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秘密の花屋

人は花を愛でる。

咲き誇る花に命の輝きを重ね、散る花に儚さを重ねる。

けれどもし花が、人の命そのものを映し出すものだったとしたら。


ノアがこの世界に落としたアイテムが今日もどこかで使われる。



***



大学二年の美咲は、ずっと夢見ていた。


「いつか花屋さんでバイトがしたい」


小さな頃から花が好きで、花言葉を暗記して友達に披露してはからかわれてきた。

だからこそ、憧れが膨らんでいたのだ。


ようやく募集を見つけたのは、駅から少し離れた古びた商店街の一角にある小さな花屋《花と緑のたじま》だった。


外観は木枠のガラス戸、軒先には色とりどりの季節の花。

ショーケースの中は手入れが行き届き、まるで小さな楽園のように輝いていた。


初出勤の日、出迎えてくれたのは店主の田嶋さん。

五十代半ば、がっしりとした体格に柔らかな笑顔。声は低く落ち着いていて、まるで花に話しかけるような口調だった。


「いらっしゃい、美咲さん。今日からよろしくね」


さらに奥から現れたのは奥さんの玲子さん。

小柄で優しい雰囲気、指先は白魚のように細く、花を扱う手つきは驚くほどしなやかで美しい。


「花束はね、色の流れと高さのバランスで印象が変わるの。ほら、ここに淡い紫を一輪加えるだけで、ぐっと品が出るでしょう?」


美咲は目を見張った。

玲子さんのフラワーアレンジメントはまるで魔法だった。


次々と教えてくれる知識やセンスに、胸がときめいた。


(ここで働けるなんて、夢みたい……!)


最初の数日は、まさに憧れそのも。

朝は水を替え、茎を切り戻し、昼は花束のラッピングを練習し、夕方には常連客と笑顔で会話を交わす。


すべてがキラキラと輝いていた。




だが、ある日。

閉店後の店内で、棚の奥に並ぶ花束を片付けていると、美咲は小さな違和感に気づいた。


花束の脇に差し込まれた白いカード。


そこには花の名前や管理番号ではなく、顧客の名前と「未来の日付」が書かれていた。


「……納品日?」


思わず声に出した瞬間、背後から田嶋の声がした。


「それはね、その人が“散る日”だよ」


美咲は凍りついた。


田嶋は穏やかな笑みのまま続けた。


「花には力がある。蕾が開くように、人の命もまた花期を持つ。いつ咲き誇り、いつ散るのかを、花は映し出すんだ」


玲子がカードをそっと撫でる。

その目は異様な熱を帯びていた。


「人が散る瞬間ほど、美しいものはないわ。最後の吐息と一緒に、花が満開の輝きを見せてくれる。

その日付はね、花が示した神聖な刻印なの。だから、私たちはその“日付”を崇めて残しているの」


その声は祈りのようで、同時に酔ったような狂気を孕んでいた。




翌日から、美咲は恐怖を抱えながら働いた。


花屋に訪れる客たち。

笑顔で花を買い、幸せそうに帰っていく。


だが、レジ奥の棚には、その人の名前と“散る日”が静かに記されている。


「先週の奥さん、来なくなったでしょう?」


玲子が微笑む。


「ほら、あの花が示していた通りの時期だった」


田嶋も、花を慈しむように言う。


「命の終わりは恐れるものじゃない。花に導かれ、飾られる瞬間は、誰にとっても祝福なんだ」


美咲の背筋に冷たいものが走った。



やがて恐怖は現実味を帯びて迫ってきた。


ある日、店の片隅で見つけてしまったのだ。


《美咲 —— 7月18日》


それは今日から1週間後の日付だった。


心臓が跳ね、手から花束が落ちた。


「なんで……私の名前が!!」


田嶋は静かに美咲を見つめた。


「花は嘘をつかない。君の散る日も、もう決まっている」


玲子は恍惚とした笑みを浮かべた。


「大丈夫よ、美咲。あなたの散り際には、きっと一番美しい花を添えてあげるから」




その夜、美咲は眠れなかった。


花の香りが鼻に残り、耳の奥で花びらが散る音が聞こえるような気がした。


「本当に……あと一週間で、私、死ぬの?」


答えはどこからも返ってこない。

ただ、部屋に飾った花瓶の花が、ゆらりと揺れているように見えた。




数日後の閉店後。

ノアが花屋の前に立っていた。街灯の下で、花束を一つ抱えて。


「花は人の命を映す鏡だと、彼らは信じている。

けれど本当の命の価値は、日付じゃなく、いま息づく一瞬一瞬にある」


ノアは花束から一輪を抜き取り、美咲に差し出した。

それは小さな白いカスミソウ。


「花は儚い。でも、その儚さを愛せるなら、君はまだ、自分の道を選べるはずだ」


美咲の目に涙が溢れた。

恐怖に押しつぶされながらも、胸の奥でかすかな光が灯った。




店の奥、薄暗い棚には今も白いカードが並んでいる。


そこに記された日付が運命なのか、それともただの呪いなのか。


真相を知るのは、花と共に生きる店主夫妻だけだった。


街の片隅で、今日も花屋は静かに灯りをともしている。


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