃあもしかして、二日かけて来る予定だったのを急に変更したのは……」

「そういうこと。急になってごめんな」


 そう言って、僕の頭を軽くぽんと叩いた。ほんと馴れ馴れしいな、この人。


「ま、本人はあんまり大ごとだとは思ってないみたいだから、気にせず会ってやれ。ヤバそうだったら自己申告くらいするさ。最悪、ミコトの魔力はあいつの魔力が元になってるからそんなにひどい症状にはならない、はず」

「そこは自信持って言って欲しいなぁ……ここ?」


 聞いてはみたものの、ここじゃなかったら他に無さそうだけど。

 長い一直線の廊下を歩き続けて着いたのは、大きな両開きの扉――ではなく、ごく普通の扉だ。装飾はされているが華美ではなく、かといって周りから浮くほど質素なわけでもない。廊下の行き止まりでもある以上、他にそれらしい場所は無い。


「そう、どうする? 来るのはわかってるからいきなりバーンと開けてもいいし、緊張するなら俺が先に入ろうか?」

「悩むとこだけど……僕が先に入る。きっと、待っててくれたんでしょ?」


 自分が死にかけてまで呼んでくれたというのだから、相手が誰なのかはわからなくても、僕が自分で会いに行きたい。

 陛下は少し嬉しそうな顔をして頷くと、僕に場所を譲った。

 扉の前に立って深呼吸をする。ここに来てすぐのドタバタとした緊張とはまた別の、どこか高揚するような、期待と不安が入り混じった胸の高鳴りを、今になって感じる。汗ばんだ手は借りた服では拭えない。

 ノックしてから返事も待たずに冷たいドアノブに手をかけて、ゆっくりとひねる。何の抵抗も無く扉が開いて、その向こうに見えたのは。

 一面の窓ガラスから差し込む陽の光。そして、長い黒髪を波打たせながら、重力を感じさせない不思議な動きでこちらへ向かってくる女性。


「みーくん!」


 唖然とする僕をそう呼んで。勢いのままに、けれどふわりとした現実感を伴わない重みをもって、抱きついてきたこの人は。


「……ねえ、さん?」


 三年前に死んだはずの、姉さんで。

 僕は、あの日々の続きへ帰ってきたのだと知った。




 僕の生い立ちは、少し変わっている。

 家族構成だけ見れば、父と母と妹との四人家族で、至って普通だ。しかし僕には、異母兄弟というやつが居た。それが姉さんだ。

 異母兄弟と言っても、父親の不義でできた子というわけではない。僕と妹の母親が父の再婚相手で、つまるところ父さんは姉さんの母親とは離婚している。養育費は送っていたらしいが、本来なら僕は詳しいことはよく知らないままだったはずだ。


 僕が五歳の時、母さんが妹を身籠った事が判って事情が変わった。母子共に不安定だったらしく、入院が必要になってしまったらしい。父さんの両親は早くに他界済み、母さんの実家もとても五歳のやんちゃ盛りの男の子の面倒を見れる状態では無く、最終的に僕は、当時大学生だった姉さんの家に預けられることになった。

 妹が生まれてからも中々体調が安定せず、少しの間かと思われた僕の居候も数年単位になってしまった。父さんは時折会いに来たが家の事と仕事で忙しいらしく、母親と妹は年に数度顔を合わせるだけになっていた。

 僕が家に戻れたのは、もう中学生になろうかという頃だ。六年生の秋ごろに話はあったが、残り僅かだしということで、そのまま卒業までは姉さんの家である小さなアパートで暮らしていた。


 家に戻って、しかし思ったのは「やりづらい」ということだけだった。

 当然だろう。家族とはいえ、ほとんど覚えていない、接していない人達と急に一緒に暮らし始めたのだから。もう子供の無邪気さで無謀にあれこれできる歳でも無く、まして体の弱い妹が中心だった家だ。決して虐げられたわけでも、煙たがられたわけでもない。けれど僕と家族(・・)との間には、どうしようも無い溝ができてしまっていた。

 妹からしたらたまったものでは無かっただろう。今まで年に数度会うだけだった、兄だという人間が急に自分の家庭に入ってきたのだから。ましてそれが、「兄」という呼称が似合わないほどの、薄気味悪いとさえ言えるほどの女顔であれば、尚更に。


 そして、そんな中でもなんとかやっていこうとしていた矢先、事件は起こった。

 姉さん達のアパートで、火事が起きた。

 ほんの少し前まで僕も暮らしていた、その焼け跡からは遺体が二つ。うち一つは不完全な状態で発見された。姉さんと、その母親のものだった。

 まだ空気が乾いた時期だった。木造の古いアパートだったこともあって、すぐに火が回りよく燃えたらしい。悲しささえ感じさせないほど、跡には何も残っていなかった。


 母さんと妹には、他人事だ。父さんは少しの間ひどく落ち込んでいたが、もう五十も過ぎた大人だ。どうにか整理をつけたらしく、しばらくすればいつも通りに振る舞っていた。

 でも僕はそうはできなかった。小学生の間、ずっとそこで、姉さんとその母親と暮らしていたのだから。人生の半分を、物心ついてからの大半をその二人と過ごしてきたのだから。

 与えられた部屋に引きこもるように、勉強に没頭した。二人と過ごした、あの優しい日々の続きを夢想しながら。

 そうして僕は、根暗なガリ勉オンナオトコとして中学生活のほとんどを過ごすことになったのである。

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