第五十七話 狂気の狭間に漂う魂
気がついたら礼拝堂に立っていた。
いつも唐突だな、と思う。
「あら、ラルフさん。こんなに朝早くどうなさったんですか?」
シスター・イザベルが入ってきた。以前と比べて血色が良くなったシスター。以前は儚げな美貌、今は健康的な美女、だ。
「目が覚めましてな。老人ですから」
帽子を取って一礼する。
「あらあら」
ほほ笑みを浮かべるシスターにはかつての悲壮感はない。
「ラルフさん、いつもありがとうございます」
「何が、ですかな?」
「彼らの父になってくれました。養護院も、教会も……そして私を救ってくださいました」
シスターは私の右手を両手て包み、そっと握る。
「なに、アルテア様には多少の縁がありますからな。私は信徒ではありませんが、縁あるならば助けるのは人情というものでしょう?」
シスターの手は小さいが荒れていて固い。働き者の手だ。
頭巾の上から彼女の頭を左手でなでた。
《女性の頭に気軽に触れるのはよろしくない癖ですよ、マスター》
「え⁉」
ガーランドの声にシスターが驚き、左右を見る。
《はじめまして……というのもおかしいですわね、シスター・イザベル。私は知性魔法装置のガーランドと申します》
「ご丁寧にありがとうございます。クーゲル修道院のイザベルです」
戸惑いながらも返事をするシスター。
《ああ、私はマスターの左手ですわ。ほら、マスター》
苦笑しつつ左手の手袋を外し、甲をイザベルに見せる。
「え……その……あれ……?」
《改めてはじめまして。ガーランドですわ》
シスターは私とガーランドを交互に見て、口をパクパクさせている。
まあ、言葉を失うのはわからなくもない。
しばらくして、シスターは真顔になったあと、私を睨む。
「酷いです! 腹話術で私をからかうなんて!」
まあ、その理解が普通だろうな、と思う。
「腹話術か、なるほど。普通そう考えるだろうな」
《あら、ずいぶん芸達者ですわね、マスター》
ガーランドと同時に発言してしまった。それでシスターは理解したようだ。
「え、あれ、え……え……えーっ⁉」
「ガーランド、最近表に出すぎではないかな?」
《認知されることは力につながるんですのよ?》
「なるほど。覚えておこう」
手袋を戻す。
「あの、その、ラルフさん」
シスターが私を呼ぶ。その声に合わせて礼拝堂の扉が乱暴に開かれる。
「見つけた。行くぞ!」
血走った目のリチャード・ダーレンがそこに立っていた。まっすぐシスターに向かって歩いていき、乱暴に手を取り引っ張る。
「痛っ!」
小さなシスターの悲鳴を無視し、リチャードはそのまま抱き寄せる。
「嫌‼」
「おや、クーゲルを追放になったリチャード・ダーレンじゃないですか。なぜここにいるんですかね?」
私が声をかけるとリチャードはゆっくりとこちらへ首をめぐらしてから吠える。
「てめえ、なんでシスターといる。ラルフ・クロトフ!」
「そりゃあ、私がここの父になったからですよ」
あえて誤解させるように言う。
「んだと! てめえ!」
「二語会話は二歳児ってところですか。二歳児なら追放がわからなくてもしょうがないですね」
戦場で冷静さを失うことは大きなハンデとなる。
《すみませんマスター。戦闘態勢に移行。シスターを安全領域に飛ばします》
ガーランドがそう告げると勝手に動き恩寵の眼帯を外す。シスターがふっと消える。リチャードは突然抱えていた質量を失ってバランスを崩す。
リチャードが体勢を立て直す間に戦闘準備。右手右足を前へ、ハーフガード。
――――
リチャード・ダーレン
称号
狂気の狭間に漂う魂
道化師に触れたもの
職業
狂戦士
戦闘評価
9999+
装備品
『魂啜り』唸る大剣
『蜃』星降の篭手
『堅牢』狼藉者の胴鎧
『疾風』破戒の靴
――――
「素手だと! 舐めるな!」
大振りの横薙ぎ。右前へ楕円を描くステップで入り込みながら剣の柄付近にガーランドを差し込んで止める。
《痛っ! 酷いですわマスター》
ガーランドの文句を無視してそのまま右ストレートをリチャードの鼻に叩き込む。
顔が弾け、赤いものが散る。
そのまま前へ踏み込み、追撃で左をみぞおちに入れ、距離を取る。
「お前を斬れる剣なぞ地上にはないだろう?」
《ええ、そうですわね、まったく》
ガーランドはブツブツ文句を言いながらも衝撃を連続で放つ。すべてリチャードに吸い込まれ、不規則なダンスを踊る。
解せない。戦闘評価からすればこんなに簡単に翻弄できるとは思えない。
《マスター、あなたはすでに半神なのですよ?》
「けひゃ、ひゃは」
リチャードが気味の悪い声で笑う。
歪む体。
拗じくれる腕。
〈ああ、あれは混沌に魂を喰われたんじゃのう〉
のんびりしたディルファの声が背中からする。
〈ああなると面倒くさいぞ。死や無ですら混沌の一部じゃからの〉
《あら、他人事みたいに》
ガーランドが動いてディルファを抜く。
〈あ、おい、こら、ガーランド嬢。何をするつもりだ〉
《御老公にお食餌をサービスいたしますわ》




