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十二話


 翌日。

 二つに分けられた藍色の髪を揺らす童女の後ろをついて歩く。今日のリボンは目の覚めるような鮮やかなレモン色だ。見学のために無駄に広い校内を移動しているが、一体どこまで行くのだろう。

 数歩先で歩みに合わせて僅かに上下する後頭部を見つめていると、不意に懐かしさに襲われた。

 思い出したのは、少しだけ歳の離れた妹がふり返りもせず歩く姿。

 顔を思い出そうとしても、ぼんやりとしたイメージしか思い出せない。体は弱かったが対照的に気は強くて……まあ、僕が嫌われていただけかもしれないけど。なにしろ、顔の記憶どころか笑顔を向けられた記憶さえ無い。――それにもう、思い出す必要も無いだろう、なんて。


「おい、どうかしたのか?」


 突然かけられた声に驚いて、いつの間にか俯いていた顔を上げると、眉を思いっきり寄せている学園長と目があった。

 いつの間にか、立ち入ったことのない場所まで来ていたようだ。あたりの景色に見覚えがない。


「すみません、少しだけ考え事を」

「……考え事というよりは、郷愁か? 顔に出ていたぞ」


 ドキリとして、思わず自分の顔に手を当てる。それを見た学園長のにやりとした笑みに、嵌められたこと悟った。


「……妹のことを思い出していました」

「ほう。確か、今の私の外見年齢と同じくらいの歳だったか」

「知ってるんですね……人種が違うからそういう感じはあんまりしませんけど、多分」


 苦笑いで返すと、悪戯気な表情が返ってきた。

 学園長もおそらく、十かそこらなのだろう。勿論外見の話だけど。

 昨日あんな話をしたからだろうか。やけに日本でのことが意識に上る。最初はあれだけおぼつかなかったこちらの言葉も、今やすっかり口に馴染んでいるというのに。


「残念だが、こちらから向こうに干渉できるのは大精霊だけだ。まだ若いのだしすぐに気持ちの整理をつける必要はないが、今のように突っ込まれても問題ないように準備だけしておくといい」

「……はい、ありがとうございます」


 かまをかけられたのだと思ったが、実際によほど顔に出ていたのだろうか。柔らかい声音で諭すように言われ、少し気恥ずかしくなった。

 再び歩を進めはじめた学園長が向かったのは、青みがかった白い石材でできた巨大な四阿あずまや。床の部分には複雑な陣が彫りこまれていた。

 教室と同じほどはありそうな広さである一方、屋根と柱と床だけで座れそうな場所は一切なく、あたりも行き止まりのようだ。

 学園長は僕が足を踏み入れたことを確認すると、靴を床に軽く打ち付けてコツリと音を鳴らした。床の紋が微かに魔力の光を帯びる。

 これは完全に余談だけど、音が鳴るほど底のしっかりした靴は高級品らしい。


「これは?」

「校内にいくつか設置されている転移陣だ。詳しい原理はよくわからんが、陛下お手製の便利道具の一つだな」

「……お手製?」

「きちんと動作するし、安全弁はいくつか用意されているということだから安心しろ」

「そういう意味ではなかったんですけど、それを聞いたらそっちの方が気になってきますね」

「十年間無事故だ、心配ない、行くぞ。第三の権利を以てこれを行使する。目標、第一訓練場」


 僕の返事を聞きもせずにそう宣言してから、もう一度足を鳴らす。瞬きするほどの間もなく景色が変わっていた。普通の校庭のようなだだっ広い……殺風景なところだ。

 転移先も四阿なのかとおもったが、同じ石材の円形の床があるだけで屋根はない。こんな埃っぽいところで屋根や柱を作ると手入れが大変そうだし、そのせいだろうか。


「こ、心の準備とかさせてくださいよ……」

「世界を渡ってきたというのに、たかだか校内の敷地を移動する程度で気になるものか?」

「あの時は……何がなんだか全くわからなかったですから。半端にわかる分ちょっと腰が引けます」

「ほう、ならば次からは説明しない方がいいか」

「やめてください、そういう意味じゃないです」


 話しながら歩き出す学園長について行く。ほんの少しだけ足が震えていたのは秘密だ。


「……ふむ、既に移動してしまったようだな。仕方ない、担ぐか」


 かつぐ?

 数分ばかり歩いたところで学園長が溢した言葉に首を傾げる。確かに授業見学のわりに人の気配はないけれど。

 そう思って進む先に人の姿を探そうとした時、目前の学園長の体内で何か巨大なものがうごめいた気配がした。

 全身からじんわりと冷や汗が滲むほどの威圧感に、わけもわからずただ硬直していると、学園長がそのままこちらに近付いてきて、気が付くと僕は横抱きにされていた。

 所謂、お姫様抱っこである。

 細すぎるほどに感じるや小さな手が胴や脚に食い込んで痛いが、異常なまでの安定感だ。落とされるような気は全くしない……ではなく。

 いや待って、今何が起きてるの? 僕どういう状況?


「呆けていると舌を噛むぞ、口を閉じていろ」

「は――?」


 せめて返事はさせてください。

 幸い、舌を噛む前に口を閉じることには成功した。

 体感にして十数分、おそらく実時間はほんの一分経つかどうかと言った頃。

 風景が霞むほどの速度に目を回している間に、乱雑に地面におろされる。そう高さがあったわけではないが、状況もわからないうちに転がされたので思わず声を上げる程度には痛かった。

 打った臀部をさすっている間に、学園長は担当と思わしき教員に話しかけていた。僕も挨拶に行った方がいいのだろうけれど、情けないが膝が笑っていてまともに歩けそうにない。

 あの速度は、なんの安全装置もなしに体感していい速度じゃない。死ぬかと思った。

 とはいえ数分もすれば気持ちも落ち着いてくる。学園長の方も話がついたのか、会話を中断してこちらに向かってきた。


「よしヒイラギ、走るぞ」

「は?」

「走り込みから参加させてもらえるそうだ、良かったな」

「……見学という話では?」

「体験できた方がわかりやすいだろう」

「運動できる恰好で来ていないんですが……」

「上の制服だけ脱げば無理ではないだろう。急がんと次の準備に間に合わなくなるぞ」


 理不尽というのは、こういうものを言うのだろうか。




「見事に剣に振り回されていたな。なかなかに面白かったぞ?」

「僕としては全くおもしろくないです」


 周回遅れで走り切った後、せっかくだからと一番基本的な剣を振らせてもらったのだが、ひどいものだった。

 始めて握るそれに胸が高鳴ったのはほんの一瞬。普通に持つ分にはまだなんとかなったものの、言われたように構えてみれば剣先はふらふらと大きく揺れ、見よう見まねで振ってみれば剣の重さに引っ張られて姿勢が崩れた挙句地面に刃先を打ち付けることになった。

 もともと刃は潰してあるので劣化は気にしなくてもいいと言われたものの、僕の心を折るのには十分すぎたのは言うまでもない。


「最初は誰だってそんなものだ。特にお前のような出自では仕方あるまい。……もう少し鍛えてもいいとは思わんでもないが」

「……前向きに検討します」


 余計なお世話と言いたいところではあるが、周りがあまりに軽々と扱っているように見えたのもあり、自分でも思ったところだ。

 一朝一夕でなんとかなるとは思わないが少しくらいは何かした方がいいだろうか、折角暇な時間はたっぷりあるわけだし。

 目の前で生徒同士での模擬戦が始まる。得物は授業用の備品で切れ味自体は無いも同然だが、金属の塊であることに変わりはない。何かあれば惨事は免れないはずだが、それでも互いに果敢に攻め合っていく様は、僕からすれば目の前で行われていても信じがたい。


「実戦向きの授業を主体にしてるから、剣術科っていうのは名ばかりで結構なんでもありなのよね、この学科」

「そうなんで、す……ね?」


 横合いからかけられた声に半ば惰性で返事をしかけて、その声と口調に違和感を覚える。

 慌てて振り返ればそこにいたのは、白銀の髪を鮮やかに煌かせたクラスメイトだった。


「バルシア嬢、授業はどうした?」

「授業を欠席して成績が低下しても、自己責任ですものね?」

「……大層な自信だな」

「あれだけの教育を受けてきて、今更基礎課程で成績を落とすなんてありえませんわ」


 呆れたような視線を向ける学園長に対して、セリアさんは悪びれる様子もない。なんなら鼻で笑う勢いだ。


「あの、セリアさん、どうしてここに……?」

「あんたがどんな目にあっているのか、みんながすごく気にしてたのよ」

「え……あ、僕、もしかして心配されてるの?」

「……まあ、ルチルあたりはそうかもしれないわね」


 すっと目をそらしてそう答えるセリアさん。

 なるほど、どちらかといえば野次馬……まあ、注目を集めているのは知っているし、今更不快に思うこともないけど。


「だからって、自分の授業放ってまで来ることないのに」

「私くらいしか来られる人がいなかったのよ。それに、少し気になることもあって」

「気になること?」

「おい」


 彼女が気にすること、というのが気になって首を傾げていると、反対側の隣から些か不機嫌そうな声をかけられた。


「見学に来ているんだぞ。話は後にしたらどうだ」

「……すみません」


 真面目に見たはいいものの、相変わらず現実離れした光景故にあまりピンとこなかったのは記しておく。




「戻って昼食を食べたら、午後の鐘からは制作系の見学だからな。忘れるなよ」

「えっと、学園長室でいいですか?」


 立ち去りかけた学園長に確認のため声をかけると、ぴたりと足を止めその場で腕を組み、少しの時間を空けて僕に尋ねた。


「お前、北校舎の場所はわかるか?」

「場所だけだったら、一応。男子寮と女子寮の間の校舎ですよね?」

「いや、違う。森の中にある方だ。そっちは中央校舎だな」

「……あの中に校舎があること自体、初めて知りました」


 あの校舎が中央だったのか。てっきり普段使ってる校舎が中央なのかと思っていた。よくよく考えれば、一年しかない初等部が中央校舎を占拠しているわけもないか。


「私が連れて行きますから、問題ありません。北校舎というよりも、あの庭の入り口でよろしいのでしょう?」

「そうだな、中に入ってから入れ違いになっても困る。昼食が済んだらそこに来てくれ」

「わかりました。それでは……ほら、食堂に行くわよ」

「あ、うん。またあとで」




 初日にも来た、カフェテラスに似た食堂で食事をとっている最中。

 わいわいと騒いでいる生徒たちを見て、今更ながらふと疑問に思ったことをふと口にする。


「今更なんだけどさ……ここって、身分差別とか無いの?」

「あるわよ」


 こちらも見ずに即答するセリアさん。


「正確に言うなら、現状国が目指す方向としては区別に近いわ。王族や貴族は贅を許される代わりに平民を守る。平民は庇護を受ける代わりに国や貴族に礼を尽くし税を納める。校内に限っては、本人が爵位持ちなんてほとんどいないから身分の差は無いも同然だけれど……まだ国が新しくなってからそうは経ってないから、そうでないところがほとんどでしょうね」

「国が、新しくなって……? どういうこと?」


 そんな話は初耳だと思って聞くと、食事に専念しているようだったセリアさんは不意に手を止め食器を丁寧に置くと姿勢を正し、こちらをひたと見据えた。


「……あんた、その時の戦争孤児って話じゃなかったかしら? ほんの十年ぽっち前の話なんだから、知らないはずが無いわ」


 ――しまった、と思う事さえできなかった。

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