力ある者の不幸
その年のクリスマスイブは、世界にとって転機となった年でもあった。
空から神様が、子ども達にクリスマスプレゼントを降らせてくれたからである。
「なんだ、あれ……?」
ひらひら、きらきら。灰色の足元に大量に落ちて、降り積もる謎の物体。大人も子供も不思議そうに空を見上げ、そして足元に落ちてきた物体を見下ろして首を傾げた。空に巨大な飛行船が浮かんでいるわけでもなく、ヘリコプターが飛んでいるわけでもない。それなのに、まるで雲の隙間から神様が落としたと言わんばかりに物体は住んでいる人間が多い地域を中心に舞い降りてきたのである。
それは、カードだった。
ドラゴンや、精霊、魔術師に剣士。どこかのトレーディングカードゲームのカードを思い起こすような美麗なイラストとキャラクターの名前が描かれ、裏側には共通して十字架のような青い模様が刻まれている。
「どっかの企業の宣伝?」
「どういう方法使ったのかな。確かに綺麗なカードだけどさあ」
「やめやめ。下手に触るのまずいって、地面に落ちたもんなんだし」
「何か毒でも塗られてるってオチじゃないの?テロとか?」
「こんなに町中をカードまみれにして!一体誰が片づけるんだと思ってるんだ!」
大人達の多くは、そのカードを気味悪がり、あるいは迷惑がった。ほとんどの者達が“どこかの大企業がひそかに作り、宣伝をかねてバラ撒いたのだ。自分達はその飛行機の類を見落としただけなのだ”という結論を出した。そして、カードを拾わず無視したり、カードを拾ってもすぐに捨ててしまったりするばかりであったのだ。
しかし、小学生くらいの子ども達は違っていた。
「すっごい……!」
柊介もその一人。人気のトレーディングカードゲームを買って欲しいと親にねだっても、ああいうものは買い始めたら際限がないでしょ!と却下されて一切買って貰えなかったという典型的なパターン。クリスマスのプレゼントでさえダメと言われてしまってしょんぼりしていた矢先だったのである。
拾ったのは、死神のようなかっこいい男性が書かれたカード。何故か一枚拾ったら、他のカードは拾うことができなくなってしまっていたが。
柊介は満足していた。
きっとこれは、神様が自分のように望んだ玩具を買って貰えない子へのご褒美として用意してくれたものだ、と信じて疑わなかったのである。カードにはキャラクターの容姿と名前しか描かれていないけれど、きっとこれは他の子供と対戦できるゲームのカードに違いない、と。
***
すごい、と。さっきよりも大きく感嘆の息を漏らした。
学校からの帰り。家にこっそりとカードを持ち帰り、自分の部屋で取りだしてみた柊介。むき身で持っていたのに、そして一度はアスファルトに落ちたはずだというのにカードはちっとも汚れていなかったし折れてもいなかった。最初は紙かと思ったが、紙よりも硬くつるつるとした素材でできているようだ。まるで、薄い硝子でも触っているかのよう。しかし、持った感覚は非常に軽かったし、落ちた時に疵がついた様子もない。何か特別な素材でできているようだ、ということは子供心にも理解できた。ポッケに入れて持ち歩き、途中で雨が降ってきたのにちっとも濡れていないことも含めてだ。
だが本気で凄いと思ったのはそこではない。
家に帰ってカードを眺めながら、書かれている名前を呟いた瞬間。そのキャラクターが、部屋の中で実体化したのである。
「お呼びですか、ご主人様」
「……!」
黎明の死神。それが、キャラクターの名前であったらしい(れいめい、の漢字は難しかったが振り仮名が振ってあったので読めた)。黒っぽいローブのようなものを身に纏い、紫色の長い髪に金色の瞳を持ったとても美しい青年。その手には死神らしく大鎌を構えている。
「ご、ご主人様って、僕?僕、ただ、このカードの名前を呼んだだけ、なんだけど……!?」
すっとんきょうで、狭いベッドルームに佇む長身の青年を見上げる。よくよく見たら、カードの中からはイラストが消えているではないか。
「か、カードから君、抜けて来たの?本当に?」
「貴方のご推察通りです。私はそのカードの精霊。カードを生み出した創造主より命令を受け、貴方の元まで来たのです」
「め、命令?」
「ええ。……私を拾った者の命令に、何でも従うようにと。空から舞い降りた私達カードの精霊は、皆様のお願いを叶えるために生まれた存在であるのです」
それを聴いて、柊介はハッとした。今も空からはらはらと降り積もっているカードたち。しかし、窓の向こうでは、すでにそれらの片づけが始まっている。興味もない、どこかの企業の宣伝だと思い込んだ大人達が次々と箒とチリトリでカードをかき集め、ゴミ箱に捨てていってしまっている。
あれら一つ一つに、こんな風に精霊が宿っているとしたら。あのままゴミ収集車に持って行かれて火に焼かれてしまうなんて、あまりにも残酷がすぎるではないか。
「ぼ、僕!大人の人達に、止めるように言ってくるよ!」
柊介が思わず部屋を出ようとすると、いいのです、と死神は首を振った。
「主に巡り合えないのなら、それもまた精霊の定め。ご安心ください、巡り合えないことがわかった精霊は、カードを放棄して元の世界に逃げることができますから。貴方が恐れているようなことにはなりません」
「ほ、ほんとうに?焼かれて、苦しい思いしたりしない?」
「ええ、大丈夫です。……真っ先に仲間の心配をしてくださるなんて、貴方はとても優しい方なんですね。貴方のような人の元にやって来られて、私は幸せ者です」
「そ、そう?」
そう言って貰えると、自分もなんだか嬉しい気持ちになってくるというものだ。ここ最近、誰かに褒められたことなんてないから尚更に。
そして、思ったのである。死神は、僕のお願いをなんでも聞いてくれると言った。なら。
「あ、あのさ……黎明の死神、さん。何でも僕のお願いを聞いてくれるなら、お願いしても、いいかな」
彼がいれば。冷え切った学校生活を、変えることもできるのではないか。
「僕……僕ね。やっつけて欲しい奴らが、いるんだ」
***
柊介は、学校でいじめられていた。
前のクラスでもクラスメートを不登校に追い込んだというガキ大将の栄太。そしてその取り巻き達。そいつらは、気弱そうな人間を見つけるとパシリにしたり、あるいは少ないお小遣いを奪い取ったり。強い男になる修行だ!なんて言って裸にして水を浴びせて来たりと酷い嫌がらせをしてくるような連中である。何が怖いって、その栄太――小学生とは思えないくらい背も大きく、立派な体格をしているのである。喧嘩じゃ誰も勝てない。殴られて、鼻の骨が折れたことのあるやつもいる。一度目をつけられたら、そいつらが満足するまで搾取され続ける――自分もそういうさだめなのだとばかり思っていた。
でも。
「はあ?今なんつった?」
栄太は眉を跳ね上げて言う。
「放課後いつものトイレに来いつっただろ。昨日の修行の続きだってな。まさか逆らう気かよ」
「さ、逆らうに決まってるだろ!また、服脱がされて、こ、今度はトイレの水でも飲ませるんだろ!」
「へえ、分かってんじゃん。でも、言う通りにしたらボコるのはやめてやろうと思ってたんだぜ。残念だなあ。本当にお前は馬鹿だ」
どこの骨が折られたいんだ?なんて言ってくる栄太。彼を相手に、僕はポッケに入れてきたカードを見せた。そして。
「い、今の僕には強い味方がいるんだから!見せてやるよ。お願い来て、黎明の死神!」
「!」
休み時間の教室で、死神を呼び出したのである。途端、いじめっ子達はもちろんのこと、教室に残っていた他の生徒たちも度胆を抜かされることになったようだ。何あれ?かっこいい?という声が次々と聞こえてくる。なんだか自分自身が注目されてるみたいで気持ちいいな、と柊介は思った。
「こ、このいじめっ子達をやっつけて!僕を守って!」
「了解しました」
「……カードの精霊か。お前も拾ってたんだな、アレ」
「!?」
「馬鹿が、俺もあるんだよ!」
意外だったのは。栄太の方も、同じだったということ。彼もポッケからカードを取りだすと、高らかのその名を宣言したのである。
「来いよ、原罪の黒龍こくりゅう!」
「!!」
彼が宣言した途端、強い風が教室の中に巻き起こった。机の上に乗っていたプリントが、文房具が、それどころか椅子までも吹き飛んでいくほどの風。あちこちで悲鳴が上がったが、それよりも柊介は目の前の光景の方が重要だった。
天井に穴が空き、がらがらと崩れ落ちる。
召喚された真っ黒な体に青い目のドラゴンが、頭を勢いよく天井にぶつけてしまったからである。その巨躯を召喚するには、あまりにも教室は狭すぎたのだ(ちなみに、柊介が呼んだ死神は、人間の長身な男性くらい。あって180cm程度だろう)。
「あ、やべ。天井壊しちまった。先生に叱られるかなあ」
栄太はどこか他人事のように言った。まあいいや、と。
「それより、目の前の生意気な奴をぶっとばすのが先だよな。おい、原罪の黒龍。そこの生意気な柊介と、そいつの死神をぶっ殺しちまえ!」
まさか、と思った瞬間。黒龍がぎろり、とこちらを睨む。そして。
「御意に、マスター」
その口を、がばり、と開いた。その中に、光の束が収束していくのを目撃する。あれは、ゲームとかアニメとかでよく見る演出。ドラゴンが、口から光線を吐く時の前触れというやつではないか。
「う、うわぁっ!?」
「こちらへ、御主人様!」
すぐに死神が、柊介の体を抱きかかえて横に飛ぶ。放たれた灼熱の光線は窓の方へとまっすぐ向かった。
轟音。
教室の机も、壁も、床も、壁も。一気に貫通し、焼き焦がし、巨大な穴をあけてしまう。爆風で他の子ども達が吹き飛び、窓ガラスが粉々に砕けて飛び散った。
「す、すっげええ!すげえ威力だ!」
栄太は眼をキラキラさせて叫ぶ。
「やっぱ、ドラゴンのカード拾って正解だったな、やっぱり強ぇ!よし、その調子で柊介と死神も消し炭にしちまえ!」
「し、死神!」
柊介は抱きかかえられたまま悲鳴を上げる。
「あ、相手滅茶苦茶強そうだよ!か、勝てるの!?」
何も考えずに一枚のカードを拾った。それが偶然この黎明の死神だったわけだが。
後悔なんてしたくなかった。彼こそが、自分の運命の相棒であると信じたい。多くのファンタジーなゲームではそう決まっている。友達を信じなくなった奴から負けていくのだと。
「無論です、御主人様」
そんな僕に、力強く頷く死神。
「ドラゴンも、あの少年も。この黎明の死神が必ずや仕留めてご覧にいれましょう」
なんとも頼りがいのある言葉である。今は信じよう。そう心に決めて、柊介は震えながらも頷いたのだった。彼を信じて、戦い抜こう。そうすればきっと、この恐ろしい相手にも打ち勝てる筈だと。
「痛いよ、痛いよお……」
「やだ、やだ、サキちゃんが……」
「まだやるの、やめてよお……!」
教室で響く、複数の声に耳を貸すこともなく。
***
「ええっと、日本の東京で……鏑木第二小学校が壊滅したと。死者数は少なくとも八十五人には上るようで。それから蓮杖市では、住人達が次々とオオトカゲに喰われているという情報がありますね。こちらの死者数も現在で四十五人と。あとは神奈川県の方で……」
「ふむ。アメリカ、イギリス、中国、韓国、インド、エジプトに続き日本でも順調であるようだな。次のばら撒き予定は?」
「イタリアです。ほぼ同時にドイツも始めます」
「了解した。この調子なら、一週間程度でことが終わるかも知れんなあ」
真っ白な研究室の中。モニターに映ったのは、黒いドラゴンと少年の首を刈り取る死神の青年の姿だ。その後ろではガッツポーズをしている小さな男の子の姿がある。――教室は死屍累々、血まみれになったクラスメートが何人も倒れているにも関わらず。
「人間とは、罪な生き物よな」
この、大澤柊介という小学生の少年については調べがついている。引っ込み思案な性格で、学校でいじめられていたことも全て。
「大人しいニンゲンほど、力を与えられそれが正当化された時は暴走するものだ。周りの迷惑も顧みずな」
研究者の男はほくそ笑む。
本当に恐ろしいのは悪ではない。己が正しいと信じて疑わぬ、苛烈な正義であると。
何故なら己が正しいと思っている人間は、その道を歩むことに迷いがない。罪悪感もない。だから突き進むのだ。例えそれが見知らぬ人間を大量に巻き込み、いじめっ子をモンスターの力で殺害する、なんて恐ろしい行為であったとしても。
「これなら、最後の一人を決めるまでそうかからなそうだな」
地球のパラレルワールドなどいくらでも存在する。自分達は、よその世界がどうなろうと、自分達の世界さえ無事ならばどうでもいいのだ。
滅びかけている我が国を救うためには。モンスターの力を最大限に引き出せるモンスターマスターが必要。だが、カードの精霊たちの力を実験できるほど巨大な試験場がない。
ならば、よその世界で試せばいい。
彼等が最後の一人になり、自分達にとって有用なコマだけが残るまで。
「期待しているぞ、子供達よ」
降り積もったカードをプレゼントしたのは、果たして神様だったのか悪魔だったのか。
子ども達には、知る由もない。