美貌の教祖様
人は美を追い求める。その心は尊い。
だが、美が価値そのものになったとき、人は己を削り、魂をすり減らす。
そして、その先で待つのは……偶像の狂気だ。
***
由香里は三十二歳。都内の広告代理店で働く平凡な女性。
幼い頃から「目が細い」「鼻が低い」とからかわれ、大学でも恋愛に縁がなかった。
SNSに並ぶ、笑顔で「かわいい」「美人」と称賛される同僚やモデルの写真を見るたび、胸の奥がじくじくと疼いた。
(私は……負け組なんだ)
夜、洗面所の鏡を覗き込む。
疲れた顔。肌のくすみ。メイクを落とした素の顔は、彼女にとって呪いのようだった。
「この顔じゃ、誰にも愛されない……」
声に出すたびに、それは現実の烙印のように胸へ沈んでいった。
ある日、SNSで派手に流れる広告が目に留まった。
「奇跡の執刀医・倉野蓮司」
そこには整形前後の衝撃的な変化写真が並び、無機質な笑顔が「理想美」として拡散されていた。
指先が震えた。気づけば予約ボタンを押していた。
数日後、由香里は白い診察室の椅子に座っていた。
倉野は細い目をして、柔らかくも鋭い声で言った。
「君には可能性がある。ほんの少し整えるだけで、見違えるよ」
その声は、催眠のように心へ染み込んだ。
(この人なら……私を変えてくれる)
最初はまぶたを切開し、ぱっちりとした二重に。
次に鼻筋を通し、顎を削り、フェイスラインを上げた。
「綺麗になったね」と言われるたび、血が沸くように嬉しかった。
けれど、その喜びはすぐに飢餓へ変わる。
「もっと」
「まだ足りない」
SNSの「いいね」が数百から数千へ増えるにつれ、欲望は底なしになった。
「もっと理想に近づける。君の“本当の美”を、掘り出そう」
倉野の囁きに、彼女は陶酔して頷いた。
数か月後。
由香里の顔は、人間の均衡を超えていった。
瞳はレンズのように巨大化し、唇は厚く膨れ上がり、鼻は不自然に尖る。
一般人から見れば「異様」「怪物」としか思えない。
しかしSNSの世界は違った。
「神秘的」
「完璧を超えてる」
「新しい美の形」
称賛の嵐。
海外のフォロワーが爆発的に増え、「#Yukari様」が世界のトレンドを独占した。
美容インフルエンサーたちが「彼女を目指せ」と動画を上げ、街では彼女の顔を模したマスクやフィギュアが売られた。
信者と呼ばれる人々が現れ、整形を繰り返し、街には「コピー」が氾濫した。
大ホールで開かれたファン集会。
数千人の観衆が両手を掲げ、スポットライトを浴びる由香里を「美の女神」と呼んだ。
熱狂の渦。宗教的な歓声。
由香里は壇上で微笑もうとした。
だが顔は硬直し、動かない。
巨大すぎる瞳が宙を泳ぎ、冷や汗が頬を伝う。
(私は……本当に美しいの? これは……本当に“愛される顔”なの?)
視界の端、舞台袖で倉野が立っていた。
一瞬だけ、照明に照らされたその顔が、冷たい道化のように歪んで見えた。
翌朝、ニュースが世界を騒がせた。
「新しい美容カリスマ、日本から誕生!」
画面に映るのは、皆同じ顔。由香里に似た“偶像”の顔をした信者たち。
しかしその頃、由香里は自宅で鏡を覗き込み、震えていた。
映るのは、人間と呼べぬ造形。光を反射するガラス玉のような瞳。膨れすぎた唇。尖りすぎた鼻。
「誰も……私を知らない。本当の私を、愛してくれない」
その呟きに応えるように、鏡の奥で倉野の声が重なった。
「人は偶像を作り、それを神と呼ぶ。だがその神は、ただの作り物にすぎない」
部屋は静まり返り、由香里の笑顔も涙も、鏡に貼りついたまま動かなかった。
外の路地に、ノアが立っていた。
手には1枚のマスク。由香里の“コピー商品”だ。
彼はそれを見つめ、かすかに微笑んだ。
「美を願う心は、尊い。
でも、他人の眼差しに魂を預けた瞬間、その美は偶像に変わり……持ち主を喰い尽くす」
ノアはマスクを風に投げ、ゆっくりと歩き去った。
落ちて割れたマスクは、なおも笑顔を浮かべていた。
ふと、その奥。
倉野のクリニックの窓に、ぼんやりと灯りが残っていた。
カーテンの隙間から覗いた影は、唇の端を大きく裂けるように歪め、無音で笑っていた。
倉野は、クラウン。
ノアとは異なるもう1つの存在が、確かにこの街で息をしていた。




