2 人と人でないモノ
玄関から広い居間に通されると、そこにはテーブル席が4つほど用意されていて、4人ほどのお客さんが1つのテーブルでお茶を飲みながら談笑していた。
3つのテーブルは空いている。部屋の壁際にはソファまで置いてあった。
「お好きな席にどうぞ。ほとんどが常連さんなので、混んできたら相席をお願いするかも知れませんが。」
1つのテーブルに座っている4人は、2人が大学生くらいの学生さんみたいで、1人は中年の女性。そしてもう1人は黒尽くめのスーツを着た、よく年齢の分からない男性だった。部屋の中なのに、黒いツバのついた古いタイプの帽子をかぶっている。インディジョーンズがかぶってるみたいなやつだ。
ちょっと怪しい感じだ。あれは・・・人間なんだろうか・・・?
杏は、そのグループからいちばん離れた席に座った。中はひんやりと涼しく、汗がひいてゆく。エアコン、どこにあるのかな?
部屋の中にそれらしいものは見当たらない。それに・・・、なんだかこの冷え方って、変じゃない?
「ご注文は?」
鬼乃崎と名乗った青年が杏に訊いた。
「あ、えと・・・」
杏は慌ててテーブルの上のメニューを見る。
アイスティーと・・・、それから、スイーツを1つ頼もうかな。なんだか甘いものが食べたい気分——。
山栗の和菓子、なんて美味しそう。
鬼乃崎さんという青年が注文を書き留めた伝票を持ってカウンターのところに行き、中に声をかけると、それまで厨房の中で雑談していたらしい2人の女性の声が同時に「はぁーい。」と返事をした。
なんだかとてものんびりした感じだ。
それでいてお客をないがしろにしているというような感じではなく、むしろ昔からの知り合いみたいに迎え入れてもらっているような居心地の良さがある。
親戚の家、とか、家族・・・って、本当はこんな感じなんだろうか。ドラマなんかで時々見るよね・・・。
杏はあまりそういう経験がない。親戚の家、とかも1度くらいしか行ったことがなく、その時だってなぜかひどく冷たくあしらわれたような記憶しかない。
杏は、家庭環境にはあまり恵まれたとは言えない。
杏の父親は、よく暴力をふるう人だった。杏も小さい頃、何度か殴られた記憶がある。母親が殴られているところも何回も見た。
母親は杏が小学生の時に離婚して旧姓に戻り、住所も変えた。転校と同時に杏は姓が変わった。
その後、母親は杏を大学まで行かせるために、それこそ身を粉にして働いた。働いてくれた。でも・・・だから、杏はずっと家では独りだった。
もちろん、そんな母親に杏は感謝している。大学の学費などは杏自身もバイトで補っていたとはいえ、バンドをやることも許してくれていたし——。それで夢を追いかけることもできた。
夏樹もまた、家族環境はよくなかったようだ。
父親は世間的には評価されたいわゆるデキる人だったが、仕事人間で家にはほとんどいなかった。シングルマザーの家庭みたいだったと夏樹は言っていた。
そんな環境の中で、母親はひとり息子の夏樹に何かと求めるものが多くなり、それが少し度を超し始めた頃、夏樹は体調に異変をきたした。
「たぶん、いない親父の代わりにされてたんだと思う」と夏樹は言っていた。
そのことに気づいた夏樹は、アパートを借りて一人暮らしを始めた。
「裕福な家に甘えてないで、今のうちに世間の風に当たらないと——」などと父親の喜びそうなセリフを言って母親を説得させたのだそうだ。
その点は、大学までやってくれた母親に何も言えないわたしよりは、夏樹はしっかりしているといえる。
テーブルに和菓子とアイスティーが運ばれてきて、杏のとりとめもない思考は中断された。
真っ白なお皿の上に若緑色の何かの葉っぱが敷いてあって、その上に透明な四角い寒天の涼しげな菓子が乗っている。
寒天の中には、白っぽい雲に乗るようにして丸ごとの栗の実が浮かんでいた。雲は何で出来ているんだろう?
寒天の上面にはクリームだろうか砂糖だろうか、細い白い紗が上品に斜めに引かれてあった。
レトロな硝子の器に入ったアイスティーにも、小さな葉っぱが1つ浮かべてある。
「山栗の和菓子とアイスティーです。山栗はお鈴さんが山から持ってきたもので、アイスティーのレモンミントはここの庭で採れたものです。」
鬼乃崎さんが説明した。
庭、って・・・、あの草茫々の? ・・・山から持ってきた?
「お鈴さん・・・って?」
「ああ、そうか。『ペンション幸』のフォロワーじゃないんでしたっけ。それじゃあ、お鈴さんを知らないよねぇ。この和菓子はお鈴さんが作ったんですよ。紹介しましょう。お鈴さぁん!」
鬼乃崎青年は厨房の方に向かって声をかけた。
「はあい。」という声が聞こえる。
「動画見てない新しいお客さんだからぁ。紹介するから来て。」
厨房の方から割烹着を着た女性が2人、にこにこしながらこちらにやってきた。
若い方の1人は腰の後ろに変なものを2本くっつけている。・・・コスプレ?
「初めまして。狐の鈴です。どうぞよろしく。」
そう言って、丁寧に腰をかがめてその後ろのふさふさしたモノをふりふりと振ってみせた。
シッポ!!?
それも、2本!?
振ってる動きは、作り物のそれじゃない。
え? え? ええええ?
「お鈴さんは正真正銘の妖狐、尾裂き狐なんですよ。料理が得意で。美味しいんですよぉ、お鈴さんの作るものは——。」
杏は目の前の和菓子に改めて視線を落とした。
本当に美しくて、美味しそうだ。見ているうちに食べたくて食べたくて、仕方なくなってくる。
まるでその和菓子そのものに魅入られるように・・・。
これって・・・、ひょっとして、食べちゃいけないやつなんじゃあ・・・?
アニメなんかにあるよね。
すごく美味しそうで、食べたいという欲望に逆らえなくて・・・、そして、食べたらその美味しさに止まらなくなり・・・、そして・・・。
体の中に妖魔が入ってしまうやつ・・・・。




