希望のランタン
世界のどこかで、ふと出会うことがある。
その名はノア。人にも、妖精にも見える存在。
ノアはただ、あなたにひとつの道具を差し出すだけ。
それをどう使うかは、あなた次第。
行き着く先を、ノアは静かに見届けている。
***
町はずれの路地裏に、一軒のゴミ屋敷があった。
山のように積み重なる新聞、錆びついた鍋、色あせたぬいぐるみ。
異臭が漂い、近所の子どもたちは決まってこう囁いた。
「お化け屋敷だ……」
その家に暮らすのは、老人・実。
80を過ぎた独り身で、皺に覆われた手で毎日街を歩き、落ちているものを拾い集めていた。
「これも、いつか役に立つ」
彼にとっては、ただの空き缶も宝物だった。
町の人々は眉をひそめた。
「また拾ってるよ……」
「不潔だ、どうにかしてほしい」
だが実にとって、その収集こそが生きる意味だった。
ある夕暮れ。
段ボールを抱えて帰る実の前に、ノアが立っていた。
街灯の下で中性的な微笑を浮かべ、手に古びたランタンを掲げている。
「この灯りで照らせば、君の集めたものが“本当の姿”を見せてくれる」
実は首をかしげながらも、ランタンを受け取った。
家に戻り、スイッチを入れると……
光が部屋いっぱいに広がった。
ゴミと思われていたものが次々と姿を変える。
錆びた鍋からは味噌汁の湯気が立ち、欠けた茶碗に白いご飯が盛られる。
破れた新聞はテーブルクロスとなり、その上に拾った食器が並ぶ。
「いただきます!」
幻の声が響いた。
そこには、すでに亡き妻と、幼い頃のままの娘と息子が座っていた。
娘はランドセルを背負い、「見て、パパ!」と笑った。
それは街角で拾った汚れたランドセルのはずなのに、光に照らされ新品のように輝いている。
息子はひび割れたマグカップでココアをすすり、妻は笑顔で食卓を囲んでいた。
さらに、床に転がっていた小さな貝殻が光を受け、夏の海岸を映し出す。
「こっちの方が大きいよ!」
娘が裸足で波打ち際を走り、手を差し伸べて笑っている。
妻がその背中を見守り、実も一緒に貝殻を集めていた、あの日の情景。
実はその貝殻を震える手で撫で、胸に押し当てた。
「そうだ……あれも、宝物だったんだ……」
幻の家族が笑い、食卓には温かな声が満ちる。
壊れたラジオからは昔の歌が流れ、家は祝祭の場となった。
涙が頬を伝いながら、実は笑った。
「やっと……また一緒に暮らせる……」
しかし、その幻想は長く続かなかった。
翌朝、役所から派遣された清掃車と作業員たちがやって来た。
「危険ですので、即刻撤去します」
家の外で抗議する近所の声。
「やっと片付くのね!」
「迷惑だったんだ!」
ショベルカーのアームがゴミの山を崩し、家具も家財もろとも外へ運び出される。
実は必死に叫んだ。
「待ってくれ! ここには宝物があるんだ、家族がいるんだ!」
しかし誰の耳にも届かない。
幻の食卓も、娘の笑顔も、轟音と共に瓦礫に飲み込まれていく。
やがて実自身も作業員に押し出され、ショベルの爪が彼の目の前で容赦なくゴミをすくい上げた。
「やめろぉぉぉ!」
声は街の喧騒にかき消され、老人は瓦礫と共に地面に崩れ落ちた。
胸の中の貝殻が砕け、粉々になった。
夕暮れ。
片付けられ、何もなくなった敷地にノアが立っていた。
瓦礫の山から小さな貝殻の欠片を拾い上げ、月明かりにかざす。
「人は、ときにゴミの中に宝を見つける。
けれど、過去に縋りすぎれば……今を生きる場所さえ失ってしまう」
ノアは欠片をそっと門の端に置き、闇の中へと姿を消した。
――しかし、数歩進んだところで、ふと足を止める。
再び屋敷跡を振り返り、淡い吐息をもらした。
「……もっとも、どんなに美しい思い出であっても、
腐った匂いや害虫を振りまいて、周囲を苦しめるなら……それはただの“迷惑”でしかない。
正直、私だってこんな家の隣には住みたくはない」
小さく肩を竦めると、ノアは今度こそ歩み去った。
残された貝殻は、冷たい風に転がり、カラン……と寂しく音を立てた。




