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アシュタルテと砂漠の女王  作者: ヤマモト マルタ
第一章 女王
3/8

3 侵入者

 シャールが女の手に拘束されてからも、縄のきしむ音が続いていた。


 やがて片手が窓枠に掛かり、灰色のハブルに身を包んだ男が部屋に身を乗り入れ、転げ込むように床に落ちた。


「やっぱ、無茶だったぜ……この壁を……登るなんて……」


 寝転んだまま、ゼイゼイと息を切らせている。


 徐々に呼吸を整えつつ男は立ち上がり、縄を巻き上げると、窓枠の留め具に引っ掛けた。もう一方の縄の端は窓から上に伸びており、どこに固定されているのかわからない。


(誰かが縄を垂らした? 王宮内に仲間がいるのか?)


 背の高い男だ。起き上がった拍子にハブルが頭から外れている。顔は若いのに、無造作に跳ねた髪は灰色で、まばらに黒い毛が交じっている。灰色の目に、少し浮いた頬骨。


 どこかで見た顔だ……。


(あの時の偽予言者!)


 シャールは、前回の請願日の不愉快な訴えを思い出した。


 だが、すぐにその考えを打ち消す。鼻削ぎか耳削ぎの刑にしたはずだ。同じ男のはずがない。


 男がシャールを見下ろしている。あの時の男に顔は似ているが、印象はだいぶ違う。あの男の顔には生真面目さがあった。だが目の前にいる男の表情は、気楽というか不遜というか生意気というか。王宮に侵入しているというのに、緊張感が感じられない。


「ここで大騒ぎするほど、馬鹿じゃないよな?」


 口を塞がれていたので、シャールが目と眉を動かして肯定の合図をすると、顔から女の手が外れた。


「無礼者! われを誰だと思っておる!」


 断固とした口調でシャールが怒鳴った。


「わーっ、待った待った!」


 男が両手を広げ、シャールと女の間に割って入った。汗と土の臭いがする。


 男はシャールではなく、連れの女の手を押さえていた。女の手には、細い金色の剣が握られている。


「おとなしくしていなかった」


 平板な女の声にシャールは震えた。


「そりゃ、ああ言って脅せっていったのはおれだけどさ、本当に殺しちゃダメだろ?」


 女が不思議そうに首を傾げる。男はくしゃくしゃと頭を掻き、シャールを見た。


「無礼者だとよ、なんだか偉い人のようだぜ」


(わたしが国王だと気付いていない?)


 シャールは請願日に限らず、外出時にも飾り面で顔を隠している。王宮以外でシャールの顔を知る者は限られる。


(国王だと知れたら殺されるかもしれん)


「われ、わたしは……国王陛下の侍女じゃ……です」


「キリク、『侍女』とは何だ?」


 女が尋ねる。女が手にしていた金色の剣は、ハブルの中に隠したものか、その手から消えていた。


「おい、名前を言うな。『侍女』は女の召使いだが……それなら、おれと同じ平民ってことだな」


 キリクは馴れ馴れしくシャールの肩を叩いた。


(ぶ、無礼者め!)


 声に出すのを我慢して、シャールはキリクの手を振り払った。


「侍女といっても国王陛下の侍女だぞ! 侍女の中では一番偉いぞ!」


「わかったよ。それなら、国王様が今どこにいるか教えてくれよ」


(やはり刺客か? それにしては……)


「陛下にお会いしてどうする?」


「お願いしたいことがあってな」


(どうする? ハーリルが来ていたから衛兵は遠ざけてあるが、大声を出せば聞こえるだろう。しかし騒いだ途端、この女に殺されるかもしれん)


「……陛下は下の階にいる。案内しよう」


(このまま、衛兵の詰め所まで連れて行けばいい)


「王宮の灯りとは、こんなに大きいものなのか?」


 女の声に振り向いたシャールの目が、部屋の入り口に釘付けになる。閉じられた入り口の木戸全体が燃え、炎に包まれていた。


「へえ、城では篝火かがりびも盛大だな! しかし部屋の出入り口どこだ?」


 キリクが呑気な声を出す。


「馬鹿者! 火事じゃ!」


 床を伝うように炎が走り、寝具に燃え移った。


 燃えやすい寝具は、一瞬で巨大な炎となる。火炎で寝具の横の脇机が揺れ、その上の燭台が倒れた。


 部屋の天井に煙が渦巻き、出口を求めて熱気と共に窓の方へ流れてくる。


「逃げよう!」


 キリクが叫ぶ。


「女王を探さないのか?」


「冷静にも程があるわ!」


 女の声に、シャールは思わず叫んだ。


「この程度の炎なら、わたしは大丈夫だ」


「おれらは大丈夫じゃないよ!」


「では先に逃げろ。縄に燃え移る前に」





 キリクが窓枠の留め具から縄を外し、その端を窓の外へ垂らす。


「じゃ、行こう!」


「われもか!?」


「焼け死んでもいいなら、無理にとは言わねえが……」


 窓から下を見下ろし、シャールはつぶやいた。


「無理じゃ……」


 ここから見える景色を怖いと思ったことなど今まで一度も無かったが、ここから降りると考えた途端、足がすくんだ。王宮の周囲には高官たちの所有する高層の大厦たいか(ビル)が並び、昼間であれば窓の真下には、その屋上が見える。だが今は底無しの穴のように暗い。


「それに……あの女はどうするのじゃ?」


「心配ない。アシュタルテは炎が大好物だ」


(アシュタルテ……ペルシアの古い女神の名ではなかったか……?)


 煙が押し寄せて、隣のキリクの顔をさえぎった。急に息苦しくなり咳き込んだシャールを、キリクがハブルを広げ頭ごと包みこんだ。


「死にたくないだろ? 縄をつかめ!」


 キリクがシャールの腹を片腕で抱きしめ、押し倒すように窓の外に飛び出す。


「ぎゃああああっ!」


 シャールは悲鳴を上げた。落ちる……と思ったが、ガクンと衝撃があり、その後ぶわりと体が揺れた。混乱したが、顔の前にあった縄だけは必死でつかんでいた。足を閉じて、膝でも縄を挟み込む。


「降りるぞ、手を緩めろ」


 窓の外で揺れながら、キリクが言った。


「い、嫌じゃ! 手を離したら死ぬではないか!」


「少し緩めて、また握る。それを繰り返すだけだ。おれが支えているから」


 痩せてはいるが、城壁を登ってきただけあって、背中にまわされたキリクの腕は力強かった。


 シャールは握った縄を少し緩めた。


 落ちない。


「足も緩めろ」


 見上げた窓から灰色の煙が流れ出ている。その窓が、スーッと遠ざかる。


 縄をつかみ、膝を閉じる。


(止まらない!)


 縄が手の中で滑る。チャフィーブのゆったりとした生地が縄に巻き込まれ、股に食い込む。


 だが次の瞬間、落下は止まっていた。縄をつかむシャールの拳を下支えするように、キリクの大きな拳があった。


 再び見上げると、思ったほど落ちていない。キリクの尖った顎と煙の吹き出す窓が見えた。


 同じ動作を何度も繰り返し、少しずつ降りるうちに、シャールは落ち着きを取り戻した。縄は休息所の窓の横の壁沿いに上り、屋上のどこかに結ばれているようだ。


(まさかあの女が、あそこまで自力で登ったのか)





 静かだった。自分の息遣いが一番うるさい程だ。


 だれも火事に気付かないのだろうか?


(そんはずはない。少なくとも同じ階にいた者たちは気づくはず)


 二十八階にある休息所の五、六階ほど下の部屋の窓に、人影が見えた気がした。今、シャールたちのいる位置の二階ほど上だ。部屋の灯りは点いていないので自信はない。


 何の部屋かはわからない。王宮には無数の部屋があり、把握していない部屋の方が多い。


(やはり、誰かいる!)


 黒い影が窓から半身を乗り出している。漆喰で塗られた王宮の壁は夜目にも薄っすら白く、そこに影の輪郭が浮かぶ。頭の形が衛兵に似ている。衛兵は頭に巻いたドゥループの中に毛織の詰め物を入れており、頭頂が尖っているのだ。


「助けてーっ!」


 シャールが叫ぶと、キリクが耳元で言った。


「騒ぐな! あいつは変だ!」


 窓から乗り出した影が、そのままズルリと滑り出る。そして落ちることなく白壁の上を、頭を下に這っている。


「なぜ落ちないのじゃ!?」


 シャールとキリクは、今までよりも一層速く縄を伝い下りた。


 黒い影が、四本足の蜘蛛のように壁の上を走り寄ってくる。


「あああ……!」


 思わず声が漏れる。


(怖い! 気持ち悪い!)


 近寄ってくると、確かに衛兵の姿をしている。ドゥループを頭だけでなく、顔にも巻いて隠している。


 片手を振り上げ、落ちるように迫ってくる。その手に握られた尖ったものは、短剣シャンビヤのようだ。


(飛びかかってくる!)


 シャールの手の中の縄が、突然張りを失う。


 衛兵の更に上から、もう一つの人影が逆さまに落ちて来る。


 アシュタルテが縄を切ったのだ。


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