ファーストキス狂騒曲
世界のどこかで、ふと出会うことがある。
その名はノア。人にも、妖精にも見える存在。
ノアはただ、あなたにひとつの道具を差し出すだけ。
それをどう使うかは、あなた次第。
行き着く先を、ノアは静かに見届けている。
***
佐藤レンジ、17歳。
リーゼント気味の前髪、シャツは第二ボタンまで外し、腰パン。
見た目は完全に“やんちゃ系”だが、
中身は――乙女漫画で育った純情ボーイだった。
「オレ……ファーストキス、どーしても経験してぇんだよ……!」
夜のコンビニ裏で、缶コーヒー片手に真顔で語る姿に、友人たちはドン引き。
「レンジ、お前……その顔で言うな」
「ええやん、夢見て何が悪い!」
そんな彼が“ターゲット”に選んだのは、
近所の喫茶店「リボンカフェ」で働く40代のおばさん――真由美。
明るくて面倒見がよく、差し入れのプリンをくれる気さくな人。
レンジは決意した。
「おばさんなら……断らねえだろ!」
その日から、レンジの“誘惑作戦”が幕を開けた。
まず第一作戦――夜道護衛!
「夜は危ねえっすよ、送ります」
「まぁ、頼もしいこと言うじゃない。じゃあ――」
真由美は笑いながら、そっと手を差し出した。
「手、つないでくれる?」
「て、手ェ!? オレ、不良だぜ!? 血の気、多いんだぜ!?」
「大丈夫、汗っかきなの知ってるから」
……レンジ、真っ赤になって撃沈。
この敗北、痛恨の一撃。
第二作戦――“弱みを見せる”!
「オレ、本当は孤独で……」
涙ぐみながらの切り札トーク。
だが真由美は一瞬の間を置き――ぱんっと手を叩いた。
「じゃあウチで韓国ドラマ観よ! めっちゃ泣けるやつあるんだ〜」
「違うんすよおばさん! そういう涙じゃなくて……!」
レンジ、計画大崩壊。
三度目の正直――“直球告白”!
「キスしてください!!」
放課後の喫茶店。
勇気を振り絞って言い切ったレンジに、真由美は驚いた顔をした。
そして――にやり。
「えっ!?いきなり!?……じゃあ、おでこね」
唇を狙ったレンジ、完全に空振り。
ただ、その軽いキスの感触が、頭の奥にいつまでも残った。
真由美は笑っていた。
「ほんと、かわいい子ね。うちの息子と同じくらい」
その時――ふと胸の奥が小さく震えた。
理性の奥で、“女として”の一瞬のときめきが、確かに揺れたのを彼女自身が感じた。
「おばさん、それ殺し文句っすよ……」
文化祭――。
レンジは「おばさんを学校に呼ぶ」という、無謀すぎる作戦を実行に移した。
「マジで!?おばさん連れてきたの!?」
「レンジの彼女!?」「熟女キラー!?」
クラス中がパニック。
模擬店を歩けば「お似合いですね〜」と冷やかされ、
カラオケ大会に出れば「おばさん頑張れー!」の大合唱。
レンジは耳まで真っ赤。
「オレ、どこで人生間違えた……?」
「間違えてないわよ。青春まっただ中」
そして――文化祭の終わり際。
体育館裏。
夕日を背に、レンジは覚悟を決めた。
「オレは……おばさんのこと、ほんとに……!」
あと数センチで唇が触れそうになった――その時。
「レンジーー!!!」
階段を駆け上がる足音。
同級生で幼なじみのミクが突入。
「ずっとアンタのこと好きだったんだからね!!」
叫びと同時に、レンジの胸に飛び込むミク。
――唇が、触れた。
文化祭の喧騒が遠のく。
レンジの初キスは、あっけなく、そしてドラマチックに終わった。
呆然と立ち尽くすレンジを見て、真由美は優しく笑った。
「よかったじゃない。ちゃんと同級生と青春できて」
(……そうよね。あのときの“ときめき”は、もう私の中で終わらせなきゃ)
「……おばさん……」
涙と笑いと混乱の文化祭。
甘酸っぱい青春が、ようやく本来の場所に戻った。
校舎の影で、ノアは静かに立っていた。
掌の上、砂時計の砂が一粒ずつ消えていく。
「キスは、誰にでも奪えるものじゃない。
本当に響き合った時にしか、残らないんだよ」
レンジの頬は真っ赤で、ミクは涙を拭いながら笑っていた。
真由美はそっとその二人を見送り、喫茶店へと歩き出す。
夕日が沈む校庭に、甘くほろ苦い風が吹いた。
それは、恋の終わりであり――青春の始まりだった。
夜。
「リボンカフェ」のシャッターを閉めたあと、真由美はひとり、店のカウンターに腰掛けていた。
レンジのことを思い出すと、どうしようもなく頬がゆるむ。
「まったく……かわいいんだから」
その声に、カラン、と鈴の音が重なった。
顔を上げると、カウンターの向こうに――あの青年、ノアが立っていた。
月光のような微笑み。
彼はそっと、小さなガラス細工のペンダントを差し出す。
中には、星屑のような光が瞬いていた。
「これは、“真実の愛を映す星”だよ。
あなたの心が、誰かを本当に想ったとき……光るかもしれない」
真由美は戸惑いながらも、ペンダントを受け取った。
掌の中で、淡い光が揺れる。
「……そんな年でもないのにね」
「愛に年齢は関係ないさ」
ノアは柔らかく微笑み、夜の街へと消えていった。
真由美はペンダントを見つめ、そっと胸元に当てる。
光は、まだ灯らない。
けれどその微かな温もりが、心の奥に“何かの予感”を残した。
そして――物語は、静かに次のページへと続いていく、かもしれない。




