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魔王さま、今度はドラゴンです!  作者: 通木遼平
第三章 同胞喰
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63.手紙




 くつくつとつぶした野菜が鍋の中で混ざり合い音を立てて煮込まれていた。色はよくないが、一緒に入れた香草の香りが王宮の調理場にただよっている。型に入れて固め、保存食とするのだ。食べる時は温めてやわらかくし、パンなどの主食や肉、魚などの主菜に塗ったりシチューに混ぜたりする。そのままかじることもできるが、味に癖があるためよほどのことがなければそんなことをする者はいなかった。それ以外にも塩漬けや食材を乾燥させたものも作っている。

 収穫の時期の直後から保存食を作り、古いものと入れ替える作業をするのも調理場を担当する使用人の仕事の一つだ。もちろん、普段は他の担当をしている使用人も手伝いにくる。この保存食は災害などの非常時用なのだが必要になることはそう多くない。一年前に作った保存食は余ることが多いのだが、廃棄はせずに日頃の食事に利用することで無駄を減らしていた。


 もっとも、今年は妃選びに関連したいつもと違う仕事が多く発生していたのもあってはじまるのが遅くなってしまったらしい。仕事内容の説明を受ける際にそう聞いて、ミモザは何も言えなかった。


 その妃選びはロスソニエルの一件があって以降、茶会すら行われなくなってしまっていた。この中枢区にいる者たちのほとんどが知らないところでガーディアやベレナングレン、シトロンたちは忙しくしている。しかし日がたつにつれて、あの不快な臭いが少しずつ強まっているような気がしてミモザは不安を覚えながら鍋の底が焦げ付かないように木べらでゆっくりとかき混ぜていた。


 妃選びのことがなければ、ミモザはただの使用人としてこうして仕事をこなすだけだ。王都に家があるアンナベルは母親の体調が心配なのもあって昨日から帰宅している。他の妃候補はどうしているのだろう……シシー・バラガンはおそらく部屋にいるのだろうが。夜会からしばらくたつが、彼女の謹慎が解かれたという話も未だに聞かなかった。






***






 薄暗い部屋に陶器の割れる音が響いた。この頃は一日に少なくとも一度、この音が鳴り響く。


 あの夜会から今日までシシーはずっと客室に閉じ込められていた。部屋に鍵などがかけられているわけではないが、シシーが部屋を出ようとするとシシーがベライドから連れてきた侍女や護衛たちに止められてしまう。彼女たちは仕事のために来賓館や、時にはその外に赴くのだが、シシーの従者だということに気づかれるのか夜会以来常に魔獣族からの厳しい視線が飛んでいてとてもシシーを外に出すわけにはいかなかったのだ。


 当然、シシーにそんな事情は通用せず、彼女は日々いら立ちばかりを募らせていた。


「お父さまからの連絡はまだなの!? ちゃんと手紙を出したのでしょうね!?」

「も、もちろんですお嬢様。商会の者に旦那様にすぐに届けるようよく言い聞かせもしました。ですが、旦那様もこの国への入国を禁じられて思うようには――」

「お父さまがわたしを無視するわけないでしょう!」

「それは、もちろんでございます」


 シシーの相手をしていた若い侍女の表情は、薄暗い部屋の中でもはっきりとわかるほど青ざめていた。ぶつけられたカップが足元で粉々に砕けている。シシーの機嫌を取るのがうまい古参の侍女であるパウラは席を外していていなかった。もっとも、パウラがこの若い侍女に親切なわけではなかったが……少なくとも、カップを投げつけられることはない。


 この状況をどうにかするべく、シシーは父に宛てて何度か手紙を書いていた。それを密かにこのザルガンドに滞在している父の商会の人間にベライドへ送るようたくしたのだが、返事は一度も返ってきていない。父、バラガン伯爵の商会で問題が起きていてそれどころではないのだが、シシーはそのことを知らなかった。


 はっきりとしない受け答えばかりする若い侍女にますます怒りを強め、シシーが手を振り上げたと同時に、薄暗い部屋の扉をノックする音が頬を打つ音の代わりに響き渡った。壁際で息をひそめながら控えていた別の侍女がパッと動きその扉に答えるとパウラがそこに立っていた。彼女は他の何者も部屋には入れまいとするかのように素早く体を滑り込ませ、きっちり扉をしめてできる限り音を立てないように鍵もしめると、「お嬢様」と熱のこもった声でシシーを呼んだ。


「パウラ! 遅いわ!!」

「申し訳ありません、お嬢様」


 パウラはその熱とは裏腹に抑えた声でシシーに答えた。


「手紙を受け取ってまいりました」


 その言葉に、シシーの機嫌は上を向いた。先ほどまでの不機嫌が嘘のように表情を明るくし、飛びつくようにパウラが差し出した手紙を受け取った。


「お父さまからのお返事ね!」

「いいえ」

「えっ?」

「旦那様はお忙しく――もちろん、お嬢様を心配なさっているとのことでしたが――そのお手紙は、王太子殿下からでございます」


 「まあ!」とシシーは頬を赤らめた。封筒に宛名はなく、見た目は庶民が使うような質のあまりよくない紙でできていた。パウラはシシーから手紙を再び手元に戻し、丁寧にペーパーナイフでその封を開けた。その中には薄紙で包まれた別の封筒が――ベライドの王太子であるダライアスの紋章が押された封筒が現れた。


 シシーははやる気持ちを抑えながら便箋を取り出し、ダライアスが書いた文字を目で追った。当たり障りのないあいさつからはじまり、シシーを心配する言葉が並び、そしてそこでシシーはここ最近妃選びが滞っているということをはじめて知った。パウラたち侍女や護衛は外の状況をシシーにあまり伝えていなかったし、シシーも必要としていなかったからだ。


「殿下はわたしに力になって欲しいとおっしゃっているわ」


 シシーは手紙を見ながらうっとりと目を細めた。


「ですがここから出てもしお嬢様の身に何かあったら――」

「部屋から出るくらいいいでしょう? ちょっとそこまで行くだけだもの」


 美しく微笑んだシシーの姿を、空になった封筒の中から小蜘蛛がじっと見つめていた。






***






 マリエルが茶会などが行われないのをいいことにほとんど毎日図書館に入り浸っているのに、リリアナはこの頃つき合っていた。ザルガンドへの滞在も長くなり、暇をつぶせるようなこともほとんどやりつくした気がしていた。しかしここの図書館はイシルマリやその近隣国では見たこともないような本が多くあり、少しは気がまぎれたのだ。


 何もしていないと、どうしてかあの深い夜の色を思い出してしまう……。


 そのことにリリアナは戸惑い、今まで感じたことのない感情に恐れに似た気持ちを抱いていた。信頼している侍女にもその気持ちを打ち明けることができず、ただ、図書館で手に取る本はこのザルガンドに古くから伝わる黒いドラゴンと人間の話に関連したものが自然と多くなっていた。


 開いた一冊は驚くほど古く、しかし何か魔法でも使っているのか見た目は今にも崩れそうなページでも指でつまむと意外としっかりとしている。折り込まれたページを開くと、ところどころインクがこすれた古い地図が出てきた。この大陸の地図だ。

 今は南北に横たわり、この大陸を二つに分けている星明けの山脈が地図には描かれていない。ザルガンドも、リリアナの国であるイシルマリも当然そこにはなかった。もう名前も残っていない国々と、今はザルガンドの一部となっているいくつかの森の名がかろうじて読み取れた。

 イシルマリに伝わる古いおとぎ話に、山になった魔物の話がある。この大陸の西方に荒地があり、そこから訪れる災いから人々を守るため災いが越えることのできない山になったというお話だ――もしかしたらあの、リリアナでさえ聞いたことのあるおとぎ話は本当にあったことなのだろうか?


 本の内容は誰かの手記のようだった。荒地について書かれているようだが、ところどころ文字がかすれてしまっていることと、リリアナが今まで学んだ言語のどれにも当てはまらないような言葉や文法が使われているところもあり、定かではない。ただ、読み取れる中で、どこかの森がなくなり荒地が広がっていることに対してこの手記を書いた者が憤りを覚えていることだけは伝わってきた。


「随分と古い地図ですね」


 マリエルがリリアナの手元をのぞきこんだ。


「ええ、千年以上前のもののようです」

「星明けの山脈がありませんわ」

「あの山々は、魔物が山になったという話がイシルマリにはあります」

「イシルマリにも?」

「トロストにもあるのですか?」

「いいえ、わが国には……アルディモアに似た民話があったはずです」


 マリエルが話すアルディモアの民話は、たしかにリリアナの知るイシルマリの古いおとぎ話とよく似ていた。


「大陸の形的に、この辺りに山脈ができるのでしょうか?」


 山脈が突然できることは普通なら考えられないことだが、マリエルの中では魔物の話が事実として採用されていた。


「この頃からこの辺りは深い森だったのですね。そういえばこの国に伝わる黒いドラゴンと人間の恋の物語について調べてみたのですが、一番古い時代のお話は森が舞台だったのです。もしかしたらこの辺りで起きたことなのかもしれません」

「黒いドラゴンの話というのは、この国の陛下の……」

「そのお話です」


 あの深い夜の色が脳裏を過った。


 そこから意識をそらしたくて図書館に行ったはずなのに、結局リリアナの中から夜の色は立ち去らない。図書館を一歩外に出ると冷たい風がリリアナの肌を刺し、共にいた侍女が若い王女の身を守るように滑らかな毛皮の肩かけをそっとかけた。


 どうしてこんなにあの夜のことを考えてしまうのだろうか?


 視界に背の高いその姿が飛び込み、リリアナは誰にもわからない程度に表情を強ばらせた。向こう側から歩いてくるのは間違いなくガーディアとベレナングレンだ。不安や恐れ、それから不思議と温かい気持ちが胸の奥で混ざり合っているのを感じながらも、リリアナは目の前に来た二人に礼をした。


「こんなところで何を?」


 そうたずねたのはベレナングレンだった。


「図書館へ行ってまいりました」

「ああ」


 ベレナングレンの視線がさっきまでリリアナがいた――マリエルは今もいる――図書館へと向けられた。その返事は彼がたずねたにも関わらず対して興味がなさそうにも聞こえ、リリアナは傍に控える侍女や護衛が不満そうな空気をまとったのを背中で感じたがそちらを振り向くことはしなかった。


「このような場所ですが、お二人におうかがいしたいことがあります」


 代わりに、リリアナは真っ直ぐに二人を見上げた。


「妃選びのことです――茶会や晩餐も開かれなくなりました。わたくしたちの滞在も長くなり、これ以上の寒気が訪れれば雪などで帰国も困難になるでしょう。そろそろ結論を出していただきたいのです」

「結論は最初から決まっている」


 ガーディアが静かに答えた。


「俺は最初から誰も選ぶつもりはない。何度も言っているが、ドゥーイが勝手にはじめ、俺は好きにしろと言っただけだ。滞在が長くなったことは謝るが……」

「本当に誰もお選びにはならないのですか?」


 自分の口から出た言葉にリリアナはハッとした。そんなことをたずねるつもりはなかった。


「どうしてそんなことを聞く?」

「それは……いえ、ただ、色々と噂を耳にしたのです……」


 ガーディアが目を丸くしたのを直視できず、リリアナは足元に視線を落とした。自分がどんな顔をしているのか、ガーディアがどんな顔をしているのか――それを見る勇気がないのはどうしてだろう。

 「そうか……」とリリアナのつむじに落ちてくるように聞こえたガーディアの声は平たんで、ますます彼がどんな顔をしているのかわからない。「噂は噂だ」と彼は言った。その上で、妃選びを終わらせる方向に動いていくと。


「手土産は用意しましょう」


 リリアナのどこか気まずそうな雰囲気に気づいたのか、ベレナングレンが口を挟んだ。


「それからこちらからもお願いしたいことがあります。イシルマリのリリアナ王女殿下」


 やっと顔を上げてまた二人を視界に戻したが、ガーディアはいつもと変わらない表情をしていた。


「イシルマリの商会が、魔族の人身売買に関わっているのをご存知ですか?」

「ええ、夜会の際に我が国のカルス伯爵から聞きました。その件については――」

「ああ。謝罪などは結構ですよ。被害者はあくまでイシルマリの国民。そちらで相応の対応をしてくだされば――ただ、その事件についての情報をこちらにも開示してほしいのです」

「それはかまいませんが……」


 この国でも、何か起きているのは薄々気づいていた。しかし思ったよりも大きな問題なのかもしれない。妃選びの茶会などが行われなくなったのもそのせいだろうか?


「どんな情報でもかまいません。宰相府の者を派遣するので手紙などはその者に渡してください。よろしくお願いします」

「では、部屋に戻ったらすぐに伯爵に手紙を書きましょう」


「リリアナ王女」


 ここで顔を合わせた時よりも簡単な礼をしてその場を立ち去ろうとしたリリアナを、低い声が呼び止めた。




 それが自分の名前だと、リリアナは一瞬わからなかった。


 ただ、胸の奥にあった不安や恐れが突然消え去り、初夏の風が吹いた後のようにさわやかな感情が胸の奥をくすぐった。

 夜空に浮かぶ月のような金色の瞳に、驚いている自身の顔が映っている。心臓が大きく高鳴り、口を開けば飛び出してきそうで、リリアナは口を開くことさえできなかった。


「滞在が長くなったことへの詫びは、できる限りのことはしよう」


 しかしその静かな声に、心臓は急に大人しくなり、リリアナはただじっとその美しい金色の瞳を見つめ、それから思い出したようにうなずいた。「感謝いたします」と伝えた声はリリアナ自身からしてみても、いつもと何も変わらない響きを持っていた。




 今度こそ立ち去ったリリアナの背中に、ガーディアとベレナングレンは同時にため息をついた。もっともそのため息は向けられた方向が違っていたが。


「物好きはそう何人もいないと思っていましたが」

「よせ、ベレナングレン」

「あちらはどうだか知りませんが自覚があるのですね。昔から自分に向けられる好意には甘い男だ」

「そうじゃない」


 冷ややかな声が告げた。


「彼女は若く、何も知らない――そういう相手に冷たくするにはもう長い年月を生きすぎた。いつまでも短気なお前と違う」

「私も随分丸くなりましたよ」

「どうだか」


 ガーディアはそう言って歩き出した。彼がリリアナに向けた視線は、ミモザに向けるものとは全く違っている。ベレナングレンもそれをわかっていて、ほんの冷やかしのつもりで言ったに過ぎなかった。


 二人の男の軽口を聞いている者は誰もいない。


 しかしガーディアとリリアナがほんの短い間視線を交わしていたその瞬間だけを見つけた者がいたことには、二人も気がついていなかった。




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