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星をつける女

世界のどこかに、ノアと呼ばれる存在がいる。

彼は、人にも見え、影にも見える。

ノアは、道具をひとつ差し出すだけだ。

――それをどう使うかは、あなた次第。

評価の星に導かれた者が、今日もひとり、光を見上げている。

今夜のノアは画面から現れる。



***



その日は朝から蒸し暑かった。

38歳、独身。会社員の香苗は、車のエンジンを切りながらため息をついた。

 

時計の針は9時55分。

予約していた個人病院の受付時間の、わずか5分前だった。


小走りで玄関へ向かったその瞬間、ガラス越しに受付の女性と目が合った。


彼女はピシャリとカーテンを閉め、内側から「受付時間外」の札をかけた。


「……は?」


呆然と立ち尽くす。

その数秒後、扉の向こうで笑い声が聞こえた。


胸の中で、何かがカチリと音を立てた。


帰宅すると、香苗はスマホを取り出した。

検索欄に【○○クリニック 口コミ】と打ち込む。


出てきた画面の上位には、同じようなコメントが並んでいた。


「受付の女が冷たい」

「感じ悪い」



――やっぱり、私だけじゃなかったんだ。

 

その瞬間、背筋がゾクリとした。

正義の刃を手にしたような高揚感。


香苗は震える指で書き込みを始めた。


「受付時間前に閉められました。患者を何だと思っているのでしょうか。」




送信ボタンを押す。

心臓が、軽くなる。

怒りが発散されただけでなく、

世界を少し“正した”ような気さえした。


数日後、再び病院を訪れると――

あの受付の女性は奥で掃除をしていた。

代わりに、新しい若い職員が笑顔で応対してくれる。


「前の人、ちょっと評判悪かったみたいで……」


香苗は黙ってうなずいた。

胸の奥が、甘く痺れた。


(……私が、世界を良くしたのかもしれない)



それからというもの、香苗は“星つけ”に夢中になった。


スーパーの店員が袋を雑に扱えば星2。

美容師が少し無口なら星1。

コンビニでレジ袋の確認をしなければ星1。


「この店員、態度が悪い」

「レジ奥の男、客に愛想がない」

「二度と行きません」




投稿すると、すぐに「いいね」や「参考になった」がつく。


「わかります」「自分もそう思いました」――賛同の声。


気づけば、香苗の指先は日常のすべてに“星”をつけていた。


上司:星2。

後輩:星3。

自分:星4。


「みんな、もっと気づけばいいのに」


夜、ベッドでスマホを見ながら呟く。

そのとき、画面に通知が現れた。


【あなたのレビューが注目されています】


そこに映っていたのは、淡い青い瞳の青年。

光の粒のような姿で、静かに言った。


「人の声は、届けば世界を変えられる。

でも君の声は、まだ小さい。

このペンダントを使うといい。」



青年――ノアは、星型のペンダントを差し出した。

まるで海辺の砂金みたいに淡く光っていた。


「これをつけて投稿すれば、

君の言葉はより多くの人に届くよ。」



翌朝から、世界が変わった。


自分のレビューが、検索結果のトップに表示される。

フォロワー数が増え、SNSでは“リアルな声”として拡散。


取引先でも「あの香苗さん、有名なレビュアーの人ですよね?」と噂される。


だんだん、星をつけることが快感になっていった。

否定も肯定も、世界を動かすための“評価”だと信じて。


だが、ある夜。

香苗がスマホを開くと、検索結果に奇妙な表示があった。


【香苗】

職業:レビュアー

評価平均:2.8


その下には見覚えのないコメントが並んでいる。


「上から目線」

「口うるさい」

「人の欠点ばかり探してる」




「なにこれ……?」


リロードするたびに、星の数が減っていく。


4.1、3.7、3.2、2.6……。


そしてページ下部に、見慣れた文面が現れた。



「あなたも香苗を評価できます」


指先が震えた。

画面のどこを押しても、閉じられない。



翌朝。

スマホを開くと、新しいカテゴリが追加されていた。


【香苗の生活】

評価平均:2.3


「通勤中、横断歩道で立ち止まるのが遅い」

「ゴミを分別せずに捨てた」

「隣人のあいさつを無視した」

「排水口の掃除が行き届いていない」

「冷凍庫の餃子、賞味期限切れてますよ」

「電気をつけっぱなしで寝た」




「……誰が、見てるの?」


笑えなかった。

まるで自分の家に、

透明な誰かが住んでいるようだった。


職場でも同僚がヒソヒソ話をしている。


「ねぇ、あのレビュー見た? “香苗、今日も口紅が濃い”ってやつ」


「見た見た。星1つけといた」




――ピコン。

スマホが震えた。


「笑うとき、歯の奥が少し黄ばんでる」



 香苗は思わず口を押えた。


鏡を見ると、頭上に五つの星が浮かんでいた。

一瞬だけ満点になり、すぐにひとつ、またひとつと落ちていく。


落ちるたび、胸が締め付けられる。


彼女はペンダントを外そうとした。

だが、外れない。留め具が皮膚と一体化していた。


耳元で、ノアの声が囁く。


「人はね、他人を評価するとき、

同時に“自分も見てほしい”と願ってる。

だから、星は鏡なんだよ。」




香苗のスマホ画面が震え、無数のレビューが雪のように流れていく。


「夜中にため息ついた」

「食器を洗わずに寝た」

「ため息の音が重い」

「寂しそうだった」



そして、最後にひとつだけ違う文面が現れた。


「かわいそうな人だった」



香苗はスマホを落とした。

画面の光が床に広がり、部屋全体が星の形のひび割れで覆われていく。


光が消える。

音も消える。


翌朝、近所の人が言った。


「最近、あの人見かけないね。

でも、なんか街が静かになった気がするわ。」



ノアは夜空を見上げ、微笑んだ。


「星は、人を照らすものじゃない。

人の影をくっきり浮かび上がらせるものなんだ。」



夜風が吹き抜ける。


空には、数えきれない“レビュー”のような星が輝いていた。

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