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囲いの少女  作者: 豆野
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 爪先を撫でる冷気で目が覚めた。ぎょっとして起き上がり、自身を見下ろせば酷く寝乱れてはだけているのが分かった。

 辛うじて腰紐で括られているだけの寝間着はもう少しで膨らみが零れ出てしまいそう。裾も太ももの半ばまで捲れてしまっていた。慌てて両手で覆い整える。

 寝かされていたのは、部屋の中央に敷かれた布団だった。掛け布団を跳ねのけたせいでぐちゃぐちゃになっている。

 私は注意深く周囲を見回した。

 部屋には畳が敷き詰められていた。六畳ほどの部屋だろうか。小さい床の間もあり、掛け軸と枝が生けられている。枝にはいくつか蕾が付いていた。透けて見える色は赤い。見たところ、椿のようだ。

「ここは、一体……?」

 出入口は見たところ床の間の向かいにある襖だけ。後は障子に仕切られた腰高の窓がある。

「窓……」

 私は初めてその存在に気付いたかのように、慌ててそこに駆け寄った。薄い紙が遮る日光の明るさに目を丸め、情報を求めて障子を開け放った。

 確かに部屋の外の風景が見えた。窓の桟から身体を乗り出すが頭が何かにぶつかって大きな音を立てた。

「なに、これ」

 目に映った光景に愕然とした。窓だと思ったものは透明な薄い板だった。触るとひんやりと冷たいが、確かにそこに仕切りがある。力任せに手のひらを叩きつけると振動はするが、それだけだ。

「何なの……?」

 そのとき、透明な板に何かが映っていることに気が付いた。

「誰!?」

 叫んで、後ろを振り向くが誰もいない。どういうことだともう一度首を透明な板に向けると、薄く映った『それ』も同じ動作を返して来た。

 まさか、と思い両手で顔を撫でまわすと、その板に映った『それ』も同じ行動を繰り返した。近づくと、板に映った『それ』もこちらを覗き込んでくる。

「まさか、これ、私……?」

 薄呆けていてはっきり姿は見えないが、板に映った私らしき姿を、まじまじと見つめた。

 動悸がみるみる高まっていく。喉の奥が詰まるように気分が悪い。心臓が早鐘が鳴らし、呼吸が荒くなっていく。

「いや!」

 と慌てて障子を閉めて、くるりと身を翻し壁を背に座り込んだ。

「……私は誰なの……?」

 こんな不思議なことがあるのか。私は自分で自分のことが分からない。

 私は膝を胸に抱えて蹲った。

 いくら考えても何も思い出せない。どうして私はこんなところにいるのか、自分が何者なのか。

 何とか過去の思い出を振り返ろうとする。目を強く瞑り、深く思考に潜っていく。

 強く思ったおかげか、何かがぼんやりと浮かんでくる。

 ――あれは、手だろうか。

 何かを手繰り寄せられそうな気配に、私はそっと目を開けた。

 私は膝を抱えていた手を解いた。じっと手のひらを見つめる。思い出したものは、私のものではない手だった。どこからか、優しい匂いも香ってきた。

 瞬間、頭の横につきんと痛みが走った。

「――――っ!」

 呻きと共に思考が散っていく。慌てて手繰り寄せようとすると、痛みが強まっていく。脳を直接締め上げる様な痛みの前に、私はあえなく敗北した。

 壁に背中を預け、目を閉じた。しばらく休んだ後に、再び目を開ける。

 ここから出れば、もう少し何かが分かるだろうか。そう思い、私は生唾を飲み下す。

 行儀の悪さを承知で伸びあがり、四つん這いのまま襖に向かって手を伸ばす。端へと指をかけると、何の引っ掛かりもなく動く。少し意外だった。

 だが、そこにあったのは。天井から床までを貫く太い格子だった。

 障子戸のように見えて全く違っている。私の腕より太い木が何本も張り巡らされて強固な仕切りを作っていた。隙間から逃げられないかと頭を通すが、腕を通すのがやっとだった。とても肩が潜って行かない。

 牢に閉じ込められているのだと、漸く理解する。だというのに、私には心当たりがない。私はその場にへたり込んだ。

「どうすればいいんだろう……」

 私の呟きに反応するものはいない。そんな時だというのに、部屋の中央に敷かれた布団が目に留まった。

 少し考え込んだ後、私は中央に捨て置いたままだった布団を片付けることにした。

 敷布団を三つに折り畳み、部屋の隅に置く。その上に先ほど乱暴にしてしまった掛布団を四つ折りにして重ねる。厚みがあるのに私でも扱えるほどに軽く、かなりの高級品なのだと予想が出来た。さらに上に枕を重ねて終わりである。

「……着替えたいな……」

 次に思ったのは、頼りないこの姿だ。下履きの他はこの薄い一枚だけではさすがに心許ない。だが、誰に訴えればよいのかさっぱりわからず私は途方に暮れていた。

 私がその場に蹲り、膝を抱えたその時だった。

「――起きたていたのか」

 高いところから声が掛かった。声の方へ首を反らすと、かなり高い位置に顔がある。白い髪を一本に括り、肩に緩く垂らした背の高い男だった。

 彼は鈍く光る金の瞳でこちらを見下ろしている。その冷たい色合いに、私はひっと悲鳴を漏らした。

 男は格子の外にいた。怯える私を視界に捉えた後、部屋の中を順繰りに見回していく。隅に避けた布団に、開いたままの障子戸。

 溜息をついて、男はその場にしゃがみ込んだ。懐から何か黒っぽい細いものを取り出すと、格子に括りつけられていた何かを操作している。

 なんとなく興味を引かれて、じっと視線を送った。怖いから近寄りたくはないのに、どうしても引きつけられる。

「興味があるのか?」

 問われていたことに気付かず無言のままでいると、男がもう一度繰り返した。

「これに興味があるのか?」

「へっ?」

 と素っ頓狂な声を上げてしまう。すると男は私の視線から手の中のそれを隠す様に、もう片方の袖口で覆ってしまった。

「ここを閉ざす錠だ。悪いことは言わないから興味を持たん方がいい」

 素っ気無い言い方だった。そんな風に言わないでもいいじゃないかと思っていると、男が格子の一部を開けて入ってくる。男はすぐに戸を閉ざしてしまった。

「なぜ、それを片付けた」

 顎をしゃくってこちらに尋ねてくる。布団のことだろうかと指差すと、男は静かに頷いた。

「片付けられていないと、何か落ち着かなかったから……」

「…………」

 男は無言のままだった。だが、気分を害したわけではないらしい。

 ついでとばかりに私はもう一つの要求もしてみた。

「……良かったら、着換えをくれない? この一枚では寒くて」

 と、ぺらぺらの寝間着を指差した。見下ろした男の冷たい瞳にめげずに気を強く保っていると、暫くして彼の息を吐きだす音が聞こえた。

「いいだろう。今度着換えと綿入れを持ってこよう」

 どうやら私は賭けに勝ったらしい。内心で密かに喝采を上げた。

 そんな私には目もくれず、男が横を通り過ぎた。開け放たれていたままの障子戸の前へと向かって行く。そこは透き通っていていかにも通れるように見えるけれど、仕切りがあるのだ。多分男もそれに気付いていないのだろう。

 着換えを用意してくれる事の御礼として、私は男へと注意喚起してやることにする。

「危ないよ! 見難いけど、そこには透明な板があるの。頭をぶつけちゃう」

 向けられたのは呆れたような冷たい金色の瞳だった。感謝しろとまでは言わないが、そこまで眉を顰めてこちらを見なくてもいいはずだ。

「……硝子を忘れたのか?」

「が、がらす?」

 鸚鵡返しで呟くと、男が頷いた。初めて聞く単語だったから、私は素直に「わからない」と返事をする。

「忘れるもなにも、そんな透明な板は初めてよ。それに私、さっき叩いてみたけれど、どうにもならなかったの。この板は一体何? 知っているのなら教えて」

「――叩くな。お前の力では壊せないようになっている。怪我をするだけだ」

「そうなの……。外には出られないんだ。残念だな……」

 俯くと、男が「外に出たいのか」と呟いた。「勿論」と返すと、男はやおら悩んでいる様子を見せた。見守るうちに男の手がその板に掛かる。私が彼の一挙手一投足を眺めている事には気付いているのだろう。彼は私に見本を見せる様に、腕を軽く動かした。

 からりと小さな車輪の音が聞こえて、透明な板が少しだけ動いた。

「……少しだけなら開く。これでも十分外の風を感ることが出来るだろう?」

 顔を上げると、確かに男の腕の太さほどの隙間が空いていた。慌てて近寄った。男の身体が傍にあることも構わずに、私はその開いた隙間を覗き込んだ。

 風が頬を撫でた。

 湿った木々の匂いに包まれる。

 思わず目を閉じ堪能する。鼻先に薫る土の匂い。耳に届く木の葉の囁き。

 愛おしさすら湧き上がってくるそれに、顔が勝手に綻んだ。漲るなにかの力に、身体中の全部が喜んでいる。

 傍に立つ男へ、私は首を反らし見上げると、礼を言った。

「ありがとう!」

 折角礼を言ったというのに、男は素気なく顔を背けた。そして、彼はそのまま去ってしまった。

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