56.アンナベルとマリエル -魔族の名前-
「昨日は大変でしたね」
騒がせたおわびにとアンナベルはマリエルにお茶に誘われていた。場所はマリエルの部屋だ。今日は冷えるし、気兼ねなくおしゃべりできるのでちょうどよかった。
手土産に夜会の際に母に頼んで持ってきてもらった児童文学を渡すと、マリエルはとても喜んだ。マリエルの故郷、トロストには伝わっていない話だった。ザルガンドでも真偽不明の伝承で、これはそれを子ども向けにしたものだ。
人間の旅人が白い山――おそらく星明けの山脈のことだと思われる――を越えて森を訪れる。故郷で天災が相次ぎ、土地が荒れ、植物は枯れて水も少なくなっていた。このままでは人々は飢えて死んでしまうだろう。旅人は故郷を救う“知恵”を求めて旅をしていたのだ。
森の長であるエルフと会った旅人はエルフに助けを求めるが、エルフは基本的に人間とは関わらない。しかし旅人や旅人の故郷に同情し、三つの問題を解けば助けとなる宝物を与えると言う。旅人はなんとかその三つの問題を解き――これは物語によくあることで、それまでの旅で起きたことがヒントになって旅人を助けるのだ――エルフから三つの宝物をもらう。そうして故郷に帰った人間は、見事に故郷を救うのだった。
「そういえば、昨日ごあいさついただいた宰相閣下もエルフでしたね。エルフの方にははじめてお会いした気がします」
「エルフの方たちは王都にはあまり住んでいないんです。思考の森と呼ばれる昔からあるエルフたちの……何というのでしょうか? 里、のようなところがあって……そこでほとんどの方が暮らしています」
「まあ、森! この本のお話と同じですわ」
「その話は実際にあったのかは不明ですが、出てくる森はザルガンドの国土である暗闇の森ではなく、思考の森のことだと言われています。旅人が出会ったエルフは思考の森のエルフの長の方のことだと……宰相閣下の、お父さまですね」
「跡取りなのにこの国の中枢で働いているのですか? 家を継いだりなどしなくてよいのでしょうか?」
「えっ?」
「お兄さまがいらっしゃるとか?」
アンナベルはきょとんとしてマリエルを見たが、すぐに彼女の言葉を理解した。
「魔族には、家を継いでいくという意識はあまりありません」
「えっ? そうなのですか……?」
「人間のように家名もありませんし……もちろん、家族はいます。でも極端な話、子どもより親の方が魔力がとても強ければ親の方がずっと長く生きることもあるので……家を継ぐとか、そういう考えはないんです」
「そうなのですね……でも、陛下は家名を名乗っていませんでしたか? 国名と同じの……」
「陛下は名前が三つあるのだと思います」
「三つ?」
ガーディアは確かに正式に名乗る時、ガーディア・ヴァラドール・ザルガンドと名乗っている。マリエルもアンナベルもそれを聞いたことがあった。
「家名はありませんが、名前をいくつか持っている魔族の方はいますよ。特に寿命が長い方々はそうですね……自分でつけることもありますが、他人からもらうこともあります」
「アンナベルさまも別の名前があるのですか?」
「わたしは一つです」
アンナベルは苦笑いした。
「陛下はとても長く生きてらっしゃいますから、名前がいくつかあってもおかしくありません」
「複数の名前を持つ文化があるなら、名前の意味などを大切にしていそうですね」
興味がわいたのかマリエルがたずねた。
「そうですね。たしかザルガンドには“終わり”という意味があったはずです」
「他の名前にもそれぞれ意味があるのでしょうか?」
「どうでしょう……? 響きとしては古い言葉のようですけど……」
ミモザなら知っているかもしれないが、それをマリエルに伝えるわけにはいかない。なぜミモザなら知っていると思うのかを話さないといけなくなってしまう。
「この後もしお時間があったら、一緒に図書館に行って調べてみませんか?」
「まあ、素敵ですね。ぜひ」
図書館ならば他の種族の古い言葉についてもわかるだろう。
マリエルを含め、妃選びでザルガンドに滞在している人間たちはみんな気づいていないようだったが、このザルガンドは様々な種族が暮らしているだけあって種族によって使う言葉が全く違うこともあった。何の問題もなく会話ができるのはザルガンド全体に魔法がかけられているためだ。
ここで暮らす魔族たちは基本的にみんなその魔法のことを知っている。誰もが自分たちの言語で話しているが、魔法のおかげで違う言語の相手にも伝わるし、逆に違う言語を使う相手が話す内容も理解できる。
ザルガンドがあるこの大陸――厳密にいえば星明けの山脈のこちら側にある人間の国々は、どの国も共通言語を使っていたはずだ。国によってそれぞれの古い言葉はあるようだが、アンナベルが興味を持って学んだところによれば陸つづきのためかそれぞれの古語もどことなく響きや意味が似通っていた。
しかし魔族の古語は難しい。言葉やつづりからでは意味がわからない言葉の方が多い。それに普段受けている魔法の恩恵のせいで、魔族は他種族の言語には弱かった。アンナベルは興味があって最近のエルフの言葉などは調べて学んでいたが、古い言葉はさっぱりだ。
お茶を早々に切り上げ、二人は図書館へと向かうことにした。昨日までのことが嘘のように、王宮内は日常を取り戻している。王宮で働く者たちがせわしなく動き回り、廊下の途中で疲れた顔をした文官にもすれ違った。
外は太陽が高くなってもはやり空気が冷たく、また季節が変わるまでは日々寒くなっていくだろうと感じられた。アンナベルとマリエルはそれなりに防寒をし、少し足早に王宮図書館への道のりを歩いていく。
「アンナベル!」
途中、明るい声に振り返ると茂みの中からティンクが顔を出した。あまり見慣れない道具を肩から斜め掛けにしたベルトで吊るしている。バケツのような本体には緑色の液体が入っていて、そこから伸びる細めのホースの先はスプレーのようになっていた。
マリエルにもあいさつをしたティンクに仕事中かとたずねると彼女はうなずいた。髪についた葉っぱを落とし、やれやれと言いたそうに息を吐く。
「最近蜘蛛の巣が多くって……悪い虫も食べてくれるけど、さすがにちょっとね。この液体で巣を溶かすの。アンナベルとマリエルさまはお散歩ですか?」
「図書館に行こうと思って」
「それならこっちから行くとちょうど今朝、雪灯草っていう植物の花が咲いていたので見ごろですよ」
「それなら見ながら行きましょうか?」
「ありがとう」とマリエルが言うとティンクは笑顔で仕事に戻っていった。彼女の言うとおり、濃い緑色の葉を持った赤い花弁の先が黄金色の、美しい花が綺麗に咲いていた。もっと星明けの山脈に近い土地でよく見られる花で、寒い季節のはじまりに咲く。
足取りを緩め花を楽しみながら歩いていると、ちょうど雪灯草の手入れをしていた使用人が部屋に花を飾りましょうかと声をかけてくれたので二人はお言葉に甘えることにした。
王宮図書館はいつも通り静かだったが、壁を覆う蔦植物は葉を落とし、古い石の壁がむき出しになっている。他の季節とまた雰囲気が変わった図書館に入れば中は温かく、二人はほっと息を吐いた。
司書をしている本の妖精に目的の本がある場所をたずねて案内してもらい、二人であれこれいろいろな種族の古語を調べてみた。興味深い様々な言語に触れ、別のことにも興味が湧き、時折脱線してしまうのもまた楽しい。
気になったこの国の王の名前の内、ザルガンドはアンナベルも知っていたように終わりを意味する言葉で、ヴァラドールは“力ある者を統べる者”という意味を持っていた。ドラゴンの古い言葉で、彼らの王がその名を名乗るらしい――しかし結局残りの一つ、ガーディアという名前の由来についてはわからずじまいだった。それが魔族ではなく人間の古い言葉だと、彼女たちは知らなかった。




