運命のノート
人は、未来を知りたがる。
星やカードに従い、安心を得ようとする。
けれど、未来を委ねすぎると……いまこの瞬間を失ってしまう。
ノアは今日も、そっとアイテムを差し出す。
***
村上千佳、29歳。事務職。
彼女の一日は、スマホの星占いから始まる。
「今日のラッキーアイテムは、青い財布」
その表示を見た瞬間、千佳は朝から胸をざわつかせる。
会社を早退してデパートへ向かい、ショーウィンドウに並ぶ三万円の青い長財布を購入した。
(これで今日は大丈夫。悪いことは起きないはず)
翌日。
「今日のラッキーアイテムは、白い石」
千佳はネット通販で三万円のパワーストーンをローンで買った。
財布も石も、机の隅に積み上がる。
だが千佳はそれを眺めて安堵する。
(これで不幸から逃れられる……)
会社の同僚は冷ややかな目を向ける。
「また占い? こないだはラッキーブレスレットじゃなかった?」
「月末、赤字だって言ってなかった?」
千佳は笑ってごまかす。だが心の奥では本気で思っていた。
(占いを信じないなんて、怖すぎる)
週末。
久しぶりに実家へ帰ろうと思った。母の声が恋しかった。
だがその日の占いは「西の方角は凶」。
実家は西にある。
千佳は切符を買えず、代わりに「吉」と出た東のショッピングモールへ。
何も買わずにベンチで時間を潰す。
母から「会いたい」と電話が鳴ったが、画面を見て切った。
(今行ったら不幸になる。ごめんね、お母さん……)
友人の誘いも減った。
「今夜ご飯行かない?」と誘われても、占いが「外食に注意」と出れば即座に断る。
「また占い?」「いい加減にして」
不満の声が募り、やがて誰も誘ってこなくなった。
千佳の部屋は、ラッキーアイテムで埋め尽くされた。
財布、石、香水、色布、ブレスレット。
守り札のはずが、逆に千佳を縛りつける呪具の山に見えた。
ある夜。
疲れた顔で帰宅する千佳の前に、黒いマスクをつけた青年が立っていた。
街灯に照らされ、中性的な美貌が浮かぶ。
「君は占いにすがってるけど、本当は自分で決めたいんじゃない?」
声は低く柔らかい。千佳は震えながら答えた。
「……占いがなければ、私は何もできないの」
青年、ノアは、黒革の予定帳を差し出す。
「ここに予定を書けば、その通りになる。未来は、君自身で選んでいいんだ」
千佳は受け取った。
だが真っ白なページを前に、ペンは動かなかった。
(自分で決める? 怖い。失敗したらどうするの……)
ノートは空白のまま閉じられた。
その後も千佳は占いに縋った。
ノートは机の隅で埃をかぶる。
彼女は新しいラッキーアイテムを買い、金は底を突き、生活は赤字。
母に会えず、友人にも見放され、孤独だけが積み上がっていった。
ある夜、タロットを広げると「死神」のカードが出た。
「……終わり?」
恐怖でノートを開き、ペンを握った。
必死に何かを書こうとしたが、出た言葉はただひとつ。
《占いに従う》
ページが黒く滲み、光が消えた。
翌週。
「母が倒れた」と知らせが入る。
千佳は泣きながらタロットを切った。
「病院の方角は凶」
スマホの占いも同じ。
(行けない……行ったら不幸になる……!)
震える指でカードを切り直す。だが凶兆ばかり。
胸に、母との記憶がせきを切ったように溢れた。
病気のときに作ってくれたおかゆの味。
遠足の前日に一緒に選んだリュック。
受験に失敗した夜、黙って差し出してくれたミルクティーの温もり。
そして、笑ったときの顔。泣きそうなときに強がって見せる顔。
死神のカードも脳裏でちらつく。
(このまま会えなくなる? 母が死んでしまう? 本当に……?)
頭の中で「行くな」「行け」「不幸になる」「今行かなきゃ後悔する」が入り乱れ、心が裂ける。
涙があふれ、笑いが漏れる。
泣きながら、笑いながら、嗚咽まじりに狂ったようにノートを開いた。
「もう……もう占いなんていらない! 私が……私が決める!」
震える手で書き殴った。
《私は自分を信じて決める》
ページが白い光に包まれ、部屋を満たす。
涙と笑いが交じり、千佳の顔は歪んだまま、初めて「選んだ人間」の顔になった。
翌朝。
千佳は小さな花束を抱え、西の方角へ歩き出した。
向かうのは母の病院。
昨日までなら恐れていたその道を、今日は迷わず進めた。
春の陽射しが差し込み、足取りは軽い。
路地裏。
古びた占いテント。
水晶玉とタロットを前に、占い師の装いをしたノアが腰を下ろしていた。
「さて……カードと石に聞いてみよう」
タロットを一枚めくり、水晶玉を覗き込む。
「占いによると……彼女には明るい未来が開けるようです。自分の意思で選ぶようになったからね」
ノアは口元で小さく笑った。
それは祝福とも、皮肉ともつかない響きだった。
占い小屋に差し込む光が、水晶玉の中でぎらりと反射した。




