十三話
「……あんた、その時の戦災孤児って話じゃなかったかしら? ほんの十年ぽっち前の話なんだから、知らないはずが無いわ」
――しまった、と思う事さえできなかった。
思いもよらない言葉に頭が真っ白になる。フォークが手から滑り落ちて、カランと甲高い音を立てた。
そうだ、確か、そんな話になっていた。学園での生活に違和感がなさ過ぎてすっかり忘れていたけれど、僕は。
「たしか、今十五歳だったわよね。五歳の時の大きな出来事なら、普通覚えてるものよ。もし覚えてなかったとしても、その歳まで普通に市井で暮らしていれば国王が変わった話や、ましてや自分が居たであろう孤児院の成り立ちくらい知ってるはず。……国が変わる前は孤児なんて、城壁の外で獣に怯えながら物乞いをするしかなかったんだもの」
焦りで思考が空回る。でも、どう弁解すればいいのか。何も知らない。下手な事を言っても、墓穴を掘るだけだ。どうすればいい、どうすれば誤魔化せる。そもそもどうしてこんなに焦っているのか、出自を疑われているだけだ。大したことはない。大した事はない? そんなはずない。出自を偽っていたということは、つまり言えないような出自なのだと言っているようなものだ。
「ましてや、黒い髪の孤児なんて……生きてるはずが無いのよ」
僕を見る目はどこまでも静かだ。普段くるくると表情をよく変える彼女からは、想像もできなかったくらい。
「最初からおかしいと思ってた。あんた……いえ、ミコト・ヒイラギ――」
感情が読めない。何を言われるのか、見当がつかない。ただただ恐ろしい。
「――あなた、大精霊に連れられて来たのね」
彼女はそう、囁くように口にした。
「――は、え?」
「ああ、やっぱり。すっきりしたわ、ずっとひっかかっていたのよ。顔立ちもこのあたりの感じではないし、よく考えてみれば変な時期に急に編入してきたことだって十分におかしいもの。あと半月も待てば新年度に入学するための試験があるのよ?」
先ほどの顔はどこへ行ったのか、告げられた言葉に混乱する僕を尻目に自己完結して満足げに笑っている。いや、僕が勝手に怯えていただけでは、あるんだけど。
それにしたって、彼女は、どうして。
「どうして、その事を」
「今言ったじゃない。それともまだ足りないかしら?」
「そうじゃなくて、その、精霊が、連れて来るって話を」
学園長が出自を隠すようにと言っていたことからも、余程憚られるか、そうでなければ希少な事態なのだと思う。
すくなくとも今現在、控え目に言っても浮いている僕に、真っ先にその嫌疑がかからないくらいには。
セリアさんは授業での様子を見るに頭のいい人ではあるんだと思うけれど、今挙げた材料だけではここまで言い切る理由にならない……はずだ。
「とりあえず、先に食事を済ませましょう。あまり公の場でできる話ではないし、学園長と一緒の方がしっかりした説明ができると思うわ」
食事を終えてすぐに北校舎に向かった。途中で少しくらい何か聞けないかと思ったが、学園長と合流するまでは話す気は無いらしい。自然と逸る気持ちと足取りに、案内役でもあるセリアさんは少し呆れていたようだが、僕自身こんなに落ち着かない気持ちになるとは思わなかった。
「来たか、意外と早かったな。もう少しゆっくりしてきてもよかったのだぞ?」
「とりあえず、中に入ってからで構いませんか?」
「ふむ?」
セリアさんがそう促すと、学園長は思い当たる節でもあったのかくすりと笑って僕らに背を向けた。
そういえば庭の入り口と言っていたような気がするが、目前にあるのは庭というよりは森と言われた方がしっくりくるような場所だ。鬱蒼と茂っていて、深くまでは見通せない。この中に入るということだろうか。
「……ちゃんと話してくれるんだよね?」
「ええ、私より適任の人がいるもの」
「そうだな、この面子ならちょうどいいだろう」
二人はそう言うと森の中へ足を踏み入れていく。慣れない光景に若干怖気づきながらも、仕方がないので後を追うように森へ入った。
ひんやりと湿った空気が肌を包む。ただでさえ柔らかい靴で踏む地面は落ち葉が積もっているせいか、ふわふわとしていて足をとられ、とても歩きづらい。森というのは、こんなに急激に「森」になるものなのだろうか。
「それで、バレたのか」
無言で茂みをかき分けるようにして歩くこと数分、学園長が口を開いた。
「彼からしたら、そういうことになるんじゃないかしら」
「……ええと、まあ、そうですけど」
歩きながら交わされる会話に相槌を打ちつつ、セリアさんの口調に違和感を覚える。さっきまでは、学園長にはもっと丁寧に話していたと思ったんだけど。
「どこまで説明した?」
「全く、何も言ってないわよ。私が説明下手なのは知ってるでしょう」
悪びれる様子もなくそう返す彼女に、学園長は肩を竦めた。
「まあヒイラギ、そう身構えるな。別に取って食おうというわけじゃない」
「それはまあ、一応信頼してますけど……さっきから森の中を歩いてるようにしか思えないんですが」
景色は相変わらず見渡す限りの森。一応獣道のようになってはいるが、学園長の先導がなければすぐにでも見失いそうだ。来たはずの道を見ても、自分がどこを通ってきたのかもよくわからない。
「あまりふらふらするなよ、探しに行くのは手間だ」
「一見ただの森に見えるけれど、方向感覚を狂わせるように作ってある庭なのよ、ここ。正しい道を知らないとあっという間に迷子になって、本物の森の奥まで行っちゃうわよ」
「……肝に銘じます」
現時点僕には全く経路がわからないので、二人から離れないようにするのが最善だろう。庭だと言われたところで、僕の目にはただの森にしか見えない。次に入ることがあるとしても、確実に道はわからないと断言できる。
「北校舎に行くだけなら、表のなんでもない道も勿論あるのだが、この庭は今から向かう制作科の卒業生の作でな。下手に説明するより、実際に見た方がわかりやすいだろうと思ったんだが……」
「……森にしか見えません」
「そうだな、迂闊だった。馬鹿馬鹿しいほどに手間がかかるから実用性には乏しいが、実によくできているのだぞ。私でさえ迷いかねん」
その基準をどう判断していいのかはいまいちわからないが、転移陣の時といいあんまり僕を脅さないでほしい。全力で回れ右したくなってくる。迷うだろうからしないけど。
そんなことを思っている間に、木々の間に塀のようなものが姿を見せ始めた。意外とすぐにその傍まで辿り着き、通用門のような小さな金属製の扉を軋ませて塀の中へと入って行く。
塀の中にあったのは、コンクリートを思わせるような灰色の石を組んだ無機質な建物だった。今しがた通ってきたばかりのものと同じような鉄扉が静かに佇んでいる他は、窓のようなものも見当たらない。その上壁面をツタが這ったりしているものだから、その見た目の陰鬱さといったらない。端的に言って近寄りたくもないのだけれど、残念ながらここが北校舎ということらしい。
迷いなく立ち入っていく学園長の後を追って中に入ると、外観に反して中は清潔そうだった。よく考えればまだこの学園自体設立されてまだ十年経たない、そうすぐに傷んだりはしないだろう。
内部の造り自体は、廊下から見る限り普通の校舎と大差なさそうだ。扉がやはり金属製なのは、どうやら建物全体で共通らしい。
いくつかの扉を通り過ぎて、一際煤けた様子の扉を学園長はノックも無しに開けた。ちらりと覗く限りでも大量の箱が積み重なっているようだったのだが、ここで合っているのだろうか。
室内の入り口すぐのところから、白い靴と布を取り出してこちらに寄越してくる。
「ここで靴を履き替えて、この上着を着ろ。何かあっても責任はとれんから、歩き回ったり勝手に物を触ったりするなよ」
言いながら、学園長自身も僕らに渡したものより一周りは小さそうなサイズのものを身に着けていく。後ろを歩いていたセリアさんも慣れた様子だ。
「そんな注意されなくても、小さな子供じゃないんですから」
「気を付けて入れ、裾に何かひっかけて溢したりするなよ。皮膚が溶けるかもしれんからな」
「……そんな危ないもの、普通その辺に置いておかないですよね……?」
「わからん、ここのやつらのやることだからな。万が一溶けても薬の実験ができると喜びかねん」
「すみません、帰っていいですか?」
「一人で帰れるものならな」
「嵌めましたね!?」
「諦めなさい、私だって気乗りしないのよ」
「待って! せめて心の準備だけでもさせて!」
後ろからぐいぐいと背中を押してくるセリアさんを押し留めつつ、部屋の様子を伺う。
うずたかく積まれた木箱。蓋が開いたものはそのままに、蓋が閉まっているものはその上にまた物が積まれている。ヒューの机の上よりは何があるか余程わかりやすいが、通路の幅がそう広くないのもあって気を遣いそうなことに変わりはなさそうだ。……いや、普通の教室の規格と変わら無さそうなのに通路があるってどういうこと? もしかして箱で壁ができてるだけ?
ガラス製の器が所狭しと並べられている箱もある。脱色剤ってなんだ、なんの色が抜けるんだ。どうして劇物っぽいのに平然と置いてあるんだ。もうやだ帰りたい。
とはいえこの状況でそうも言っていられない。腹を括った上で細心の注意をはらい、学園長の後を追う。通路の行き止まりを曲がると、その先にあったのは見慣れたものより広く雑多な教室だ。
「ようこそ、学園長。お待ちしておりまし――」
やたらと爽やかな美声で部屋の隅から声をかけてきたのは――
「……美しい……」
確かにこちらを見つめて、驚愕の表情で放たれた言葉にゾっとした。
後ずさろうと思ったが、いつの間にかセリアさんが後ろから肩をがっしりと掴んでいて動くことができない。
「ああ、これは失礼。話には聞いていたのだけれど、まさかこれほどとは思っていなくて……」
嫌味の無い笑みを浮かべながらこちらに歩いてくる人物は……一言で言えば、「王子様」だろうか。
そう明るくはない室内なのに、そのわずかな光でもさらりと煌く金の髪。どこかで見たような、目の覚めるような青い目。やせ型の体系ではあるが頼りない印象はなく、顔の造形も最早言うまでもないだろう。ヒューのような作り物めいたものというよりは、ある種の理想がそのまま形になったのではと思わせる。
「おや? セリア?」
「独断でついて来てしまいました。多分、私も無関係な話ではないと思いましたので」
「私もそう判断した、不都合があったか?」
僕の後ろにいるセリアさんに気付いたらしく、親し気に声をかけた青年。セリアさんの方も、口調こそ丁寧だが声音は柔らかい。
「いえ、特にありませんよ。それでは、気を取り直してまずは自己紹介を。私はレンカ・バルシア、気軽にレンと呼んでくれて構わないよ。セリア共々、今後もよろしく」
「あ、えっと、ミコト・ヒイラギです。よろしくお願いしま、す……?」
にこやかに差し出された右手を、つい反射的に握り返した。思えばこの感覚も懐かしい。
……いや、なんか今、ちょっとひっかかることがあったような。
「うん、本当に陛下と同じ出身なんだね」
「私も、正直なところ確信は無かったのですけれど」
手を離さないままに笑みを深めるレンカさんと、同調するように僕の隣で頷くセリアさん。
「えっと、あの、どういう……?」
「そのままの意味さ。なにせこちらには、こういった挨拶の仕方は見られないからね。普通はこうやって、すんなり握り返したりはしてくれないんだよ」
「ああ、なる……」
ちょっと待て。
さっきこの人、「陛下と同じ出身」って言わなかった?
「……あの、先ほど、聞き間違いでなければ……」
「ああ、そうだね。陛下とご出身が同じのようだ」
「……国王陛下と?」
「この国でその方以外に陛下と呼べそうなのは、君の後ろにいる学園長その人くらいではないかな」
「……ん? え!?」
ただでさえ混乱している中突きつけられた意味深な言葉に、更に混乱が深まる。
いつの間にか後ろにいた学園長を見れば、面白そうにくつくつと笑っているところだった。
「ちょ、ちょっと待ってください。え、あの、どういう? 学園長も陛下?」
「くくっ……そこまで狼狽えずともいいだろう」
「いや……え、どういう……?」
「先に、選択授業に関する話を済ませるとするか。その話は長くなるからな」
「本来そういう目的でここに来ているわけだしね」
いや、確かに、それはそうなんだけど。
この状況で頭に入るだろうか。