3 迷い道
「あは。ビビってるよ、あの人。」
離れた席に座っていた4人のうち、大学生らしい青年が明るい声を出した。言われて、杏はちょっとムッとする。
「ここのこと全く知らずに来たんなら、そうかもねぇ。」
知るわけないでしょ。わたしはあなたたちみたいなオカルトオタクじゃないんだから。
杏の表情に、しまった、新規のお客さんの気分を害してしまった・・・と思ったのか、その大学生らしい男の子はちょっと媚びるような声で続けた。
「大丈夫ですよぉ。何の祟りもありませんよ——。」
「そうですわ。わたくし、祟ったりなんかいたしませんことよ。」
お鈴さんが可愛く怒って見せる。本当には怒っていない証拠に、目が笑っている。
そんなお鈴さんを見て、今度は杏が少し慌てた。
た・・・食べなきゃ・・・。この人に悪いよね・・・。あ、人じゃなくて、狐だっけ?
いや・・・、でも、その圧力に負けると・・・・?
「大丈夫ですよ。変なものは入っていませんから。」
そう言ってちょっと笑って見せたのは、もう1人の40歳くらいの女性だ。この人の声も眼差しも温かい。そう言えば目元が鬼乃崎青年と少し似ている。
「ああ、この人は私の母です。鬼乃崎幸子と言います。ペンションの名前は母の1字をもらいました。」
「わたしたち、普通にお店をやってるだけですよ。ただちょっと妖怪や幽霊が一緒にいるだけですわ。」
いや、それ・・・、普通ちょっと一緒にいるモノですか?
それでも杏は、この人の目を見たことで、思い切って普通に食べてみる決心をした。すでにこの空間に入ってしまっているのだから、今さら・・・。
「おいひ〜〜い ♪」
思わず口の中に入れたまま、声が出た。
本当に、すごく美味しい! まだ寒天の部分をスプーンですくって一口食べただけなのに、上品な甘さの中にくっきりとした栗の香りが口の中いっぱいに広がる。
これは! 幸せという名のスイーツだろうか——。
「うふふ。」
とお鈴さんが嬉しそうに尻尾をふりふりする。
「そのクリームの中にも、乾燥した栗の粉末が混ぜてあるんですのよ。」
ちょっと自慢げに言う。
寒天の中の丸ごとの栗も、素晴らしく美味しかった。
山栗、って言ってたよね? 栽培ものじゃないってことかな? 味も香りも、市販のものよりうんと濃厚だった。
もう、このまま・・・妖しの世界に取り込まれてもいいかも。こんな美味しいものが食べられるなら・・・。
「迷ったんですねぇ——。」
あの黒ずくめの男性が、帽子をひょいと持ち上げてそんな杏の方を見た。首の曲がり方が面妖しい。
体はテーブルの方を向いているのに、首だけが回って杏を見ている。まるで・・・、そう、まるで鳥か何かのようだ。
「それでなければ、普通の人にはあの門は見えないはずですからねぇ。」
立ち上がって、顔がこちらを向いたまま体も向きを変えて杏の方に歩き出す。その動きは人間のそれではない。
杏は今しがたまで浸っていたスイーツの余韻から一気に醒めた。
そのまま杏の座っているテーブルの方に歩いてきて、椅子を一つ引いて座ってしまった。
「ああ、彼は矢田さん。鴉なんです。」
鬼乃崎さんが、さらっと紹介する。
え? カラス?
「聞きますよ。こう見えて、私は道案内なんです。その昔には、やんごとなきお方をご案内したこともあるんですよ。」
矢田さんと紹介された黒ずくめの人は、真っ黒な帽子をひょいと持ち上げてみせた。
「聞きますよ」と言われても・・・、何を話せと? 杏は道に迷ってここに来たわけではない。
だいたいこの人、あ、カラスだっけ? めちゃくちゃ怪しいじゃないですか。こんな黒ずくめに何を話すことがあるというの?
その時、玄関の方で陽気な声が聞こえた。
「今日はまた、良いお天気で——。」
「良いお天気過ぎて外は暑いでしょう。」
「もののけ路はそうでもありません。」
入ってきたのは30がらみのやさ男風の男性で、着流しの着物の袖に手を突っ込んで落語の中の人物みたいな格好で歩いてきた。
「おや、新しいお客さんですか? これはお珍しい。」
「道に迷ったんです、たぶん・・・。」
着流しの人に黒ずくめの人(カラス?)が勝手な解説をする。
「ああ、この人は源蔵さんといって、もとは人間だったんですが・・・」
鬼乃崎さんがちょっと言い淀むと、源蔵さんは自分で続きを言った。
「今は妖怪です。よろしくお見知りおきを——。そいじゃあ、あたしはアイスコーヒーと女将さんお手製のクッキーでももらいましょうかねぇ。」
そしてこの人も杏がいいとも悪いとも言わないうちに、同じテーブルの席に座ってしまった。
「クッキー、美味しいよぉ——。」
唖然としている杏の背後で突然、猫の鳴き声のような声が聞こえた。あるいは、赤ん坊の泣き声のような・・・。
それは、それまで全く気配のなかった首すじのすぐ後ろから聞こえた。
杏は、背中に冷たい汗がふき出るのを覚えた。が、しかし、振り返ることができずにそのまま硬直する。 い・・・今、振り返ったら・・・・。
そんな杏を、先ほどの大学生が面白そうに見ている。
「やあ、ナナシちゃん。ご機嫌だねぇ。あたしゃ今、コーヒーのおつまみとして注文しちゃったよ。そちらのお嬢さんはまだ食べてないようですね?」
源蔵さんがそう言って、挨拶のつもりか片手をひょいと上げた。着物の袖がめくれて、腕が見える。が、手首から先がない。
すっぱり切られてしまったように、手首から先がないのだ。
「クッキー、美味しいよぉ。1つどーぞー。」
杏のすぐ背後で、化け猫が鳴くような声が聞こえて、杏の左肩脇にクッキーが山盛りになった磁器の器が、ぬっと差し出されてきた。古い伊万里の器のように見える。
器を持っている手は、子どもの手のように小さい。が、差し出している高さが子どものそれではない。
杏は、ゆっくりと視線をその手の根元の方へとたどった。ここまできたら、それが何なのか確かめない方がむしろ怖い。
杏のすぐ後ろに立っていたのは、異様な化け物だった。
大きな頭にバランスの悪い小さな体。手足はさらに貧弱なほど小さい。腫れぼったい瞼の中に切れ込んだような目は、笑っているように見える。鼻は低く、正面から2つの穴が見えた。
口は・・・、上唇が2つに割れて、猫か何かのそれのように人中が閉じていない。
これは、まるで・・・、大きな胎児・・・?
その化け物が、また赤子が泣くような声を出した。
「クッキー、美味しいよぉ。」
わたしは・・・、やっぱり道に迷ったのかもしれない・・・。
迷ったあげく、この化け物屋敷に取り込まれてしまったのかもしれない・・・。
帰り道は、あるのだろうか?




