66.逃走
「どうして早く言わなかった!?」
「あなたがそうなるとわかっていたので」
執務室で状況を確認していたガーディアの声が部屋中を震わせるのも気にせずにベレナングレンは淡々とそう告げた。
シトロンがパランティアから聞いた話をベレナングレンに伝えた時、この国の宰相はそれをすぐにガーディアには伝えないという判断をした。もちろん、ミモザがリリアナと共にいるかもしれないという可能性も考慮した上でだ。
ガーディアがミモザがいなくなったと知れば冷静でいられないのはわかりきっていたし、随分長い時間拘束してしまっている国交を結んでいない国の王女よりミモザを優先させるわけにはいかなかった。厳密にいえば、行方不明になっているリリアナや彼女の国から来た者たちにそう思われるわけにはいかなかった。後からイシルマリが何か言ってくるのは確実だ。
その上、ミモザのことをガーディアに知らせる前にリリアナを見つけ出し、もしミモザが一緒ならそれはそれで彼女も連れ去れていたことを知らせないつもりだった。
もう夜明けは近く、夜の気配は少しずつ薄くなり空も明るくなりはじめている。中枢区に出入りする者が多くなる時間までにリリアナを見つける必要があった。連れ去られたと考えられる時間帯から今までで、中枢区外に出ている可能性は極めて低い。まだどこかにいるはずだ。しかし、出入りが増えればその隙に外に出られてしまう可能性は高くなる。その前に決着をつけるべきだった。
「それで、彼女はどこに?」
「王女が優先じゃなかったのか?」
イライラとした口調でガーディアが嫌味を言ったが「もちろんです」とベレナングレンは相手にしなかった。
「彼女も共に連れ去られた可能性があります。彼女を見つければ、そこにリリアナ王女もいるかもしれません」
「そうだといいがな」
どちらでもいい。投げやりなガーディアにベレナングレンは特に何も言わなかった。早くしろとばかりに視線を向け、それに反抗してやりたい気持ちを抑え込み、ミモザのためにガーディアは彼から視線をそらした。
その気になればすぐだった。ドラゴンたちの王である星影の竜は、この世のドラゴンたちの居場所を把握できる。普段は閉じ込めているその感覚を意識して引き出せば、簡単にその気配をつかむことができた。まして捜す相手はミモザだ。
「――行くぞ」
誰に一瞥をくれることもなくガーディアは歩き出した。
***
閉じ込められた小屋の中からでも夜の闇が薄まったのを感じた。灯り取りの小窓から見える空はその闇色に少しずつ白を混ぜはじめている。
「夜明けまで後どのくらいでしょう?」
少し前に目を覚ましたリリアナが静かにたずねた。ジュリアも意識を取り戻し、今は寄り添うようにリリアナの肩を抱いている。
「もしわたくしたちを連れ出すなら出入りの商人に紛れ込ませるだろうと言っていましたが、その商人たちが来るのはいつ頃なのですか?」
「夜が明けたらすぐです」
それにここが畑か果樹園の近くなら、朝食に使う食材を採りに使用人が近くを通るかもしれない。犯人たちがここを訪れるなら、それより早い時間のはずだ。商人たちがここまで来ることはないはずなので、再び魔法で意識を奪う可能性が高い。
「犯人たちがここに来たら隙を見て逃げ出しましょう。ただ、魔法を使われたら厄介です――手を取ってもいいですか?」
両手を差し出したミモザに、小さくうなずいてリリアナとジュリアはそれぞれの手を乗せた。軽く握って二人に防御の魔法をかける。あの時は不意を突かれたが、同じ轍は踏まないようにすることはできる。
「これは――」
「相手が魔法を使うことはわかっていますから、それを防ぐ魔法をかけました。攻撃も防いでくれますから、お二人は逃げることに集中してください」
「わかりました。でも、そう簡単に隙ができるのでしょうか……?」
「わたしが犯人たちを引きつけます」
微笑んだミモザを、二人が驚いた顔で見つめた。
「あ、あなたが?」
「大丈夫です。これでも――」
不意にミモザは口を閉じ、二人にもそうするように手で合図をした。外に誰かの気配を感じる。複数の気配だ。扉から一番離れた壁際により、リリアナとジュリアを背にかばいながらミモザはじっと扉を見据えた。
小屋にかけられていた魔法が解除される気配がする。建付けが悪いのかガタガタと音を立てて扉が開かれれば薄明りの中、数人の男たちがそこに立っていた。
「何だ? 起きてるじゃねぇか」
先頭で扉を開けたのは眉尻に傷のある強面の男だった。最初に襲ってきた男だ。そのすぐ後ろにはミモザたちを不意打ちし連れ去った、魔法が使える男がいる。
「おい、人間だけじゃないのか?」
その二人とは別の男が小声でたずねた。
「そういう話だったぞ」
「別に売り物が増える分にはかまわないだろ」
魔法が使える男が言った。
「魔族ならば別ルートもある。その方がいい値段がつく」
「そのルートは今は使えない――」
苦々しい声を、ミモザは聞き漏らさずに拾っていた。どうやら人身売買の話をしているようだったが、別ルートというのが気になった。魔族ならという言葉――まさか……。
油断なく隙を探しているが、男たちが完全に入り口をふさぐ形で立っているため今はまだ難しそうだ。せめてもう少し中に入って来たら……いっそ、魔法が解除された今、小屋を壊すという手もあるがリリアナやジュリアが巻き込まれてしまっては元も子もない。
「おい、そんな話は後でいいだろ。それより――」
強面の男がニヤニヤと笑いながらミモザを見下ろした。
「ちょっと味見をさせろよ」
「バカを言うな。そんな時間はない」
「移動しながらでもいいんだぜ? お前がちょっと姿を消すヤツをしてくれれば――」
魔法を使える男はあきれたため息をついて強面の男を無視するように小屋の中へと踏み込んだ。それにつづいて他の男たちも入ってくる。見知らぬ男は三人。おそらく、意識を失ったミモザたちをかつぐ役目を言いつけられているのだろう。その手には作物などを入れるのに使う大きな麻袋が握られていた。
「また眠ってもらうぞ――」
魔法を使う男が前に出した手に魔力が集まるのを感じた。しかし放たれたそれがバチリと音を立てて霧散するのに、男は驚きの声を上げる羽目になった。悪いが今度はミモザの番だ。自分の魔法が弾かれた事実を咄嗟に理解できない男を、ミモザが魔法で吹き飛ばす。「今です!」と他の三人を蹴散らしながらリリアナとジュリアに声をかけ、ミモザは扉の近くに立ったまま驚きに目を見開いている強面の男にも魔法をぶつけた。
二人が先を走るのを確認しながら男たちにも意識を向ける。三人の男は意識を失ったのか動かなかったが、魔法を使える男は機転をきかせて咄嗟に防御をし、壁にぶつかって痛む背にいら立ちを覚えながらも立ち上がった。
「この女!!」
強面の男も同じく立ち上がりミモザを追ってくる。リリアナたちとの距離がまだそれほど開いていなかったから、少し手加減してしまった。再び魔法を放とうとしたミモザの手首を見えない何かがつかみ、強い力で引っ張られた。
「ミモザ!!」
名前を叫んだのは、リリアナだろうか? 引っ張られ、地面に倒れながらミモザは冷静にそう考えていた。自分のことはいいから、逃げることだけを考えて欲しかったが――ちらりと視界に入れた二人の顔は蒼白だ。でもこのくらい距離が空いていればミモザには守りやすいから、もういいだろう。
「ふざけやがって!!」
髪をつかまれ、無理やり立たされる。痛みに顔をゆがめながら目の前で怒りを露わにする強面の男を睨みつけた。
「おい、雑に扱うな」
「知るか! 別ルートじゃなけりゃどうせ大した値段にならねぇだろ!!」
勢いのまま地面にたたきつけられる。体が軋むような痛みに、のどの奥が震えるのを感じた。リリアナたちの足は完全に止まってしまっているが、男たちは怒りからかそちらに意識を向けることはなさそうだった。
「こんな変な角の魔族なんざな!!」
大きな手が乱暴に美しい曲線を描くミモザの黒曜石のような角をつかんだ。ガーディアの協力もあり、紫水晶のような角の先まで元通り完全な形に戻った角を。
その角と同じ紫水晶に似た瞳が、鋭い光を持って男を睨み上げた。
美しいガラス製の鈴が鳴ったような、澄んでいて、しかし恐ろしく冷たい音をリリアナは聞いた気がした。
「は――?」
こんなおかしな角を持つ小娘に睨まれた怒りも、何かがヒビ割れるような音が聞こえた瞬間に吹き飛んでいった。強面の男が組み敷いているはずの小娘の、その鋭い光をたたえた瞳の周囲にヒビが走っている――それが音の正体だと、男はすぐに気がついた。それが、ヒビではないことにも。
鱗だ――
そう気づいた次の瞬間、強面の男の体は宙に舞った。強い力で吹き飛ばされ、削るように地面を転がった男は今度こそそのままガクリと意識を失った。その時の土煙か――あるいは、濃い魔力の残滓だったのかもしれない。
ふさがれた視界に、何が起きたのかわからず呆然とする魔法を使える男は、煙が晴れた時に目の前に現れた者に立ちすくむことしかできなかった。
逃げることを忘れ、離れたところから状況を見つめていたリリアナも、ミモザがいるはずの場所を蒼白な顔のままただ見つめていた。
「ド、ドラゴン……」
男が、信じられないと言うようにつぶやいた。この国にドラゴンはほぼいない。国王と、花街で暮らす変わり者だけだ。この国の王であるドラゴンを他のドラゴンが嫌っているからだと男は聞いたことがあった。だから、そんなはずはない……こんなところにドラゴンがいるなんて、そんなはずは。
恐ろしく強大な力を持つドラゴンたちは、他の魔族からしてみても関わりたくない相手だった。ただただ恐ろしく、しかしその恐ろしさを普段は忘れていた。国王は遠い存在で、花街の変わり者もあまり目立つことはしない。
美しい紫色の宝石のような瞳に見据えられ、男は体中の熱がごっそり奪われたようにその身を震わせた。逃げなければ――当初の目的のとおり、あの人間の女だけさらうことができればそれで報酬はもらえるはずだ。逃げなければ――そう思いながら動いた視線がリリアナたちの方を見たのを、ミモザは見逃さなかった。
あの澄んでいて、恐ろしく冷たい音が夜明けの空を震わせた。
眩さに目を伏せ、そしてまた瞳を開いた時、リリアナは美しい光景を見た。
紫がかった水晶の柱が無造作に地面から生えるようにして連なっている。ミモザがいる場所からはじまるその先には、あの魔法が使える男がぐったりと倒れこんでいた。のどを鳴らすミモザが何をしたのか、彼女にはわからなかった。ただ背中に冷たいものが走り、いつの間にか体は震えていた。となりのジュリアも同様で、守るようにリリアナに触れた手はひどく冷たい。
何が起きたのか――それにミモザは……? この目の前の存在が、ミモザなのだろうか? 声をかけようにも、震える唇は開くこともままならない。
「ミモザ――?」
リリアナ自身の声の代わりに、どこか甘さを含んだ低い声が彼女の鼓膜を震わせた。




