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十一話


「……突然異世界に来ることになったのに、その理由も、現在の状況も、気にならないとでも?」


 ここまで言われてようやく思い至った僕は、ひょっとしなくてもこの世界に馴染みすぎてはいなかっただろうか。

 一月、一月だ。

 その間、それらの事を果たしてどれだけ気にしただろう。

 少し考えてみれば、わからないことだらけのはずだ。突然異世界なんてものに来たことも、学園長がさして驚いていなかったことも、これ以上ないくらいスムーズに物事が進んでいたのも、何もかも。


「……教えてもらえるんですか?」

「全てとはいかないかもしれないが、私にわかる範囲でよければ」

 

 その言葉に偽りがあるか否かなど、僕にわかるはずもない。

 けれどこちらを見据える目は揺れることなく、表情はどこまでも真摯だ。


「なら……教えてください。どうして僕が、ここにいるのか」




 話が長くなるだろうから、と言って学園長は一度奥の部屋へ入っていった。戻ってきた時、手には盆に乗せられた茶器が一式。給湯室でも備え付けているのだろうか。


「さて……そうだな」


 茶菓子も含めてセッティングを終えると、自分の分のカップを手に取りながら学園長が口を開く。


「この学園にいるなら、そろそろ精霊というものの存在はなんとなくわかり始めているだろう」

「え?」


 磁器に軽く触れるように紅茶モドキに口をつけ、音を立てずにソーサーに戻す童女。僕の方も同じようにしたつもりだったが、こちらはカチャリと耳につく音を立てた。


「えっと……魔術の発動に関係する、魔力の詰まった袋みたいなやつ……でしたっけ」

「その通りだ、学が身に付いているようで何より。では、大精霊という言葉に聞き覚えは?」

「誰かが口にしているのを聞いたことはありますけど……」


 ニュアンス的にもわかりやすい気はするが、しっかり把握しているとは言えない感じだ。あまり頻繁に耳にする言葉でもないし、授業中も出て来ることは無い。


「まあ、そうだろうな。ではまずは、そこから説明しようか」


 自分で出してきた焼き菓子を一つ、口に含む学園長。姿は幼女そのものなのに、食べる仕草は外見とは裏腹に丁寧で落ち着いたものだ。そういえば、この人もよくわからない存在の一つだった。


「大精霊というのは、名前からも推察できるだろうが、通常の精霊よりも現実に対する改変能力が高い精霊のことだ。扱える魔力の量も桁違いで、指先一つで天災を引き起こせるような存在。場所によっては信仰の対象となっているし……この国でも、国主は人間ではあるが、成り立ちや王家には大精霊が深く関わっている。民にしてみれば、いわば象徴だな」

「はあ……」


 滔々と語られるも、いまいち実感がわかない。というか、何故急にそんな話を。


「すまない、わかりにくい話だったかもしれないが……この大精霊というものの最たる特徴は、意思を有するということなのだ」

「意思……ですか?」

「そうだ、あれらは人と同じように思考し、感情を持ち、交流する。……そして稀に、その常軌を逸した力で世界を越え、人として一生を送るものがいるらしい」


 理性無き現象とも称される精霊が、人として生きる。

 それだけ聞くと、何か恐ろしいことが起きていそうな気はするのだけど。まあ、少なくとも今はあまり気にすることではないのだろう。


「そして、その一生を終えてこちらの世界に戻る時に……人の身による愛着と、人ならざるが故の無邪気さで、大切な者をこの世界に引きずり込む。――丁度、お前がそうされたように」

「……僕が、ですか? 大精霊に?」

「そうだ。……ひょっとして、心当たりもないのか?」

「えっと……はい。あの、会わせてもらったりは……?」


 困惑しながら返す僕に、学園長の方が怪訝そうな顔をする。

 僕がこちらに来た時に、身近な人……そこまで大切だと思ってくれていそうな人が死んだりはしていない、はずだ。

 そもそもそこまで想ってくれる人に、心当たりがまるでないのだから。


「こちらの都合で悪いが、すぐに会わせることはできない。ただ、縁の者からお前の話自体も、もしかするとこちらの世界に来るかもしれないということも聞いていた」

「……僕がこちらに来ることは、決めてあったということですか?」

「無論、何かしらの手段で同意をとってからというつもりだったようだがな。それに来るとしても、あと十年は先と見ていたのだが……どういうわけだか、お前は既にここにいる。今はこちらもその理由を探ることもできない状態だ」

「それは……苦労をおかけします……?」

「お前が謝ることではない。ここが完成していたから、そう大きく混乱もしていないしな」

「ここ?」


 何を聞いても疑問符しか出て来ない状況に些かの申し訳なさをおぼえる。が、次に飛び出した言葉でそれどころではなくなった。


「そもそもこの学園は、お前が来た時のために作られたと言っても過言ではないのだ」

「は?」


 あまりにも衝撃的な内容に、思わず口調が乱れた。

 なんだそれ。来るかどうかもわからなかった僕一人のためにこれだけ大規模な、周りに街ができるほどの施設を作ったとでもいうのか。


「……驚く気持ちはわかるが、先ほども言ったように大精霊は信仰の対象、国家の象徴だ。魔力を使わずとも一声で国を動かせるほどのな。それに学び舎を作るという事業自体、十分に意味のあるものだった。あまり気にするな」

「いや、気にしますよ!?」


 なんでもないような表情で言わないで欲しい。こちとら普通の小市民なのだ、これだけのものを自分のために、などと言われて気にせずにいられるほど図太いつもりはない。


「そして、そういうものが後ろについているわけだから、この書類も必要ない。こちらから適当に断りは入れておいたから後処理は気にしなくていいぞ」

「えっ……」


 ぺらりという軽い音と共に取り出されたのは、学費援助の申請用紙だ。

 ……要らなかったの? あんなに苦労したのに?


「学費に限らず、諸経費は全て免除……少なくともお前が用立てる必要はない」


 そう言って、いつぞや担任経由で提出した書類は目の前で描かれた小さな陣によって灰になる。

 先に言っておいてほしかった。いや、仮に知ってたとしても、あの決闘騒ぎは避けられなかったし結末も変わらなかったのだろうけど。


「……あの、それでどうして、学園を建てようと?」


 気を取り直して、当初の疑問の一つをぶつける。

 学園が僕のために作られるという、よくわからない結果はどういった経緯で生まれたのだろう。


「む? ああいや、大精霊たっての希望、といったところだ。通う通わないに関してはお前の意思を尊重するそうだから、無理に通わせる必要はないとも言っていたが……正直、現状では外に出るのは難しいだろうな」


 かなり苦い顔でそう言う学園長を見て首を傾げた。

 まあ実際、一か月もの間生活していながらこの世界の常識もわからないのは事実だ。出るのは難しいとは思う。

 けれどこれは、その程度のニュアンスではなさそうだ。何か他に致命的な問題でもあるのだろうか。


「あまり大した話はできなかったが、私から話せることはこれくらいだ。ところで、もう一つの本題である選択授業の件だが」

「すみません、決めかねてるうちに期限が……」

「まあ、だろうな。なので明日から数日、授業の後にここに来い。上級生の授業の見学に行く。どうだ?」


 「どうだ?」とは言っているものの、拒否権はありそうにない。異論もないから構わないといえばその通りなのだけど。


「わかりました、よろしくお願いします」

「承った。では、また明日だな」


 そう言って頷くと、対面の椅子から降りて小屋の入り口へ向かおうとすぐ学園長。扉を開けてくれるつもりなのだろう、けど。


「……あの、最後に一つ聞いてもいいですか」

「む、どうした?」


 やはりどうしても気になって今のうちにと思って呼び止める。

 いつ聞いてもいいはずだけど、今を逃すと何故か忘れてしまいそうな気がした。


「僕を呼んだ大精霊って、どんな人……なんでしょうか。すぐに会えないのは了解してるんですけど、聞いておきたいと思って」


 心当たりこそないが浅からぬ縁はあるのだろうから、これくらいはいいだろう。


「……本当にわからないのか? 親しかった人の一人や二人いただろう?」

「心あたりが特に無くて……」


 問う学園長の顔は、なんともいえない苦し気な表情だった。

 心あたりと言われても、強いて言うなら姉さんたちや小学生の頃の友人達だろうか。

 しかし、後者は疎遠になって久しい上、知っている範囲では特に大病を患っているような人もいなかったので「人としての一生を終えた時」という条件には当てはまらないはずだ。事故でもあったならともかく普通に生きていれば年齢的にまだ向こうの世界で生活をしているだろうし、わざわざ世界を渡らせるほど執着されていたら逆に恐ろしい。

 姉さんは――もう、僕がこちらに来るよりもずっと前に、死んでしまった。

 学園長は「そうか」と呟いて、複雑な顔を隠しもせずに、「あまり突っ込んだことを言える身ではないのだが」と前置きした上で、こう教えてくれた。


「……とても……とても優しい娘だ。少なくとも、私はそう思っているよ」

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