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囲いの少女  作者: 豆野
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「りん」

 小鳥は毎日やって来た。その都度、私はくすねた林檎をあげていた。

 あげた林檎から、私は小鳥に『りん』と名付けた。あまりに安直な名前だが、りんは許してくれるだろうか。

 初めはこちらに近づこうとしなかったりんだが、繰り返すうちに慣れたらしい。最近は窓枠に上がって直接私の指先から受け取れるようにもなっていた。

 私の身体ではこの隙間は超えられないが、りんの小さな身体だったら十分に超えられてしまう。りんはいつものように林檎を満足するまで食べ終わると、残りを咥えてどこかへ立ち去ってしまう。羽ばたきの力強さに、私は日々羨ましさを募らせていった。


 ある日のことだった。いつものように林檎を上げようとうっすらと開けた窓の隙間で待っていた。りんはいつものように入ってくるが、どこか動きがぎこちない。

 右羽が閉じきれないようだった。見ればうっすらと血が滲んでいる。

「大変。どうしたの?」

 と手を翳すと、その瞬間に流れ込んできたのは飛び立つ寸前のりん。右羽のごく近くの枝が折れ、鋭い棘がある。りんはそれに気付かず、羽ばたいてしまったようだ。

「……痛そう。大丈夫……ではないよね」

 どうしたらいいのだろうか。暁に言えばいいのかもしれないが、数日前に私の前で見せたあの剣呑な目付きが気になった。りんのことを伝えたとしても、きっと彼を苛立たせるだけだ。しかし、怪我をしたりんをこのまま放置はできない。

 どうしようと、思考が沈んだ瞬間だった。ふと、このまま念じればいいと考えが過る。

「どういう事……?」

 余りに突拍子もない考えだ。だが、何かに突き動かされるように、両手がりんの身体を柔らかく覆った。まるでそうするのが正しいと知っているかのように、私はぎゅっと目を閉じた。その感覚に逆らわずにいると、お腹の底から力が湧いてくる。それがゆっくりと私の身体を巡りと、最後は腕を伝った。手のひらが温かくなったと思ったら、そこから何かが湧き出ていた。

 それが、りんの身体をゆっくりと温めていくのが分かった。

「っ?!」

 ばちん! と弾かれたような感覚に手を離す。すると、急に身体から力が抜けた。肺が苦しく息が荒い。足がもつれて尻餅をついた。どたん、と大きな音が響く。後ろ手を付いてりんを見上げた。すると、彼はぴいぴいと小さな鳴き声を上げた後、その場から飛び立った。へたり込んだ私の上を元気に飛び回って見せた。まるで、怪我などなかったかのような動きで。

「うそ……? な、治った……?」

 私はその光景に驚き、ぽかんと見上げてしまった。だが、実際にりんの羽の怪我は治っている。先ほどまであんなに飛び辛そうだったというのに。

 暫く呆けていた私の耳に、慌しい足音が聞こえてきた。暁のものだ。

 彼に見つかってはいけない。咄嗟にそう思い、慌ててりんを窓の外に追い出した。

 りんは私の誘導に従って、すぐに窓の外へと逃げていく。

「――どうした!」

 息を荒げた暁が駆け込んだ。彼の手が木材で作られた格子をぎゅっと握り、叫んだ。

 彼の肌の色は元々白いのに、さらに青ざめた肌の色をして目を見開いていた。

「ご、ごめんなさい。よろけてしまって」

 と、私は尻餅をついて音を立てたことを謝った。だが、暁の様子はそれでは収まらなかった。

 彼が食事の時以外でこちらに上がり込んだのは、あの初めて会った日だけだ。彼は、食事の時以外はこの格子を超えないことを自らに課しているらしい。温石の受け渡しも格子越しに行う徹底ぶりだった。

 錠を開けると、そのまま彼は私へと駆け寄り、腕を巻き付けた。きつい力で抱き絞められて息が苦しい。普段はあれほどまでにきっちりと管理する錠が開いたままだ。

 それが、なんとなく目に入った。

「まさか、思い出したのか」

「……え?」

「思い出したのか、と聞いている!」

 暁が声を荒げたことなど一度も聞いたことが無い。暁の言葉はまるで要領を得ない。問われているものの意味が分からず、私は首を傾げることしか出来なかった。

「……何か、何かをなおしたのか」

 暁が私の肩を掴んで揺さぶった。

「なおした……?」

 彼は、りんのことを言っているのだろうか。『なおす』という言葉で思い当たることと言えばそれだった。だが、素直に認めてしまえば何か良くないことが起きる。どうしても、そんな気がする。

 私の腕を掴む暁の右手を視界の端に捉えた。すると、過ったのは生臭い匂い。血の匂いだ。ぎょっとしてもう一度暁の右手を見ると、再び視界に映った彼の手は汚れておらず綺麗なまま。

 妄想が私を襲った。暁の綺麗な右手と、血に塗れた右手。交互にその光景を見せてくる。耐えかねて、私は暁の胸へと両手を突っぱね押しのけた。

 暁は酷く驚いていた。愕然とした彼の表情が私を責めているような気がした。

 りんの事は隠した方がいい。嘘を吐く後ろめたさよりも、露見した時に起きるであろう事態のことの方が恐ろしかった。

 緊張で乾いた喉に無理矢理飲み込んだ生唾が引っかかる。その不快さを押し殺しながら、私は口を開いた。

「……さっき転んでしまって。でも妙に力が抜けただけなの。本当だからね? 大きな音を立ててしまって、それで暁を驚かせてしまった。ごめんなさい」

 殊勝に謝って見せると、彼は私の真意を探ろうとかじっと見つめた。金の瞳がゆらゆらと揺らいでいる。

「間違い、ないな?」

 暁は端的に尋ねた。その問いに、私はただ首を縦に動かした。

「……だったら、いい。俺こそ気が動転してしまった。責めたいわけじゃないんだ」

 動転した、という彼の言が、ふと気になった。

 そもそもさっきからの彼の発言は何かがおかしい。私が立てた大きな音を聞きつけた、にしては問いが妙だ。「なおしたのか」なんて、まるで私が何かを治せることを知っているかのようではないか。

 りんの一件は目撃されていないはずだ。だというのに、どうしてそんなことが想像つくのか分からない。この不思議な力は、私が思い出せない記憶の中に答えがあるとでもいうのだろうか?

「どうして? 私には、何かあるの……?」

 私は自分で自分のことが分からない。りんを治したらしい力や、その前に見えた光景。それはまるで、私が直接見たかのように、脳裏にはっきりと映し出されていた。

 自分で自分のことが怖くなる。ぞっと背筋が震えた。

「ねえ、教えて、暁! ――お願い!」

 今度は私が暁の腕を掴んで揺さぶった。しかしそんな私の手を、彼は振り払う。

 暁は気まずげに顔を背けた。答えられないとでも言いたげに口を引き結ぶ。

「……どうして教えてくれないの」

 私の弱々しい呟きだけが、牢の中に落ちた。

ここまでお読みいただきありがとうございます。

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